坤瑜汀¥ⅳ郡筏郡沥稀ⅳī`と、三橋さんと聖さんに会ったよ」 「聖には会ったわ、アタシたちも。真砂子が鼻先で笑ったんで、あやうくケンカになるところよぉ」 ……さもありなん。 「あと、なんとか言う先生には会ったな。もっともらしい機械を背負って歩いてたわよ」「へぇぇ」 お茶を終わって再び平面図制作に出かける。三階に上がって部屋の測量をしていると、屋根裏部屋へ上がる階段部屋の入り口で坊主頭のおじいさんに会った。 井村《いむら》というお坊さんだろう、と安原さんが教えてくれた。 「渋谷《しぶや》サイキック・リサーチの連中か」 「はぁ、そうです」 安原さんが右代表で頭を下げる。 「子供がゾロゾロ集まって、本当に役にたつんか」 ずいぶんとぞんざいな口調だったけど、安原さん気にしたようすがない。他人事のように首をかしげて笑って、 「さあ、どうでしょう。努力はしますが」 「霊能者は経験だぞ。子供になにができる」 安原さんは、教師に注意された優等生のような顔でうなずいた。 「がんばります」 井村さんは鼻先で笑った。 「お前、いくつだ」 安原さんは優等生のようにハキハキとお返事をする。 「僕ですか? 今年で二百と三十二歳になりました」 ……ぷ。 井村さんは一瞬ポカンとした。それから顔を真っ赤にする。 「なんだお前は、人を馬鹿《ばか》にしとるのか」 「とんでもない。僕のうち、代々長寿の家系なんです」 安原さんは優等生の笑顔。 「何年生まれだ、言ってみろ」 「え、僕ですか? 宝暦八年の生まれですけど。ちなみに、戌寅です」 あらー、かしこいわ。 「……デタラメをペラペラと」 井村さんは安原さんをにらみつけるが、にらまれた当人は気にしたようすがない。 「嫌《いや》だなあ、年寄りの言葉を疑うものじゃないですよ。僕らの若い頃なんて、年長者にそんな口のきき方をしたら殴《なぐ》られてましたけどね。いやぁ、近頃の若い人はいいなぁ」 ……ぶぶ。 「若い頃と言えば、昔天明《てんめい》の大飢饉《だいききん》ってのがありましてね。いやぁ、あれはたいへんだったなぁ。――今の若い人は飢饉なんて知らないでしょうねぇ」 ……ぶぶぶ。 「最近は日米貿易摩擦なんて言って騒いでますが、僕の若い頃なんて開国しろ、しないでもめ始めた頃でしたね。貿易摩擦なんてかわいいもんですよ。ホント、あの頃はお先真っ暗だと思いましたからねぇ」 歯ぎしりしそうな勢いでにらみつける井村さんをよそに、ひとりでうなずきながらしゃべりまくる安原さん。 「……なんて話をすると、両親に叱《しか》られましてね。ヒヨコのくせに聞いたふうな口をきくなって。なんせ、うちの両親は建武《けんむ》の中興のあたりの生まれでして。ふたことめには応仁《おうにん》の乱はたいへんだったって、近頃の若いものは苦労を知らないって、こうですからね。それも母方の爺《じい》さんに言わせると、源平合戦に比べりゃたいしたことないらしいですけど。父方のひい婆《ばあ》さんなんか、壬申《じんしん》の乱はたいへんだったって。――もしもし、聞いてます?」 井村さんは怒鳴《どな》るタイミングを逸して肩を震《ふる》わせるのみ。 「母方のひいひい婆さんは耶馬台国《やまたいこく》が滅亡したとき焼け出されたそうで、死ぬまでずっと若い頃は大変だったってそればっかりだったそうです。――あれ? 井村さん、どこ行くんですか? それでですね、父方のひいひいひい爺さんがですね」 呆《あき》れかえった顔つきで井村さんは廊下をドスドス戻っていってしまった。 井村さんの姿が見えなくなってから、あたしたちが大笑いしたことは言うまでもない。 7
夕方、日没までにギリギリで三階と屋根裏部屋の計測を終えると、あたしたちはベースに戻った。図面をリンさんにまかせてかきこむように夕食をとる。一心不乱に食事をしていると、突然声をかけられた。 「あのう、渋谷《しぶや》さん?」 なんとか言う大学の先生だった。 ナルはいない。今はベースにいる。そう言おうとしたら、あわてたように安原《やすはら》さんが顔をあげた。 「……はいっ」 あ、そうか。んもー、ややこしいっ。 「ごめんなさいね、お食事中」 「いいえ、かまいません」 彼女はコーヒーを持って、安原代理所長の隣にきちんと座る。 「廊下《ろうか》にある機材はおたくさまのものですよね?」 「はぁ、そうですが」 「ずいぶん科学的でいらっしゃいますのね」 「まぁ、いちおう」 先生はおっとりと上品な笑顔を浮かべた。 「おたくさまは怪《あや》しげな霊能者ではないと見こんでお願いするのですが」 やさしそうなもの言いのわりに、きついことを言ってないかい? 「今夜降霊会をやってみようと思いますの。できたら渋谷さんたちにも協力していただけないかと思いまして」 安原さんはちょっと考えこんだ。 「……わかりました。協力させていただきます」 そううなずいたところで、テーブルの向かい側にいた聖《ひじり》さんが大きな声をあげた。 「霊媒でしたらうちに優秀なのがいますよ、お手伝いしましょうか」 ……うえ。あのグルグルまわる霊媒さん? 先生はやんわりと笑う。 「いえ。結構でございます」 あまりにキッパリとしたセリフに、聖さんは少しムッとしたようすだった。先生は気にしたふうもない。安原さんに微笑《ほほえ》みかけて、 「九時でよろしゅうございますか?」 「結構です。場所は?」 「ここでは騒がしゅうございますから、どこか、この近くの空き部屋で」 「かしこまりました」 先生は丁寧《ていねい》に頭を下げて食堂を出ていく。あたしたちは会釈《えしゃく》をしてそれを見送った。 ……いいのかねぇ、勝手にそんなこと決めちゃって。そう聞きたい気持ちはやまやまだけど、テーブルの向こう側に聖さんが陣どってる。ちょうど先生と入れ違ったようにナルとリンさんが入ってきた。 安原さんはチラと聖さんに視線をやってから手をあげる。 「鳴海《なるみ》くん」 「はい、なんでしょう」 うう。ナルのこういう返事は気持ち悪いよぉ。 「さっき五十嵐《いがらし》博士が、今夜降霊会をするとおっしゃって。僕は参加してみるけど、君はどうする?」 ……うーむ。ナイスな聞き方だ。 ナルはちょっと考えるようにして、 「僕も参加させていただきます。どうせ夜にはたいした作業はできませんし」
ご飯のあと、降霊会の時間まで全員(真砂子《まさこ》を含む)でベースに集まった。 しずしず(?)と安原さんの後を歩いていたナルは、ベースのドアを閉めるなり態度豹変《ひょうへん》。例によって傍若無人《ぼうじゃくぶじん》な態度で平面図を出力するようリンさんに命じた。 リンさんがコンピュータを操作して、専用の画面に平面図を映し出す。あたしたちが苦心惨憺《さんたん》して作った平面図が綺麗《きれい》な図面になって出てきた。 「部屋数は」 「屋根裏部屋まで含めて百六室です」 百……六ーっ!? そんなにあったの!? どーりで時間がかかったはずだよ……。 「これは?」 ナルは画面に指をおいた。白く描かれた平面図のまわりを、青い線がとりまいている。「建物の外周ですが」 建物の外周。――つーっことは、この家の外まわりの大きさ? 「ぜんぜん合ってないじゃないか」 ナルが冷たい視線をあたしたちに向ける。 「知らないよぉ。あたしたち、ちゃんとはかったもん」 ねぇ、とぼーさんたちを振り返ってうなずき合ったけど、ナルがそれでおさまるはずもない。確かに、建物の外周と平面図の輪郭《りんかく》はぜんぜん合ってないと言っていい。ひどい場所では平面図と外周の間に、三部屋ぶんの空白があったりする。 「そのうえ、これは?」 白い線で描かれた部屋と部屋の間に、青いすき間ができている。それは計測したけど寸法が合わなくてそのままになってる部分だ。 「だから、知らないってば、ちゃんとはかったらそうなっちゃったのっ」 あたしは事情を丁寧《ていねい》に語って聞かせた。あたしたちのせいじゃないもん。 ナルはひどく考えこみ、 「やっかいな話だな店」 そう言ってから、 「明日、もう一度正確な計測をしてみよう」 計測をしてみよう、じゃないだろ。計測をしてみろ、だろ。実際に動くのは誰だと思ってるんだよ、もー。
8
九時には全員が食堂の隣にある八畳くらいの部屋に集まった。部屋には丸いテーブルとイスが何脚か運《はこ》びこまれていて、そこに五十嵐《いがらし》先生と助手のおねーさん、それに南さんとデイビス博士、助手のおばさんがすでに集まっていた。 「あっ……」 と言って、博士の顔を見たとたんにカチコチになるぼーさん。うくく。かわいーやつ。 南さんはもっともらしくビデオカメラをセットしていた。降霊会のようすをビデオに撮ろうということらしい。カメラったって、ごく普通のホーム・ビデオカメラだ。ファインダーをのぞいて、 「ちょっと暗いな。もっと明るくなりませんかねぇ」 なんて言っている。それを聞いて五十嵐先生が眼を丸くした。 「もっと明るく、って。降霊会の時にはろうそくの明かりだけになりますのよ」 「ええ? そうなんですか?」 「あたりまえでしょう。霊は明かりを嫌《きら》いますからね。ろうそくを一本、それだけです」 「それは困りましたねぇ……」 「暗視カメラはございませんの? 証拠になる記録ビデオを撮《と》ってくださるとおっしゃるから、お招《まね》きしたのに」 南さんはきまりわるげに、 「いや、今回は持ってきてないんです……」 なんてことを口の中でボソボソ言った。 突然、ナルが、 「所長、うちのカメラを持って来ましょうか。使ってないやつがありますから」 そう安原《やすはら》さんに言った。安原代理視聴はおうようにうなずく。 「ああ、そうするといいね。五十嵐先生さえ気になさらなければ……」 五十嵐先生はニッコリと笑う。 「ええ。そうしていただけますと、嬉《うれ》しゅうございますわ」 「では、持って来ます。――麻衣《まい》」 ……はぁい。そうくると思ったのよね……。やれやれ。
大騒ぎでまだ設置していなかった暗視カメラと、自動追尾カメラを持ってくる。自動追尾カメラと呼んでいるのは、サーモグラフィーと連動してその時部屋の中でもっとも温度の低い場所を自動的に撮影するようになっているやつだ。 「すばらしい機材でございますわね」 眼を輝かせて言う五十嵐先生に、安原さんはあくまでおうようとした風情《ふぜい》。「ありがとうございます」 それに対して南さんは、なんだか不満そうにしていた。 十時近くになって、ようやくセッティングを完了。丸テーブルの上にろうそくを灯《とも》して、電灯を消して、降霊会が始まることになった。
「デイビス博士、南さん、渋谷《しぶや》さんどうぞ、テーブルへ」 五十嵐先生に言われて、三人がテーブルに近づく。ここで渋谷さんというのは安原さんのことだ。ああ、ややこしい。他には五十嵐先生とお弟子《でし》さんの鈴木さん、その子人が降霊術を行うことになった。あたしたちは周囲の壁《かべ》にもたれてただの見物。 テーブルの上にはろうそくと白い紙、鈴木さんが目隠しをしてマジックを握《にぎ》っている。 「隣の人の手を握ってくださいまし」 鈴木さんを除く四人がテーブルの上で、互いの手をつなぐ。握りあった手でできた円が鈴木さんのところで切れる形になった。 「深く息をして、霊に呼びかけてください。この家に住む霊に……」 ピンが落ちても物音が聞こえそうな沈黙《ちんもく》。焦点を決めかねた自動追尾カメラのアームが動く音、まわりつづけるビデオのモーター音、聞こえるのはそんな微《かす》かな音だけ。 「この家にお住まいの方、どうぞこの女性の手を借りて、お心を語ってお聞かせください」 深い沈黙。鈴木さんはピクリでもない。マジックを持った手が微かに震《ふる》えていた。静かな声で何度も五十嵐先生が呼びかけ、長い時間がたった。見守っているあたしたちにはウンザリするほどの時間が。 ……本当に霊なんか来るのぉ? そう心の中で呟《つぶや》いたときだった。突然ギシッと音をたてるほど強く、マジックが紙の上に降ろされた。はっと誰もが息を飲むなか、とんでもない勢いで鈴木さんの腕が動き出す。B4の紙をはみ出す勢いで黒い文字を書きつけはじめた。 全員が身を乗り出した。五十嵐先生が横から次々に紙をめくっていく。マジックは動き続ける。書いてある文字は判読できない。 そして、唐突《とうとつ》にドンッという衝撃。部屋が外から殴打されたような。天井から細かいホコリが降る。 「……な、なんですか」 南さんが腰を浮かした。五十嵐先生は厳《きび》しい声で、 「動いてはいけません。動揺せず、お静かに」 そうは言っても動揺せずにはいられない。テーブルの周りで落ち着いているのは、鈴木さんと太っぱらの安原さんだけだった。 ギシッと屋鳴りがする。パキ、という乾《かわ》いた音。タンッという堅《かた》い音がしてテーブルの片方が持ち上がり落ちて揺《ゆ》れた。同時にろうそくが横倒しになって明かりが消える。激しい勢いで誰かがイスを倒したようだったけど、誰のなのかはわからなかった。 「だいじょうぶです! お願いです、動かないで……」 五十嵐先生の悲鳴じみた声。 その声を合図にしたように、部屋中で壁や床を叩く音が鳴り響いた。誰かが叩いている? そんなはずはない。ひとりやふたりが叩いてる音じゃない。五人? 十人? ひょっとしたらそれ以上。 突然軽い衝撃があたしの肩にあたった。振り向いても真っ暗な部屋。なにも見えるはずがない。誰かが肩を叩いたような感じだった。続いて次々に衝撃が当たる。誰か男の人の悲鳴を皮切りに、部屋の中は狼狽《ろうばい》した声でいっぱいになった。 「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」 ぼーさんの鋭利《えいり》な声。それと同時にピタと物音かやんだ。さっきまでの騒ぎが嘘《うそ》のように。次いでいきなり明かりが点《とも》る。ナルが電灯をつけたのだった。
「……なに、今の……」 綾子《あやこ》が言う。南さんはテーブルの下、デイビス博士も壁に張りついて、さすがの安原さんもじゃっかん硬直した表情でテーブルの縁《ふち》を握りしめていた。 「霊を呼べたようですね」 そうか、霊。じゃあの物音はラップ音とかいうやつね。――なんて、あたし、落ち着いてるなぁ。すっかり慣れてしまってるのね。 鈴木さんは目隠しをしたままボンヤリしていた。立ち上がっていた五十嵐先生が目隠しを取ってあげる。彼女はなにがなんだかわからない、という顔をしていた。 結局、あの大騒ぎの間席を立たなかったのは安原さんひとり、取り乱した悲鳴をあげなかったのはわが『渋谷サイキック・リサーチ』のメンバー。あたしらって肝《きも》がすわってるな。だてに修羅場《しゅらば》を何度もくぐってきたわけじゃないぜ。 安原さんがテーブルの上の紙を取りあげた。それをナルに差し出す。ナルが受け取ったそれには、 『助けて』 たった三文字。 床に散らばった紙を広い集めてみると、乱れた字でその三文字が散乱していた。 「助けて……?」 どういう意味? 霊が書いたの? なにから助けて欲しいの? 「おい」 ぼーさんが、自分が拾った紙をあたしたちに示した。そこには、 『死にたくない』 という六文字。しかもそれは赤い線で書かれていた。まるで血のような。
全員の手を調べてみたけど、ケガをしている人はひとりもいなかった。じゃ、あの血文字は誰が書いたんだろう。 「所長、ビデオを再生してみましょう」 そうナルが安原さんに声をかけて、あたしたちはベースに戻った。五十嵐先生と鈴木さんがついて来た。南さんとデイビス博士も一緒に部屋を出たはずだけど、いつの間にか姿を消していた。 ナルとリンさんが手際《てぎわ》よく、ビデオ・テープと計測データの入ったフロッピィ・ディスクをセットする。すぐに棚に埋めこまれたモニターに、降霊会のもようが再生された。妙に画面が白々としていて、映像の粒子があらい気がするのは超高感度カメラに特有の現象だ。 鈴木さんの手が動き出すまで、すごく長い時間が経った気がしてたけど、画面のクロックを見るとわずか六分ほどしか経っていなかった。六分と少しして鈴木さんの手が動き始める。 「どんな感じでした?」 五十嵐先生が聞くと、鈴木さんは首をかしげる。 「腕をマジックに引っ張られる感じでした。手を離したらマジックだけどこかに行ってしまうんじゃないかと思ったくらいです」 激しいラップ音がスピーカーから流れてきた。それと同時に部屋の四隅、天井の方からサーモグラフィーの映像がわずかに濃《こ》い青に変色していく。サーモグラフィーは温度を色分けにして映像にする装置。黄色いところは高く、青いところは低い……。画面の端のゲージと見比べると、三度ほど気温が低くなったのだとわかる。 画面ではテーブルが持ち上がって揺れた。ろうそくの明かりが消えたけど、カメラはドアのすき間から洩《も》れる廊下《ろうか》の明かり、そんなものできちんと撮影を続けていた。 テーブルから紙が舞い落ちる。鈴木さんの手はそれでも動き続けている。マジックを動かした勢いで、紙が次々にテーブルを滑《すべ》り落ちた。ビデオを見ると、イスを倒したのは南さん、悲鳴をあげたのはデイビス博士だとはっきりわかる。キョトンとしたように動かないのは安原さん。 「少年、けっこう落ち着いてるなぁ」 ぼーさんが言うと、 「ふっふっふ。僕は鈍感《どんかん》ですからね」 などと、安原さんがわけのわからない自慢のしかたをして胸を張った。 「ストップ!」 ナルがいきなり鋭《するど》い声をあげた。リンさんが再生を一時停止する。 「五十三秒まで巻き戻してコマ送りにしてくれ」 リンさんがコンピュータのキーを叩く。画面が再生状態のまま巻き戻されて床に舞い落ちた紙がテーブルの上に躍り上がった。 「なに?」 「紙だ」 そして、コマ落とし。紙が一枚、ゆっくりと舞い落ちていく。反転をくりかえす白い紙面。 「あ!」 あたしは思わず声をあげた。 十時十六分二秒。真っ白の紙は翻《ひるがえ》り、もう一度翻ったときにはそこに文字が描かれていた。あらい粒子の映像でも文字の並んだ漢字で、それが『死にたくない』という例の一枚だとわかる。 誰の身体《からだ》にもケガなんてなかったはずだ。あれはもちろん、あの部屋にいた人間が書いたものではなかったんだ。
9
降霊会に使った部屋に再度機材をセッティングして、あたしたちは部屋に引き上げた。ナルは断固として夜間の調査はやらないと言う。五十嵐先生《いがらしせんせい》はしばらく機材を眺《なが》めて感心した声を上げていたけど、ナルに諭《さと》されて鈴木さんと寝室に戻って行った。ナルはひどく神経質になっているように見える……。 真砂子《まさこ》も、降霊会の後はムッツリと黙《だま》りこんだままだった。部屋に戻り、かろうじてお湯の出る付属のお風呂場でシャワーを浴《あ》びると、さっさと寝ようとする。 「真砂子、どうしたの?」 「なんでもありませんわ」 真砂子はトンボ模様《もよう》の寝間着で布団に滑《すべ》りこむ。 「気分悪い?」 「血の臭いがしますの」 「まだする?」 真砂子はあたしをにらんだ。 「するなんてものじゃありませんわ。身体《からだ》にも髪にも染《し》みつくみたいですのよ。どうしてみなさん、平気そうにしているの!?」 悪かったね、霊感なくて。 「あの部屋……吐《は》きそうなほど臭いがしてましたのに」 「ね、それってラップ音が起こる前から?」 あたしが聞くと、真砂子ははたとしたように眼を見開いた。 「……後からですわ」 「じゃ、それって霊の臭いなんじゃないの?」 「かもしれませんわ……」 霊の臭い、というと変だけど、霊の運《はこ》んできた臭いと言うか。だとしたら、昨日から真砂子が臭うと言っていたのも、近くに霊がいたからじゃ……。 「ねぇ、霊の姿、見える?」 「見えますわ。でも、チラチラという感じでよくわからないんですの。見えたと思うと血の臭いがムッとして、気が散ってしまいますし……」 「いよいよ霊の臭いくさくない?」 「……そうかもしれませんわね」 とーとつですが、あたし真砂子と会話しているわ。我ながら珍《めずら》しいんでないかい? 「麻衣《まい》さんは?」 「へ?」 「……何か感じます?」 常にあたしをオミソあつかいしてきたとは思えぬ台詞《せりふ》。 「……どしたの。あたしにそんなことを聞くなんて」 思わず問い返したら、真砂子はムッとした顔をした。 「あたくし、その方に相応の敬意は払うことにしていますの。本人の性格と実力は別ものですわ」 「相応の……敬意? あたしに?」 真砂子はツンと不愉快《ふゆかい》そうにそっぽを向く。 「だって、前回の事件であたくしと同じ幻視を見たのは、あなただけなんですもの」 ……ほう。そういうことか。ふっふっふ。なーんか、うれしいぞぉ。 「えへへ。ありがと。――でもさ、今回はダメ。なーんにも感じないのよね。ゆうべは夢も見ずにグッスリ寝ちゃったしなぁ」 あたしはナルに言わせると、じゃっかんのESPありなんだと。しかし、寝ているとき夢の中でしか出てくれないのがタマにキズ。ほとんど寝ぼけて人命救助をしたようなもので、誉《ほ》められても、いまいち他人事のような気がするのよねぇ。 「そうですの……。じゃあ、そんなに危険ではないのかもしれませんわね」 「どうだろうなぁ。夜は出歩かないようにしてるじゃない? 部屋にはしっかりお札が張ってあるし。そのせいかもしれない」 真砂子が小首をかしげて考えこんだところに、シャワーを使っていた綾子《あやこ》がバスルームから出てきた。 「なぁに? 仲よさそうじゃない」 えへへー、いいだろぉ、なんて言おうと思ったのに、 「ご冗談でしょ。あたくし、こんな方となれ合ったりいたしませんわ」 真砂子のムカつく一言。 こ、こいつ……っ。 「他人に向かって、こんな奴呼ばわりはないんじゃないかい?」 「そんな下品な言葉は使っていませんわ。こんな方、と言いましたのよ」 「こんな、で悪かったねぇ」 「別に悪いなんて申してませんでしょ。それはヒガミというものですわ」 「かわいくない性格」 「そのぶん、容姿と才能にめぐまれていますので」 ほっ……本っ当にかわいくないっ! 「なんであたしをそこまで嫌《きら》うわけ? 理由があったら聞かせてくんない?」 「ご自分の胸に手を当ててごらんなさいませ」 そう言って頭から布団を被《かぶ》ってしまう。 「そんなでわかるかっ!」 「あら、頭もご不自由ですのね」 も、はよけいなんだよっ。確かに頭は悪いけどさ。ま、顔もプロポーションも決して不自由してないとは言いませんが。 ええい、これが文句《もんく》を言わずにおらりょうか。こら、起きろっ。勝手に寝るな。あたしと正々堂々、話し合いをするのだっ。真砂子っ。 たたき起こしてやろうと思ったんだけど、 「あんたたち、いつの間にか仲よくなったわねぇ」 という綾子の一言で脱力してしまった。 どこが仲いいようにみえるのだ。 ……も、いーや、好きにすればぁ? あたしは寝る。つきあってられるかい、ふん。
そうしてあたしたちは眠ったわけだけど。むろん、調査をやめて寝ていたのはあたしたちくらいで、他の霊能者の方々は今夜もやはり真夜中までがんばるつもりらしい。何度もいろんな足音が部屋の前を通りすぎた。 夢も見ずに眠った翌朝、あたしたちを驚かせるような情報が待っていた。 ――鈴木直子さんが姿を消した、と。
三章 隠れ鬼
1
「誰か鈴木さんを見ませんでした? ねぇ、誰も?」 朝、食堂に集まったあたしたちにそう聞く五十嵐《いがらし》先生は、狼狽《ろうばい》しきったようすだった。 「勝手に帰るはずはないんですよ。誰も彼女が帰ったところを見てませんし。荷物だって残ってるんです。コンタクト・レンズのケースまで……」 安原《やすはら》さんが、五十嵐先生を自分の隣に座らせる。紅茶を頼んで、眼の前においてあげた。 「落ち着いてください。いいですか、深呼吸して。紅茶にお砂糖とミルクは?」 五十嵐先生は首を振る。 「一口、口をつけて。いいから、飲んで、深呼吸してください。ね?」 先生はおとなしく言われたとおりにした。深く息をつく。 「ごめんなさいまし。……すっかり取り乱してしまって……」 「いいえ。ご心配はわかります。鈴木さんはいつから姿が見えないんですか?」 「今朝《けさ》起きたら、いなかったんです。私は齢《とし》のせいでご不浄《ふじょう》が近うございます。明け方起きた時にはちゃんと寝ていたんですよ。それが……」 「明け方、というのは何時頃ですか?」 わかりません、と呟《つぶや》いて、五十嵐先生は首を振った。 「お目覚めになったのは?」 「今朝の七時でございます」 現在午前十時。三時間も姿が見えないなんて。 安原さんは職員のおじさんを呼ぶ。鈴木さんの姿を見なかったか聞いた。大橋さんを含め、職員の誰もが鈴木さんを見かけていない。家を出て行った可能性は? と大橋さんに聞くと、 「いちおう、玄関には内側から戸締りをしております。鍵《かぎ》が開いていたというようなことはございませんので、外に出て行かれたわけではないと存じますが」 「どうしましょう」 五十嵐先生は顔をおおう。安原さんは先生の肩をそっと叩いた。 「それなら、この家のどこかにいるんですよ。道に迷《まよ》ったのかもしれません。どこかでボンヤリしてるのかも。行方不明になったと考えるのは早すぎますよ。とにかく、捜してみましょう」 そう言ってナルを振り返った。 「鳴海《なるみ》君、いいですか?」 ナルがうなずいた。
午前中、あたしたちは鈴木さんの名前を呼びながら、家じゅうを手分けして歩いた。昨夜撮《と》ったビデオも再生してみたけど、鈴木さんの姿は映っていない。しかも、暗視カメラはテープの都合《つごう》で朝七時には切れてしまうので、鈴木さんの捜索にはほとんど役にたたなかった。 無数の部屋を歩きまわって、クローゼットの類《たぐい》まで全部開けて中をのぞいた。呼んで耳を澄ましても返答はない。その姿も、どこにも見えなかった。あたしと五十嵐先生は、まだ眠っている他の霊能者の方々も叩き起こし、彼女の消息を訪ねる。この家の中には鈴木さんの姿を見かけた人はいないようだった。 「降霊会のあと、お見かけしていませんねぇ」 そう言ったのは南さんだ。五十嵐先生は南さんのパジャマにすがりつく。 「博士に、デイビス博士に聞いていただけませんか。博士でしたら、なにかおわかりになるかも……」 言ってオロオロと上着のポケットを探る。 「そうだわ、これを入れたままでしたわ……」 ポケットの中から、小さな円筒状のものを取り出した。コンタクト・レンズのケースだ。 「これを博士に。博士でしたら、鈴木さんがどこにいるか、おわかりになるでしょう……?」 そうか、博士はサイコメトリスト。ある品物から、それにまつわる過去や未来を読みとるESP能力者だから。 南さんは不機嫌《ふきげん》そうにそれを受け取って、ベッドに腰掛けてこちらを見ている博士のほうへ持っていった。ケースを差し出し、英語でなにか言う。博士が首を横に振った。 「こんなものでは、透視できないそうです」 南さんは肩をすくめた。 「では……なにを使えば」 そう言う五十嵐先生に、南さんはケースを突き返す。 「博士の透視は、失踪当時身につけていたものに限られますからな」 失踪《しっそう》した人が身につけていたものなんて……そんなの、よほどの偶然でもなけりゃ、あるわけないじゃない! 顔をおおってしまった五十嵐先生の背中を、あたしはなでる。 なによ、ぼーさんには悪いけど、博士なんてぜんぜんたいしたことないじゃない。せめて、ケースを手に取って、サイコメトリする努力ぐらいしてくれてもいいんじゃない? 失踪したとき身につけてたものがホイホイそこらへんに落ちてたら、警察だってなんとかできるわよっ。
結局昼過ぎまで捜したけれど、鈴木さんの姿は見つからなかった。 南さんは言う。 「ゆうべ、降霊会で怖《こわ》い思いをしたんで、逃げて帰ったんじゃありませんか」 三橋さんは言う。 「最近の若い者は、無責任だからな」 ムッときたけど、ちがうとも言えない。そうだといいな、という気持ちが心にあるから。失踪したと考えるより、無責任に逃げ帰ったと思うほうがずっといい。 「……そうかもしれません」 そう言ったのはほかでもない五十嵐先生。 「そうですわね。帰ったのかもしれません。ええ、あとで家に電話してみますわ。ちょっと叱ってやらなくちゃ……」 結局その言葉をきっかけに、鈴木さんの捜索は打ち切りになってしまった。
2
「いいのかねぇ」 なんとなく集まったベースで、ぼーさんはそう言う。 「しかたないよ。見つからなかったのは事実だし……」 「見落としがあるのかもしれんだろう。この馬鹿《ばか》でかい家の全部を捜したと言いきれるか?」 「そんなぁ。じゃ、鈴木さんは隠れてるわけ? そうじゃなきゃ、あれだけ呼んだんだもん、返事くらいはするはずだよ」 「返事のできない事情があるのかもしれんだろ」 「どんな?」 「いや、それはわからんけどさ」 モゴモゴとぼーさんが言うのに、ナルがつぶやく。 「コンタクト・レンズがケースしかないんだから、本人が自分の意志で起きてどこかに行ったのは間違いないだろう。確かに、窓かどこかから出て帰った可能性もあるが……」 ……うん。 「気になるのは、あの空白だな……。もしもあそこが隠し部屋でどこかに通路があるとしたら、そこから迷《まよ》いこんだ可能性がある。本当に計測ミスなのかどうか、もう一度調べたほうがいいだろうな」
あらためて昨夜の録画をチェックしなおしたけれど、不審な現象は記録されていなかった。手がかりを見失って、とりあえずもう一度家を計測しなおす。今度は壁の厚さまで正確にはかることになった。これでまだ図面が合わないようなら、正式の測量機材が必要になるだろう。 「どこに消えたのかねぇ」 二階の部屋だった。突然ぼーさんがそう言ったので、あたしはキョトンとしてしまった。 「……鈴木さん?」 聞きながらあたしは壁にピンを打つ。床から正確に一メートル。部屋の対角線になるように糸を張ると、ぼーさんが磁石をあてた。 「ああ。なんで消えたんだと思う?」 「なんで……って」 「自分の意志で消えたのか、それとも意志に反して消えさせられたのか」 「ここですでにふたりの人間が消えてたわけでしょ? 鈴木さんが三人目。……やっぱ霊のしわざなんじゃないのかなぁ。――何度?」 ぼーさんはライトで照らして磁石と糸のなす角を調べる。 「二十六度。――その霊がさ、ゆうべ言ってたわけだろうが。『助けて』ってさ」 「……うん」 あたしは平面図に対角線を引いて、そこに角度を書きこみながら、 「おまけに、死にたくない、だもんね。霊が死にたくないなんて、変な話ではあるよね」「まぁ、霊ってのはえてして自分が死んだことをわかってないからさまよってるわけだが」 「ふうん……」 「俺が気になるのは、助けを求める霊の発言と、人間を消してしまう霊の行動がうまく結びつかない、ってこと」 「ですね」 床にメジャーをあてていたジョンが暗がりの中でうなずいた。 「助けてほしい霊ゆうのは、基本的に自分に気がついてほしくてなにかをするんですし。それは、じれて悪いことをする霊かていますけど、本音《ほんね》を言うたら自分を助けてほしいんで人を呼んでるんが普通ですよね」 「だろ? 人間を消してどうすんだよ。この家から人がいなくなりゃ、助けてくれる奴なんかいなくなるんだぜ」 ハンド・ライトを持ってジョンを手伝っていた安原《やすはら》さんが立ち上がる。 「三・二一メートル。――霊って、そんなに論理的に行動するもんなんですか?」 「そうとは言いきれねぇけどさ。霊ってのは嘘《うそ》つきなのが普通だし。けど、なーんか変な気がするんだよなぁ」 ジョンもうなずく。 「〇・三五メートルです。――霊にかけて、霊なりの論理性ゆうのがおますし。けど、鈴木さんのことを助けてくれるお人やと思うて、連《つ》れていった可能性もあるのとちがいますか」 あたしは図面に数値を書きこみながら、 「ここにいる霊は助けてって言いたかったわけでしょ? きっと、ずっとそう言いたかったんだと思うんだよね。けど、今までは聞いてくれる人がいなかった。それが……」 ジョンが手を叩いた。 「あ、ゆうべ言葉を聞いてくれたんで、助けてくれる人なんやと思うたわけですね」 「……と、いうのはダメかしら」 「俺に聞くなよ」 隣の部屋に移動しながら、安原さんが、 「こういうのはどうです? ゆうべ霊の声を聞いたのも……と言うか、書きとったのも鈴木さん、消えたのも鈴木さん。たとえば、ゆうべの言葉は霊の言葉なんかじゃなくて、鈴木さんが勝手に書いたものでそれがバレるのが怖《こわ》くて逃げ出した」 「却下。それじゃ、あの血文字はどうなるの? ラップ音は?」 「あ、そうか。じゃ、こういうのは? 鈴木さんが勝手に書いたんで、霊が怒って暴《あば》れた。鈴木さんはそれで怖くなって逃げた」 「それじゃ血文字の意味が通じないよぉ」 「……あ、そうか。あれがトリックの可能性は薄いしなぁ」 ブツブツ言いながら床にメジャーをあてる。その時、ジョンが突然声をあげた。 「わっっ!」 「どうした!?」 ぼーさんが光を向けると、転《ころ》びそうになってあわてて体勢をたてなおしたジョンの姿が見えた。 「ここ、床が沈みます」 え?
光をあててジョンが示したあたりをしみじみ見ると、厚いホコリの表面に妙な段差があるのがわかった。 「なんでしょうか」 安原さんがそのへんのホコリをそっと払《はら》う。そこには木でできた四角い蓋《ふた》があった。安原さんが押すとぶよぶよ沈む。 「腐《くさ》ってますよ、これ。落ちなくてよかったですね」 そう言ってそっと持ち上げた。 蓋の下には鉄製の梯子《はしご》が見えた。それが下の真っ暗な空間に向かって降りている。 「……下に部屋があるぜ」 ぼーさんが縁《ふち》に膝《ひざ》をついて、下にライトの光を向ける。 あたしはジョンの持った明かりを頼りに平面図を見た。 「そこ、きのう変だって言ってた壁のあたりじゃないかな。ちょうど、あの真上くらいの位置だよ」 「変な壁……あの、厚み三メートルの壁か?」 「うん」 ぼーさんはじっと穴を見つめる。 「隠《かく》し部屋ってわけか。こんなんがあるんじゃ、平面図が合わないわけだぜ」 「まさか……ここに鈴木さんが」 「それはねぇだろ。だったらもっと足跡がつくとか、ホコリが動いてるはずだ」 「……そうだね」 ぼーさんはちょっと緊張した顔でうなずく。 「よし、降りてみるか。少年、ライト頼む」 ハンド・ライトを渡して、ぼーさんが身軽に梯子《はしご》を下りていった。勇気あるなぁ。 「どう? 誰かいる?」 「いや、人はいない。小さな部屋って感じだな」 上からのぞきこむと、細長い三畳くらいの部屋になっているようだった。ライトの光で、床に散乱するぶよぶよしたものが見える。 「……ぼーさん、なに、それ」 こんもり山になったものを示すと、ぼーさんが机の先でそれをつついた。 「……わからんが、布団みてぇだな」 布団? こんな部屋に? 「ひでぇ、湿気。この床もやべぇや。ブワブワしてらぁ」 そう言って、ぼーさんは梯子を上ってくる。上の部屋に戻ってきたとき、片手に布きれのようなものを持っていた」 「なに、それ?」 「わからん」 言いながらホコリを落とす。狭《せま》い部屋にムッとするほど濃《こ》いカビの臭いが広がった。 「コートだな」 厚い布地に丈長の服。たしかにコートのように見える。ひっくりかえして改めていたぼーさんがふと手を止めた。 「名札が縫《ぬ》い止めてある」 安原さんが光を当てた。 えり裏のすっかり変色した白い布に、なにか文字が書いてあるのが見てとれた。ライトの明かりでは文字は読めない。 「ここじゃだめだ。どっか明るいところに持っていってみよう」
建物の外側の、外に面した部屋にそれを持っていった。近くの部屋の洗面台で軽く名札の部分を洗う。変色した布に墨で書いたらしい文字がかろうじて読み取れた。 『美山慈善病院 付属保護施設』 「先々代が建《た》てたっつー、病院のことかな」 「だろうね」 先々代さんは慈善事業にも手をつくした偉《えら》い人だったんだ。 「なんでこんなもんが、あんなところにあるんだ?」 「解答一、あの部屋は不要のものを捨てるゴミ箱だった」 おっと、ぼーさんのけーべつの視線。 「却下。他には?」 「保護施設の患者さんが隠れ住んでいた」 ……布団があったみたいだもんな。 「なんでこんなとこに隠れ住むんだよ」 「あたしに聞かないでくれる? あ、あの部屋が病室だかなんだかの可能性」 「あのな」 そうして考えこんだけど、むろんあたしたちにわかるはずもなかった。 しかし隠し部屋があることを見つけたのは、大手柄といえるだろう。
3
あたしたちはベースに戻って、コトのてんまつをナルに報告した。ナルはひどく嫌《いや》な顔をした。 「……隠《かく》し部屋か……やっかいだな」 ま、そうだとは思うけど。 「問題のコートは?」 「これ。汚れるよ」 ナルはかまわず、真っ白な手でコートを受け取る。えりもとを探って名札をみる。ついでポケットなんかをあらため始めた。何度もひっくり返してから、 「ここになにかある」 コートの内ポケットだった。なにか薄いものをひっぱり出した。 それは折りたたんだ紙片に見えた。ナルがそっとボロボロになったそれを開く。 「おい、これ……」 ぼーさんが身を乗り出した。 それはひどく黒すんでしまっていたけど、紙幣《しへい》だとわかった。ナルが窓に向けて陽に透《す》かす。 「文字が書いてある」 そう言って紙幣をぼーさんにわたした。ぼーさんはそれを受け取り、同じように陽に透かしてみる。あたしもわきからのぞきこんだ。いくつかの文字が読み取れる。もとは二行の文章だったようだけど、切れ切れの文字しか拾えなかった。左右へ順に拾っていくと、「よ、げ、く、聞、た、さ、に、浦、る、居、死、皆、は、来、処……」 「意味不明」 あたしとぼーさんは思わず顔を見合わせた。 ナルはひどく暗い眼をしていた。 「……なんのためにこんなことを……?」 誰が、なんのために? ふたつの文字が印象に残った。――『死』と『皆』。
残り時間、あわてて測量の続きをして、日暮れまでになんとか一階部分を終えた。そのデータをリンさんに任せて、あたしたちは食堂に向かう。大急ぎでご飯をかきこんでいると、五十嵐《いがらし》先生に声をかけられた。 先生は一日たつ間に、また鈴木さんのことが心配になってきたらしい。東京の自宅に電話しても彼女は帰ってなかったと言って、とても心配そうにしていた。警察に失踪届を出したほうがいいだろうか、と安原さんに聞く。安原さんなんて、五十嵐先生にしたら息子ほども若い相手なのに、その若い相手を頼りにしているようすが、先生の狼狽《ろうばい》を表しているようで、なんだか痛ましかった。 見ているのが辛《つら》くて、そっと食堂を抜け出した。ひとりでベースに戻る。ベースではリンさんが黙々と作業を続けていた。 「リンさん、あたしご飯終わったから交代しようか?」 そう声をかけたわけだが、 「けっこうです」 と、ニベもない返事。まったく……。 だからと言って、ふたりでいるのにしゃべらないのも気詰まりで、あたしは五十嵐先生の話をした。対するリンさんの返答はそっけない。おつきあいみたいにうなずくだけで、ホウでもハァでもない。 「……ときに、リンさんって中国の人だったのね」 苦しまぎれにそう言うと、リンさんはあたしをマジマジと見た。 「……それが?」 それが……って言われても困るんですけど。 「なんか、すごいな、と思って。もっと早く言ってくれればよかったのにー」 リンさんはあたしをひどく冷たい眼で見た。 「なぜですか?」 「なぜって……そんな深い意味があって言ったわけでは」 ないのよ。ちょっと言ってみただけで。 「……ホントに無愛想《ぶあいそ》なんだからなぁ……」 「私は日本人は嫌《きら》いです」 いきなりキッパリ言われて、あたしはビックリしてしまった。キョトンとリンさんを見てしまう。 「……なんで?」 どーしてそんな、ひとくくりに嫌いなんて言ってしまうわけ? 「日本人が昔、中国で何をしたか知らないのですか?」 うう。そりゃ、昔、日本人はいろいろとひどいことをしたんだけどさ。でもって大人《おとな》はいまだにあやまりもせず、そらっとぼけようとしてるけどさ。 リンさんは無表情のまま。 「私は日本人が嫌いだし、日本人に囲まれて生活するのも不愉快《ふゆかい》です」 ……そこまで言う? 「リンさんの言い分はわかるし、もっともだと思うけど、でも、昔のことでしょ?」 「そういう言われ方はいっそう不愉快ですね」 ううう。確かに日本が悪いのよ。いわば、勝手に人の家に入りこんで、住んでる人に無体なことをしたんだから。たとえるなら、居直り強盗みたいなもんで。――それでも。 「でも、中国だって元寇《げんこう》とかやったでしょ? ヨーロッパだって、侵略したとかされたとか、そんな歴史ばっかなわけだし」 「だから日本のしたことが許されるんですか?」 「そんなこと言ってないっ! 悪いことは悪いのよっ。日本が中国に侵略したのはいけないことなのっ。でも、そうやって昔の恨《うら》みを覚えてるなら、日本にだって恨む権利はあるし、世界じゅう恨みだらけで、全部の国が永遠に憎《にく》み合っていかなきゃならないでしょ?」 リンさんは無言だ。 「そういうのって、不毛だと思うわけ。事実は事実でいいの。日本は悪いことをした、って事実があって、それを覚えているのは必要なことだと思うよ。でも、だから嫌いだとか恨むとか、そういうふうに言ってたら永遠に仲よくなれないでしょ? ずっと憎み合っていかないといけないじゃない」 ああっ、ちっともうまく言えない。 「リンさんがあたしを嫌いで、だから嫌いって言うのは仕方ないよ。でも、日本人だから嫌いって言い方は納得《なっとく》できない。リンさんのお父さんかお母さんが殺されたの? そうじゃないでしょ? そのくらい昔のことだと思うの。そんな昔のことにこだわって、たくさんの人間をひとくくりに嫌いなんて言うのは、馬鹿馬鹿《ばかばか》しいことだよ。日本人のあたしがこういうこと言うの、すごくはきちがえてるってわかってる。それでも、あたしとリンさんの個人同士の問題として、あたしを嫌うなら、あたし自身の問題で嫌ってほしいよ。日本人だとか、女だとか、孤児だとか、そういう、あたしにもどうしようもなかったことで嫌ってほしくないのっ」 うう、こういうのって悲しいよぉ。でもあたしには、どーして戦争なんかしたんだ、ご先祖さんの馬鹿ーっ、としか言いようがないんだもん。 突然、リンさんが声をあげて笑った。 ……へっっ!? 「……あのぉ……」 「同じことを言うんですね」 「はぁ?」 「昔、同じことを私に言った人がいるんです。それを思い出しました」 わぁ、リンさんの笑った顔って見たの、初めてだなぁ。 「それって、ナル?」 「まさか。ナルに言ったら、一言でしたよ。『けっこう馬鹿だな』って」 ナルなら、さもありなん。 「まどかに言ったら、泣かれて困りました」 ……ああ、なんとなくわかるなぁ。 「――そうですね、私はあなたが嫌いではありません。べつに、日本人の全部が嫌いなわけでもありません。ただ、生理的な反発というものは、なかなか消えないものです」 「……うん」 「国同士の問題を個人の間に持ちこむのは、馬鹿げたことだと私も思います。おとなげないもの言いをしたとも思います。それでもどうにもならない問題があるのだということを、あなたは学ぶべきです」 「……よく考えてみる」 リンさんは軽く微笑《わら》った。 「無礼な発言をしました。申しわけありません」 「……ううん。こっちこそ、ごめんね」 なんに謝《あやま》ってるのか、自分でもよくわかんないけど。 世の中には難しい問題がいっぱいある。そういうことだなぁ。
4
全員が食事を済ませたあと、あたしたちはベースでミーティングをした。リンさんが今日計測したデータをまとめて平面図を出す。建物の外周はほぼ合った。だけど。 「まだ空白があるな」 ナルは画面の青い空白を指さす。大・小あわせて十八か所。小さいものは畳一枚ていど、大きいものは数部屋ぶん。 「小さいものはともかく、この大きいやつが気になるな」 その大きな空白は家の中心部にあった。凹凸したL字形で、はっきりした大きさはわからないけど、まわりの部屋と対比すると明らかに数部屋ぶんはあるように見える。 ナルは二階部分の平面図を手に取って見比べる。 「二階は正確な測量がまだだから、なんとも言えないが……どうやら二階にもこの部分があるようだな」 あたしは今日測量に使った平面図をひっぱり出した。たしかに、二階にも同じくらいの位置に大きな空白がある。一階の部分に比べると、半分ていどの大きさだったけど。ふと思いついて三階の平面図と見比べてみる。三階は建物の一部にしかない。ちょうど空白の上にあたる部分にかかっていて、空白は三階にまでとどいていないことがわかった。 「……隠し部屋じゃねぇのか? じゃないと大きすぎるぜ」 ぼーさんが言う。 たしかに、その空白は増築のつごうでできてしまったと考えるには、あまりに大きすぎた。問題はどこから入るのか……。 「三階があやしかないか? 二階にも入り口があったことだし、上から入る可能性はあると思うぜ」 安原《やすはら》さんは、 「でも、この空白のまわりって妙に変な部屋が多くて、他の場所以上に入り組んでませんか? むしろまわりのほうが怪《あや》しいと思うけどな」 そんなことを言いながら、ああでもないこうでもないと図面を見比べている時だった。 コツン。 思わずメンバーの大多数が腰を浮かせた。あわてて音の出所を探すと、庭に面した窓だった。窓ガラスに人の顔が映っていて、思わずビビってしまう。窓の外に人がいて、その人がガラスを叩いているんだとわかるまでは、けっこう怖《こわ》かった。 ナルが立ち上がる。 「まどか」 げげ。森さんかぁ。 窓を開けると、そこから森さんが部屋に入ってくる。けっこう元気な人だなぁ。 「どうしたんだ?」 「うん。調査結果を知らせようと思って。寒かった……」 「どうやって来たんだ?」 「近くまでレンタカーで。そっから歩いて来たの。外寒いわよ」 だろうな。標高高いから。 ナルの差し出した上着を着こんで、森さんはイスに座る。寒そうに手をこすり合わせるのが、リスかなんかみたいでかわいらしい。 「……そんな危険なことを。なにかあったらどうするんだ?」 「あら、ナルが助けに来てくれるでしょ?」 うーむ。あいかわらず、この人は強いな。 「……で?」 苦々《にがにが》しい表情のナル。森さんはセーターの下から大きなノートを取り出した。 「ええと、まず今朝《けさ》電話があった鈴木さんのことね」 ほう、連絡していたのか。 「この下の道路ってバスが時々通るだけなのね。それで、バス会社とタクシー会社に問い合わせてみたわけ。この家を出たんだったら、どっちかを使ったと思うのね。ヒッチ・ハイクって手もないではないけど」 そう言いながらノートを開く。 「問い合わせた結果、そういう人物を乗せたり、見かけた運転手はいないみたい。やっぱり、この家から出てないんじゃないかな」 ……ふむふむ。 「この件についてわかるのはそこまでね。 それから、この家で消えたふたりの人間についてだけど」 ……ほぉぉ。調べてもらっていたのか。 「最初に消えたのが松沼英樹《まつぬまひでき》、十八歳、無職。二月十三日のことね。彼は友人七名、計八名と夜ここに来て消息を絶《た》ったの。彼らはよくここに来ていたんだけど、夜に来たのはこの日が始めて。肝試《きもだめ》しのつもりで家を探検して、部屋のひとつで宴会をしていると、まるでトイレにでも行くような感じで部屋を出ていって、それきり戻らなかったんですって」 森さんはノートをめくっていく。 「失踪届が出されたのがその一週間後ね。事情を聞いた警察が付近の若い者を集めてここへ捜索に来たの。手分けをして家の周囲と中を捜したんだけど、松沼君は見つからず、それどころか、帰ろうとして人数を数えるとひとり足《た》りない。消えたのは吉川雅也《よしかわまさや》、二十一歳、農業。あわてて、家の中を捜索したんだけど見つからなくて、おまけに家の廊下《ろうか》を人魂《ひとだま》が通るのを数人が見たと騒ぎ出したんで、捜索を諦《あきら》めて帰ったの」 そう言って、森さんはポケットからマイクロ・カセットをいくつか出して、テーブルの上にパラパラ落とした。 「これが証言の録音ね。もっとも、ほとんど手がかりにはならないみたい」 「……なるほど」 「それから――」 と、森さんは両肘《ひじ》をついてノートを見つめる。 「持ち主について。この家を建《た》てたのは美山鉦幸《みやまかねゆき》。美山家は代々諏訪《すわ》の富豪ね。鉦幸は長男、十六で家をついで美山家の当主になったの。その頃の収入はほとんどは小作料。ここはもともと美山家の山荘があった場所らしいわ。十八の時ヨーロッパに外遊に行って、戻ってきたのが二十のとき。帰ってきてすぐ、ここにあった山荘に洋風のコテージを建てたようなの。一八七七年のことね」 森さんはページをめくる。 「それ以来、一九一〇年に腎臓《じんぞう》を患《わずら》って亡くなるまで、ここに住んでいたようよ。どちらかというと人づきあいは苦手《にがて》で、何度か外遊に出た他はここにこもりきりだったとか。市内の邸宅には妻子を住ませて自分はほとんど戻らなかったし、慈善事業には手を尽くしていたけど、だからと言って社交家ではなかったみたい」 これはけっこう意外なことだった。あたしはなんとなく鉦幸氏というのは、人あたりのいい好人物だと思っていたん。うんとシャイな人だったのかしらん? 「女史」 一息ついた森さんに、ぼーさんが声をかけた。 「女史はやめてよぉ。わたし、そんなに堅《かた》くありません」 「ではお嬢さん」 「はぁい(ハート)」 「美山氏は『美山慈善病院』ってのを持ってなかったか?」 森さんはノートをめくってメモを探す。 「あるわ。美山慈善病院。市街地のはずれにあった、けっこう大きな病院ね」 「そこに、付属の保護施設は?」 森さんはちょっと眼を丸くした。 「あります。よくご存じね。患者の家族や入院するほどでない療養者、病気は完治《かんち》したものの日常生活に不自由がある者、そういう人たちを収容したかなり大きな施設よ」 そう言って、ちょっと難しい顔をした。 「相当数の介助者がいてね。すごくサービスのいいところだったみたい。施設に入るのは無料でね。食費も無料。収入がない人には生活必需品の支給まであったらしいの。その施設にいれば、衣食住の心配はいらないってわけね」 おお、なんと親切な。 「働ける人は病院の掃除や、敷地内の整備なんかを手伝ってたらしいわ。美山氏が財産の大半をなくしたのは恐慌のせいなんだけど、それ以前にも、これで相当の額の財産を食いつぶしていたみたいね」 あのコートはそこにいた人のものだったんだ。おそらく、支給されたコート。だけど、そのコートがなんであんなところに? そして、文字が書かれた紙幣。支給されたコートを着ていたくらいなんだもの、けっして豊かな人ではなかったはず。なのにお札に文字を書いていたのはなぜなんだろう? 「他にも養老院や孤児院、結核《けっかく》療養患者のサナトリウムなんかがあったようよ。結局、明治四十一年あたりから次々に事業を手放して、鉦幸が死ぬ頃には農地と山林以外はほとんど残らなかったんですって」 ふうむ、あるとすれば慈善貧乏《びんぼう》というやつだろうな。なんと奇特な。 「この鉦幸氏の長男が宏幸《ひろゆき》。宏幸のほうは奇妙な改築をのぞけば、わりに普通の経歴の持ち主ね。詳《くわ》しい経歴がわかったんで、鉦幸の経歴と一緒にここにおいとく」 森さんはノートの間にはさんだメモをナルにさしだした。 「明日はこの親子のひととなりについて、もう少し掘り下げてみたいと思います」 そう学校の先生みたいな口調で言うと、ナルが明らかに不快そうな顔をした。 「まどか、ここは危険だ。電話でいいから、近づくんじゃない」 森さんは首をかしげる。 「だって、直接会ったほうがいいじゃない?」 「とにかく、ここには来るんじゃない」 厳しい口調で言われて、森さんはうなずいた。 「はい、はい」 なんだか子供をあやすみたいな口調だった。
かえる森さんをリンが車で送っていった。奇妙な慈善家について話をしているうちにリンさんが窓から帰ってきて、あたしたちはさらに細かい打ち合わせをした。ミーティングが終わって部屋に引き上げたのは十一時。――そしてその夜、厚木秀雄《あつぎひでお》さんが消えた。
5
突然叩き起こされて、時計を見るとまだ夜中の三時半だった。 「厚木君を知りませんか」 聖《ひじり》さんの顔は強《こわ》ばっていた。 「……厚木さんって」 誰だったろう。 「うちの助手です。霊媒の」 あたしは首を傾《かし》げながら綾子《あやこ》と真砂子《まさこ》を振り返った。ふたりはベッドの上に身を起こしたまま首を傾げる。 「除霊をしていて、ちょっと眼を離したスキにいなくなったんです。見かけていませんか。姿が見えなくなってもう二時間になるんです」 二時間も。 「ちょっと待ってください」 あたしはパジャマの上にカーディガンを羽織《はお》って、部屋を飛び出した。 「ベースに行きましょう」
聖さんを連《つ》れてペースへ行く。ベースにはナルとリンさんがすでに起きて集まっていた。 「ナル……厚木さんが」 「聞いてた。今、ビデオを再生してる」 この時間ならまだ暗視カメラは動いている。カメラのどれかが厚木さんの姿を捕らえてるかもしれない。 「ナル。ありました」 モニターは四号カメラのものだった。あたしはテーブルの上に山積みになったメモの中から、平面図の写しを引っ張り出す。四号カメラの位置を確認した。 「場所は?」 「屋敷の西、中央の方」 「位置なら言われなくても知ってるが」 うるさいわねっ。この非常時にっ。 「近くに空白もないし、変な部屋が連続してるわけでもないよ。図面で見るかぎり、怪《あや》しげな場所じゃないみたい」 四号のモニターに、廊下《ろうか》を遠ざかる厚木さんの姿が映っていた。カメラの置かれた廊下を東へ。そして突き当たりの廊下を北へ。 「あの廊下は行き止まりだよ。枝道はないから」 「よし、行ってみよう。リン、来い。麻衣《まい》はここに残れ。じきにぼーさんたちが来る」 「あいあいさー」
ほとんどナルと入れ違いに、ぼーさんとジョン、安原《やすはら》が起きてきた。 「ナル坊は」 「厚木さんを捜しに行った」 「よし。俺たちも行こう、ジョン」 ジョンに声をかけてぼーさんも出ていく。 「少年、麻衣を頼む」 「鋭意努力します」 「努力だけか?」 「谷山《たにやま》さんが暴走しはじめたら止められる人、いませんからね」 ……なんだと? まったくだ、と笑ってぼーさんは出ていく。それに軽く笑い返した安原所長代理の顔をあたしはねめつけた。 「だれが、暴走するって? だーれが王蟲《オーム》だって?」 「おや、だれかそんなこと言いました?」 「ほう。だれが言ったか、教えてあげようか?」 あたしは思わず拳《こぶし》を振り上げちゃったね。 「いやー、谷山さんって思慮《しりょ》深くておとなしくて、優しくて好きだなー」 「イヤミか。イヤミだな」 「だから、ね? 嘘《うそ》を言われるのっていやでしょう?」 「うん、まあね……ちがーうっ!」 思わず本気で殴《なぐ》ってやろかと思ったとき、綾子と真砂子が起きてきて、四人でじりじりしていると七時前、ナルたちが戻ってきた。厚木さんは見つからなかったと言う。あの廊下は袋小路なのに。 朝食の後ミーティングをして、今度は全員で袋小路を中心に隠《かく》し通路の捜索にあたる。どこかに抜け道があるはずだ。そうでなければ厚木さんが消えた理由がわからない。壁を叩いて、家具がある部屋は全部押しのけて。それでも抜け道は見つからなかった。 昼には申し合わせたように霊能者の全員が食堂に集まった。二十マイナス二名。全員がひどく疲れた顔をしていた。 「まったく、どうなってるんだ、この家は」 井村さんが吐《は》き捨てるように言う。 五十嵐《いがらし》先生は南さんのほうを見やった。 「デイビス博士になんとかしていただくわけにはまいりませんの?」 聖さんがハッと顔を上げる。 「そうだ……博士なら」 南さんは露骨に不快そうな顔をした。 「博士の透視は範囲がかぎられるんです。さっき聞いてみたかぎりでは何も感じないとのことでしてな」 「では、他の方を呼んでください」 五十嵐先生が強く言った。 「他にもお友達がいらっしゃるんでしょう? 誰か助けになる方を呼んでくださればいいじゃないですか」 「そういうことを急に言われましてもね。みんな外国に住んでいるんですから」 「緊急事態ですよ。あなただったらなんとかできるのではございませんの? それとも最初の日に、ゲラーやタウナスの協力を仰《あお》げると言ったのは口からでまかせですか?」 先生の追及は手厳しい。南さんはムッとしたようだ。 「よろしい。とりあえずアポだけは取ってみましょう。でも、全員忙しい方ばかりですからな、あてにしていただいても困りますよ」 「逃げ口上《こうじょう》か?」 言ったのは井村さんだ。 「なんですと?」 「そう言って逃げるつもりなんだろう。呼んだなんて言っても来やしないんだ。呼べるはずがないからな。そもそも知り合いなんかじゃないんだろう?」 「侮辱《ぶじょく》ですな」 じゃあ、と言って聖《ひじり》さんが立ち上がった。 「アポを取ってくださいよ、南さん。電話番号を教えてくだされば、私が電話をしてもいいですよ?」 そう言ってからニッと笑う。 「それがいい。私が電話します。電話番号を教えてください。失踪したのはうちの霊媒ですからな、私からお願いするのが礼儀ってものでしょう」 「他人に電話番号ほ教えるわけにはまいりません」 「では、あなたが電話をかけて、私に代わってください。私から一言お願いをするのがスジですから」 南さんはすごい形相《ぎょうそう》で立ち上がった。 「侮辱《ぶじょく》ですな。極めて侮辱です。お疑いになるのなら、けっこう。私としても忙しい友人たちをわずらわせる気にはなれませんし。私自身は、この事件は独力で解決できると思っておりますのでね」 横で困ったように周囲を見まわしていた博士を促《うなが》す。 「行きましょう。私だけならともかく、博士まで侮辱なさるとは。まったく、不愉快極まりない」 そう捨てぜりふを残して、南さんは食堂を出ていった。その後を助手の三人と博士がついていく。 あとには疑惑が残った。南さんに対する強い疑惑。 あの人を信用していいものだろうか?
6
気まずい食事のあと、霊能者たちは厚木《あつぎ》さんの捜索をしつつ除霊をするのだと言って邸内に散っていった。あたしたちはベースに引き上げて。 ぼーさんは頭をかかえた。 「袋小路に入ったのはこっちだよ。どこをどう捜せばいいんだ?」 万策尽きたとはこのことだ。家の中にいるはずなのに、捜す場所がない。 全員で肩を落として考えこんだとき、リンさんが声をかけた。 「ナル」 リンさんは計測したデータを元に、コンピュータで建物の立面図を作っていた。 「どうした?」 「これを見てください」 建物の西側の立面図がモニターに描かれていた。壁の石は白く、窓枠《まどわく》や窓ガラス、よろい戸なんかは青い線で描かれている。リンさんはモニターの脇に一枚のポラロイド写真を並べてかかげた。同じ角度に建物が映っている。細部はともかく、まったく同じものに見えた。 「この部分です」 リンさんは北側に見えてるわずかに張り出した棟を示す。 「あ!」 ぼーさんが声をあげて駆け寄った。 「……高いな」 ナルが静かに言う。 たしかに、写真と立面図は同じものに見えた。――ただし、北側に飛び出した棟の屋根の高さをのぞいては。 写真ではその部分の屋根は、周りの屋根より少しだけ高くなってる。なのに、コンピュータが描いた図面では、屋根の高さはむしろ低い。 「計測ミスか……それとも」 ナルに続けてぼーさんが、 「隠《かく》し部屋!」 「ありうる」 だけど、と安原《やすはら》さんが口をはさんだ。 「そこの部分、確かに屋根裏部屋まで調べましたよ。ホラ、屋根裏部屋の窓の外に狭《せま》いバルコニーがついてるでしょう? 平面図を作ったとき、このバルコニーに足をかけて屋根の上が見えないか、試してみたじゃないですか」 「そういえば、あったな、そんなことが」 そうそう。でもって、その不幸な役を仰《おお》せつかったジョンが、おっこちかけたのよね。 「では、下だ」 ナルがつぶやく。リンさんに平面図を出すように命じた。 モニターの画面が切り替わって、一階の平面図が現れる。問題の部分を拡大した。ナルはそれをじっとながめて、 「北棟のあたりは大きな袋小路になっている。ここと、ここ……合計八か所階段があるな。行き止まりにたどりつくまでに上がりが四か所、下りが四か所。この階段に化《ば》かされたんだ。よく数えてみろ。上がりの階段のほうが段数が多い」 よくよく図面を見ると、確かに上がりの階段のほうが段数が多い。 「おそらくこの部分は三階建てではなく、四階建てなんだ。一階を歩いているつもりで、いつの間にか二階を歩かされている。一階のさらに下に部屋があるんだ」 ひええ。 あたしたちは大あわてで北棟に駆けつけ、そこにある階段の段数と段の高さを正確にはかりなおしてみた。 その結果は。 上がり二十六段、下り十八段。しかも普通の階段に較べ、上がりの階段は一段あたり二センチ高く、下りの階段は二センチ低かった。 つまり、北棟に向かう途中通る八つの階段を上がり下りする間に、あたしたちは約四・五メートルを上がり、二メートルちょっとを下りていたわけ。その差、約二メートルとちょっと。建物じたいが地面から位置メールほど上がったところにあるから、地面から約三メートル程度の空白が北棟の下にあることになるわけ。 「いったい、どうなってるんだ、この家は」 ぼーさんが頭を抱えたのも、無理からぬことと言えよう。
結局、建物全体の階段を計測しなおし、とあいなった。 ウンザリしながらあちこちをはかりなおす。一段ごとに高さが違っている可能性もあるので全部の段をはかったりして。ああ、嫌《いや》になっちゃうぜ。 しかも、はかってみると本当に途中で一段あたりの高さが変わってる階段があったりするからハタ迷惑。 ナルたちは今頃、空白のX階に入る方法を探しているはず。空白のX階、隠し部屋。そして、この家出三人の人間が消えた。なんらかの方法で彼らはそこに閉じこめられているのだとしたら、外に連絡する方法もなくて、ただ助けを待っているのだとしたら。 あたしは眼の前の壁をにらみつけた。 この壁を有無を言わさず破壊していったほうが早いのでは。いまは人の命がかかっているかもしれないんだから。 「麻衣《まい》」 ……ん。 「麻衣っ」 ……なぁに。――はっ! 「はいっ! はいはいっ!」 ぼーさんの呆《あき》れた顔。 「なにをぼーっとしてるんだ。十六・五二センチ」 「ああ、はいはい」 あたしはあわててボードに数値を書きこもうとした。あせるとありがちなことだけど、そのとたんボールペンがすべって手を飛び出してしまった。 「おっと」 ころころころころ。転《ころ》がったボールペンを追いかけてあたしは思わぬジョギングをするはめになった。 「つーかーまーえーたー」 ぜいぜい。やっと拾《ひろ》ったボールペンにガンつけちゃう。 「なにをして遊んでるんだ」 廊下の端からぼーさんが呼ぶ。 「ボールペンに遊ばれたのっ」 あわてて廊下を駆け寄って。 「えーと、何センチだっけ?」 「十六・五二」 「はいはい」 それをボードに書きこもうとして、ふいに安原さんが、 「谷山《たにやま》さん、今、ボールペンを追いかけて行かなかった?」 「そだよ。疲れちゃったよ、もー」 「廊下の端まで?」 「……ご覧になったとおり」 安原さんは廊下をながめ渡した。 「ということは、ひょっとしてこの廊下の床、傾斜してるんじゃない?」 「あ」 ぼーさんとジョンと、仲よく三人でハモっちゃった。 あたしは廊下を振り返る。廊下の長さ、約二〇メートル。この廊下が歩いても感じない程度の坂になっていたとしたら。 「水準測定器があったよな」 と、ぼーさん。 「あった、思います」 と、ジョン。 ベースに駆け戻って、居残りのリンさんに事情を話して水準測定器をもらって。夕暮れせまる家の中を問題の廊下に駆けつけた。 そして計測。 あたしのボールペンを転がした廊下は、なんと五度近い傾斜の坂道になっていた。安原さんの弁によれば、五度の傾斜が二〇メートル続いていれば、それで二メートル程度の高さをかせげると言う。 建物の廊下が全部傾斜していたら? そんな建物を想像することは不可能だったけど、これだけは想像できる。あたしたちは明日、建物じゅうの床に水準測定器を置いてみるわけだ。
7
とりあえず、日没ギリギリまで階段の計測を行った。一段一段丁寧《ていねい》にはかって、ちゃんと表に結果を書きこんで。そしてその過程で、ジョンがそれを見つけたのだった。 それは建物の中央部に近い場所にある、短い階段の途中だった。グネグネと廊下《ろうか》が続いた後にある十段ほどの階段。その階段を昇った正面には部屋がひとつ。そこから廊下はちょっと細くなって左右に分かれている、そんな場所。廊下の幅はわりに広くて、両側の壁《かべ》は白い漆喰《しっくい》。あたしの足の付け根のあたりから胸のあたりまで、十センチ程度のでっぱりが続いていて、そこに綺麗《きれい》な唐草《からくさ》模様のレリーフが施《ほどこ》してあった。その飾りの下。 「ドアがあります」 階段の高さをはかるためにうずくまったジョンが言った。見ると、ジョンがしゃがみこんでいるそのすぐ脇の壁、レリーフの下にドアが半分のぞいていた。 ドアの色は漆喰と同じ白で、レリーフのでっぱりが邪魔になって今まで気づかずにいたんだ。 ドアは階段で半分隠《かく》されていた。それでも、高い位置に小さなドアノブが見える。ジョンがそれをつかんで廻《まわ》した。ドアは内側に向かって難なく開いた。 ハンド・ライトの明かりが、暗い部屋に差しこむ。 そこは三畳程度のごく狭い部屋だった。床にはホコリが堆積《たいせき》し、家具らしいものはなにもない。窓がひとつあったけど光は見えないので、塞《ふさ》がれているのは明らかだった。 ジョンが仲に飛び降りる。ホコリが舞い上がって、軽くセキこんだ。 「なんかあるか……?」 ぼーさんが声をかけたけど、最初にライトで照らしてざっと見たとおり、そこにはホコリより他に何もなかった。いや、 「壁に額がかかってます」 ジョンが示した大きな額をのぞいては。 「それ以外ないか?」 「おまへんです」 ジョンが額をはずして部屋の外に差し出した。あたしそのホコリだらけの額を受け取る。次いでぼーさんと安原《やすはら》さんとで、ジョンを部屋から引っ張り上げた。 あたしはその場で額のホコリを払った。どうやら人物画らしかった。 さらに丁寧にホコリを落とすと、筆使いが凹凸になって残った油絵が現れた。ひとりの男性が描かれていた。痩《や》せた鋭利な顔の、四十くらいの男の人。きちんと髪をなでつけて、黒い着物に同じく黒い羽織を着ている。 「サインがあるな」 ぼーさんが画面の右下角を示す。そこには黄色くのたくった線が書いてあった。線というより線でできた模様だった。なんと書いてあるのかは、読めない。 「……こりゃ、花押だぞ」 「花押?」 「ああ、日本式のサイン。漢字なんかをデザイン的に崩《くず》したやつなんだが……。さすがに読めねぇな、こりゃ」 ぼーさんは額をはずしにかかった。裏返してみる。 「なんか描いてある」 カンバスの縦の枠木に黒くなにかの文字が書いてあった。 『明治参拾弐年 参月 自書像 浦戸《うらど》』 きちょうめんな楷書《かいしょ》の毛筆で、そうあった。 「明治三十二年 三月、自画像、浦戸、か」 ぼーさんは表のサインをしげしげ見る。 「なるほどこいつぁ、『浦』と書いてあるらしいな」 その花押は「浦」の文字をデザインしているのだ、と言う。 安原さんが首をひねった。 「変わってますね。普通サインっていうと、名前のほうじゃありません? 『俊樹』とか。これ、名字でしょ?」 「そうだな……」 浦戸さんの自画像かぁ。しかし、浦戸さんって誰なんだろう? 同じことを安原さんも考えたのか、 「自画像を飾るくらいなんだから、この浦戸って人、美山《みやま》氏と親しかったんでしょうね」 「それか、よほど有名な画家だったか」 んー、でも浦戸なんて聞いたことないなぁ。 「これは大橋市に聞いたほうがよさそうだな」 そう言って、ぼーさんは絵を額に戻す。それからジョンの肩を叩いた。 「さ、ジョン。この部屋の計測しようか」 ……お疲れさん。 ふたりは狭《せま》い部屋にメジャーを抱えてもぐりこんで、床の大きさと方向。そして傾斜、階段から床がどれらい下がっているのかを計測しはじめた。 あたしはその間、もう一度絵をながめた。「浦戸」氏はなんだか冷たい人物のように見えた。そげた頬《ほお》、落ちくぼんだ眼、真一文字に結ばれた口、細い鼻筋、そんなものがそう思わせるのかもしれない。 ベースに戻ると、すでに陽は落ちてて、ナルにえらくどやされた。日暮れまでに戻れと言っただろう、と言って。なんだよー、あたしたちは一生懸命《いっしょうけんめい》働いていたのにー。本当にやかましいんだから。 こっそり綾子《あやこ》に聞いたら、X階への入り口は見つからなかったらしい。さてはそれで機嫌《きげん》が悪いな。まったくもー、わがままなんだから。 それでもまたまたジョンが見つけてしまった隠し部屋の話をして、問題の額を見せるとナルの態度がいささか変化する。 「明治三十二年、三月、自画像、浦戸」 口の中でくりかえす。 「サイン……浦」 ハッとナルは顔をあげた。テーブルの上を探って、封筒をひっぱり出す。中から紙幣を取り出した。 「どしたの?」 「『浦』だ」 ナルは紙幣を電灯に透《す》かした。 ……あ。たしか紙幣に書かれた文字の中に『浦』という文字があったような。 ナルはあたしに紙幣をさしだした。あたしはそれを電灯に透かしてみる。ぼーさんが頭を寄せてきた。 シミ同士が重なった間にペンかなにかで書いた文字。真ん中のあたりに『浦』という字が見える。その隣によくよく見ると……。 「『戸』じゃねぇのか、横」 「ホントだ。これ、『戸』だよ」 ……浦戸。 なるほど、とぼーさんはテーブルの上から封筒を取り上げた。そこには昨日読めた文字が書いてある。 『よ げ く 聞 た さ に 浦 る 居 死 皆 は 来 処』 ぼーさんが、その文字の『浦』のとなりに『戸』と書きこんだ。 『よ げ く 聞 た さ に 浦 る 居 死 皆 は 来 処』 「なんて書いてあるんだろうな……。『聞 た さ に』……これは『聞たさに』か? 『浦戸』『死』『皆 は 来 処』……『皆は来た処』……?」 「なにがなにやら」 「だな」 あたしとぼーさんはため息をついた。 「なんか手がかりが見つかると思ったんだけどなぁ」 そのとき、安原さんが、 「ちょっと、待ってください。これ、ちがいますよ。『戸』は左です」 「へ?」 安原さんは封筒を引き寄せ、ぼーさんの文字を消して、 『よ げ く 聞 た さ に 戸浦 る 居 死 皆 は 来 処』 そう書き直した。 「戸浦ぁ?」 だれもが首をかしげている。 「わかった!」 安原さんは指を鳴らした。 「これは、右から左に読むんですよ」 ……え? ぼーさんも、 「そうか。書かれた時代から考えて、そのほうが自然なんだ」 安原さんがメモ用紙に、文字を書き直す。 『処 来 は 皆 死 居 る 浦戸 に さ た 聞 く げ よ』 何度も紙幣を透かして見ながら、 「これとこれはつながってる……この間には一文字ある……」 つぶやきながら、さらにその下にもう一度清書を始めた。 『・処・来・・は皆死・・居る 浦戸に・さ・た・・聞く ・げよ』 「どうです?」 安原さんがさしだした紙が全員の間にまわった。 うう、これでもなにがなにやらわからないよぉ。 「最初の一文は読めそうなんだけどなぁ」 安原さんがぼやくと、ぼーさんがかたい声を出した。 「読めると思う」 え? 「『此処に来た ……は皆死んで居る』じゃないのか?」 「あ!」 「ここに来た者は、かもしれん。ここの間が二文字か三文字か、よくわからねぇけどさ」 ここに来た者はみな死んでいる……。 「じゃ、最後の一文は簡単よね」 綾子が苦々《にがにが》しげに言った。 「これはだれかにあてたメッセージなんだわ。『ここに来た者はみな死んでいる。……逃げよ』……」
8
警告。メッセージ。だれがだれにあてた? 少なくともあのコートの持ち主が、だれかにあてたものにはちがいない。反対に、受け取ったものかもしれないけれど。 全員が考えこんだとき、小さな音で窓が叩かれた。 誰もがハッと窓を振り返ると、そこに森さんが立っていた。 「まどか! ……あれほど、危険だから近づくなと」 窓を開けながら、ナルの声は冷たい。 森さんが手をあげた。 「ストップ。とりあえず、中に入れて?」 ナルはめいっぱい不快そうな顔で森さんを引き上げる。トン、と中に入って来た森さんは、こんばんは、なんか言って笑った。 「まどか。来るなと言ったはずだ」 「あら、もちろん危険はないから来たのよ。わたし、ナルほどお馬鹿《ばか》じゃありません」 ……お馬鹿。ナルに向かって。勇気あるなぁ。 イスに座った森さんは、コンビニの袋の中から缶コーヒーを引っ張り出して、あたしたちに配《くば》ってくれた。 「……それで?」 ナルが冷えきった眼で見おろすと、コーヒーのリンク・プルをカリカリやってた森さんは、缶をナルに突きつけた。 「開けて(ハート)」 苦虫《にがむし》をかみつぶしたような顔でナルが缶を開ける。それを森さんに突き返して、 「どうして危険がないんだ?」 森さんは全然悪びれたとろこがない。 「ここ、子供の遊び場なのよ」 「……なんだって?」 「だから、この家の前庭って芝《しば》が生《は》えてて広いでしょ? 子供が遊びに来るらしいのよね」 と、ニッコリ。 「近くの子供が野球やサッカーの練習にちょうどいいって、よく使っていたらしいの。さすがに二月、失踪事件があってからはやめてるみたいだけどね。もちろん、行方不明になった子なんていないの。だから、庭まではそんなに危険じゃないのよ」 そう言ってから森さんは肩をすくめる。 「もっとも子供たちは、家の中には入らないことにしてたみたいだけど。幽霊屋敷だって有名だから。中には面白《おもしろ》がった子たちがちょっと潜《もぐ》りこむなんてことがあったらしいけど、全員家の奥までは行ってないの。せいぜい窓ぎわの部屋を歩きまわって、それで終わりだったみたい」 どうだ、というふうに森さんはナルの顔をのぞきこんだ。 「だから、危険なのはこの家なの。家の外はだいじょうぶなのよ」 「それは昼間の話だろう?」 「あら、ゴースト・ハントに多少の危険はつきものよ。いわくつきの家に泊《と》まりこむほど危険なことはしてないもん」 ……そのとおりです。 「……それで?」 「それで?」 「まさか、僕らの顔を見に来たわけじゃないんだろう?」 「あ、そうそう」 森さんは手を叩いた。セーターの下からノートを引っ張り出して、 「ええと、厚木《あつぎ》さんも、このあたりでは目撃されてないわね。バスもタクシーも使ってない、と」 言いながらページをめくる。 「でもって、美山《みやま》親子のことなんだけど。まず、鉦幸《かねゆき》氏ね」 ナルの冷たい視線なんか、気にしてるようすもない。 「彼はすごく潔癖《けっぺき》な人だったみたいよ。と言うのが、昔製糸工場で不正事件があったらしいのね。職員の誰かが工員の給料をごまかしたとかなんとか。でね、その工員は有無を言わさずクビ。その長男がこれまた工場にいて、これもクビ。三男だかが病院の職員で、これもクビ。おまけに彼らが住んでた家というのが鉦幸氏の持ち家でね、家からも叩き出したって。――そのうえ」 「まだあるのか?」 ぼーさんがアングリした。森さんはコックリうなずいた。 「あるの。娘がお嫁《よめ》にいってて、その夫婦が住んでた家も鉦幸氏の貸家だったのね。この夫婦も追い出して。犯人の親がこれまた鉦幸氏の持ってる土地の小作人で。この親たちも追い出された、と」 「ひでぇ……」 「でしょ? 語り草になってるみたいよ」 そう言って、森さんはさらにページをめくる。 「それから、鉦幸氏は本当に人づきあいが悪かったらしいのね。まったくこの山荘に人を近寄らせなかったらしいの。急用なんかあっても連絡ができなかったらしいのね。鉦幸氏のほうから連絡してくるまで、まったくどうしようもなかったようなの」 おや、どっかの所長みたい。 「でね、この山荘っていうのは、当時から猟師《りょうし》でさえ避《さ》けて通るのが決まりだったんですって。それで、近づく人がいなかったそうなのよ」 ……へぇ? 「女中なんかもいたらしいんだけど、これは諏訪《すわ》ではなく別の地方から雇《やと》って来ていたらしいって。ただ、人を寄せつけないことから、この山荘ではなにか怪《あや》しいことが行われていたんじゃないかと、そう言われていたそうよ」 「怪しいこと?」 ナルに聞かれて森さんはうなずく。 「どういうことかはよくわからないんだけど。――まぁ、鉦幸氏を覚えてる人はほとんどいないんで、そんなものかな。息子の宏幸《ひろゆき》氏もけっこう変わり者で有名だったんですって。なにしろ住みもしない家を延々改築した人ですもんね。その改築について、宏幸氏は気になることを言ってるのよね」 「気になること?」 「うん。彼は人に改築の理由を聞かれて、幽霊が出るから出ないようにするんだ、ってそう言ってたらしいの」 ……幽霊が出るから出ないようにする……。 「わかったことは以上」 パタンとノートを閉じて、森さんは困ったように首を傾ける。 「なにしろ昔の話なんで、覚えてる人のほうが少ないのよ。年代のわりにはこれでもよく調べられたほうじゃないかと、我ながら思うわよ」 ナルは無言。お疲れさん、くらい言ってあげればいいのに。 ぼーさんが口をはさんだ。 「お嬢さん、鉦幸氏の交友関係はわかるかな?」 「ちょっとそこまでは……。ほとんど友人というのはいなかったと聞いたけど」 「おそらく、浦戸という人間がいるはずなんだ」 ぼーさんは部屋の隅に立てかけておいた額を持ち上げた。 「この絵の人物。裏にある制作年かん考えて、鉦幸氏の知人だと……」 言葉は最後までいえなかった。森さんはその絵を見てあっさりと、 「あら、それが鉦幸氏よ」 そう言った。
「鉦幸のペンネームが浦戸だったのか」 ぼーんさは、森さんが残していった写真のコピーをしげしげとながめた。 『美山製糸工場』と書かれた看板を門柱にかかげた、工場の前に立つ人物の写真だった。どこからどう見ても、自画像のモデルは鉦幸氏に間違いない。 「慈善家だったけど、変人だったんだな、このおっさんは」 「だよねぇ」 ナルはちょっと厳しい顔をする。 「変人ですまされるかな。『ここに来た者はみな死んでいる』か。ここ、というのは当然この山荘なんだろう。ここでなにがあったのか……。『浦戸・・さ・た・・聞く』――これらの意味がわかればな」 なんだかその声の調子が、妙に不安な気分にさせた。 「ひとつだけわかることがありますわ」 真砂子《まさこ》が言った。 「なに……?」 あたしが聞くと、 「あら、もうお忘れになりましたのは? 降霊会で霊が言った言葉ですわ」 ……あ。 「『助けて』『死にたくない』――きっとあれはここに来て死んだ人たちの霊なんですわ」 真砂子の言葉はさらにあたしを不安な気分にさせた。 不安を抱いたまま、その夜は部屋に引き上げて。 ――そしてあたしは夢を見た。
9
自分でもなんで眼が覚めたのかわからなかった。 夜中にふと眼を覚《さ》まして、おや、と思うといきなり手足が硬直して動かない。ナルに言わせるとある種の金縛《かなしば》りは心霊現象ではなく生理的な現象なんだって。頭は起きてるけど身体《からだ》が起きてない。身体の神経と脳の神経がうまくつながってない、そういう状態。身体がうんと疲れててそのくせ精神が興奮してるような、そういう時に起こる。 それであたしは金縛りだぁ、と思ってもひどく落ち着いていた。さりげなくあたりを見まわして、綾子《あやこ》と真砂子《まさこ》が寝てるのを確認する。確認して、これはヤバい、と思った。あたまが動く。寝ぼけて起こった金縛りは、まるで身体が動かないのがふつうだから。 急速に背中が冷えた。綾子と真砂子を呼ぼうとした。むろん、声は出ない。せめてかすれた悲鳴だけでも、そう思ったけど息でさえうまくできない。どっと冷や汗が出て、頭がグラグラする。心の中で落ち着け、落ち着けと言い聞かせて、あたしは真言《しんごん》を唱《とな》えた。 ナウマクサンマンダバザラダンカン、ナウマクサンマンダバザラダンカン……。 突然ふっと身体が軽くなって。やれやれと力を抜いたとたんに、微《かす》かな音をたててドアが開いた。 まだ身体は思うように動かない。頭だけを動かしてドアのほうを見ると、黒い人影が部屋に入ってくるのが見えた。 とっさにちょっとホッとした。それはまちがいなく人間のシルエットに見えたから。人影はふたつ。そのふたりは静かにあたしのほうへ近づいてくる。 だれ。そう言おうとして、あたしは寝る前ドアに鍵《かぎ》をかけたのを思い出した。ナルが用心しろとくどいほど言うので、しっかり鍵をかけたはず。 ……どうしてドアが開いたの? 人影があたしの両脇に立った。暗がりの中、微《かす》かに顔が見える。男。ふたりとも全く知らない人間に見えた。とっさに浮かんだのは強盗か痴漢《ちかん》だろうかという思考で。必死で綾子と真砂子を心の中で呼んでるうちに、その男があたしの腕を取った。 「なにすんのよっ!」 心の中で悲鳴をあげたけど、声はでない。両手を引っ張られてあたしは起き上がった。身体が動く。まったくあたしの思いどおりにはならないけれど。抵抗したのに、できない。指の一本でさえ思うように動かない。なのに自分の身体が相手のなすがままに動く。 あたしは手を引っ張られるまま立ち上がった。男たちに両腕を抱えられて歩く。内心パニックをおこしながら、部屋から引き出されていった。 部屋の外は真っ暗だった。廊下《ろうか》には明かりがついていたはずなのに。その、真っ暗で右も左もわからない廊下を連《つ》れて行かれる。えんえんと歩いて、男の人がドアを開けた。 どこの部屋だかはわからない。それはけっこう広い部屋で、光源は何なのか、わりに明るかった。まるで満月の下のような奇妙な明るさ。部屋の中には家具がきちんとそろっている。いかにも高そうな家具で、たしかにそこに人が住んでる気配があった。正面には暖炉《だんろ》。そこには火が入っている。暖炉の前の小さなテーブルには背の高いグラスが載《の》っている。それでも部屋の中に人影はなかった。 男たちはあたしを引きずって部屋の中を歩く。黙《だま》って右にあるクローゼットに連れて行った。そのクローゼットを開けると、そこは廊下だった。細い暗い廊下がずっと向こうまで続いている。その細さが暗さがなんだかとても気味悪くて、あたしは必死で腕を解《と》こうとしたけど、もちろん、声さえ出ない。 腕を使えまられて歩いて行くと、その廊下はいつの間にか両側を生《い》け垣《がき》にはさまれた細い砂利《じゃり》道に変わっていた。 ざかざか砂利を踏《ふ》みながら、あたしは両側の男を見上げる。明るいのに顔は見えない。いや、確かに顔は見えているんだけど、どんな顔をしているのか理解できない。 ……夢なんだ、これ。 そう、夢でなきゃ、こんなこと起こるはずがない。 あたしは両側の生け垣を見上げた。ずいぶん高い生け垣が、あたしの頭上のはるか上を延々と続いている。 これが夢ならちゃんと情報収集しなきゃ。そんなふうに決心するのって、なんだか妙な気がしたけど。 生け垣を曲《ま》がりくねって歩いていくと、道はいつの間にか細い廊下に戻っていた。微かに血の臭いがした。それだけじゃない。なにかが腐《くさ》った臭いもする。 廊下の突き当たりにはドアがあった。あたしは心の中でしりごみする。そこに入りたくない。なんだか嫌《いや》な臭いがする。そのドアの向こうから漂《ただ》ってくる気がする。 男たちがドアを開けた。そこにも広い部屋があった。 その部屋はホールになっているようだった。ガランとした室内に階段がひとつとドアがいくつか。ムッとするほど強い血の臭いがする。あたしは階段を上らされて、さらに三つほどのドアの前を行き過ぎ、いちばん奥の部屋に連れて行かれた。 その部屋はお風呂か何かのように見えた。白い陶器製のタイルを張った小さな部屋。その板張りの床の上で腕を解かれて、いきなり服を脱《ぬ》がされ始めた。 (やめてよ!) 心の中で叫んで、あたしは自分が着ているものが、いつの間にか着物になっているのに気づいた。紺色の着物。そうか、夢なんだ、これ。 そう思っても、他人に着ているものを脱がされるのはいい気分とは決して言えない。裸《はだか》にされてさらに奥の部屋に連れて行かれた。 その奥は十二畳はあろうかという部屋だった。白いタイル張りなのは小部屋と同じ。部屋の中央、壁よりに同じく白いバスタブがおいてあった。外国映画に出てくるような、床の上に置いたアンティークなバスタブ。 そして、その床の上に流れた赤いもの。 猛烈な血の臭いと激しい腐臭《ふしゅう》で、あたしは胸が詰まった。吐《は》きそうになるのをこらえる。足が生暖《なまあたた》かい流れを踏む。べたべたと粘度《ねんど》が強くて踏むたびに背筋がゾワゾワした。その広い部屋は一面が赤く染まっていた。かろうじてまだ白いタイルの上を踏むと、そこには赤い足跡が残った。よく見ると血溜《ちだ》りの中に白っぽいブヨブヨしたものが散っている。それはごく小さな肉片のように見えた。 (……いやだ) 夢だと思っても、気味が悪くて吐きそうだった。バスタブをのそぎこむと、そこには赤いものが少しだけ溜《た》まっている。赤い滴《しずく》が流れ落ちたあとが、白いすべすべした陶器の表面に縞模様《しまもよう》を描いていた。 (こんな夢、やだ) 男たちはあたしを部屋の置くへ連れて行く。そこには小さなベッドがあった。病院にでもありそうな、白いパイプのベッド。マットがあるはずの部分には白いタイルが張ってあって、パイプもタイルも真っ赤なものでドロドロになっていた。 「……いや」 声が出た。あたしは腕を引っ張られたまましりごみをした。 あんなところには寝たくない。ベッドの真下にある大きなタライは何なの。ベッドの足もとにある深いバケツのような桶《おけ》はなに? どうしてタイルが張ってあるの。どうしてベッドの枠《わく》に紐《ひも》がついてるの。どうしてあんなに汚れてるの!? 男たちが激しい力であたしをベッドの上に引きずり上げようとした。あたしはそれに悲鳴を上げて抵抗する。つかんだ腕を引っかいてかみついて、それでも猛烈な力でタイルの上にひっぱり上げられた。タイルの上に引きずり上げられたとたん、背中にずるっとした官職。生暖かい血の気味悪いなめらかさと、なにかやわらかなかけらを――まるで肉片のようななにかを――押しつぶしたおぞけのするような感覚。 「いやっ!」 逃げようとして身動きをすると、身体じゅうに血がからみつく。全身が血で濡《ぬ》れて、息がつまるほどの悪臭がまとわりついた。 ベッドの向きとは逆に、足もとの方に頭を向けて寝かされた。骨も関節もギシギシいうほどの力で押さえこまれる。 「いやっ! はなしてっ!!」 (夢だ……) 腕を抜けるほど引っ張られて、手首がパイプにくくりつけられる。 (こんなの、夢なんだから) 足がくくりつけられる。 「いや! 助けて!!」 胸の上に太い紐《ひも》が渡されて、上半身を押さえこまれた。がくっと喉《のど》が仰《の》け反《ぞ》ってベッドの外に首を垂《た》らした格好になる。 やだ。こんな姿勢は怖《こわ》い。必死で身動きしても身体が動かない。男たちが離れて行った。ベッドにくくりつけられて、頭を仰け反らせた格好のままあたしはその場に放置される。身体じゅうにからみついた血が、重力にしたがってすべり落ちていくのがわかった。 落ち着いて。これは夢なんだから。これは、絶対に夢なんだから。だって、こんなことあるはずがない。もうじき目が覚める。きっと目が覚めて、ああ夢だったんだ、って思う。 そうは思っても歯の根が合わないほど震《ふる》えた。ぎゅっと閉じてた眼を開けて、あたしはポカンとした。 ――白い光。 その、大きな包丁のようなものはなに? それでなにをするの? あたしをどうしようって言うの? (助けて) 男のひとりがあたしの脇に立ち、もうひとりが顔の脇に立った。顔の側に立った男があたしの髪をつかんだ。グッと下に引っ張ってあたしは首筋が痙攣《けいれん》するほど喉を反らせる。 (いや) もう声が出ない。あたしは自分に言い聞かせる。これは夢だ。だから、だいじょうぶ。これ以上怖いことは起こらない。きっとだいじょうぶ。 眼を閉じることも身動きすることもできなかった。ただガタガタ震《ふる》えながら、ただボンヤリと眼に映るものを見ていた。 (助けて) 白いタイル。赤いものが天井の近くまで飛んでいる。そのシミの形。 ふいに男があたしの髪を放した。男がちょっと身体を引く。 ほら、だいじょうぶ。やっぱり、怖いことなんて起こらないじゃない。だって、これは夢なんだから。 男が屈《かが》みこんで桶の位置を調整する気配がした。手に持った刃物がキラキラと視野を横切る。 あたし、もう目を覚ましたい。こんなところにこれ以上いるのは嫌《いや》だ。 男が見を起こした。 だいじょうぶ、これ以上怖いことは起こらない。こいつは離れて行ってしまう。きっと。 男の腕が伸びて、あたしの髪をつかんだ。首が |