「とにかく、僕は前回みたいな馬鹿《ばか》騒ぎはごめんこうむる。馬鹿なマスコミにチヤホヤされて喜んでいるような馬鹿な連中とはなれあう気にもなれない」 ……うーむ。これはちょっくら異常でないかい? 「それで? ナルちゃんは現場に行かないわけか?」 ぼーさんが聞くとナルは顔をしかめる。 「そうしたいところだが、行かないわけにはいかないだろう」 「質問」 あたしはお行儀《ぎょうぎ》よく手をあげた。 「んじゃ、ナルはどういうあつかいになるわけ?」 「僕はここの単なる調査員ということになるな」 ……ほう。調査員といえば、あたしと同格ではないか。 「で、どんな依頼者なわけ?」 綾子が聞くとナルは険《けわ》しい表情で名前をあげた。全員がキョトンとした。 あたしだって名前を知っている超有名人。そりゃ、事件がマスコミにバレりゃ、大騒ぎになるのは確実だわ。 なにしろわが日本国の、もと首相の名前だもの。
2
打ち合わせと準備に三日。四日後あたしたちは、はるばる長野県の諏訪《すわ》に向かった。 調査の対象となるのは、一軒の古い洋館らしい。幽霊が出没するために長い間放置されているそうな。……ま、ありがちだけどね。 市内の手前で山に入り、深い緑に覆《おお》われた斜面をウネウネと上がると、ボロボロになった門扉が見えた。赤く錆《さび》の浮いた無愛想な鉄格子。門柱はレンガ造りらしかったけど、緑色の苔《こけ》がびっしりと生《は》えて半分腐《くさ》ったように見えた。門があるだけで、塀《へい》はなかった。門の両脇は深い林。一歩でも中に入るのが嫌《いや》なくらい、暗くておどろおどろしい感じ。 開いている門から、先を走るわが『渋谷サイキック・リサーチ』のワゴン車が中に入っていく。リンさんの運転で、ナルが同乗。あたしはぼーさんの車。助手席には綾子《あやこ》、バック・シートにあたしとジョン、そして安原《やすはら》さん。 陰鬱《いんうつ》な感じの林の間を少し走ると、すぐに大きな建物が見えた。 ――大きい。本当に大きかった。 「……すご……」 建物を見上げて思わずつぶやいたあたしに、安原さんがあいづちをうった。 「本当に。ホテルか博物館みたいだよね」 たしかに、その洋館は古いホテルか博物館のように見えた。お屋敷というより、まるでお城のようだった。古いさびれたお城。建物の周囲の庭も荒れた感じで、長いこと人がすんでなかったようすなのが外からもわかった。 綾子も、 「すごぉい。あるところはあるわねぇ」 などとわけのわかんない感動のしかたをしていた。 「でも手入れが悪い。これじゃ幽霊屋敷だわよ」 そう綾子が言うと、ぼーさんが失笑をもらした。 「もちろん、幽霊屋敷なんだろうが」 「あ、そっか」 たしかに、幽霊屋敷として、これ以上それらしい建物なんかないだろう。見捨てられた巨大な洋館。外国のホラー映画に出てくる幽霊屋敷そのまんま。 窓を数えると建物は基本的に二階建てのようだった。ところどころに三階がある。大きな急勾配《こうばい》の屋根はくすんだ青緑で、屋根裏部屋のものらしい窓が見える。レンガ色の煙突がいくつも突き出していたけど、その内の半分くらいは壊《こわ》れてしまっている。 窓も、いくらかはガラスが割れたままになってる。よろい戸がついてたけれど、無傷で残っているのは半分程度。複雑に凹凸をくりかえす壁《かべ》は、くすんだ灰色の石でできている。そこに縦横無尽《じゅうおうむじん》にツタがからまって、季節がらむきだしになった枝が、まるで亀裂《きれつ》のように見えた。 雑草の生えた砂利道《じゃりみち》がまっすぐ建物に向かっていた。リンさんの運転するワゴン車がとまって、ぼーさんがその隣に車をすべりこませた。 玄関みたいな石段の脇に、車が何台もとまっていた。どうやら芝生《しばふ》らしい枯《か》れた草は伸び放題で、車を降りると脛《すね》のあたりまでが露《つゆ》に濡《ぬ》れた葉っぱの間に埋《う》まってしまった。 「麻衣《まい》、第一印象は」 建物を見上げながらぼーさんが聞く。 「気持ち悪い……」 なんだか、すごい威圧感。霊能者の団体様が一緒でなきゃ、絶対に中に入りたくない。「まぁ、これだけ立派な幽霊屋敷にはめったにお目にかかれんわな」 ぼーさんでさえ、少し緊張したようすだった。 車を降りたままぽかんと屋根を見上げていると、玄関にのぼったナルが厳《きび》しい声を飛ばしてきた。 「なにをしてる」 思わず首をすくめると、ぼーさんが小さな声で耳打ち。 「あの態度で、単なる調査員に見えると思うか?」 「だよね」 大嘘《おおうそ》がバレる日も近いとみたね。
石段をのぼったところが玄関だった。大きな扉《とびら》の中は、馬鹿《ばか》みたいに広いホールになっていた。電気は通じているらしく、キンキラしたシャンデリアには明かりがともっていた。正面には、おとぎ話に出てきそうな豪華で大きな階段がある。その下に男の人がふたり立っていた。四十すぎのおじさんと、六十くらいのおじいさん。 あたしたちが開いたままになっていた玄関を入ると、おじさんが前に出てきた。 「大橋《おおはし》と申します」 そう言って深々と頭を下げる。 「所長さんは……」 言われて、安原さんが一歩出た。 「僕です」 ……ああ、あたしって正直者《しょうじきもの》だからこういうのってヤなのよね。しかし大橋さんは疑うようすもなく、改めて安原さんに頭を下げた。 「この件につきましては全権を一任されています。私を依頼主だと思っていただいて結構です」 安原さんも軽く頭を下げる。 「所長の渋谷一也《しぶやかずや》です」 良心の呵責《かしゃく》なんかまるでなさそうな、しれっとした顔。 「なるほど。お聞きしていたとおり、ずいぶんとお若くていらっしゃる」 そう言ってから、大橋さんがあたしたちのほうを見た。 「みなさんは?」 ぼーさんが軽く頭を下げる。 「滝川《たきがわ》と申しますが」 「滝川……何と」 「法生《ほうしょう》です」 大橋さんは、滝川法生さま、と小声でくりかえす。それから綾子を見た。 「松崎《まつざき》綾子です」 「ジョン・ブラウン、と、いいます」 安原さんが、 「親しくさせていただいている霊能者の方です。今回は特別に協力していただきます」 「さようですか。――他のお三方は?」 安原さんが軽く答える。 「僕のアシスタントです」 「お名前は」 大橋さんに聞かれて、あたしは一瞬、ナルとリンさんを見てしまった。あたしは聞かれても困らないけど、ナルとリンさんはどうするんだろう。 ナルが真っ先に口を開いた。 「鳴海《なるみ》、一夫《かずお》と言います」 ……この大嘘《おおうそ》つき。 大橋さんがあたしを見る。 「あ、……谷山麻衣《たにやままい》です」 大橋さんの視線はリンさんのほうへ。ついでにあたしたちの視線もリンさんのほうに移動する。ついに名前を言うだろうか。それともいつもどおりつっぱねるんだろうか。その場に期待が盛り上がったとしても、これはもうしかたないことだと思う。全員が思わずまじまじとリンさんを注目してしまう。 リンさんはきわめて無表情に頭を下げた。 「林興除《りんこうじょ》と申しますが」 ……げ、げーっっ!? 聞いた大橋さんよりも、あたしたちの間のほうに思わず驚いた声があがった。 「中国のほうですか」 「そのうち中国に戻りますね」 「香港《ほんこん》のご出身?」 「ええ」 な……なんとリンさんは外国の人だったのか! す、すごい。 やだなー、リンさんってば、言ってくれればいいのにー。……いや、まて。ひょっとして「林興除」というのが、ナルのようにこの場かぎりの偽名である可能性もあるぞ。 うーむ。奥が深い……。 大橋さんはあたしたちを見まわし、それから左にのびる廊下《ろうか》を掌《てのひら》で示した。 「どうぞ。皆さまおそろいです」
3
案内されるまま広い廊下を右に左に折れて、家の奥に向かう。妙に入り組んだ建物だった。もっとも、豪邸というのはこういうものなのかもしれない。あたし、庶民《しょみん》だからわかんないけど。 大橋さんが案内してくれた部屋は、ムカッとするくらい大きな部屋だった。豪華な部屋の真ん中に大きなテーブルがあって、そこに何人かの人間が座って待っていた。 ……おっと、真砂子《まさこ》もいるぜ。 真砂子はすでに到着していて、いつもどおり着物姿でそこに座っている。あたしたちを見て(たぶん、ナルを見てというほうが正確だろーが)軽く笑みを浮かべた。 あたしたちが最後の到着らしい。最後尾のナルが部屋に入ると、ドアの所にいたおじいさんがドアを閉めた。 大橋さんはあたしたちをイスに座らせる。 「全員おそろいになったようなので、始めさせていただきます」 そう言って大橋さんは、 「まず、今回ご協力をお願いしたみなさまをご紹介させていただきます」 最初にいちばん上座《かみざ》にすわっているおじいさんを示した。 「三魂会《さんこんかい》の三橋芳名《みつはしほうめい》様」 おじいさんはいかがわしい顔で会釈する。 「澄明協会《ちょうめいきょうかい》の聖忍《ひじりしのぶ》様、その助手をなさっている上原美紀《うえはらみき》様、厚木秀雄《あつぎひでお》様」 三十くらいのおじさんと、おにーさん、おねーさんの三人組。 「防衛大学教授の五十智絵《いがらしちえ》博士とそのアシスタント、鈴木直子《すずきなおこ》様」 上品なおばあさんと、若いおねーさん。 「法専寺《ほうせんじ》ご住持《じゅうじ》、井村健照《いむらけんしょう》様」 住持というのは、坊さんの一種だとぼーさんが言ってた(おお。シャレみたい)。文字どおり坊主頭のおじいさん。 「霊能者の原真砂子様」 真砂子は説明不要だろう。 「南心霊調査会の所長、南麗明《みなみれいめい》様。所員の中原清明《なかはらきよあき》様、白石幸恵《しらいしゆきえ》様、福田三輪《ふくだみわ》様」 老《ふ》けたおじさんと若いおじさんとおばさんとおねーさん。 ああっ! もー、誰が誰やら。仕事がすむまでに、全員の名前を覚えきれるだろーか? とほほ 紹介されていないのはあたしたち。そしてもうひとり、温厚そうな紳士然とした外人さんだけになった。 「そのオブザーバーで、英国心理調査協会のオリヴァー・デイビス博士」 サッと全員の視線がその人に集まった。 デイビス博士。 あたしでも知っている。この業界の有名人。英国心霊調査協会、通称SPRの研究者。ESPとPK両方の能力を持つ超能力者でもある。 みなさまの視線は尊敬とライバル意識がまざりあった、それでもびっくりしたのだけはたしかな色をしている。 大橋さんは、ひそかなざわめきを無視して紹介を続けた。 「渋谷サイキック・リサーチの所長、渋谷一也《しぶやかずや》様とそのみなさま」 おっと、全員助手にされちまったい。 「滝川法生《たきがわほうしょう》様、ジョン・ブラウン様、松崎綾子《まつざきあやこ》様、鳴海一夫《なるみかずお》様、谷山麻衣《たにやままい》様、林興除《りんこうじょ》様」 ひとりずつ掌《てのひら》で示しながら、名前を間違いもなく言ってのけた。すごい。「以上の二十方です」 それから大橋さんはいつの間にか部屋に入ってきていた、五人の男の人を紹介した。さっきのおじいさんたちだ。彼らがあたしたちのお世話をしてくれるのだとか。いわば職員ってとこかな。 大橋さんはさらに続ける。 「先生のご意向で、みなさまには調査の間、ここに泊《と》まりこんでいただきます」 先生、というのは当然大橋さんのご主人さまのことなんだろーな。 うーむ。政治家というのは公務員のはずである。しかし誰も町役場のおじさんを先生とは呼ばない。なぜであろうか。考えてみるとふしぎだなー。 「むろん、リタイアしてお帰りになっていただくぶんには構いませんが、それまでは申しわけありませんが出入りをなさらないようお願いいたします」 人目につかないよう、ということなんでしょーが、出入り禁止といういのはけっこうキビしい条件だよな。夜中にお腹《なか》がすいたりしたら、どうしたらいいんだろう。もっともコンビニまでそーとーありそうだけど。 情報収集にも不便だ。わが『渋谷サイキック・リサーチ』の場合、近所での聞きこみとか、役所での調べものなんかがけっこう重要なポイントになるので、それで今回は森さんが諏訪《すわ》市内のホテルに待機している。 「それでは、これからお泊りいただくお部屋に案内いたします。その後はご自由にどうぞ。わたくしどもでお役にたつことがあれば、なんなりとお申しつけください」
あたしが案内されたのは、その部屋(勝手に食堂と呼んじゃえ)の真上あたりの部屋だった。学校の教室くらいはありそうな部屋で、そこにブ厚いマットレスが三つ。つまり、綾子、真砂子と同室ってわけ。 綾子はともかく、真砂子がねぇ。ま、こんな陰気な家でひとりになるよりはいいけど。 ちなみにナルとぼーさん、ジョンは隣の部屋。さらに隣がリンさんと安原《やすはら》さん。どーせナルと安原さんはトレードするんだろう。 「けっこう、いいじゃない」 浮かれた声で言ったのは綾子だ。 部屋はこれまた豪華な内装で、しかもきちんと手入れされてた。じゃっかん壁《かべ》がくすんでいるのはしかたあるまい。窓ガラスは割れてないのが入ってるし、よろい戸も無事。すえおきの家具からなにから、きちんと掃除されていた。 「寝る暇《ひま》があればいいけどね」 あたしが言うと、綾子は顔をしかめる。 「やなこと言わないでよ。アタシは寝るわよ。睡眠不足は美容の大敵っ」 「お肌の曲がり角《かど》を過ぎると大変だねぇ」 綾子は顔を突き出した。 「ま・だ! まだ越えてないからねっ!」 「知ってる? 年より上に見られて喜べなくなったときが、年寄りの始まりなんだって」「麻衣ぃ~」 「はぁい(ハート)」 「あんた、本っ当にいい性格になったわね」 「そりゃもー、仮にも『渋谷サイキック・リサーチ』の調査員ですから」 そんなあたしたちを、真砂子が軽蔑《けいべつ》しきった目で見ていた。 「ふっ、くだらないことを言ってるわね、とか思ってるでしょー」 あたしが真砂子を指さすと、お人形さんはやんわり笑う。 「あら、わかりました?」 ホント、とっつきにくいんだから……。あんた、友達いないだろ。 「わかるとも。ね、この家、なにか感じる?」 あたしが聞くと、真砂子はちょっと真面目《まじめ》な顔でうなずいた。 「霊の姿は見えませんけど。でも、とても嫌《いや》なけはいがしますわ」 「嫌な気配かぁ……」 綾子は音をたててスーツ・ケースを閉じる。 「たしかに嫌な建物よね」 「へぇ、綾子でも嫌な気配とか感じるんだ」 あたしが言うと綾子はもう一度顔を突き出す。 「なぐるよ」 そうやって綾子とおちゃらけてると、真砂子がポツリと言った。 「血の……」 え? 「血の臭いがする気がしますわ」 真砂子はマットレスにきちんと腰掛けて、視線を遠くへさまよわせていた。ひどく緊張した表情をしていた。
4
荷物をしまって綾子《あやこ》たちと三人で食堂に入ると、なぜだか全員がそろっていた。つまり、二十人。お茶なんか飲んでる。 あたしと綾子、真砂子《まさこ》がイスに座ると、おじいさんがお茶はいかがですか、と聞いてくれた。こりゃ、本当にホテルに来たみたい。 コーヒーをお願いする。テーブルでは南心霊調査協会の南さんが、なにやら得意そうにまわりの人としゃべっている。 「まかせてください。なんら問題はありません。われわれにはデイビス博士の助言がありますし、最悪の場合でもアメリカのアレックス・タウナス氏や――ご存じですね、有名な超能力者でいらっしゃる――ユリ・ゲラー氏の助言やご協力をいただけることになっております」 アレックス・タウナス。ユリ・ゲラー。 ともに有名な超能力者じゃない。タウナスなんて、知る人ぞ知るって感じだし、ゲラーにいたっては超がつく有名人。有名すぎてペテンだなんだと言われるくらい。 こいつはちょっくらスゴいんでないかい? 南氏はとくとくと自分の交友関係の広さを自慢しはじめた。あたしでもよく名前を知っているような超能力者や研究者が彼のお友達らしい。 まわりの人々は半信半疑の表情だった。 「すごいよね」 あたしが隣に座ったジョンに小声で言うと、 「さいですね。けど、デイビス博士と知り合いなんですから」 そら、そーだ。博士だって知る人ぞ知る有名人だもんな。 博士は南さんの隣に座って、おっとりと微笑《ほほえ》みながら周囲の人がカタコトの英語で話しかけるのに答えている。 「博士ってとご国の人?」 「イギリスのお人です」 「なるほどぉ。いかにも、イギリス紳士って感じよね」 「ですね。……けど」 ジョンはちょっと首をかしげた。 「けど?」 「いえ。思ったよりお年をとってはるんで。……てっきりもっと若いお方やと」 博士は四十くらいだろうか。あたしには十分若く見えるけど。なんか「博士」っていうと、おじいさんみたいな印象があるもんな。 「ね、ジョンって英語しゃべれる?」 ついそう聞いてしまうと、ジョンの真っ青な眼がパチクリした。 「ボク……英語の国の人ですけど」 ……うん、知ってる。身近に英語に堪能《たんのう》な人間がマレなもんで、つい。 「……愚問《ぐもん》でした。ジョンがあんまし日本語がうまいからさー」 「おおきにさんです。それが、どないかしましたか?」 「あとでちょっと、通訳とかしてもらえるかなー、なんて」 あたしが言うと、ジョンがクス、と笑った。 「博士ですか?」 「うん。やっぱ有名人だし、ちょっとお話なんかしてみたいなー、なんて」 ジョンが笑う。 「ミーハーかしら」 「いえ。滝川《たきがわ》さんと同じことをいわはるから」 なんだー、ぼーさんもかー? 「ぼーさんも、けっこう有名人に弱いなぁ」 「滝川さんは博士に……なんて言うんでしたか、傾向?」 「傾倒?」 「そです。傾倒してはりますから」 うーむ。つまり博士のファンなのね。そういえば、よく博士のことをひきあいに出すもんなぁ。 そんなことをヒソヒソ話していたら、ナルが安原《やすはら》さんに声をかけた。 「それじゃ、所長。始めましょうか」 ……うーん。どうも違和感あるなー。 「はい」 安原さんが『渋谷サイキック・リサーチ』の所長とも思えぬ、素直なお返事をして、あたしたちは、肉体労働をすべく立ち上がった。
5
まずは調査拠点にあたる部屋に機材を運《はこ》びこんだ。コンピュータ、さまざまな計器、いくつものモニター、などなど。ラックを組み立てたり、そこに機材を押しこんだり、配線をしたりと重労働をしていると、大橋さんが顔を出した。 「部屋はここでよろしかったでしょうか」 安原《やすはら》さんが会釈《えしゃく》する。 「はい。ありがとうございました」 「たいへんな機材ですね」 大橋さんは少し驚いたように機材をおさめたラックを見上げた。 「どうも。あの、少し質問をさせていただきたいのですが、よろしいですか?」 ……むむ。安原さんが質問するんだろうか? 「ええ。なんでもお聞きになってください」 「じゃあ……」 そう言って、安原さんはナルを振り返った。 「鳴海《なるみ》くん、頼むね」 おっとー。その手があったか。 安原さんはしらじらしく笑う。 「僕は車で機材の調整をしておくから。――大橋さん、すみません。よろしくお願いします」 そう言って、安原さんは出ていった。ナルは大橋さんにイスをすすめて、自分も座る。お願いして準備してもらっておいたテーブルにファイルを広げた。 「まず、最初に依頼の内容をもう一度確認させてください」 うん。さすがにナルがビジネスを始めると、その場の雰囲気がひきしまる。機材の準備をしていたあたしたちの空気まで緊張した。 大橋さんがごく真面目《まじめ》に話を始めた。 「もともこの建物は、先生の奥様のご実家の所有になります。奥様はまったくここにいらしたことがありませんし、奥様のお父様……つまり、先代も結局ここにはお住まいにならなかったそうです。と言いますのも、幽霊が出るという話でしたので、それで忘れ去られた状態だったのですが、先々月、この家で少年がひとり、行方不明になりまして」 「……と、いいますと?」 「ここが空《あ》き家なのをいいことに、近郊の若者たちが出入りしていたらしいのです。いわゆる暴走族のグループがここに入りこみまして、そして中のひとりがいなくなったと、警察に届け出があったそうです。この屋敷はたいへん複雑な構造になっておりますので、どこかで具合でも悪くなって発見されていないのではと、警察が人手を集めて捜索したのですが、発見できませんでした。そればかりでなく」 大橋さんは困ったように苦笑した。 「捜索をしていた消防団の青年が姿を消したのです」 ……うわー……。 「その時に、中の何人かが屋敷の中で人魂《ひとだま》を見たとかで。ここで増築の工事をしましたとき、作業員が消えたこともあるという話で、先代はくれぐれもこの建物には手を触れぬように、朽《く》ちるにまかせておけとのご遺言《ゆいごん》だったそうです」 大橋さんは自分でも半信半疑なのか、苦笑を浮かべたままだった。 「ですが、ここでふたりも行方不明になったとなると、悪い噂《うわさ》もたちますし、放っておくわけにもまいりません。かといって、これ以上の被害が出ても……。それで霊能者の方にお願いしてみようと、そういうことになりましたのです」 なるほど、と言ってからナルは部屋を見まわした。この部屋も広い豪華な部屋だった。いかにも外国の映画に出てくる豪邸のような。ひどく傷んではいるけど、掃除はきちんとされている。 「わりに古い建物のようですが……いつ頃の建築ですか?」 「最初の建築は明治十年頃と聞いております」 「明治十年というと……」 「今から百十年以上前ですね。一八七七年ですから。ただ、その後増築や改築をくりかえしまして、その当時の建物はほとんど残っていないというお話でした」 「いつ頃だかわかりますか?」 「あいにくと……。先々代――奥様のお祖父さまがこの家をお建《た》てになったのですが、その当時からひんぱんに改築が行われていたそうでした。先代にいたっては、ほとんど毎年のようにどこかしら手を入れてらっしゃったそうです」 ナルがメモをとっていた手を止めて顔をあげた。 「毎年のように? なのにここには住まなかったんですか?」 「はい。そのようにうかがっております」 ……変なの。じゃ、なんのためにお金をかけて工事をしてたわけ? 「先々代はどういった方だったのですか?」 「美山鉦幸《みやまかねゆき》さまとおっしゃいまして、諏訪《すわ》一帯に広く土地をお持ちでした。後に製糸工場をお建てになりまして、慈善事業にも手をつくされました。孤児院や私立の慈善病院などを設立なそったそうです。もっとも、明治四十年、一九〇七年の恐慌で事業の大部分を手放され病院なども閉鎖のやむなきにいたったそうですが」 ……日本史の授業か、これは。 「結局、その三年後にお亡《な》くなりになったそうです」 かわいそーに。きっとガックリきちゃったのねぇ。 「そのあとを先代の宏幸《ひろゆき》さまがお継《つ》ぎになりまして。先代も二十年ほど前に亡くなられましたが」 ナルは指先でテーブルを叩く。 「鉦幸氏はここにお住まいだったんですか?」 「さようで。先代は諏訪市ないの本邸でお生まれになりまして、結局ここにはお住まいになられないままだったそうです。もともと別邸でございましたので」 「何度か滞在したことはあるわけですね?」 「そのようにうかがっております」 「大橋さんご自身は、ここでなにかを見たというようなことは」 「準備のために一週間ほどおりますが、そのようなことはございません」 「他の方も?」 「はい。そのような話は聞いておりません」 ナルは考えこむようすをする。少し眉《まゆ》をひそめてから、 「その……行方不明者と一緒だった人たちに話をうかがえませんか?」 「もうしわけありませんが、できるだけ内密に調査をしていただきたいので……」 ナルは軽く眉をひそめる。それでもその件に関してはなにも言わず、 「最後に。……怪談の原因について、なにかお心当たりは?」 「わたくしにはわかりかねます」 「ありがとうございました」 軽く頭を下げてから、ナルは、 「ああ、大橋さん。この家の平面図が手に入らないでしょうか」 「もうしわけありません。そのようなものはないと、うかがっております。なにしろ思いつくさまに増改築を重ねておりますので……」 「……そうですか。どうも」
「いかにも幽霊屋敷って感じじゃない?」 大橋さんが出ていくなり、綾子がなんだか弾《はず》んだ声をあげた。 ぼーさんもニンマリして、 「だよな。古い洋館。いわくありげな由緒《ゆいしょ》。……ナルちゃん、どうした」 ナルはすごく難《むず》しい顔をしている。 「気に入らないんだ」 「なにが」 「長いこと無人だった幽霊屋敷。建物は複雑で平面図もない。そこに泊まりこむんだぞ」 そうか。ナルはそういう場合、安全を確認するまで泊まりこみはしない主義だもんね。「おっと、けっこう弱気な発言」 「慎重と言ってくれないかな? ――麻衣《まい》」 「はぁい」 「とりあえずこのあたり一帯に温度計を置いてみる。ぼーさんと行ってくれ。陽が暮れたらやめていい。日没後は必ず誰かと一緒にいるんだ。いいな?」 「……うん」 なんか、念を押されるとビビっちゃうなー。 「他の者も。しばらく、日没後はひとりで行動しないほうがいい」 そう言ってから、今度は綾子を見る。 「護符《ごふ》を書けますか」 「できるに決まってるでしょ。あたし、巫女《みこ》よ?」 「とてもそうとは思えねーけどな」 ぼーさんがチャチャをいれると、綾子がにらむ。 「あんたに言われるすじあいないわよっ」 ……そら、そーだ。ぼーさんが坊主に見える奴がいたら、誉《ほ》めてつかわす。 パシ、とナルが机を叩く。 「護符を。人数分。各部屋の分と」 ぼーさんは首をかしげている。 「用心のしすぎじゃねぇの?」 「無思慮な人間が、怠惰《たいだ》の言いわけにするセリフだな」 ぼーさんは一瞬ムッとした顔をしてから、ニンマリと笑った。 「――そう。たしかに用心はしといたほうがいいわな」 ナルを楽しそうに見る。 「……なんだ?」 「その態度、用心してツネヒゴロから改めておかねーと、バレるぜ。調査員の鳴海《なるみ》くん」 綾子が手を叩いた。 「あ、言えてる。ぜったいに、調査員にしては偉《えら》そうだもんねー」 うんうん。 「アタシたちはれっきとした霊能者で、所長から協力を求められてるわけだし、やっぱゲストよね。それなりの態度で接してもらわないとー」 ナルはちょっと顔をしかめる。 「……心がけましょう。ずいぶん年上でいらっしゃることでもあるし」 こいつ、明らかに「ずいぶん年上」を強調したな。 ナルが立ち上がった。作り笑いミエミエの笑顔を浮かべる。 「では、作業にかかりたいのですが、手を貸していただけますか。松崎さま、滝川さま?」 これは寒い。はっきり言って背筋が寒いぞ。こちらを見ていたジョンが頭を抱えた。 「ま……麻衣。行こうか」 「はい、行きませう」 すたこらその場を逃げ出した。あたしとぼーさんだった。
二章 めかくし
1
車に行って温度計とボードを取ってきて、ついでにぽつねんとしてた安原《やすはら》代理所長を拾って、あたしたち三人は各部屋の気温をはかってまわる。心霊現象の起こっている場所というものは、気温が低くなるものなのだそーだ。 大橋さんに聞いた話をしながら歩いていると、 「だいじょうぶなのかな」 安原代理所長がその辺の戸棚を開けながらつぶやいた。 「なにが?」 「だから……ここで人が行方不明になったのって、二か月前なんでしょ? もしその人が家の中で迷子《まいご》になったんだとしたら、まず死んでるよね」 「……まぁねぇ」 「ウロウロしてて死体なんか発見したらやだなぁ」 ……う。やなこと言うなぁ。 「こういう家だし、ネズミとか絶対いるよね。ネズミやゴキブリに喰《く》われてボロボロになった死体なんか見たい?」 「やめてよぉ」 あたし、ホラーはともかくスプラッタは嫌《きら》いなんだからー。 ぼーさんが豪快に笑った。 「俺たちがそのへんを歩いて見つけられるはずがねぇだろうが。警察が調べた後だぜ」 「あ、そうか」 「でもま、単なる迷子《まいご》なのかもしれんなぁ」 この屋敷はたしかに、複雑怪奇な構造をしていた。廊下《ろうか》は意味もなく曲《ま》がったり折れたりしてるし、幅だって気ままに狭《せま》くなったり広くなったり。好き勝手なところに短い階段があって、ちょこちょこと上がったり下りたり。あっという間に方角を見失ってしまう。 気温を書きこむボードのはしに略図を描いていなけりゃ、あたしたちだって迷子になっていたかもしれない。 「うーん。RPGをやってる気分になっちゃうなー」 安原さんは、あっちこっち出たり引っ込んだりして、「井」型になった部屋を見まわして感心したような声をだした。 「アールピージーってなに?」 「ロール・プレイング・ゲーム。谷山さん、ファミコンやらないの」 「持ってないもん。おもしろい?」 「そりゃもー、はまるはまる。ファミコンの二大ソフトに『DQ』と『FF』とあるんだけど。どっちかの新作が一月だか二月だかに出てたら、僕、ぜったい大学落ちてたな」 も……もしもし? ぼーさんが片隅にあった窓から、外に向かって首を突き出した。 「おー。すげえ。この窓、隣の部屋に開いてるわ」 へ? なんということもない、ふつうの窓だった。その窓の向こうが庭でなく、隣の部屋だという点をのぞいては。 「よろい戸まであるのに……」 「改築だか増築だかしたときにこうなったんだな。……得体《えたい》の知れん3Dダンジョンみてーだな」 ぼーさんが言うと、安原さんがポンと手を叩いた。 「滝川《たきがわ》さんも、ファミコンファン? 『女神転生』やりました?」 「ところが『Ⅱ』終わってねーのよ、俺。魔獣合成にウツツをぬかしてるうちに、本来の目的を忘れちまって」 「わかる、わかる」 あたし、わかんなーい。 盛り上がるふたりを多少うらめしい気分で見ながら、あたしは温度計をすえる。温度計といっても、学校で使うアルコール温度計ではありませんぞ、念のため。 摂氏《せっし》四度。ずいぶん低いが、このあたりの部屋はみんな似たりよったりだ。 はかった温度をボードに書きこむ。なんという部屋なのかわからないので、略図に番号をふっておいた。 「オッケー。つぎ行こう」 そう声をかけて、あたしは自分がどこから来たのかわからなくなってしまった。「井」型の部屋は四方の同じ位置にドアがあって、そのどれから入ってきたのかわからなくなったわけ。ちっ。コンパスがいるな、これは。 「どっから来たんだっけ?」 あたしが聞くと、安原さんとぼーさんはたがいにちがう方向を指さした。 あてにならん奴ら。 いちいちドアを開けて確認しているとぼーさんが、 「ウインチェスター館だな、これは」 なんだ、それは? 安原さんが聞き返す。 「ウインチェスターって、ウインチェスター銃の?」 「なに、それ?」 セーターを引っ張ると、『渋谷サイキック・リサーチ』の所長とは思えぬ親切さで教えてくれた。 「古い銃に、そういう種類があったんだよね。それとも今でもあるのかな。……それですか?」 ぼーさんはうなずく。 「そ。ウインチェスター銃を製造したウインチェスター家の家さ。俺もよくは覚えてねぇんだけど、こういう複雑怪奇な家らしいぜ。開かない窓、上がれない階段、通れないドア」 「あ、おんなじ」 「だろ?」 安原さんは妙に納得した顔をする。 「金持ちの考えることってわからないよなぁ。なんだってこういう家にしたがるのか?」「ウインチェスター館のほうはワケアリらしいけどな。たしか、家が完成したら悪いことが起こるとかなんとかで、完成しないよう果てしなく増築をくりかえしたんだとさ」 「へぇ。じゃ、この家もなんかワケアリなのかも」 「ワケがなかったら二笑邸だよ。ああ、ここだ、まだ入ってない部屋」 そう言って、ぼーさんがやたら細長いドアを開けた。
2
その部屋番号八番の部屋は、もっと奇妙な部屋だった。 だだっ広い部屋の真ん中に二畳くらいの小さい部屋があって、しかも、そこだけ床の高さが違ってたりするからめーわくな話だ。 その小部屋(八・五号室)で温度をはかる。 「ダンジョンならこういう部屋にはなんかあるんだよな」 「そう。宝箱とか、小ボスとか」 ……なに言ってんだか。 のんきな話をうれしそうにしている安原《やすはら》さんとぼーさんをおいて外に出ると、広い部屋の角に三人の男女が集まっていた。 おや。有名超能力者とお友達の南さん。 南さんはあたしを見てニヤッと笑う。 「おやおや。お嬢さんも、もうお仕事ですかな」 「はぁ。まぁ……」 南さんはあたしが抱えたボードを見る。 「気温の計測ですか?」 そう言って、なんども首をうなずかせた。 「いいですねぇ。気温の計測は、心霊調査の基本ですよ。おたくの所長さんはお若いのに、なかなか物を知ってらっしゃる」 ニヤニヤして言う南さんは、右手にアルコール温度計を持っていた。 「……どうも。南さんもですか?」 あたしが聞くと、南さんはニンマリ笑う。 「そうです。我々の方法は、デイビス博士直伝《じきでん》ですからな。ええ、企業秘密なんてことは言いません。これも心霊研究の発展のためですから、盗《ぬす》めるテクニックはどんどん盗んでいってください。人間、勉強ですよ」 「はぁ……」 よくしゃべるおっさんだ。 南さんはあたしにもう一度笑いかけながら、温度計を軽く振って、それをホコリをかぶった家具の上においた。 ……あのー。アルコール温度計って振っても下がらないんですけ |