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悪霊シリーズ第5巻 悪霊になりたくない
作者:    出处:    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     

どぉ。
 南さんの両わきには、おばさんとおねーさんがいて、ふたりして目を閉じて合掌《がっしょう》していた。そのおばさんが目を開けて、
「会長、この部屋の向こう側の部屋に何かを感じます」
「ああ、そう」
 南さんはニコニコして、温度計を取りあげるとメモ用紙に温度を書き込む。それから会釈《えしゃく》して、
「まぁ、お互いにがんばりましょう。除霊に成功したチームには賞金が出るようですし」「はぁ……」
 軽やかに手を振って、南さんはおばさんたちと部屋を出ていった。
 うーむ。これはどうしたもんだろうか。
 人を意味もなく疑うのはよくないとは重々承知なんですが。なーんか、うさんくさい気がするんだよなぁ……。
 ゴースト・ハンターはレースじゃないと思うわけ。少なくともレースよりはボランティアに近いと思うぞ(ウチの場合は、だけど)。
 それに第一、アルコール温度計でもってあんな気温のはかり方があるかい。地面に対して垂直に設置して、少なくとも数分から十分はおいとかないと。目盛りを読むときは視線を目盛りの高さまで持っていって、アルコールの上端と完全に水平になるように気をつける。――うちの所長はお若いけど、そういうことにはやかましいんだ。
 そのうえ、うちでは正確を期してアルコール温度計は使わない。ちゃんと小数点以下二桁《けた》まで出るデジタル温度計を使うんだい。
 本当に、かのデイビス博士の指導なんだろうか? それとも博士って意外にファジーな人なのかしらん。博士っつーくらいだから、ウチの所長よりも厳格でやかましい人種なんだろうと思ってたけど、事実は逆なのかもしれないな。専門家ほどおおらかだ、と。
 あたしは南さんが温度計を置いた棚にうちの温度計を置いて、気温の測定をやった。腕時計を見ながら正確に定時数をはかる。定時数というのはひらたく言えば、その温度計が正確な温度をはかるまでに必要な時間のことよ。
 いつもは面倒なのでアバウトにやっちゃうんだけど、今はなんとなく丁寧《ていねい》にやりたい気分。やっぱいいかげんにやるよりは、正確にやるほうがいいはずだ。うんうん。

     3

 そのあたり一帯の十部屋ほどの温度を、三度計測してベースに戻る。広い部屋の中は機材で埋《う》まっていた。
「どうだった」
 ビデオカメラの調整をしていたナルに聞かれ、あたしはボードをさしだす。
「特に低い場所はないけど。んでも、平面図製作班を作らなきゃ、絶対迷子《まいご》がでるって断言するぞ、あたしは」
「僕には必要ないが、必要な人間がいそうだな」
 誰のことだよ、おい。
「八号室で南さんに会ったよ。いいかげんなやり方で気温の測定してた」
「南氏に会ったって? いつ?」
 聞いてきたのはぼーさんだ。
「八号室。ぼーさんと安原《やすはら》さん……じゃない、所長が小部屋で遊んでるとき」
「博士は?」
「いなかったよ」
「……なんだ」
 どことなくガッカリしたようすのぼーさん。
「えらくこだわるじゃない」
 綾子《あやこ》がニヤニヤ笑って隣のジョンを見た。
「滝川《たきがわ》さん、博士を尊敬してはりますから」
 ぼーさんはなんだか照れた表情で、オイとかコラとか言ってる。ふ。かわいいやつ。
「そんなにスゴイ人なんだー」
 にまにま笑ってぼーさんを見ると、ぼーさんはきまり悪げに頭をかいた。
「少なくとも、あれだけ厳密な研究者はあんましいねぇよなぁ……」
「そうなの?」
「そ。すっげー真面目《まじめ》な人なんだよ。まるで普通の科学論文みたいな。きちんとした論文書かくしさ」
「それって、珍しいの? 論文は論文でしょ?」
「それがまぁ、そうもいかねぇわけ。外国の研究者はまだマシだけどな。日本の研究者なんか、引用文献の出展も書かない奴がいるし」
 よくわかんなーい。けどまぁ、ぼーさんの口調から察するに、たいしたことなのね。
「著作がひとつあってな、『超自然のシステム』っつー。それの序文に、こういうのがあって。『超自然現象研究に関して、科学だペテンだ、の議論があるが、著者はこれをいまだ科学ではないと感じる。ゆえに、まず超自然現象研究を科学として認知させるための研究をおこないたいと考えている』っての」
 んー、と。つまり、超自然現象はまだ科学じゃないから、科学にするための研究をする、ってわけね。潔《いさぎよ》いじゃない。ふむふむ。
「超自然現象を信じる奴は、あたまっからこれは科学だって言いはるんだよな。反対派は、こんなのペテンだって決めつけるし。それがさ、思い切ったことを言うよな。博士本人はサイ能力者なんだから、超自然現象があるって知ってるわけだぜ?」
 ジョンがうなずいた。
「さいですね。事実その本かて、すごくきちんとした研究書でしたし」
「だろ?」
 ナルホド。それですっかり傾倒してる、と。うーん、けっこーかわいい性格。
「……でもさ」
 あたしは首をかしげた。
「そのわりに、博士直伝だっつって、南さんはいいかげんな気温計測してたよ」
「そりゃ、南氏がいいかげんな性格なんだよ」
 綾子が口をはさんだ。
「でもさー、あの南っての、なーんかうさんくさくない?」
「あ、綾子もそう思う?」
「思う、思う。なんか、卑屈《ひくつ》な感じで好きになれないのよね」
「だよねぇ。あたしもああいう、じぶんの自慢ばっかする人って好きじゃない」
 ジョンがふいに小首をかしげた。
「ボクは博士に会うたことあれへんのですけど、たしか若いお人やと聞いたことがあったと思うんですけど」
 ぼーさんはじゃっかんムキになった気配。
「なんだよ、疑ってんのかぁ? 『博士』にしちゃ、十分若かったじゃねぇか」
「それはどうですやろ……。博士はロンデンバーグ財団から博士号をもろうたんですよね。欧米には心霊研究を援助する財団がたくさんおますし。ロンデンバーグ財団はその中でも最近特に力をいれてるとこなんです。博士号を作って優秀な研究者に与えたり、大学に講座を作って、その教授にしたりしてます。デイビス博士はその博士号をもろたんで、いわゆる普通の博士号とはちょっと違うんで……」
 ふぅん。ややこしいのね。
 
「それに、デイビス博士が来日したら、もっと大騒ぎになってるのと違いますか。来日したなんてウワサは聞いてませんし」
 ぼーさんも眉《まゆ》をひそめた。
「そういや、そうだな……」
「そうよねぇ、一部でとはいえ、有名な超能力者だもんねぇ」
「あのー」
と、あたしはおそるおそる言ってみる。
「あたしは不勉強なんで、よくわからないんだけど、そんなすごい能力者なの」
 当然のように軽蔑《けいべつ》の視線が返ってきた。ううう。
「すごいわよぉ。本人は霊に関する研究者で、あんまし超能力のほうでは活躍してないけど」
「へぇぇ」
 ぼーさんが天井を仰《あお》いだ。
「何年か前に一度だけPKの公開実験をやったことがあるんだよ。それがビデオになってる。もっとも、ちゃんとした研究所じゃなきゃ手に入らないんで見てないけどな。どでかいアルミのかたまりを壁にたたきつけた、ってやつ」
「ほー」
「それに、以前富豪の息子が誘拐《ゆうかい》されたとき、その子を救出したんで有名なんだよな」
 ジョンがうなずく。
「そですね。アメリカの自動車会社の息子はんでしたね。土の中に生き埋《う》めになってたのを見つけたんです。それでその富豪が大きな研究所をSPRに寄付したゆう話です」
 ほえぇ。すごい。人命救助かぁ。かっこいいではないか。
 てなことを話しているといきなり背後から声をかけられた。
「みなさん、楽しそうですね」
 思いっきり冷たい声。
 振り向くとナルが皮肉っぽい笑顔で立っていた。見ると、床に並べてあったカメラが減っている。
「よぉ、ナルちゃん。いつの間に。どこに行ってたんだい」
 ぼーさんがひきつった顔で手をあげると、冷酷な視線を向ける。
「むろん、カメラを設置に行ったんですが。僕はここに仕事に来ているもので」
 ……わーったよ。サボってないで働けっつーんだろ。
「設置、やります」
 あたしが言うと、ナルはさらに冷たい声で言う。
「おや、いいんですよ、谷山《たにやま》さん。女性には重労働ですから」
 ……寒い。凍《こご》え死にしそーだ。
「いえ。やります。やらせてくださいっ!」

     4

「どこにカメラを置くの?」
 全員でえっちらおっちらビデオ・デッキをかついで歩きながら聞くと、
「取りあえず全員が宿泊するあたりを中心に。そこからじょじょに半径を広げていって、安全圏を確保する」
 ぼーさんがゲンナリした声をあげた。
「おいおい、そんなでこの家全部調べ終わるの、いつになると思ってるんだよ」
「しかたないでしょう。それとも逃げてお帰りになりますか、滝川《たきがわ》さま?」 ナルに視線をくらってぼーさんは頭をかかえる。
「……悪かった。俺が悪かったから、いつもどおりにしゃべってくれるか?」
 ナルはめいっぱい皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「長丁場《ながちょうば》になるかもしれないが、やむをえないだろうな」
 やれやれ、とぼーさんは小声で行って、それからあたしを振り向いた。
「そういや、麻衣《まい》。つねづね聞きたいと思ってたんだが、そんなに長く家をあけて親はなんにも言わねぇのか?」
 ……なに言ってんだ、いまさら。
「学校だってサボってるんだろうが? 先生にどやされてもしらんぞぉ」
「あのねぇ、いまさら聞く? 会ってもう一年だよ?」
「いや、いつも聞こうとは思ってたんだが」
「なにか言う人なんていないもん」
「おや、けっこうな家庭環境」
「うん。だってあたし、みなしごなの」
 しぃん。
 その場が凍《こお》りついた。全員の視線が集中する。おや?
 ぼーさんがおそるおそる聞いてきた。
「孤児?」
「うん。そだよ」
「叔父《おじ》さんとか、叔母《おば》さんとか」
「全然いないの。天涯孤独の薄幸の少女なのさ。恐れいった?」
「……いった」
 父は天涯孤独だった。母も天涯孤独だった。
 あきれちゃうよ、まったく。ふたりともウカツなんだから。ともに天涯孤独ということはよ? ともに早死にの家系ってことじゃないか。そんなことも気がつかなかったのか、あんたらは。
 ほれみろ、おとーさんはあたしが物心つく前に死んだし、おかーさんも中学ん時死んだじゃないか。まったく、もー。
 面倒見《めんどうみ》のいい先生がお家《うち》に下宿させてくれなかったら、あたしゃ中学生にして路頭に迷ってたんだぞ。
「……それで?」
 ぼーさんが聞く。
「なにが?」
「今どうやって生活してんだ?」
「ああ。今は自活よ。偉《えら》いだろ?」
「偉い……」
「学費は免除なの。うちの学校は貧乏《びんぼう》人に親切だからさ。生活費は奨学金《しょうがくきん》とバイト代。最近バイト代がいいから、生活、潤《うるお》っちゃってー」
 へっへっへ。この冬なんかストーブ買ったもんねー。コタツはすでにあるのにさー。
 いきなり、ぱふっとぼーさんがあたしの頭を抱きよせた。
「こらこらこらーっ!」
「おじさんの胸でお泣き」
 なに考えてんだ、この坊さんは。
「いらん。放さんかい」
「生活に疲れたらいつでも言うんだぞ。おじさんが嫁《よめ》にもらってやるからな」
「それは定職についてから言うセリフでない?」
 それとも、スタジオ・ミュージシャンというのは定職なのだろーか。ま、有休とか退職金とか聞いたことがないから、やっぱちがうんだろうな。
「かわいくない」
 ポコンと頭をはたかれた。
「ごめんなさい。あたし苦労のしすぎで性格ほころびてんの。ああ、世間《せけん》が憎《にく》い……」
 よよ、と泣きマネをしたらもう一回頭をはたかれた。なんだよぉ。
「それでバイト許可されてんのか」
「うん。もともとうちはバイト可だけどね。あたしの場合、生活のためですっつーと、休み放題なのさっ」
 へっへっへ。
 ぼーさんがうなずく。
「眠くて起きられない時もバイトだと言えば……」
「そうそう。好きなだけ休めるしー」
 言ってからしまった、と思ったね。周囲の冷たい視線。
「なるほど、そうやって学校をサボってるわけだ。……馬鹿《ばか》になるはずだな」
と言ったのはナルでなくてぼーさんで、口調までナルに似てたので、思わずあたしは大笑いしてしまった。ナルは呆《あき》れた顔をしてたけど。

 全員が宿泊することになっている二階の一角を中心に、五台の暗視カメラとサーモグラフィーをすえた。さらにその外側に十二本の集音マイクをセットする。ぼーさんとジョン、安原《やすはら》さんの三人で構成された邸内探検隊が、平面図を作りにメジャーとコンパスを持っていったあとで、あたしたちは機材の調整をする。ケーブルをつなぎ、角度を決めてチェックをしているとそれだけで夕暮れが近づいてきた。
 その日、他の霊能者の方々が何をしていたのかは知らない。あたしたちは夕食のあとでベースでミーティングをして、各部屋をお祓《はら》いしたあとで早々にベッドに入って寝てしまった。
 ナルが断固として夜間の調査をやめさせたせいだけれど、他の人たちは夜遅くまで邸内を調べていたようだった。

     5

 翌朝、叩《たた》き起こされて(誰に、とは聞かないように)食堂に行き、がっつくように朝ご飯を食べると、あたしたちはベースに集まった。
 リンさんが、例によって昨夜機材が自動的に録画したテープの再生にかかる。特に妙なものが映っているテーブルはなかった。時折、通り過ぎる霊能者たちがめずらしそうにのぞきこんでいるのが映っていて、それが妙におかしかったくらい。集音マイクを通して録音されたテープも同様。サーモグラフィーも正常値。そのほかの、あたしにはいまだよく理解できない測定器にも異常は発見されなかった。
 
「動きなし……ですか?」
 安原《やすはら》さんが聞くのに、ナルはうなずく。
「初日はこんなものでしょう。昨夜機材を置いた周辺は、さほど危険ではないだろうな」 ナルはあくまで慎重派。
 綾子《あやこ》はちょっくら不満そうだ。
「いいのぉ!? そんなにノンキに構えてると、他の連中に手柄を横取りされるわよぉ」
「べつに手柄をたてたいとは思っていませんが」
「んじゃ、なんでこんなことしてるわけ?」
「いわば、ボランティアです。――安原さん、ぼーさん、ジョン。麻衣《まい》と四人で見取り図作成の続きをやってくれ」
 まったく綾子を相手にしとらんな、こいつ。
 今日は朝から行動をともにしている真砂子《まさこ》が、
「あたくしもなにかお手伝いできることがあれば……」
「松崎《まつざき》さんと不審《ふしん》な場所がないかチェックしてください。臭いがする、と言ってましたよね? その臭いがどのあたりでいちばん強いかも。十分注意して、不審な場所を発見しても勝手に踏《ふ》みこまないでください。まず報告を」
「わかりましたわ」
「昼には全員必ずここに戻るように。そうだな、十一時半。時計を合わせて、絶対に遅れないこと」
 へいへい。生活指導の先生より口うるさいな、こいつは。

 昨日ぼーさんと安原さん・ジョンの三人が努力したにもかかわらず、平面図のほうは白紙に近い状態だった。ようやく食堂とベース、宿泊所のある一角が書きこんであるだけ。 とりあえず、昨日中断していた食堂の北側の廊下《ろうか》を計測する。ざっと長さと幅、方向をはかって、グラフ用紙に書きこんだ。さらに廊下の両側の各部屋のサイズをはかる。
 そうやって片はしから計測していって、ある部屋に入ったときだった。
「あれぇ?」
 あたしはサイズを書きこみながら思わず首をかしげてしまった。
「どうした?」
 ぼーさんが手もとをのぞきこんでくる。
「どっかで測量、まちがってるよぉ」
 この部屋は教室ぐらいの広さの部屋だった。部屋の三方を廊下に囲まれていて、廊下と隣の部屋の測量はすでに済んでいるから部屋の外側の大きさはわかっているわけ。外側のサイズからすると、この部屋は長方形の部屋になるはず。ところがだ、実際に部屋の中をはかってみると、ほぼ正方形なんだよな。
 そう言うとぼーさんが舌打ちをした。
「またかよ……。おい、はかりなおしだ」
 ぼーさんと安原さん、ジョンの三人が外側のサイズをはかりに部屋を出る。少しして戻ってきた三人は不思議《ふしぎ》そうに首をかしげていた。
「……どしたの?」
「外のサイズはそれであってるぜ」
「そんなはずないよぉ。この部屋、はかるまでもなく正方形じゃない。じっさいはかった結果もほぼ正方形だしー」
「ところが外もあってるんだ、これが。二度はかったから間違いない」
 ええー?
 部屋の三方にはドアがある。ドアを開けてみると壁の厚さがだいたいわかる。壁はひどく薄いわけではなさそうだし、……すると。
 あたしは一方だけドアがない壁を見た。
「この壁、まさか厚さが三メートルもあるの?」
「そうでなければ、ずっと最初のほうで間違っててそのままズレてきてるんだ」
 ボタンをかけちがったみたいに、とぼーさんはいまいましげに言う。
 安原さんが指をあげる。
「隠《かく》し部屋」
 ……まさか。かんべんしてよぉ。
「うーん、ますますダンジョンみたいですねぇ」
 安原さんはなんだか満足しているようすだ。
「壁に穴ぁ開けてみりゃ、はっきりするんだがな」
 なんて過激なことを言ってくれるのはぼーさん。
 ジョンがふたりをなだめた。
「……とにかく、ここはおいといて、先に進みましょ。他の部分をはかっているうちに、どこでまちごうたのかわかるかもしれませんし」
 んだんだ。
 そうして作業を再開したわけなんだが、計測ミスがはっきりするどころか、はかればはかるどつじつまの合わない所が出てくる始末。何度もはかりなおして駆《か》けまわって、最後にはすっかりウンザリしてしまった。
 なんだってこんなややこしい家を建《た》てたのよ。金持ちの考えることはわからねぇや。

     6

 四苦八苦しながら一階部分の平面図を作り終えたところで、約束の十一時半になった。ベースに戻ってできあがったぶんを渡すと、リンさんがそれをコンピュータに入力する。その間あたしたちは大あわてでご飯を食べて、三時のお茶にもう一度集まる約束をして、再び邸内探検の旅に出かけた。
 朝あたしたちが調査を開始したときには全員寝ているようすだった他の霊能者たちも、さすがにひとりふたりとおきて調査を始めたようだった。白髭《しろひげ》を胸まで垂《た》らしたおじいさんが、拳《こぶし》ほどもある珠《たま》をつないだ巨大なお数珠《じゅず》を持ってうろうろしていた。
「あれ、誰だっけ」
 階段を上がりながらぼーさんに聞くと、
「俺に聞くな」
 さよーで。
「ナントカ会の三橋《みつはし》さんという人じゃなかったかな」
 答えたのは安原《やすはら》代理所長だ。
「おお、さすがは最高学府の新入生。少年は賢《かしこ》いな」
「よく言いますよ、滝川《たきがわ》さんだって大卒でしょ」
 大卒……、ってことは……。
「ぼーさん、大学卒業してんの!?」
 ぼーさんが苦々《にがにが》しい表情をする。
「俺が大学出の学士さまじゃ、なんかおかしいか、え?」
「いや……はは。お坊さんでも大学行くのね」
「あのな。日本には坊主の行く大学ってのがあるんだよ」
「へぇぇ」
 それはビックリ。
「そこで何するの? やっぱお経《きょう》読む練習とかしちゃうわけ?」
「……ま、そういうこともするけどな」
「袈裟《けさ》着ないと、登校できないとか」
 あのな、とぼーさんは苦《にが》い顔をする。
「お嬢ちゃん。坊主の大学ったって、女の子もいるの。英語もやるし、ドイツ語もやるし、数学も体育もやるんだよ、わかったか?」
「ほぇぇ……」
 不思議。どんな大学なのかしらん。行ってみたい気がするぞぉ。
 安原さんも不思議そうに、
「やっぱ、朝のお勤《つと》めとかあるんですか? ホラ、キリスト教系の学校で朝のミサとかやるところ、あるじゃないですか」
「あるか、いまどき。たいして宗教色はないんだよ。花まつりの日に学食のお茶が甘茶になるくらいで」
「なに、それーっ」
「い、異様……っ」
 思わずウケちゃったい。甘茶でオベント食べるのぉ? あわないと思うけどなー。
「よけいなおせわ。――?」
 ぼーさんが、二階の廊下《ろうか》を曲《ま》がったところで足を止めた。
 二階の北へ向かう廊下は狭《せま》い。おかげであたしたちはぼーさんの背中に玉突き衝突。
「てて。どうしたの」
 ぼーさんは黙《だま》って目線を廊下の先にやった。そこに四人の人影。ふたりが床にうずくまって額《ひたい》を床につけたままぐるぐるまわっている。それを立って見おろしているのは、三十すぎのおじさんと大橋さん。
「……誰?」
 こっそり安原さんに聞くと、
「ナントカ協会の聖《ひじり》さんじゃないですか」
と即答。やっぱ、安原さんってかしこいわ。
 うずくまったふたりが廊下の幅いっぱいにグルグルしてて、とてもじゃないが通行不能。困惑してみていると聖さんが顔をあげてあたしたちのほうを見た。
「……ここは通れませんよ」
 クチヒゲの下に皮肉っぽい笑み。
「ご覧のとおり、今重要なお告げが降りるところですからね」
 ……はぁ。
 あいまいにうなずいたとき、後ろから背中をつつかれた。振り返ると安原さんが戻ろう、と指で示している。うなずいてもときた廊下を戻ったわけだけど。
 霊能者にもいろいろいるのね。ウチのメンバーに、あんな恥《は》ずかしいことをするヤツがいなくてよかったぁ……。

 四人がかりでメジャーを持って、順番に部屋を計測していった。一階と二階の計測を終えてわかることは、どうやらこの家は内側にいくほど変な部屋が多いってこと。建物の内側にいくと、部屋には窓というものがなくなってしまう。あっても隣の部屋に向かって開いていたり、開けたところが壁だったり。内側の部屋は電灯があってもかんじんの電球がないことが多かったので、二本だけ持ったハンド・ライトが頼り。
 
「増築をした先代さんってのは、まったくここに住む気がなかったんだなぁ」
 ぼーさんはハンド・ライトの光を部屋の中にさまよわせた。四畳半くらいの部屋だった。作りつけのクローゼットらしい扉が見えるだけ。家具はない。
「でしょうね。こんな部屋、住みたい人間がいるとは思えないもんな」
 安原さんは部屋を見まわした。
 たしかに、窓も明かりもない狭い部屋はすごく息苦しい。あたしだったらこんな部屋、一日だって住みたくない。――もっとも、家賃がタダだったら考えるけど。
 三時のお茶までに二階部分をなんとか調べ終わって、あたしたちはベースに集まった。新たに調べ終わったぶんをリンさんが入力する間に、お茶なぞいただく。ケーキとかサンドイッチとかが出て、あたしたちはすっかり感動してしまった。
「しかし、広い家よねぇ」
 綾子があたしたちのほかは無人の食堂を見まわしながら言う。
「二十人からの人間が右往左往しててよ? ほとんど人に会わないんですもんねぇ」
「だよね。あたしたちは、えーと、三橋さんと聖さんに会ったよ」
「聖には会ったわ、アタシたちも。真砂子が鼻先で笑ったんで、あやうくケンカになるところよぉ」
 ……さもありなん。
「あと、なんとか言う先生には会ったな。もっともらしい機械を背負って歩いてたわよ」「へぇぇ」
 お茶を終わって再び平面図制作に出かける。三階に上がって部屋の測量をしていると、屋根裏部屋へ上がる階段部屋の入り口で坊主頭のおじいさんに会った。
 井村《いむら》というお坊さんだろう、と安原さんが教えてくれた。
「渋谷《しぶや》サイキック・リサーチの連中か」
「はぁ、そうです」
 安原さんが右代表で頭を下げる。
「子供がゾロゾロ集まって、本当に役にたつんか」
 ずいぶんとぞんざいな口調だったけど、安原さん気にしたようすがない。他人事のように首をかしげて笑って、
「さあ、どうでしょう。努力はしますが」
「霊能者は経験だぞ。子供になにができる」
 安原さんは、教師に注意された優等生のような顔でうなずいた。
「がんばります」
 井村さんは鼻先で笑った。
「お前、いくつだ」
 安原さんは優等生のようにハキハキとお返事をする。
「僕ですか? 今年で二百と三十二歳になりました」
 ……ぷ。
 井村さんは一瞬ポカンとした。それから顔を真っ赤にする。
「なんだお前は、人を馬鹿《ばか》にしとるのか」
「とんでもない。僕のうち、代々長寿の家系なんです」
 安原さんは優等生の笑顔。
「何年生まれだ、言ってみろ」
「え、僕ですか? 宝暦八年の生まれですけど。ちなみに、戌寅です」
 あらー、かしこいわ。
「……デタラメをペラペラと」
 井村さんは安原さんをにらみつけるが、にらまれた当人は気にしたようすがない。
「嫌《いや》だなあ、年寄りの言葉を疑うものじゃないですよ。僕らの若い頃なんて、年長者にそんな口のきき方をしたら殴《なぐ》られてましたけどね。いやぁ、近頃の若い人はいいなぁ」
 ……ぶぶ。
「若い頃と言えば、昔天明《てんめい》の大飢饉《だいききん》ってのがありましてね。いやぁ、あれはたいへんだったなぁ。――今の若い人は飢饉なんて知らないでしょうねぇ」
 ……ぶぶぶ。
「最近は日米貿易摩擦なんて言って騒いでますが、僕の若い頃なんて開国しろ、しないでもめ始めた頃でしたね。貿易摩擦なんてかわいいもんですよ。ホント、あの頃はお先真っ暗だと思いましたからねぇ」
 歯ぎしりしそうな勢いでにらみつける井村さんをよそに、ひとりでうなずきながらしゃべりまくる安原さん。
「……なんて話をすると、両親に叱《しか》られましてね。ヒヨコのくせに聞いたふうな口をきくなって。なんせ、うちの両親は建武《けんむ》の中興のあたりの生まれでして。ふたことめには応仁《おうにん》の乱はたいへんだったって、近頃の若いものは苦労を知らないって、こうですからね。それも母方の爺《じい》さんに言わせると、源平合戦に比べりゃたいしたことないらしいですけど。父方のひい婆《ばあ》さんなんか、壬申《じんしん》の乱はたいへんだったって。――もしもし、聞いてます?」
 井村さんは怒鳴《どな》るタイミングを逸して肩を震《ふる》わせるのみ。
「母方のひいひい婆さんは耶馬台国《やまたいこく》が滅亡したとき焼け出されたそうで、死ぬまでずっと若い頃は大変だったってそればっかりだったそうです。――あれ? 井村さん、どこ行くんですか? それでですね、父方のひいひいひい爺さんがですね」
 呆《あき》れかえった顔つきで井村さんは廊下をドスドス戻っていってしまった。
 井村さんの姿が見えなくなってから、あたしたちが大笑いしたことは言うまでもない。
     7

 夕方、日没までにギリギリで三階と屋根裏部屋の計測を終えると、あたしたちはベースに戻った。図面をリンさんにまかせてかきこむように夕食をとる。一心不乱に食事をしていると、突然声をかけられた。
「あのう、渋谷《しぶや》さん?」
 なんとか言う大学の先生だった。
 ナルはいない。今はベースにいる。そう言おうとしたら、あわてたように安原《やすはら》さんが顔をあげた。
「……はいっ」
 あ、そうか。んもー、ややこしいっ。
「ごめんなさいね、お食事中」
「いいえ、かまいません」
 彼女はコーヒーを持って、安原代理所長の隣にきちんと座る。
「廊下《ろうか》にある機材はおたくさまのものですよね?」
「はぁ、そうですが」
「ずいぶん科学的でいらっしゃいますのね」
「まぁ、いちおう」
 先生はおっとりと上品な笑顔を浮かべた。
「おたくさまは怪《あや》しげな霊能者ではないと見こんでお願いするのですが」
 やさしそうなもの言いのわりに、きついことを言ってないかい?
「今夜降霊会をやってみようと思いますの。できたら渋谷さんたちにも協力していただけないかと思いまして」
 安原さんはちょっと考えこんだ。
「……わかりました。協力させていただきます」
 そううなずいたところで、テーブルの向かい側にいた聖《ひじり》さんが大きな声をあげた。
「霊媒でしたらうちに優秀なのがいますよ、お手伝いしましょうか」
 ……うえ。あのグルグルまわる霊媒さん?
 先生はやんわりと笑う。
「いえ。結構でございます」
 あまりにキッパリとしたセリフに、聖さんは少しムッとしたようすだった。先生は気にしたふうもない。安原さんに微笑《ほほえ》みかけて、
「九時でよろしゅうございますか?」
「結構です。場所は?」
「ここでは騒がしゅうございますから、どこか、この近くの空き部屋で」
「かしこまりました」
 先生は丁寧《ていねい》に頭を下げて食堂を出ていく。あたしたちは会釈《えしゃく》をしてそれを見送った。
 ……いいのかねぇ、勝手にそんなこと決めちゃって。そう聞きたい気持ちはやまやまだけど、テーブルの向こう側に聖さんが陣どってる。ちょうど先生と入れ違ったようにナルとリンさんが入ってきた。
 安原さんはチラと聖さんに視線をやってから手をあげる。
「鳴海《なるみ》くん」
「はい、なんでしょう」
 うう。ナルのこういう返事は気持ち悪いよぉ。
「さっき五十嵐《いがらし》博士が、今夜降霊会をするとおっしゃって。僕は参加してみるけど、君はどうする?」
 ……うーむ。ナイスな聞き方だ。
 ナルはちょっと考えるようにして、
「僕も参加させていただきます。どうせ夜にはたいした作業はできませんし」

 ご飯のあと、降霊会の時間まで全員(真砂子《まさこ》を含む)でベースに集まった。 しずしず(?)と安原さんの後を歩いていたナルは、ベースのドアを閉めるなり態度豹変《ひょうへん》。例によって傍若無人《ぼうじゃくぶじん》な態度で平面図を出力するようリンさんに命じた。
 リンさんがコンピュータを操作して、専用の画面に平面図を映し出す。あたしたちが苦心惨憺《さんたん》して作った平面図が綺麗《きれい》な図面になって出てきた。
「部屋数は」
「屋根裏部屋まで含めて百六室です」
 百……六ーっ!? そんなにあったの!? どーりで時間がかかったはずだよ……。
「これは?」
 ナルは画面に指をおいた。白く描かれた平面図のまわりを、青い線がとりまいている。「建物の外周ですが」
 建物の外周。――つーっことは、この家の外まわりの大きさ?
「ぜんぜん合ってないじゃないか」
 ナルが冷たい視線をあたしたちに向ける。
 
「知らないよぉ。あたしたち、ちゃんとはかったもん」
 ねぇ、とぼーさんたちを振り返ってうなずき合ったけど、ナルがそれでおさまるはずもない。確かに、建物の外周と平面図の輪郭《りんかく》はぜんぜん合ってないと言っていい。ひどい場所では平面図と外周の間に、三部屋ぶんの空白があったりする。
「そのうえ、これは?」
 白い線で描かれた部屋と部屋の間に、青いすき間ができている。それは計測したけど寸法が合わなくてそのままになってる部分だ。
「だから、知らないってば、ちゃんとはかったらそうなっちゃったのっ」
 あたしは事情を丁寧《ていねい》に語って聞かせた。あたしたちのせいじゃないもん。 ナルはひどく考えこみ、
「やっかいな話だな店」
 そう言ってから、
「明日、もう一度正確な計測をしてみよう」
 計測をしてみよう、じゃないだろ。計測をしてみろ、だろ。実際に動くのは誰だと思ってるんだよ、もー。

     8

 九時には全員が食堂の隣にある八畳くらいの部屋に集まった。部屋には丸いテーブルとイスが何脚か運《はこ》びこまれていて、そこに五十嵐《いがらし》先生と助手のおねーさん、それに南さんとデイビス博士、助手のおばさんがすでに集まっていた。
「あっ……」
と言って、博士の顔を見たとたんにカチコチになるぼーさん。うくく。かわいーやつ。
 南さんはもっともらしくビデオカメラをセットしていた。降霊会のようすをビデオに撮ろうということらしい。カメラったって、ごく普通のホーム・ビデオカメラだ。ファインダーをのぞいて、
「ちょっと暗いな。もっと明るくなりませんかねぇ」
 なんて言っている。それを聞いて五十嵐先生が眼を丸くした。
「もっと明るく、って。降霊会の時にはろうそくの明かりだけになりますのよ」
「ええ? そうなんですか?」
「あたりまえでしょう。霊は明かりを嫌《きら》いますからね。ろうそくを一本、それだけです」
「それは困りましたねぇ……」
「暗視カメラはございませんの? 証拠になる記録ビデオを撮《と》ってくださるとおっしゃるから、お招《まね》きしたのに」
 南さんはきまりわるげに、
「いや、今回は持ってきてないんです……」
 なんてことを口の中でボソボソ言った。
 突然、ナルが、
「所長、うちのカメラを持って来ましょうか。使ってないやつがありますから」
 そう安原《やすはら》さんに言った。安原代理視聴はおうようにうなずく。
「ああ、そうするといいね。五十嵐先生さえ気になさらなければ……」
 五十嵐先生はニッコリと笑う。
「ええ。そうしていただけますと、嬉《うれ》しゅうございますわ」
「では、持って来ます。――麻衣《まい》」
 ……はぁい。そうくると思ったのよね……。やれやれ。

 大騒ぎでまだ設置していなかった暗視カメラと、自動追尾カメラを持ってくる。自動追尾カメラと呼んでいるのは、サーモグラフィーと連動してその時部屋の中でもっとも温度の低い場所を自動的に撮影するようになっているやつだ。
「すばらしい機材でございますわね」
 眼を輝かせて言う五十嵐先生に、安原さんはあくまでおうようとした風情《ふぜい》。「ありがとうございます」
 それに対して南さんは、なんだか不満そうにしていた。
 十時近くになって、ようやくセッティングを完了。丸テーブルの上にろうそくを灯《とも》して、電灯を消して、降霊会が始まることになった。

「デイビス博士、南さん、渋谷《しぶや》さんどうぞ、テーブルへ」
 五十嵐先生に言われて、三人がテーブルに近づく。ここで渋谷さんというのは安原さんのことだ。ああ、ややこしい。他には五十嵐先生とお弟子《でし》さんの鈴木さん、その子人が降霊術を行うことになった。あたしたちは周囲の壁《かべ》にもたれてただの見物。
 テーブルの上にはろうそくと白い紙、鈴木さんが目隠しをしてマジックを握《にぎ》っている。
「隣の人の手を握ってくださいまし」
 鈴木さんを除く四人がテーブルの上で、互いの手をつなぐ。握りあった手でできた円が鈴木さんのところで切れる形になった。
「深く息をして、霊に呼びかけてください。この家に住む霊に……」
 ピンが落ちても物音が聞こえそうな沈黙《ちんもく》。焦点を決めかねた自動追尾カメラのアームが動く音、まわりつづけるビデオのモーター音、聞こえるのはそんな微《かす》かな音だけ。
「この家にお住まいの方、どうぞこの女性の手を借りて、お心を語ってお聞かせください」
 深い沈黙。鈴木さんはピクリでもない。マジックを持った手が微かに震《ふる》えていた。静かな声で何度も五十嵐先生が呼びかけ、長い時間がたった。見守っているあたしたちにはウンザリするほどの時間が。
 ……本当に霊なんか来るのぉ?
 そう心の中で呟《つぶや》いたときだった。突然ギシッと音をたてるほど強く、マジックが紙の上に降ろされた。はっと誰もが息を飲むなか、とんでもない勢いで鈴木さんの腕が動き出す。B4の紙をはみ出す勢いで黒い文字を書きつけはじめた。
 全員が身を乗り出した。五十嵐先生が横から次々に紙をめくっていく。マジックは動き続ける。書いてある文字は判読できない。
 そして、唐突《とうとつ》にドンッという衝撃。部屋が外から殴打されたような。天井から細かいホコリが降る。
「……な、なんですか」
 南さんが腰を浮かした。五十嵐先生は厳《きび》しい声で、
「動いてはいけません。動揺せず、お静かに」
 そうは言っても動揺せずにはいられない。テーブルの周りで落ち着いているのは、鈴木さんと太っぱらの安原さんだけだった。
 ギシッと屋鳴りがする。パキ、という乾《かわ》いた音。タンッという堅《かた》い音がしてテーブルの片方が持ち上がり落ちて揺《ゆ》れた。同時にろうそくが横倒しになって明かりが消える。激しい勢いで誰かがイスを倒したようだったけど、誰のなのかはわからなかった。
「だいじょうぶです! お願いです、動かないで……」
 五十嵐先生の悲鳴じみた声。
 その声を合図にしたように、部屋中で壁や床を叩く音が鳴り響いた。誰かが叩いている? そんなはずはない。ひとりやふたりが叩いてる音じゃない。五人? 十人? ひょっとしたらそれ以上。
 突然軽い衝撃があたしの肩にあたった。振り向いても真っ暗な部屋。なにも見えるはずがない。誰かが肩を叩いたような感じだった。続いて次々に衝撃が当たる。誰か男の人の悲鳴を皮切りに、部屋の中は狼狽《ろうばい》した声でいっぱいになった。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
 ぼーさんの鋭利《えいり》な声。それと同時にピタと物音かやんだ。さっきまでの騒ぎが嘘《うそ》のように。次いでいきなり明かりが点《とも》る。ナルが電灯をつけたのだった。

「……なに、今の……」
 綾子《あやこ》が言う。南さんはテーブルの下、デイビス博士も壁に張りついて、さすがの安原さんもじゃっかん硬直した表情でテーブルの縁《ふち》を握りしめていた。
「霊を呼べたようですね」
 そうか、霊。じゃあの物音はラップ音とかいうやつね。――なんて、あたし、落ち着いてるなぁ。すっかり慣れてしまってるのね。
 鈴木さんは目隠しをしたままボンヤリしていた。立ち上がっていた五十嵐先生が目隠しを取ってあげる。彼女はなにがなんだかわからない、という顔をしていた。
 結局、あの大騒ぎの間席を立たなかったのは安原さんひとり、取り乱した悲鳴をあげなかったのはわが『渋谷サイキック・リサーチ』のメンバー。あたしらって肝《きも》がすわってるな。だてに修羅場《しゅらば》を何度もくぐってきたわけじゃないぜ。
 安原さんがテーブルの上の紙を取りあげた。それをナルに差し出す。ナルが受け取ったそれには、
『助けて』
 たった三文字。
 床に散らばった紙を広い集めてみると、乱れた字でその三文字が散乱していた。
「助けて……?」
 どういう意味? 霊が書いたの? なにから助けて欲しいの?
「おい」
 ぼーさんが、自分が拾った紙をあたしたちに示した。そこには、
『死にたくない』
という六文字。しかもそれは赤い線で書かれていた。まるで血のような。

 全員の手を調べてみたけど、ケガをしている人はひとりもいなかった。じゃ、あの血文字は誰が書いたんだろう。
「所長、ビデオを再生してみましょう」
 そうナルが安原さんに声をかけて、あたしたちはベースに戻った。五十嵐先生と鈴木さんがついて来た。南さんとデイビス博士も一緒に部屋を出たはずだけど、いつの間にか姿を消していた。
 ナルとリンさんが手際《てぎわ》よく、ビデオ・テープと計測データの入ったフロッピィ・ディスクをセットする。すぐに棚に埋めこまれたモニターに、降霊会のもようが再生された。妙に画面が白々としていて、映像の粒子があらい気がするのは超高感度カメラに特有の現象だ。
 鈴木さんの手が動き出すまで、すごく長い時間が経った気がしてたけど、画面のクロックを見るとわずか六分ほどしか経っていなかった。六分と少しして鈴木さんの手が動き始める。
「どんな感じでした?」
 五十嵐先生が聞くと、鈴木さんは首をかしげる。
「腕をマジックに引っ張られる感じでした。手を離したらマジックだけどこかに行ってしまうんじゃないかと思ったくらいです」
 激しいラップ音がスピーカーから流れてきた。それと同時に部屋の四隅、天井の方からサーモグラフィーの映像がわずかに濃《こ》い青に変色していく。サーモグラフィーは温度を色分けにして映像にする装置。黄色いところは高く、青いところは低い……。画面の端のゲージと見比べると、三度ほど気温が低くなったのだとわかる。
 画面ではテーブルが持ち上がって揺れた。ろうそくの明かりが消えたけど、カメラはドアのすき間から洩《も》れる廊下《ろうか》の明かり、そんなものできちんと撮影を続けていた。
 テーブルから紙が舞い落ちる。鈴木さんの手はそれでも動き続けている。マジックを動かした勢いで、紙が次々にテーブルを滑《すべ》り落ちた。ビデオを見ると、イスを倒したのは南さん、悲鳴をあげたのはデイビス博士だとはっきりわかる。キョトンとしたように動かないのは安原さん。
「少年、けっこう落ち着いてるなぁ」
 ぼーさんが言うと、
「ふっふっふ。僕は鈍感《どんかん》ですからね」
などと、安原さんがわけのわからない自慢のしかたをして胸を張った。
「ストップ!」
 ナルがいきなり鋭《するど》い声をあげた。リンさんが再生を一時停止する。
 
「五十三秒まで巻き戻してコマ送りにしてくれ」
 リンさんがコンピュータのキーを叩く。画面が再生状態のまま巻き戻されて床に舞い落ちた紙がテーブルの上に躍り上がった。
「なに?」
「紙だ」
 そして、コマ落とし。紙が一枚、ゆっくりと舞い落ちていく。反転をくりかえす白い紙面。
「あ!」
 あたしは思わず声をあげた。
 十時十六分二秒。真っ白の紙は翻《ひるがえ》り、もう一度翻ったときにはそこに文字が描かれていた。あらい粒子の映像でも文字の並んだ漢字で、それが『死にたくない』という例の一枚だとわかる。
 誰の身体《からだ》にもケガなんてなかったはずだ。あれはもちろん、あの部屋にいた人間が書いたものではなかったんだ。

     9

 降霊会に使った部屋に再度機材をセッティングして、あたしたちは部屋に引き上げた。ナルは断固として夜間の調査はやらないと言う。五十嵐先生《いがらしせんせい》はしばらく機材を眺《なが》めて感心した声を上げていたけど、ナルに諭《さと》されて鈴木さんと寝室に戻って行った。ナルはひどく神経質になっているように見える……。
 真砂子《まさこ》も、降霊会の後はムッツリと黙《だま》りこんだままだった。部屋に戻り、かろうじてお湯の出る付属のお風呂場でシャワーを浴《あ》びると、さっさと寝ようとする。
「真砂子、どうしたの?」
「なんでもありませんわ」
 真砂子はトンボ模様《もよう》の寝間着で布団に滑《すべ》りこむ。
「気分悪い?」
「血の臭いがしますの」
「まだする?」
 真砂子はあたしをにらんだ。
「するなんてものじゃありませんわ。身体《からだ》にも髪にも染《し》みつくみたいですのよ。どうしてみなさん、平気そうにしているの!?」
 悪かったね、霊感なくて。
「あの部屋……吐《は》きそうなほど臭いがしてましたのに」
「ね、それってラップ音が起こる前から?」
 あたしが聞くと、真砂子ははたとしたように眼を見開いた。
「……後からですわ」
「じゃ、それって霊の臭いなんじゃないの?」
「かもしれませんわ……」
 霊の臭い、というと変だけど、霊の運《はこ》んできた臭いと言うか。だとしたら、昨日から真砂子が臭うと言っていたのも、近くに霊がいたからじゃ……。
「ねぇ、霊の姿、見える?」
「見えますわ。でも、チラチラという感じでよくわからないんですの。見えたと思うと血の臭いがムッとして、気が散ってしまいますし……」
「いよいよ霊の臭いくさくない?」
「……そうかもしれませんわね」
 とーとつですが、あたし真砂子と会話しているわ。我ながら珍《めずら》しいんでないかい?
「麻衣《まい》さんは?」
「へ?」
「……何か感じます?」
 常にあたしをオミソあつかいしてきたとは思えぬ台詞《せりふ》。
「……どしたの。あたしにそんなことを聞くなんて」
 思わず問い返したら、真砂子はムッとした顔をした。
「あたくし、その方に相応の敬意は払うことにしていますの。本人の性格と実力は別ものですわ」
「相応の……敬意? あたしに?」
 真砂子はツンと不愉快《ふゆかい》そうにそっぽを向く。
「だって、前回の事件であたくしと同じ幻視を見たのは、あなただけなんですもの」
 ……ほう。そういうことか。ふっふっふ。なーんか、うれしいぞぉ。
「えへへ。ありがと。――でもさ、今回はダメ。なーんにも感じないのよね。ゆうべは夢も見ずにグッスリ寝ちゃったしなぁ」
 あたしはナルに言わせると、じゃっかんのESPありなんだと。しかし、寝ているとき夢の中でしか出てくれないのがタマにキズ。ほとんど寝ぼけて人命救助をしたようなもので、誉《ほ》められても、いまいち他人事のような気がするのよねぇ。
「そうですの……。じゃあ、そんなに危険ではないのかもしれませんわね」
「どうだろうなぁ。夜は出歩かないようにしてるじゃない? 部屋にはしっかりお札が張ってあるし。そのせいかもしれない」
 真砂子が小首をかしげて考えこんだところに、シャワーを使っていた綾子《あやこ》がバスルームから出てきた。
「なぁに? 仲よさそうじゃない」
 えへへー、いいだろぉ、なんて言おうと思ったのに、
「ご冗談でしょ。あたくし、こんな方となれ合ったりいたしませんわ」
 真砂子のムカつく一言。
 こ、こいつ……っ。
「他人に向かって、こんな奴呼ばわりはないんじゃないかい?」
「そんな下品な言葉は使っていませんわ。こんな方、と言いましたのよ」
「こんな、で悪かったねぇ」
「別に悪いなんて申してませんでしょ。それはヒガミというものですわ」
「かわいくない性格」
「そのぶん、容姿と才能にめぐまれていますので」
 ほっ……本っ当にかわいくないっ!
「なんであたしをそこまで嫌《きら》うわけ? 理由があったら聞かせてくんない?」
「ご自分の胸に手を当ててごらんなさいませ」
 そう言って頭から布団を被《かぶ》ってしまう。
「そんなでわかるかっ!」
「あら、頭もご不自由ですのね」
 も、はよけいなんだよっ。確かに頭は悪いけどさ。ま、顔もプロポーションも決して不自由してないとは言いませんが。
 ええい、これが文句《もんく》を言わずにおらりょうか。こら、起きろっ。勝手に寝るな。あたしと正々堂々、話し合いをするのだっ。真砂子っ。
 たたき起こしてやろうと思ったんだけど、
「あんたたち、いつの間にか仲よくなったわねぇ」
という綾子の一言で脱力してしまった。
 どこが仲いいようにみえるのだ。
 ……も、いーや、好きにすればぁ? あたしは寝る。つきあってられるかい、ふん。

 そうしてあたしたちは眠ったわけだけど。むろん、調査をやめて寝ていたのはあたしたちくらいで、他の霊能者の方々は今夜もやはり真夜中までがんばるつもりらしい。何度もいろんな足音が部屋の前を通りすぎた。
 夢も見ずに眠った翌朝、あたしたちを驚かせるような情報が待っていた。
 ――鈴木直子さんが姿を消した、と。


三章 隠れ鬼


     1

「誰か鈴木さんを見ませんでした? ねぇ、誰も?」
 朝、食堂に集まったあたしたちにそう聞く五十嵐《いがらし》先生は、狼狽《ろうばい》しきったようすだった。
「勝手に帰るはずはないんですよ。誰も彼女が帰ったところを見てませんし。荷物だって残ってるんです。コンタクト・レンズのケースまで……」
 安原《やすはら》さんが、五十嵐先生を自分の隣に座らせる。紅茶を頼んで、眼の前においてあげた。
「落ち着いてください。いいですか、深呼吸して。紅茶にお砂糖とミルクは?」
 五十嵐先生は首を振る。
「一口、口をつけて。いいから、飲んで、深呼吸してください。ね?」
 先生はおとなしく言われたとおりにした。深く息をつく。
「ごめんなさいまし。……すっかり取り乱してしまって……」
「いいえ。ご心配はわかります。鈴木さんはいつから姿が見えないんですか?」
「今朝《けさ》起きたら、いなかったんです。私は齢《とし》のせいでご不浄《ふじょう》が近うございます。明け方起きた時にはちゃんと寝ていたんですよ。それが……」
「明け方、というのは何時頃ですか?」
 わかりません、と呟《つぶや》いて、五十嵐先生は首を振った。
「お目覚めになったのは?」
「今朝の七時でございます」
 
 現在午前十時。三時間も姿が見えないなんて。
 安原さんは職員のおじさんを呼ぶ。鈴木さんの姿を見なかったか聞いた。大橋さんを含め、職員の誰もが鈴木さんを見かけていない。家を出て行った可能性は? と大橋さんに聞くと、
「いちおう、玄関には内側から戸締りをしております。鍵《かぎ》が開いていたというようなことはございませんので、外に出て行かれたわけではないと存じますが」
「どうしましょう」
 五十嵐先生は顔をおおう。安原さんは先生の肩をそっと叩いた。
「それなら、この家のどこかにいるんですよ。道に迷《まよ》ったのかもしれません。どこかでボンヤリしてるのかも。行方不明になったと考えるのは早すぎますよ。とにかく、捜してみましょう」
 そう言ってナルを振り返った。
「鳴海《なるみ》君、いいですか?」
 ナルがうなずいた。

 午前中、あたしたちは鈴木さんの名前を呼びながら、家じゅうを手分けして歩いた。昨夜撮《と》ったビデオも再生してみたけど、鈴木さんの姿は映っていない。しかも、暗視カメラはテープの都合《つごう》で朝七時には切れてしまうので、鈴木さんの捜索にはほとんど役にたたなかった。
 無数の部屋を歩きまわって、クローゼットの類《たぐい》まで全部開けて中をのぞいた。呼んで耳を澄ましても返答はない。その姿も、どこにも見えなかった。あたしと五十嵐先生は、まだ眠っている他の霊能者の方々も叩き起こし、彼女の消息を訪ねる。この家の中には鈴木さんの姿を見かけた人はいないようだった。
「降霊会のあと、お見かけしていませんねぇ」
 そう言ったのは南さんだ。五十嵐先生は南さんのパジャマにすがりつく。
「博士に、デイビス博士に聞いていただけませんか。博士でしたら、なにかおわかりになるかも……」
 言ってオロオロと上着のポケットを探る。
「そうだわ、これを入れたままでしたわ……」
 ポケットの中から、小さな円筒状のものを取り出した。コンタクト・レンズのケースだ。
「これを博士に。博士でしたら、鈴木さんがどこにいるか、おわかりになるでしょう……?」
 そうか、博士はサイコメトリスト。ある品物から、それにまつわる過去や未来を読みとるESP能力者だから。
 南さんは不機嫌《ふきげん》そうにそれを受け取って、ベッドに腰掛けてこちらを見ている博士のほうへ持っていった。ケースを差し出し、英語でなにか言う。博士が首を横に振った。
「こんなものでは、透視できないそうです」
 南さんは肩をすくめた。
「では……なにを使えば」
 そう言う五十嵐先生に、南さんはケースを突き返す。
「博士の透視は、失踪当時身につけていたものに限られますからな」
 失踪《しっそう》した人が身につけていたものなんて……そんなの、よほどの偶然でもなけりゃ、あるわけないじゃない!
 顔をおおってしまった五十嵐先生の背中を、あたしはなでる。
 なによ、ぼーさんには悪いけど、博士なんてぜんぜんたいしたことないじゃない。せめて、ケースを手に取って、サイコメトリする努力ぐらいしてくれてもいいんじゃない? 失踪したとき身につけてたものがホイホイそこらへんに落ちてたら、警察だってなんとかできるわよっ。

 結局昼過ぎまで捜したけれど、鈴木さんの姿は見つからなかった。
 南さんは言う。
「ゆうべ、降霊会で怖《こわ》い思いをしたんで、逃げて帰ったんじゃありませんか」
 三橋さんは言う。
「最近の若い者は、無責任だからな」
 ムッときたけど、ちがうとも言えない。そうだといいな、という気持ちが心にあるから。失踪したと考えるより、無責任に逃げ帰ったと思うほうがずっといい。
「……そうかもしれません」
 そう言ったのはほかでもない五十嵐先生。
「そうですわね。帰ったのかもしれません。ええ、あとで家に電話してみますわ。ちょっと叱ってやらなくちゃ……」
 結局その言葉をきっかけに、鈴木さんの捜索は打ち切りになってしまった。

     2

「いいのかねぇ」
 なんとなく集まったベースで、ぼーさんはそう言う。
「しかたないよ。見つからなかったのは事実だし……」
「見落としがあるのかもしれんだろう。この馬鹿《ばか》でかい家の全部を捜したと言いきれるか?」
「そんなぁ。じゃ、鈴木さんは隠れてるわけ? そうじゃなきゃ、あれだけ呼んだんだもん、返事くらいはするはずだよ」
「返事のできない事情があるのかもしれんだろ」
「どんな?」
「いや、それはわからんけどさ」
 モゴモゴとぼーさんが言うのに、ナルがつぶやく。
「コンタクト・レンズがケースしかないんだから、本人が自分の意志で起きてどこかに行ったのは間違いないだろう。確かに、窓かどこかから出て帰った可能性もあるが……」
 ……うん。
「気になるのは、あの空白だな……。もしもあそこが隠し部屋でどこかに通路があるとしたら、そこから迷《まよ》いこんだ可能性がある。本当に計測ミスなのかどうか、もう一度調べたほうがいいだろうな」

 あらためて昨夜の録画をチェックしなおしたけれど、不審な現象は記録されていなかった。手がかりを見失って、とりあえずもう一度家を計測しなおす。今度は壁の厚さまで正確にはかることになった。これでまだ図面が合わないようなら、正式の測量機材が必要になるだろう。
「どこに消えたのかねぇ」
 二階の部屋だった。突然ぼーさんがそう言ったので、あたしはキョトンとしてしまった。
「……鈴木さん?」
 聞きながらあたしは壁にピンを打つ。床から正確に一メートル。部屋の対角線になるように糸を張ると、ぼーさんが磁石をあてた。
「ああ。なんで消えたんだと思う?」
「なんで……って」
「自分の意志で消えたのか、それとも意志に反して消えさせられたのか」
「ここですでにふたりの人間が消えてたわけでしょ? 鈴木さんが三人目。……やっぱ霊のしわざなんじゃないのかなぁ。――何度?」
 ぼーさんはライトで照らして磁石と糸のなす角を調べる。
「二十六度。――その霊がさ、ゆうべ言ってたわけだろうが。『助けて』ってさ」
「……うん」
 あたしは平面図に対角線を引いて、そこに角度を書きこみながら、
「おまけに、死にたくない、だもんね。霊が死にたくないなんて、変な話ではあるよね」「まぁ、霊ってのはえてして自分が死んだことをわかってないからさまよってるわけだが」
「ふうん……」
「俺が気になるのは、助けを求める霊の発言と、人間を消してしまう霊の行動がうまく結びつかない、ってこと」
「ですね」
 床にメジャーをあてていたジョンが暗がりの中でうなずいた。
「助けてほしい霊ゆうのは、基本的に自分に気がついてほしくてなにかをするんですし。それは、じれて悪いことをする霊かていますけど、本音《ほんね》を言うたら自分を助けてほしいんで人を呼んでるんが普通ですよね」
「だろ? 人間を消してどうすんだよ。この家から人がいなくなりゃ、助けてくれる奴なんかいなくなるんだぜ」
 ハンド・ライトを持ってジョンを手伝っていた安原《やすはら》さんが立ち上がる。
「三・二一メートル。――霊って、そんなに論理的に行動するもんなんですか?」
「そうとは言いきれねぇけどさ。霊ってのは嘘《うそ》つきなのが普通だし。けど、なーんか変な気がするんだよなぁ」
 ジョンもうなずく。
「〇・三五メートルです。――霊にかけて、霊なりの論理性ゆうのがおますし。けど、鈴木さんのことを助けてくれるお人やと思うて、連《つ》れていった可能性もあるのとちがいますか」
 あたしは図面に数値を書きこみながら、
「ここにいる霊は助けてって言いたかったわけでしょ? きっと、ずっとそう言いたかったんだと思うんだよね。けど、今までは聞いてくれる人がいなかった。それが……」
 ジョンが手を叩いた。
「あ、ゆうべ言葉を聞いてくれたんで、助けてくれる人なんやと思うたわけですね」
「……と、いうのはダメかしら」
「俺に聞くなよ」
 隣の部屋に移動しながら、安原さんが、
「こういうのはどうです? ゆうべ霊の声を聞いたのも……と言うか、書きとったのも鈴木さん、消えたのも鈴木さん。たとえば、ゆうべの言葉は霊の言葉なんかじゃなくて、鈴木さんが勝手に書いたものでそれがバレるのが怖《こわ》くて逃げ出した」
「却下。それじゃ、あの血文字はどうなるの? ラップ音は?」
「あ、そうか。じゃ、こういうのは? 鈴木さんが勝手に書いたんで、霊が怒って暴《あば》れた。鈴木さんはそれで怖くなって逃げた」
「それじゃ血文字の意味が通じないよぉ」
「……あ、そうか。あれがトリックの可能性は薄いしなぁ」
 ブツブツ言いながら床にメジャーをあてる。その時、ジョンが突然声をあげた。
「わっっ!」
「どうした!?」
 ぼーさんが光を向けると、転《ころ》びそうになってあわてて体勢をたてなおしたジョンの姿が見えた。
「ここ、床が沈みます」
 え?

 光をあててジョンが示したあたりをしみじみ見ると、厚いホコリの表面に妙な段差があるのがわかった。
 
「なんでしょうか」
 安原さんがそのへんのホコリをそっと払《はら》う。そこには木でできた四角い蓋《ふた》があった。安原さんが押すとぶよぶよ沈む。
「腐《くさ》ってますよ、これ。落ちなくてよかったですね」
 そう言ってそっと持ち上げた。
 蓋の下には鉄製の梯子《はしご》が見えた。それが下の真っ暗な空間に向かって降りている。
「……下に部屋があるぜ」
 ぼーさんが縁《ふち》に膝《ひざ》をついて、下にライトの光を向ける。
 あたしはジョンの持った明かりを頼りに平面図を見た。
「そこ、きのう変だって言ってた壁のあたりじゃないかな。ちょうど、あの真上くらいの位置だよ」
「変な壁……あの、厚み三メートルの壁か?」
「うん」
 ぼーさんはじっと穴を見つめる。
「隠《かく》し部屋ってわけか。こんなんがあるんじゃ、平面図が合わないわけだぜ」
「まさか……ここに鈴木さんが」
「それはねぇだろ。だったらもっと足跡がつくとか、ホコリが動いてるはずだ」
「……そうだね」
 ぼーさんはちょっと緊張した顔でうなずく。
「よし、降りてみるか。少年、ライト頼む」
 ハンド・ライトを渡して、ぼーさんが身軽に梯子《はしご》を下りていった。勇気あるなぁ。
「どう? 誰かいる?」
「いや、人はいない。小さな部屋って感じだな」
 上からのぞきこむと、細長い三畳くらいの部屋になっているようだった。ライトの光で、床に散乱するぶよぶよしたものが見える。
「……ぼーさん、なに、それ」
 こんもり山になったものを示すと、ぼーさんが机の先でそれをつついた。
「……わからんが、布団みてぇだな」
 布団? こんな部屋に?
「ひでぇ、湿気。この床もやべぇや。ブワブワしてらぁ」
 そう言って、ぼーさんは梯子を上ってくる。上の部屋に戻ってきたとき、片手に布きれのようなものを持っていた」
「なに、それ?」
「わからん」
 言いながらホコリを落とす。狭《せま》い部屋にムッとするほど濃《こ》いカビの臭いが広がった。
「コートだな」
 厚い布地に丈長の服。たしかにコートのように見える。ひっくりかえして改めていたぼーさんがふと手を止めた。
「名札が縫《ぬ》い止めてある」
 安原さんが光を当てた。
 えり裏のすっかり変色した白い布に、なにか文字が書いてあるのが見てとれた。ライトの明かりでは文字は読めない。
「ここじゃだめだ。どっか明るいところに持っていってみよう」

 建物の外側の、外に面した部屋にそれを持っていった。近くの部屋の洗面台で軽く名札の部分を洗う。変色した布に墨で書いたらしい文字がかろうじて読み取れた。
『美山慈善病院 付属保護施設』
「先々代が建《た》てたっつー、病院のことかな」
「だろうね」
 先々代さんは慈善事業にも手をつくした偉《えら》い人だったんだ。
「なんでこんなもんが、あんなところにあるんだ?」
「解答一、あの部屋は不要のものを捨てるゴミ箱だった」
 おっと、ぼーさんのけーべつの視線。
「却下。他には?」
「保護施設の患者さんが隠れ住んでいた」
 ……布団があったみたいだもんな。
「なんでこんなとこに隠れ住むんだよ」
「あたしに聞かないでくれる? あ、あの部屋が病室だかなんだかの可能性」
「あのな」
 そうして考えこんだけど、むろんあたしたちにわかるはずもなかった。
 しかし隠し部屋があることを見つけたのは、大手柄といえるだろう。

     3

 あたしたちはベースに戻って、コトのてんまつをナルに報告した。ナルはひどく嫌《いや》な顔をした。
「……隠《かく》し部屋か……やっかいだな」
 ま、そうだとは思うけど。
「問題のコートは?」
「これ。汚れるよ」
 ナルはかまわず、真っ白な手でコートを受け取る。えりもとを探って名札をみる。ついでポケットなんかをあらため始めた。何度もひっくり返してから、
「ここになにかある」
 コートの内ポケットだった。なにか薄いものをひっぱり出した。
 それは折りたたんだ紙片に見えた。ナルがそっとボロボロになったそれを開く。
「おい、これ……」
 ぼーさんが身を乗り出した。
 それはひどく黒すんでしまっていたけど、紙幣《しへい》だとわかった。ナルが窓に向けて陽に透《す》かす。
「文字が書いてある」
 そう言って紙幣をぼーさんにわたした。ぼーさんはそれを受け取り、同じように陽に透かしてみる。あたしもわきからのぞきこんだ。いくつかの文字が読み取れる。もとは二行の文章だったようだけど、切れ切れの文字しか拾えなかった。左右へ順に拾っていくと、「よ、げ、く、聞、た、さ、に、浦、る、居、死、皆、は、来、処……」
「意味不明」
 あたしとぼーさんは思わず顔を見合わせた。
 ナルはひどく暗い眼をしていた。
「……なんのためにこんなことを……?」
 誰が、なんのために?
 ふたつの文字が印象に残った。――『死』と『皆』。

 残り時間、あわてて測量の続きをして、日暮れまでになんとか一階部分を終えた。そのデータをリンさんに任せて、あたしたちは食堂に向かう。大急ぎでご飯をかきこんでいると、五十嵐《いがらし》先生に声をかけられた。
 先生は一日たつ間に、また鈴木さんのことが心配になってきたらしい。東京の自宅に電話しても彼女は帰ってなかったと言って、とても心配そうにしていた。警察に失踪届を出したほうがいいだろうか、と安原さんに聞く。安原さんなんて、五十嵐先生にしたら息子ほども若い相手なのに、その若い相手を頼りにしているようすが、先生の狼狽《ろうばい》を表しているようで、なんだか痛ましかった。
 見ているのが辛《つら》くて、そっと食堂を抜け出した。ひとりでベースに戻る。ベースではリンさんが黙々と作業を続けていた。
「リンさん、あたしご飯終わったから交代しようか?」
 そう声をかけたわけだが、
「けっこうです」
と、ニベもない返事。まったく……。
 だからと言って、ふたりでいるのにしゃべらないのも気詰まりで、あたしは五十嵐先生の話をした。対するリンさんの返答はそっけない。おつきあいみたいにうなずくだけで、ホウでもハァでもない。
「……ときに、リンさんって中国の人だったのね」
 苦しまぎれにそう言うと、リンさんはあたしをマジマジと見た。
「……それが?」
 それが……って言われても困るんですけど。
「なんか、すごいな、と思って。もっと早く言ってくれればよかったのにー」
 リンさんはあたしをひどく冷たい眼で見た。
「なぜですか?」
「なぜって……そんな深い意味があって言ったわけでは」
 ないのよ。ちょっと言ってみただけで。
「……ホントに無愛想《ぶあいそ》なんだからなぁ……」
「私は日本人は嫌《きら》いです」
 いきなりキッパリ言われて、あたしはビックリしてしまった。キョトンとリンさんを見てしまう。
「……なんで?」
 どーしてそんな、ひとくくりに嫌いなんて言ってしまうわけ?
「日本人が昔、中国で何をしたか知らないのですか?」
 
 うう。そりゃ、昔、日本人はいろいろとひどいことをしたんだけどさ。でもって大人《おとな》はいまだにあやまりもせず、そらっとぼけようとしてるけどさ。
 リンさんは無表情のまま。
「私は日本人が嫌いだし、日本人に囲まれて生活するのも不愉快《ふゆかい》です」
 ……そこまで言う?
「リンさんの言い分はわかるし、もっともだと思うけど、でも、昔のことでしょ?」
「そういう言われ方はいっそう不愉快ですね」
 ううう。確かに日本が悪いのよ。いわば、勝手に人の家に入りこんで、住んでる人に無体なことをしたんだから。たとえるなら、居直り強盗みたいなもんで。――それでも。
「でも、中国だって元寇《げんこう》とかやったでしょ? ヨーロッパだって、侵略したとかされたとか、そんな歴史ばっかなわけだし」
「だから日本のしたことが許されるんですか?」
「そんなこと言ってないっ! 悪いことは悪いのよっ。日本が中国に侵略したのはいけないことなのっ。でも、そうやって昔の恨《うら》みを覚えてるなら、日本にだって恨む権利はあるし、世界じゅう恨みだらけで、全部の国が永遠に憎《にく》み合っていかなきゃならないでしょ?」
 リンさんは無言だ。
「そういうのって、不毛だと思うわけ。事実は事実でいいの。日本は悪いことをした、って事実があって、それを覚えているのは必要なことだと思うよ。でも、だから嫌いだとか恨むとか、そういうふうに言ってたら永遠に仲よくなれないでしょ? ずっと憎み合っていかないといけないじゃない」
 ああっ、ちっともうまく言えない。
「リンさんがあたしを嫌いで、だから嫌いって言うのは仕方ないよ。でも、日本人だから嫌いって言い方は納得《なっとく》できない。リンさんのお父さんかお母さんが殺されたの? そうじゃないでしょ? そのくらい昔のことだと思うの。そんな昔のことにこだわって、たくさんの人間をひとくくりに嫌いなんて言うのは、馬鹿馬鹿《ばかばか》しいことだよ。日本人のあたしがこういうこと言うの、すごくはきちがえてるってわかってる。それでも、あたしとリンさんの個人同士の問題として、あたしを嫌うなら、あたし自身の問題で嫌ってほしいよ。日本人だとか、女だとか、孤児だとか、そういう、あたしにもどうしようもなかったことで嫌ってほしくないのっ」
 うう、こういうのって悲しいよぉ。でもあたしには、どーして戦争なんかしたんだ、ご先祖さんの馬鹿ーっ、としか言いようがないんだもん。
 突然、リンさんが声をあげて笑った。
 ……へっっ!?
「……あのぉ……」
「同じことを言うんですね」
「はぁ?」
「昔、同じことを私に言った人がいるんです。それを思い出しました」
 わぁ、リンさんの笑った顔って見たの、初めてだなぁ。
「それって、ナル?」
「まさか。ナルに言ったら、一言でしたよ。『けっこう馬鹿だな』って」
 ナルなら、さもありなん。
「まどかに言ったら、泣かれて困りました」
 ……ああ、なんとなくわかるなぁ。
「――そうですね、私はあなたが嫌いではありません。べつに、日本人の全部が嫌いなわけでもありません。ただ、生理的な反発というものは、なかなか消えないものです」
「……うん」
「国同士の問題を個人の間に持ちこむのは、馬鹿げたことだと私も思います。おとなげないもの言いをしたとも思います。それでもどうにもならない問題があるのだということを、あなたは学ぶべきです」
「……よく考えてみる」
 リンさんは軽く微笑《わら》った。
「無礼な発言をしました。申しわけありません」
「……ううん。こっちこそ、ごめんね」
 なんに謝《あやま》ってるのか、自分でもよくわかんないけど。
 世の中には難しい問題がいっぱいある。そういうことだなぁ。

     4

 全員が食事を済ませたあと、あたしたちはベースでミーティングをした。リンさんが今日計測したデータをまとめて平面図を出す。建物の外周はほぼ合った。だけど。
「まだ空白があるな」
 ナルは画面の青い空白を指さす。大・小あわせて十八か所。小さいものは畳一枚ていど、大きいものは数部屋ぶん。
「小さいものはともかく、この大きいやつが気になるな」
 その大きな空白は家の中心部にあった。凹凸したL字形で、はっきりした大きさはわからないけど、まわりの部屋と対比すると明らかに数部屋ぶんはあるように見える。
 ナルは二階部分の平面図を手に取って見比べる。
「二階は正確な測量がまだだから、なんとも言えないが……どうやら二階にもこの部分があるようだな」
 あたしは今日測量に使った平面図をひっぱり出した。たしかに、二階にも同じくらいの位置に大きな空白がある。一階の部分に比べると、半分ていどの大きさだったけど。ふと思いついて三階の平面図と見比べてみる。三階は建物の一部にしかない。ちょうど空白の上にあたる部分にかかっていて、空白は三階にまでとどいていないことがわかった。
「……隠し部屋じゃねぇのか? じゃないと大きすぎるぜ」
 ぼーさんが言う。
 た

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责任编辑:Mashimaro

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