【悪霊とよばないで】 小野不由美
プロローグ
「では……」 ひそめられた低い声。ネイビーブルーの服を着た女が身を乗り出して、ソファーがきしみをあげる。では、と女はもう一度繰《く》り返した。 「調査の内容を報告してください」 「はい。――氏名、渋谷一也《しぶやかずや》。職業、『渋谷サイキック・リサーチ』の所長。本調査員の懸命《けんめい》の努力によって判明したところによりますと、誕生日は九月十九日。現在、満十七歳です」 「『懸命の努力』うんぬんは言わなくてもよろしい。調査員は事実だけを報告しなさい。――十七というと学生のはずですが?」 「学校に行っているようすはありません」 女は足を組む。天井《てんじょう》をあおいで少し考えこんだあと、 「乙女《おとめ》座ね。性格の悪いほうの乙女座だわ」 妙《みょう》にきっぱりと断言した。 「そうですね。私の観察によりますと、血液型はA型かO型だと思われます」 「ありそうね」 女がうなずいたとき、黙《だま》って会話を聞いていた男が急に口をはさんだ。 「Aって聞いたぜ。でも、そういうのはさー、関係ねぇだろ?」 女は男をにらみつける。 「オブザーバーは発言しないように。――調査員、続けてください」 「はい。住所は不明、自宅の電話番号も不明です」 「徹底した秘密主義ね。家族は?」 「不明です。ただ両親がいるのはまちがいないようですね。父親は大学の教授とか」 「出身地は?」 「それも不明です。ただ、東京の地理にあまり詳《くわ》しくありませんので、東京で生まれ育ったのではないようです」 「そう……。事務所の経営状態はどうかしら?」 「よくはわかりませんが……もうかってはいないと思います。仕事の量も多くありませんし、依頼料も多額ではないので」 「仕事をしていないわりには、スタッフは多いわね。助手と……アルバイトがふたり。いったい、それだけのお金がどこから出てるわけ?」 「わかりません。不思議《ふしぎ》ですね。……いわゆる、アレじゃないでしょうか。『あるところにはある』」 おもしろくなさそうに会話を聞いていた男が軽く笑いをもらした。女がふたたび男をにらむ。それから、もう一度身を乗り出した。 「――仕事の量は多くないのね? 彼は毎日なにをしてるの?」 「本を読んだり、地図を眺《なが》めたりしています。現在のように旅行に行くこともあります」 「ああ。今は旅行中だったわね。どこへ行ったの?」 「たしか、東北だとか」 「温泉……なんてことはないわよね」 「そんな。ぜったいに、ありえません」 「それで? 助手のほうは? 本名はわかった?」 「林興除《りんこうじょ》、というのが本名のようですね。出身は香港《ほんこん》。それ以外のプロフィールは不明。住所も不明ですが、渋谷一也とは壁《かべ》を叩《たた》けば聞こえる距離に住んでいるようです」 女は沈黙を作る。やがて、すっとんきょうな声をあげた。 「じゃあ、なに!? 結局、なーんにもわかんない、ってことじゃない!」 「そんなこと言ったって……」 「この甲斐性《かいしょう》なし」 「しょうがないでしょっ! あたしのせいじゃない! みんな……」 あたしは思わず本気で怒鳴《どな》った。 「みんなナルの秘密主義が悪いーっっ!」
東京、渋谷、道玄坂《どうげんざか》。『渋谷サイキック・リサーチ』。 おシャレなオフィスの真ん中で、谷山麻衣《たにやままい》こと、あたしは足をふんばって肩で息をしてる。女(松崎綾子《まつざきあやこ》、巫女《みこ》)と男(滝川法生《たきがわほうしょう》、もと高野山《こうやさん》の坊主)の冷たい視線を浴《あ》びて花も恥《は》じらう十六歳だってのーに、もー。 そうよ、みんなナルが悪い。 『渋谷サイキック・リサーチ』の所長、渋谷一也。容姿がとびきりいいかわりに、性格がとびきり悪いやつ。傍若無人《ぼうじゃくぶじん》、傲岸不遜《ごうがんふそん》、問答無用。限りなくおナルな性格から「ナル」と呼ばれる。 どーして、そう何もかも秘密にしたがるのーっっ! 怒りのあまり肩を震わすあたしの背中を、遠巻きに見ていたタカ(高橋優子《たかはしゆうこ》、職場の同僚)がぽくぽくと叩《たた》いた。 「どうどう。所長の秘密主義は今に始まったことじゃないでしょーが」 「だってー」 ああ、思い出しただけでハラがたつ。 そもそも、ことの起こりは春にやってきたひとりの女の人だった。森まどかというその人は、ナルやリンさんの知り合いだった。知り合いということは、だ。彼女はつまり、あたしたちが知らないことをぜーんぶ知ってるってことでない? 質問したい気持ちはやまやまだったのに、彼女はほとんど何も語らないままどこかへ帰ってしまったのだ。 これがあたしの好奇心に火をつけてしまったわけ。森さんが来るまでは誰《だれ》もがナルについては何も知らなかった。ところがそこになんでも知ってる人がやってきて、なにひとつ聞き出せないまま帰してしまったこの悔《くや》しさ。 ――かくしてあたしは、好奇心を満たすべく情報収集につとめ始めた、というわけ。情報収集の過程で綾子も同じことをもくろんでいるのを知り、梅雨《つゆ》の頃からはふたりで協力体制をとってきたのに夏がきても何ひとつわからない。 質問をすれば回答を拒絶され、尾行《びこう》をすれば発見され、あげくのはてに言われた一言。 「僕《ぼく》に気でもあるのか?」 あーいーつーはーっっ! ええい、どうしてくれよう。あたしはね、あたしは、単にナルがなんでもかんでも隠《かく》したがるからそこにどんな秘密が隠されているのかと純粋に知的探究心をおぼえただけで、別に恋愛感情とか特別な感情にもとづく興味でもって調べてたわけじゃないんだから。「気がある」? じょーだんじゃない。自惚《うぬぼ》れんのもたいがいにしろよ、てめー。 ……いえ、本当を言うとちょっとは気があったんですけどね(赤面)、こうなったら意地でも認めてやるもんかい。「気でもあるのか?」なんて聞かれて「はいそうです」なんて認めるほど、谷山麻衣さんは素直じゃないのさっ。 「でもさ、麻衣も悪いと思うのよ」 タカに言われてあたしは顔を見返した。 「なんでよー」 「あの所長が、かくしていることを簡単に教えてくれると思う?」 ……う。 「それをムリに調べようとしたわけじゃない? 普通《ふつう》の人が相手でもモンクのひとつぐらい言うよねぇ。ましてや相手は所長だから、モンクの百に皮肉の百くらい言われるのはあたりまえだと思うけどぉ?」 「……それは、そうだけど……」 しゅーん。 「まぁ、麻衣と松崎さんの気持ちもわかるけど。でも、ホドホドにしとかないと後悔《こうかい》する結果になるかもよ」 「後悔、って」 タカはセンパイのほうを見る。センパイ(笠井千秋《かさいちあき》、スランプ中の超能力少女)は軽く肩をすくめて、 「隠してる、ってことは、見るなってことでしょ?」 「……うん」 「見るな、と言われたものを無理に見るとお山に帰っちゃうかもしれない、って話」 「なに、それ」 「夕鶴《ゆうづる》。正体《しょうたい》を見られた以上もうここにはいられません、っての。あると思わない?」 「まさかぁ……」 「でも、ないとは言いきれないでしょ? たとえば所長はお金持ちの御曹司《おんぞうし》で、両親が反対するんでこっそり隠れてこの事務所をやってるとするじゃない。それが、家をつきとめた麻衣がうかつに訪ねていった結果、両親に全部バレちゃって、それで事務所を閉めなきゃなんない、なんてけっこうありうることだと思う」 「別に反対してないってまどかさんが言ってたもん」 千秋センパイは軽く溜《た》め息《いき》をつく。 「たとえば、の話。所長がいなくなってもいいわけ?」 「ふーんだ。望むところよ」 あたしが言うと、センパイはびしっと指をつきつける。 「少なくとも、こんなワリのいいバイトは二度とない」 ……うっ。 「困《こま》るでしょ?」 「……困る」 なんたってあたし、苦学生だもんな。常識はずれのバイト料がなくなると、ものすごく痛い。 おもしろそうにあたしたちのやりとりを聞いていたぼーさんが口をはさんだ。 「ここのバイト代っていいのか?」 タカはうなずく。 「うん。事務のあたしでも世間《せけん》一般よりいいもん。麻衣は一応調査員だからもっといいし。平均して安いOLくらいもらってるよね」 うん。調査に行くと二十四時間時給がついて、おまけに危険手当までつくもんな。 ぼーさんは首をかしげた。 「どーしたの?」 「いや。前になんで麻衣を雇《やと》ったんだ、って聞いたときに、ナル坊が『安くてこきつかえそうだから』って言ってたんでな」 タカも首をかしげる。 「安くないよねぇ」 「うん。バイト時間を増《ふ》やすぶんには自由だし。お給料は時給制だから、お金が足《た》りないときはバイト時間を増やせばいいだけだもんな」 げんに調査のないときは可能なかぎり事務所につめて、増収をはかってるもんね。 綾子が不満げな声をあげた。 「なによ、それ。そんなおいしいバイトってあり? こうやってバカ話している間もバイト料が出てるんでしょ?」 「だって、今はしたくたって仕事がないもん」 そう言ってタカを見ると、タカもうなずく。 ぼーさんんはますます首をかしげる。 「そんなにたいへんな仕事のようにも見えないがなー」 「調査に行けばたいへんだよ」 へたをするとイノチがけだしー。 「普段は」 ぼーさんに聞かれてあたしとタカは顔を見合わせる。タカがあたしを指さした。 「麻衣はー、オフィスにつめて依頼の人が来たら相手をするの」 あたしもタカを指さす。 「タカは事務だよ。購入した本の整理して、雑用して、お茶をいれる」 「今は」 「麻衣はリンさんがお昼休みなんで、留守番《るすばん》してる。今は依頼の人がいないから相手をしたくってできないしー」 「タカは朝オフィスの掃除《そうじ》したよね。今日は購入の図書もないし、リンさんもナルもいないから雑用も頼まれてないし。仕事仲間の霊能者が遊びに来てるんでお茶をいれてる」 ぼーさんは険悪な表情で頬杖《ほおづえ》をついた。 「さっきから何度も電話が鳴ってるぞ」 「でも留守電になってるでしょ?」 「留守番が仕事なんだろーが。電話の応対もしちゃどうだ?」 「だってー」 「ねー」 あたしとタカはうなずきあった。 「あたしたちは、電話に出ちゃいけないの。そう言われてるし」 「そうそう。郵便もさわっちゃいけないの。下のメイル・ボックスは鍵《かぎ》がかかってて、鍵は所長とリンさんしか持ってないし」 「ついでに言うなら、所長室の掃除もしちゃいけない。勝手に入っちゃいけないし」 「さらに言うなら、お金関係もノータッチ」 ぼーさんと綾子は仲よく頭を抱《かか》えた。 「どういう金銭感覚をしてるんだ、ナルは」 「よねぇ。あたしだったら、そんなバイトにお金なんて出さないわよ」 「なんだよー」 「当然でしょ。要はあんたたち、今はクーラーのきいたオフィスで備品のお茶を飲んで遊んでるだけじゃない」 それはまー、そーなんですけど。 タカはぷくんと頬《ほお》をふくらます。 「だって所長がそれでいいって言ったもん」 「そー。言ったもん」 「仕事は楽なかわりに、人間関係で苦労してるもんね」 「だよね。あたしの前の子だって、きっとそれで続かなかったんだよ」
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