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悪霊シリーズ第5巻 悪霊になりたくない
作者:    出处:    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     


 なんだか涙がこぼれた。
 綾子はあたしの顔をじっと見つめる。みんなの視線が集まっているのがわかった。
「……本当に?」
「うん」
 だれもが対応に困った、という表情をしていた。あたしも、そう。よかった、と喜ぶほど自分の力を信じられないから。
 複雑そうな表情のみんなに向かってナルが声をかける。
「移動しよう」

 次の部屋で、リンさんが突破口を見つけた。
「壁の薄いところがあります」
 どっとみんながモニターに集まる白い壁の真ん中に大きな四角形の薄い影が見えた。レーダーの映像は、電磁波を強く反射するところが白く見える。あの薄い影は、そこだけ壁が薄いことを表している。
 ぼーさんは安原《やすはら》さんが腕まくりをして壁に取りついた。ツルハシやバールを振り上げる。かなり楽に小さな穴が開いた。ぼーさんがライトの光をあてて中をのぞきこむ。
「すぐそこにドアが見えるぜ」
 全員で寄ってたかって穴を広げた。
 壁の向こうは一メートル以上低くなっていた。石造りの階段があってポーチがあって。そして正面に両開きのドア。一目でここは玄関なのだとわかった。
 この上に建物があるんだと、一階や二階や三階があるんだと思うとひどく奇妙な気がした。家の奥深くに隠《かく》されたもうひとつの玄関。
 ぼーさんと安原さんが段差を飛び降りてドアに飛びつく。持っていた工具でドアをこじ開ける。錠というよりドアそのものを壊《こわ》して、扉《とびら》が内側に開いた。
 ドアを入ったところは玄関ホールになっていた。ホコリのつもった絨毯《じゅうたん》の上に、ちゃんと家具も置かれている。どれもこれも雪が降りつもったようにホコリをかぶって、なんだか奇妙な世界に迷《まよ》いこんでしまった気がした。ホールからまっすぐ奥に向かって廊下がのび、右手には二階へ上がる階段があった。ライトをあててのぞきこむと、二階に上がりきったところで塞《ふさ》がれてしまっているのが見えた。おそらく、あれが北棟の一階の床なんだ。
「麻衣、夢で見たホールってのこれか?」
 ぼーさんが聞いてくる。
「ちがうよ。こんなんじゃなかった」
 ナルがライトで周囲を照らしながら言う。
「ひょっとして……鉦幸《かねゆき》が住んでた母屋《おもや》じゃないのか?」
「ありうる」
「じゃ、どこかに暖炉《だんろ》のある部屋があるはずだよ。暖炉の右にクローゼットがあるの!」
 廊下を小走りにぬけながら両側のドアを開け放していった。
 その部屋はいちばん奥に見つかった。
「……この部屋!」
 奥の部屋は、夢で見たのとまったく同じ構造をしていた。暖炉。その前の低いテーブル。暖炉の右にクローゼット。
 ……本当にあったんだ。
 ナルがクローゼットの扉を開けた。そこには夢とちがって、一枚のカーテンがかけられていた。カーテンを開く。その奥にも扉。ナルはさらにそれを開いた。扉の向こうに細い廊下があった。
「やった!」
 綾子が手を叩く。
「えらい、麻衣!」
 ナルは表情のない声をかけた。
「いくぞ」

 廊下は十メートルくらいで途切れていた。そこにあったドアを開けると、三畳くらいの小さな部屋に出る。その部屋にあるもうひとつのドアを開けると、暗い空間に出た。
「え――?」
「あぁ!?」
 巨大な空洞。ハンド・ライトの光があたりをなぎ、あたしたちは仰天《ぎょうてん》した。するなと言うほうがムリだ。
 暗い、ポッカリと開いた空洞。巨大な虚《うつ》ろな空間。広さにして体育館ほど。天井まではすごく低い。上階の床が複雑に入り交じり凹凸をくりかえしているけれど、低い所であたしでも身をかがめるほど、高い所でもリンさんが手をあげれば指先がとどくほどの高さしかない。
 そしてその空間には、白い骨のように枯《か》れ果てたなにかの樹木の姿が並んでいた。
「迷路だ……」
 樹木は明らかに迷路の様相だった。しっかり葉がついていたころには、隣の通路は見えなかったのに違いない。今では枯れ落ちてしまったせいで白い枝を透《す》かしてずっとむこうまで見えるけれども。
 迷路を歩くのは簡単だった。強くおすと折れてしまう樹木のせいだ。周囲に光をあてながら枝を折って周囲の壁に沿って歩きつづけ、ドアを見つけた。
 磁石と平面図と見比べていたリンさんが、
「ナル、いちばん大きな空洞のあたりまできたようです」
 
 そう言った。
 北棟のX階。中央部の高すぎる床下。そして大きな二階まで吹き抜けの空洞。それらは全部つながっていたんだとわかった。

     7

 ドアを開けるとホールがった。がらんとした部屋に上に上がる殺風景《さっぷうけい》な階段。ホールに関してはドアが三つ。家具も絨毯《じゅうたん》もない。
 ホールを見まわしたとたん、あたしはハンド・ライトを握《にぎ》りなおして駆《か》け出していた。
 ……ここだ、まちがいない。
「――真砂子《まさこ》!」
「麻衣《まい》!」
 制止する声が聞こえたけど、足が止まらない。二階へ駆け上がり、廊下を駆け抜けて奥の部屋に走った。ドアを開ける。
「真砂子っ!」
 小部屋をぬけてドアを開ける。ライトの光にタイルが鈍《にぶ》く光った。まっすぐに浴室を駆けぬける。足もとがすべって転《ころ》びそうになりながら、あたしは奥の壁をめざした。ベッドにぶつかりそうになって手をつく。濡《ぬ》れたタイルの冷たい感触がした。ライトを壁に向ける。
「真砂子!!」
「……麻衣」
 弱い声が聞こえた。あたしは声のほうにライトを向ける。壁に身を寄せてうずくまっている真砂子の姿が見えた。
 ああ、よかった。本当によかった……!
 真砂子に駆け寄った。そばに膝《ひざ》をつく。
「よかった。だいじょうぶ?」
 真砂子がうなずいた。
「早かったのね」
 言ってから、ふと眉《まゆ》をひそめた。
「ケガをしましたの?」
「……え?」
 真砂子が手を伸ばした。あたしの頬《ほお》に指を触《ふ》れて離す。見るとその指先が赤黒い。
 ……なに?
 思わず自分でこすろうとして、あたしは手が真っ赤なのに気がついた。赤いコールタールのようなもの。
 ……どうして。
 そう思ったとき、あたしはさっき自分がベッドに手をついたのを思い出した。あたし、手をついた。濡《ぬ》れたタイルの感触がした……。
 思わずライトで闇をなぎ払う。背後のベッドに光を向けた。
 白いベッドの上が濡れたように光った。黒いほど赤いもので。
 真砂子が悲鳴を上げた。ベッドの上は血の海だった。赤いものがパイプを伝わって、床に流れ落ちて大きな血溜《だ》まりを作っていた。
 ……足、すべった、さっき。
 よく考えてみると、長いこと封印されていた二階のこの部屋に、水なんてあるはずがないのに。
 あたしは靴《くつ》の裏を見た。そこも赤いもので真っ赤になっていた。
 おそるおそるライトの光を床に向けた。床には斑《まだら》に染まって見えるほどの血溜《だ》まりができていた。
 ……どうして。どうして。こんなに血が。
 密閉された建物で、人が来るはずもない部屋で、なぜ!?
 答えなんかひとつしかない!
 叫び出しそうになったとき、ふいにタプンという微《かす》かな音がした。あたしは思わず飛び上がって、音のしたほうにライトを向ける。
 音の出どころは浴槽だった。白い浴槽は糸を引いた血で赤い縞模様《しまもよう》になっていた。浴槽のふちのふたりに赤い水面が見えた。
 ふいに吐《は》きそうになった。身体《からだ》がガクガク震《ふる》えた。
 ……あんなにたくさんの……血。
 真砂子の手があたしの腕をつかむ。あたしの手が真砂子の手を握る。
 タプンともう一度音がして、水面が揺《ゆ》れた。漣《さざなみ》がたって、水面がもり上がる。赤い流れにテラテラと光ながら、人の頭が水面に現れた。その人物はゆっくりと浮かび上がってきた。額《ひたい》が現れ、眼がのぞき、その眼がしばらくあたしたちを見る。そうしてゆっくり身体を起こした。
 静かに血に濡れた男の上半身が現れた。痩《や》せた男だった。彼は浴槽のふちに手をかけて身を起こす。あたしたちを見たまま薄笑いを浮かべた。顔も肩も腕も、真っ赤に染まっている。粘度の高い血糊《ちのり》に濡れて、恐ろしい色に塗られた銅像のように見えた。
「……浦戸《うらど》!」
 あたしは叫ぶ。男はさらに笑った。口の中まで血糊で汚れて、まるで血を吐いたよう。 あたしは真砂子の手を解いて両手を組んだ。指を絡ませ不動明王印《ふどうみょうおういん》を作る。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン、ナウマクサンマンダバザラダンカン」
 この血は……これは……。
 真言《しんごん》を唱《とな》えながら頭がグラグラした。失踪した人たち。その人たちの……。
 男は血糊の中に身を起こしたまま、薄笑いをうかべてあたしたちを見ている。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
 男がふいに不機嫌《ふきげん》そうな顔をした。ゆっくりと身体をかたむけて、立ち上がり始める。
 指をほどいて剣印を結ぶ。空気を切る。横に縦に。
「臨兵闘者皆陳烈在前!」
 身を起こしかけた男がふいに、ドッと後ろざまに倒れた。激しい音をたて、水面が砕《くだ》けるように泡立《あわだ》って、飛沫《しぶき》があたしのところにまで飛んできた。
 あたしは真砂子の腕を引っ張る。立ち上がって浴槽をうかがう。駆け出そうとしたとき、突然背後から腕をつかまれた。
 太い男の腕があたしの両腕を背後からつかんだ。背中に壁の感触があるのに。あたしの後ろに人なんていられるはずがないのに。ハンド・ライトが墜落して明かりが消える。その光が消える瞬間、真砂子の腕にも同じようにかかった生々しい男の手を見た。壁から生《は》えた二本の腕。
 ギリッと腕が折れるかと思うほど強く締め上げられる。あまりの苦痛に悲鳴が声にならない。身をよじってもその手意外に感じられるのは、タイル張りの冷たい感触だけ。
 もう一度タプンという音がした。眼を見開いても闇以外なにも見えない。人が浴槽の中で身を起こす水音がした。激しい血糊の音。
 あれが浦戸。流血のヴラド。――『悪魔の子』
 締め上げる力が強くなって息がつまった。ひた、とタイルを踏む音がした。ひた、ひた、と闇の中を近づいてくる。
 そのとき、浴室に光がなだれこんだ。

 ハンド・ライトの強い光が交錯した。あたしは眼の前に真っ赤な浦戸を見た。
「いやぁぁっ!!」
 来ないで! 来ないでっ!!
「助けて!」
 ぼーさんが金色の法具を構えた。それより先にリンさんが指笛を吹く。
 高い鋭利な音と同時に、なにか白いものが飛来してきた。白い、微《かす》かに光を放つもの。鋭利な弧《こ》を描いてそれが浦戸に激突する。その刹那《せつな》、浦戸が顔を歪《ゆが》めてかき消えた。するとあたしの腕をつかんでた手の感触が消える。
 あたしは真砂子の腕を引っ張って猛然とダッシュした。光のほうへ。みんなのいる所へ。

     8

 みんなに迎えられて滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に背中や頭を叩かれて、少し痛いのがなんだかうれしい。
 その部屋は振り返ってみても血糊《ちのり》で一面が汚れていた。
「行きましょう。浦戸《うらと》は滅《ほろ》びていない。少し驚かせただけです」
 リンさんにうながされて廊下《ろうか》を駆《か》け戻る。階段を駆け降りて、ホールをぬける。迷路の間をぬけてあたしたちは走った。X階をぬけて外に転《ころ》がり出て。穴の周囲に置き去りにされた機材もそのままに、あたしたちは家の外に向けて急いだ。いちばん近い窓から外に飛び降りたときには、どうして心臓マヒを起こさなかったのか不思議《ふしぎ》な気がした。
 夜空はうっすらと明るんでた。伸びきった芝生《しばふ》の上に身体《からだ》を投げ出して、あたしたちはしばらく肩で息をした。
「まったく……ひとりで……行動するなと」
 ぼーさんが切れ切れに言う。
「うん……ごめん」
「おかげで見つけたけどな」
 え?
「二階にいたぜ、みんな」
 あたしは身を起こしてぼーさんを見た。ぼーさんは転がったまま空を見ている。
「失踪した連中。……喉《のど》が痛そうだった」
 みょうな言いまわしだけど意図は伝わった。やっぱりあの血糊はあの人たちの。
「浴室の隣の部屋に積み上げられてた。モノみたいにさ」
 ……ひどい。
「その手前の部屋には壁全体に棚があってな、そこに骨が積み上げてあった。見なくてよかったよ、お前。吐き気がしそうな数だった」
「……どうして、骨なんか……」
「知るか。けどあれは火葬にした骨だな。たぶん焼却炉で焼いて集めたんだろ。丁寧《ていねい》に並べてあったぜ。まるで陳列するみたいにさ」
 ……浦戸のしたことなんだろうか。いったい彼は、なにを考えてそれを並べていたんだろう。なんのために。あたしにはとても想像できない。
「宏幸《ひろゆき》氏はあれを隠《かく》したかったんだな。とてもひとりで処分できるような量じゃなかったからさ。もっともひとりでできたって、だれもやりたかねぇや」
 殺された人たち。たくさんの……犠牲者。
「かいわそう……」
「……ああ」
 そのまま黙《だま》って息をする。
 しばらくしたころ、ふいに背中をつつかれた。
 
「麻衣《まい》……」
 真砂子《まさこ》が声をかけてあたしの隣に座った。ひどく疲れた顔をしてたけど、それでも笑顔を浮かべていた。
「ありがとう」
 うんにゃ、礼にはおよばねぇだ。そう言おうと思ったら、ぼーさんが厳しい声を出す。「真砂子、礼なんか言うこたねぇぞ。そうやって甘やかすとつけあがる」
「……なんだよぉ」
「本当のことだろうが。ひとりで行動するなと言われたにもかかわらず、つっ走りやがって。多少痛い目みて当然だ、お前は。ぜんぜん懲《こ》りてねぇな」
 う……。ごもっともでございます。
「そうですわね」
 おいおい、真砂子まで同意するなよ。
「じゃあ、さっきのありがとうは、ゆうべの分だということにしておきますわ」
「ゆうべの分?」
 なんだ、それは?
 真砂子は微笑《わら》う。
「来てくれたでしょ?」
 ……おい、それはあたしの夢だぞ。
 真砂子はやんわり笑って右手の拳《こぶし》を開いた。そこには一本の鍵《かぎ》が握《にぎ》られていた。
「えぇぇぇーっ!?」
 あたしはあわててポケットを探った。キーホルダーをたしかめると、たしかにお守りの鍵だけがない。
「……うそ」
 ぼーさんが身を乗り出した。
「どーしたんだ?」
 真砂子が事情を語ると、全員が目を丸くした。
 ぼーさんが口笛を吹く。
「こいつは驚いた……。嬢ちゃん、けっこう優秀なんじゃねぇか?」
 ……はぁ。
「過去視に透視に、今度は幽体離脱かぁ?」
「幽体離脱!?」
 あ、あたしが?
「そうとしか思えんだろうが。いやぁ、どんどん芸が増えるね」
 ……芸はないだろ、芸は。
 ぼーさんにかいぐりかいぐりされて。んでもちっともうれしくないぞ。
 ナルがシビアな声を出して立ち上がる。
「麻衣の場合、意識的にその半分でもできれば、猫よりは役に立つんだがな」
 猫、の一言で真砂子が小さく吹きだした。
 おめーはなー。
 放っておくといつまでもクスクス笑っている。
「真砂子、あのねぇ……」
「ご……ごめんあそばせ」
 どーせあたしは犬猫クラス。ふん。
 ……しかし、幽体離脱。あの魂《たましい》だけが身体を抜け出してしまうという。
 あたしって、ひょっとしたらすごいんでないかい?

     9

 夜が明けるころ、あたしたちはポツポツと立ち上がった。誰ともなく家に向かって歩き始める。黙りこくったまま玄関にまわって、ドアが閉まっていたのでノックして開けてもらった。
 ドアを開けた大橋さんは目を丸くする。
「みなさん……どうして」
 つぶやいて、深い息を吐《は》く。
「……よかった。いつの間にかお姿が見えないので、てっきりみなさんまでいなくなったのかと……」
 言いかけて、安原《やすはら》さんと森さんに目を止めてキョトンとする。
 安原さんはあいまいに笑って頭を下げ、森さんはきまり悪そうに手を振った。
「渋谷《しぶや》さん、いつの間に……あの、これは……」
 あ、そっか大橋さんはまだ大嘘《おおうそ》を信じてるのか。
 ナルが安原さんの肩を叩いて耳打ちをする。安原さんはうなずいて姿勢を正した。
「残りの失踪者を見つけました」
「本当ですか!? どこに……」
「屋敷の奥です。残念ながら、みなさん亡《な》くなっておられました」
 安原さんの声に大橋さんは天井を仰《あお》ぐ。
「警察を呼ばれるよう要請します」
「……はい」
 大橋さんはうなずいて、それから安原さんに、
「いかがでしょう、除霊のほうは」
 安原さんは重々しく言う。
「除霊は不可能です」
「……では」
「後で報告書を提出しますが、厳重に封印して先代の遺言《ゆいごん》どおりこのまま朽《く》ちるにまかせるか、さもなくば炎《ほのお》による浄化しかないと思います」
「……わかりました」
 大橋さんが深く頭を下げた。

 明け方あたしたちは機材をまとめた。
「……そうだ、リンさん」
 あたしはビデオテープの類《たぐい》をまとめながら聞いてみた。
「降霊術をやったとき、不思議《ふしぎ》な声を出してたでしょ? あれ、なぁに?」
 リンさんはちょっとあたしを見てからごく無表情に、
「嘯《しょう》といいます」
 ぶっきらぼうな言い方だけど、答えてくれただけで大進歩。
「へぇぇ。すごく綺麗《きれい》な音だったね」
 リンさんの答えはない。ただ微《かす》かに笑いを浮かべてた。
「そういや、リンさんや」
 ぼーさんが機材を棚から降ろしながら聞く。毎度毎度手伝わされるので、すっかり手際をのみこんでしまっているようなのがおかしかった。
「最後のあれはなんだ?」
 ぼーさんが聞くと、リンさんは無表情に首を傾げる。
「最後の……?」
「麻衣《まい》と真砂子《まさこ》を助けるときに、なにか投げるかどうかしたろ?」
 ああ、とつぶやいて、リンさんは答える。
「私の式《しき》です」
 しき?
「式ってなぁに?」
 リンさんの答えはない。ぼーさんの服を引っ張ると、
「中国の道士には妖怪や霊を捕らえて自分の支配下におくことができる連中がいる。それを役鬼《えきき》または使鬼《しき》と言ってな、使役される霊を式と言う。――これで正しいか?」
 ぼーさんはリンさんを見た。リンさんは微《かす》かに口の端をあげて笑う。
「……まちがってはいないようです」
 へぇぇ……。
「リンさんってすごい」
 思わずつぶやくと、リンさんが軽く頭を下げるようすをした。
 そうかぁ、霊を支配するのかぁ。なんかカッコいいなぁ。
 そんなことを考えてひとりで感動していると、背中を軽く叩かれた。
 振り返ると森さんがニコニコしている。
「お疲れさま。谷山《たにやま》さんてすごいのね」
 あたしが……すごい? これはびっくり。
「そんな。とんでもない」
 
「そうそう」
 ぼーさんが顔を突き出す。
「お嬢さん、こいつを誉《ほ》めてはいけませんぜ。調子に乗ると果てしなく暴走しますから」
「その、暴走ってのやめてくれる?」
「事実だろうが。お前もいい加減に自覚しろ」
 あたしをにらみつけてから、森さんに笑いかける。
「こいつはね、もしもアトラスのごとき怪力があったとして、道ばたに草加《そうか》せんべいが割れなくて苦労しているばぁさんがいたりすると、それに同情して割ってやろうと勢いこんで、力あまって地球を割っちゃうようなやつなんです」
 ……どんなたとえだ、おい。
「言えてる」
 安原《やすはら》さんと綾子《あやこ》が声をそろえて笑い出した。
 ……むっ。
 モンクのひとつも言ってやろうと思ったそのときだった。カタンという高い音がしたのは。ナルの上着のポケットからなにかが転《ころ》がり落ちた音だった。
「……これ」
 真砂子がキョトンとしてそれを拾う。ツゲでできた櫛《くし》だった。
 ナルは明らかに狼狽《ろうばい》した。おっとこいつはめずらしい。
「これ、あたくしの櫛ですわ」
 なーにーっ!?
「手提《てさ》げに入れて、部屋においてあったはずですのに」
 ナルはそそくさとその場を離れようとする。
 あたしは思わず言ってしまった。
「どーしてあんたがそんなものを持ってるわけ?」
 背中を向けて機材をかたづけ始めたナルに呼びかけたけど、ウンでもスンでもない。
「おやすくないねぇ」
と、いかにも楽しそうなのはぼーさん。
「そんなに心配だったのねぇ」
と関心したようすだったのは森さん。
「いい話ですねぇ」
 なんて、うなずいたのは安原さん。
 あたしも一言、しらんぷり決めこんだナルに、なにか言ってやりたかったんだけど。
 ……なんかガックリきちゃった。そーか、そーか。よかったな、真砂子。
 ああ、人生ってむなしい。

 そうしてあたしたちは、諏訪《すわ》をあとにしたわけだけど。

 東京に戻って十日後、諏訪市に近い山間部で小さな山火事があったと新聞に載《の》っていた。ハイカーの火の不始末が原因らしいと。近くにあった雑木林と別荘一棟を全焼して、折からの雨で鎮火《ちんか》したとあった。


エピローグ


 東京、渋谷《しぶや》、道玄坂《どうげんざか》。
『渋谷サイキック・リサーチ』の調査員、谷山麻衣《たにやままい》はこのところ落ちこんでいる。
 そーだ、あたしは脱力してんだ。
「ああっ、あの櫛《くし》が憎《にく》いっ」
 力こぶしを作って言うと、タカが呆《あき》れたような声を出した。
「後ろ向き、せめて原《はら》さんを憎めば?」
「真砂子《まさこ》を憎んでもしょうがない。あの櫛さえなければ落ちこまずにすんだのにっ」
「櫛を恨むのはもっとしょーもないことだと思う」
 千秋《ちあき》センパイもうなずいた。
「だよね」
 いーの。ほっといて。あたしは今猛烈《もうれつ》に櫛を憎みたい気分なのっ。
 千秋センパイがパフパフ頭をなでた。
「ま、そう悲観しなさんなって。たいした意味はないのかもしれないんだし」
「たいした意味がなきゃ、そう言うぞ、ナルは」
「……そうかも」
 千秋センパイ、ぜんぜんフォローになってませんぜ。
 ガックリ落ちんこだとき、オフィスのドアが開いた。
「こんにちはー」
 森さんが顔を出した。
「あ、いらっしゃい」
「リンとナルは?」
「今、食事に出てます」
「あら」
 森さんはちょっと残念そうにする。
「なにかご用だったんですか?」
 あたしが聞くと首を振る。
「ううん。わたし今日帰るから、最後に食事をしたいなと思っただけ」
「お帰りですか? どちらへ」
 タカが紅茶を出しながら聞く。森さんは悪戯《いたずら》っぽく笑った。
「ナイショ」
 あー、この人も『渋谷サイキック・リサーチ』の関係者だね。ホントになんて秘密主義。
 おっと、秘密主義で思い出したぜ。
 あたしは森さんの顔をまじまじと見た。
「? どうしのた?」
 この人はあたしたちの知らないことをいっぱい知っている人だ。そして今、ナルもリンさんもいない。はっきり言ってこれはチャンスだ。
「あのう……森さん」
「なぁに?」
「ナルの両親って、どんな人なんですか?」
 両親がいるとリンさんは言ってた。実を言うとあたしはちょっくら驚いたわけよ。いや、ナルも人間なんだから親がいて当然なんだが。
 森さんは首をかたむける。
「どんな人って……ふつうの人よ」
「ふつーの人は息子が、学校にも行かずにこんなことをしてたらとめません?」
 ああ、と森さんはニッコリ笑う。
「ナルのお父さんは超心理学の研究者なの」
 げっ。親子二代のパライサイコロジストかぁ?
「じゃ、教授かなんか……?」
「ええ。そう。――?」
 森さんはあたしの顔をのぞきこんだ。
「ひょっとして、身元調査?」
「あ、いや……そんなわけでは」
 あるんですが。
 森さんはあたしの顔をまじまじと見て、それからナルホドとつぶやいた。
「ナルは聞かれるまで自分のことを言わない子だけれど、べつに秘密主義というわけではないのよ。ちょっと今は事情があるだけ」
「……事情?」
 森さんは重々しくうなずいた。
「これは内緒《ないしょ》にしといてね」
「はい」
 もちろん、貝のよーに口を閉ざしていますとも。
 あたしたちは思わず身を乗り出した。
「――実は、ナルとリンさんはカケオチ中なの」
 どんがらがっしゃん。
 
「……な、なんですってぇ?」
 森さんは深刻そうにためいきをつく。
「道ならぬ恋に反対されて手に手を取って……ご両親に見つかったらどんな折檻《せっかん》が待っていることか……」
「あ、あのう……」
「きっと哀れに引き裂かれて……」
「もしもし?」
 森さんは顔を上げる。
「それ……マジですか?」
 あたしがおそるおそる聞いてみると、
「え? ちょとは信じたの?」
 驚いたように問い返されて。
 ……がっくり。傷心の人間で遊ばないでほしいのよね。
 タカがひきつった笑いをもらす。
「そ、そうですよね。ありえませんよね。だって、所長さんは原《はら》さんが……」
 言いかけて、あわててあたしのほうを見て口を押さえる。
 原さんがなんだよ、気にせず言ってみろよ。
 森さんはキョトンとした。
「そうなの?」
 タカは身を乗り出した。
「そうなんじゃないですか? だって、原さんの櫛を持ってたんでしょ?」
 そう言うと、森さんは一瞬目を見開いてそれからコロコロ笑った。
「ちがうわよぉ。誤解。それは完全な誤解」
「だって……森さんが、そんなに心配だったのね、って」
 そう言ったんじゃないかぁ。
 森さんは目を丸くする。
「わたし、そういう意味で言ったんじゃないわ。ナルだって仲間のことくらい心配するわよ。表に出すのへたな子だけど、べつにロボットじゃないんだから」
「……そ、そうなんですか」
 あの冷血鉄面皮の下に暖《あたた》かいココロがある、とおっしゃるわけで?
 森さんは心許《こころもと》なげに天井を見た。
「……そうだと……思うんだけど……ちがうかしら」
 だめだ、これは。
 タカと千秋センパイが頭をかかえた。
 んでも、ちょっと安心したかもな。少なくとも気分は浮上した気がするぞぉ。
 笑う角には福来る、待てばカイロのヒヨリあり、果報は寝て待て、棚からボタモチ、残り物には福がある。昔の人はよく言ったもんだ、うんうん。
 ようは、あきらめるにはまだ早いかもしれないってことさっ。
 森さんが立ち上がった。
「ナルとリンはいないことだし、思い切ってオフィスを閉めて、食事に行こう。おねーさんのオゴリで」
 おお、例のニッコリ・スマイル。なんて神々しいんだろう。
「なにが食べたい?」
「オゴリでしたら、なんでも受けてたちます」
「あら、言ったわね」
 ポンと背中をはたかれて。
 あたしたちは意気揚揚《いきようよう》とオフィスを出た。
 外には桜が咲いていた。

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责任编辑:Mashimaro

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