い9膭婴嘶臁钉蕖筏袱盲频亭ⅳ扭い我簸蓼扦劋长à俊>薮螭噬铯韦埂钉胜筏沃肖巳毪盲繗荬筏俊 「滝川《たきがわ》さん!」 突然声を上げたのは安原《やすはら》さんだった。ぼーさんが振り返る。 「入り口が閉まっていきます!」 あたしはあわてて海岸側と入り江側の出入り口を見比べた。それはあたしたちが来たときに比べ、明らかに狭《せま》くなっている。入り江側の入り口なんて、もう人がひとり通りぬけられるほどの幅《はば》しか残ってない。 「キャタハンジャサハダヤソワカ!」 さっと視野に赤い光が流れた。それが洞窟の中を駆け抜けていったけれど、閉じた入り口のようすは変わらない。それでも目に見える速度でふさがりつつあった動きがぴたりと止まった。 「大本を断《た》てば自然に開く。あんなものにかまうな」 ナルの冷静な声がする。 海岸側も入り江側も、人が身体《からだ》を横にしてかろうじて通れるほどの隙間《すきま》しか残っていない。あたしはしばらくそれを見つめる。動いてないが、これ以上ふさがってここに閉じこめられはしないか、確認せずにいられなかった。 鼓動の音は続いている。息づかいの音も続いている。そうしてそこに高い音が混じった。それはどこか遠くで誰《だれ》かが何かを叫《さけ》んでいる声に似ている。悲鳴のような色で声を限りに叫ぶ大勢の人間の声。あたりを見回してもなんの姿もない。声はどこか厚いものでも隔《へだ》てられた場所で響いている。たぶん、洞窟の壁の向こう。壁の中の奥深いところ。……そしてそれは近づいてくる。 あたしは強く目を閉じた。壁の向こうに暗い穴があって、その奥から大勢の死人が叫びながら近づいてくる――そんな幻影を追い払った。声は近づいてくる。もう壁までそんなに距離がない。さらに近づいた。もう、すぐそこまで来ている……。 「初めに言があった」 ジョンの声がした。指を組んで目を閉じたジョン。 「言は神と共にあった。言は神であった。この言は始めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何ひとつなかった……」 壁の向こう側まできていた声がぴた、とやんだ。 ほっと息をついたところにナルの厳しい声がする。 「ぼーさん、祈祷《きとう》は」 「……ああ」 言われてぼーさんは真言《しんごん》を続ける。それと同時に壁面に蒼白《あおじろ》い光がともりはじめた。ぼうっと輝く淡い光が壁面ににじみだして、それが蒼《あお》ざめた人の顔をつくる。あちこちに次々と浮かびあがって、無数のお面を並べているように見える。人の顔ははっきりとした形を現すなり口を開けて叫び始める。さらにそれぞれの顔のその下から二本の腕が前に向かって静かに出てきた。洞窟の中が悲鳴に似た声で満たされた。 「ナウマクサンマンダバサラダンカン」 ぼーさんの近くの壁に浮かびあがっていた顔が消えた。それを皮切りにリンさんが指笛を吹く。九字《くじ》を切るあたしと、綾子と……。 あたしの頭の中は「逃げたほうがいい」という思考でいっぱいだった。ペースを襲われたときのことを覚えている。九字を切ればとりあえず顔は消えるけれど、少しすればまた浮かびあがってくる。それの繰り返し。こんなことをしていてもキリがない。必ずこちらが疲れてしまう……。 どっとまた洞窟の中に赤い光が流れた。驚いて目を見開くあたしの視野いっぱいに透明な赤い色が広がって、それが消えたときには壁面いっぱいに現れていた蒼白い顔はひとつも見えなくなっていた。 今のは、ぼーさんだ。そう思って振り返ると、ぼーさんは独鈷杵《とっこしょ》を構えたところだった。それを祠《ほこら》に投げる。流木に突き立った。 「ツリツタボリツハラボリツタキメイタキメイカラサンタンウエンビソワカ」 言い終わるのと、何かの力でぼーさんが吹き飛ばれるのが同時だった。 「ぼーさんっ!」 「滝川さんっ!」 あたしたちは駆け寄る。壁の下に転がったぼーさんを助け起こす。 「だ……だいじょうぶ!?」 「いてー……」 うん、そうでしょうとも。 「ジョン。悪いがあの独鈷杵《とっこしょ》……」 ぼーさんに言われてジョンが祠を見る。 「あれで流木を壊《こわ》せ」 「ハイっ!」 一声言って、ジョンが祠《ほこら》に駆け寄る。独鈷杵《とっこしょ》を引き抜き、それを振り上げる。突き刺す間もなく今度はジョンが弾《はじ》き飛ばされて、ぼーさんの脇に墜落する。 「ジョン! ――安原さんっ!?」 代わりに駆け出したのは安原さんだった。ジョンが落とした独鈷杵《とっこしょ》を拾い上げて祠に駆け寄る。今度は安原さんが壁にたたきつけられる。 ……もうぜんぜんダメだ。あたしたちじゃ、どうしようもない。 「安原さん、だいじょうぶ?」 「……ててて。まぁ、なんとか……生きてます」 そこに響いたのが吐《は》き気のするような冷静な声だった。 「その程度か?」 ナルの視線はぼーさんに向いている。その冷静な眼。 ……あ……あったまきたーっっ! 「いいかげんにしなさいよっ!!」 ナルがあたしに視線を走らせる。 「なにムキになってんの!? ぼーさんもみんなもあんたを助けんのでとっくに限界がきてんのよっ! たかがあんたのプライドのために、どーしてみんながそこまでしなきゃなんないわけ!?」 ナルは眉《まゆ》をひそめただけだ。 「プライドだなんだって、くだらないっ。馬鹿《ばか》じゃないのっっ!? そんなに自分のプライドが大事なら、人に頼らず自分でやれば!? 他人に守ってもらって、そんなプライドがなんぼのもんよっっ!!」 ああ、はらがたつっ。こんな奴《やつ》っっ! ナルは無表情にあたしを見る。 「……正論だな」 ふんっ。勝ったぜ。 洞窟の中には鼓動の音と息づかいの音が今も響いている。そうして、遠くから聞こえる人の叫ぶ声。あたしは洞窟の入り口を見た。なんとか外に出られない幅じゃない。 「ぼーさん、だいじょうぶ?」 「あんまし、だいじょうぶじゃねぇみたい」 「帰ろ。もう……充分だから」 ぼーさんの手を引く。引かれるままぼーさんが身体《からだ》を起こした。 「ナルちゃん、悪いな。限界だ」 ナルの返答はない。リンさんがぼーさんを起こすのを手伝ってくれる。立ち上がったジョンがぼーさんの腕の下に肩を入れた。綾子と真砂子が安原さんを引き起こす。 「さ、帰るよ」 ぼーさんの腕をリンさんとジョンが支えて歩き出す。それには目もくれず、ナルは背中を向けた。視線を据《す》える。――祠《ほこら》のほうへ。 「ナル?」 呼んでも振り返らない。小走りに入り口へ向かい始めていたぼーさんたちが振り返った。 「ナル!?」 リンさんが怒鳴《どな》ってとっさに戻ろうとする。ジョンがバランスを崩してぼーさんを転《ころ》ばせそうになって、あわてたようにその場に踏みとどまる。 「ナル! やめなさい!!」 ナルは振り返らない。祠の方に踏み出した。ゆるい風にまかれたように髪がふわと舞い上がる。 ――なに? 思ったところで耳鳴りがした。耳の奥で羽虫でも飛んでいるように低い音がする。とっさに手を伸ばした。ナルを引きとめようと腕に触れたとたん、指先で何かが弾《はじ》けた。 「たっ……!」 強い静電気に似ている。真冬に乾燥したところで金属にふれると起きるやつ。打ちすえたような激しい音がして、指の先に何か固《かた》いものが弾けたような痛み。 これ、なんなの? ナルはまっすぐ祠に向かって立つ。 あれはなに? 空気が、歪《ゆが》んでいる。 ナルの身体《からだ》から陽炎《かげろう》でも昇ってるみたいに、身体の周りの空気が歪んでいるのがはっきり見える。それがどんどん濃くなる。歪みがみるみるうちに広がっていく。ナルはおろした右手を拳《こぶし》に握って左手でその手首を握っている。その姿は、まるで拳の先に何かをためようとしているように見える。そして、その拳の周りから目に見える速度で空気が歪んで折れ曲がっていく。 ふいに肌《はだ》に奇妙な感覚がした。さっと産毛《うぶげ》が逆立つのと同時に髪が浮き上がる。あれににてる。擦《こす》った下敷きを近づけた……静電気が起こったときのあの感じ。ゆるやかな風を感じる。風というより空気の流れ、みたいなもの。 もうあたしの周りの空気でさえ歪んでいた。水の中か、ひずんだガラスほ通したみたいに何もかもが歪んで揺らいで見える。 「これ、なに」 声を出すより先に、ナルが手を上げた。歪みきってにごったような空気の塊《かたまり》が拳の中から滴《したた》っている。そんなふうに見える。リンさんの声がしたけど、耳鳴りが激しくて何を言っているのかわからなかった。 突然なが腕を振り下ろした。拳の先で空気がくだけた。――そんなふうに見えた。歪んだガラスにひびが入るみたいに空気に亀裂《きれつ》ができて、そこで風景が完全に食い違った。腕を振り下ろした方向へ亀裂が伸びて広がっていく。ガラス詰めにされた風景が真一文字に切り裂かれて砕《くだ》ける瞬間。空気が砕けて、歪んだ影が歪んだ祠《ほこら》ごととひび割れた。 そろり、と奇妙な感触のする空気が足元から這《は》い上がってきて、背筋をなで上げて消えていった。 ナルが腕を構えてからそこまでに、実際には十秒程度の時間しかかからなかったんだと思う。長い長い十秒がすぎると、あとには前と同じ光景が残された。潮の匂《にお》いのする洞窟、暗い岩肌と硬直したように立ちすくんだあたしたち。立ったままのナル。鼓動は聞こえない。息づかいも、人の声もない。代わりに聞こえるのは波の音。 扉を開いたままの祠まで変わらなかった。ただ、中にあった流木が砕《くだ》けていることをのぞけば。祠の中と周囲にはその破片が散乱していた。 「何が起こったんだ」 ぼーさんの弱い声に、ナルは黙って振り返る。皮肉っぽい笑みが浮かんでいた。 「気配が……」 真砂子は洞窟の中を見渡す。 「気配が消えました。ここはもう霊場ではありません」 ……え? 真砂子は洞窟の入り口を見る。 「吹き寄せられる霊も、もうない……」 入り口はすっかりもとのままで、大きく口をあけたそこからは岩場に打ち寄せる波と、彼方《かなた》に見える水平線と、その上に広がる白い空が見えていた。 「ここはもう単なる洞窟にすぎません」 「消えたの……あいつ?」 真砂子はうなずく。 「だと思いますわ。きっと……」 ぼーさんが息を吐いた。 「今ぼーさんは除霊できるんなら最初からやってほしかったな、という気持ちでいっぱいです」 ナルは何も言わない。視線をあたしたちに向けて歩き出した。 「戻るぞ」 あたしたちは顔を見合わせ、そうしてあわててあとに続いた。
5
へたりこみそうになるぼーさんと安原《やすはら》さんを励《はげ》まして、あたしたちは岩場を抜けて海岸に戻る。いつのまにか潮《しお》が上がっていて、石の小道はくるぶしまでの深さに沈んでしまっていた。よろよろしながら海岸に戻って、波の来ない乾《かわ》いた日陰に座り込む。海岸の小石は温《あたた》かくて、触れるとすごくほっとした。 「ぼーさん、だいじょうぶ?」 あたしはのびてしまったぼーさんをつつく。 「……死ぬ」 「しっかりしなさい」 「……寝る」 はいはい。安原さんもうずくまってしまっている。こちらのほうは顔が真っ青になっている。 「安原さんは? だいじょうぶなの?」 「はぁ。……なんか、ひどいぶつけ方をしたみたいで……」 「痛い?」 安原さんはあたしをまっすぐに見る。 「ものすごぉ――――く、痛いです」 げげ。冗談かマジか。どっちにしても、これは大至急手当てが必要。 てなことを思って立ち上がろうとしたとき、綾子《あやこ》が突然声を上げた。 「ナルっ!」 悲鳴にあたしが振り返ったときには、ナルは海岸の上に倒《たお》れていた。 全員が駆け寄る。真っ先に飛びついたのはリンさんだった。 ……ま、また貧血かぁ? 「ナル!?」 抱き起こそうとしてリンさんはハッと身体《からだ》をすくませる。すぐに顔をナルの胸の上に伏《ふ》せた。 ナルの蒼《あお》い顔。堅《かた》く閉じた瞼《まぶた》には薄く影が降りて見える。「ねぇ、だいじょうぶなの!?」 綾子の悲鳴じみた問いかけを無視して、リンさんは身を起こす。両手をナルの胸にあてて体重を乗せて力いっぱい押した。 そ、そんなことをしたらナルのほっそいからだなんて壊れちゃうよぉ。 リンさんはそうやってニ、三度胸を押し、じれたように手を離すといきなりナルの胸ぐらをつかみあげて片手を振り上げた。 ……ちょっ、ちょっとリンさんっ!! 止める間もなくパシッという激しい音がする。遠慮会釈《えんりょえしゃく》のない張り手。 「ナル! 息をしなさい!!」 ……今、なんて言った? ジョンが駆け出した。 「救急車を呼んできます!」
ナルは近くの救急病院に運《はこ》ばれ、あたしたちの背筋を寒からしめたことに、すぐさま集中治療室に運ばれた。 あたしたちは病室からも追い出されて、呆然《ぼうぜん》と廊下《ろうか》に立っていた。うずくまってしまった安原さんと、ジョンとぼーさんが手当てのために連れて行かれてしまう。しばらくしても病室のドアは開かない。みんなのようすを見てくる、と言って綾子がどこかへ行ってしまい、結局あたしと真砂子《まさこ》とリンさんでじいっとそこに立っていた。 黙《だま》っていると悪いことばかり考える。暗い思考にウンザリしたころ、やっとお医者さまが出てきた。 「どなたか代表の方は」 言われてリンさんが前に出た。 「ショック症状だと思われますが、脈拍も弱いし、いちじるしい不整脈が見られます。血圧も非常に低い。心筋梗塞《しんきんこうそく》に似ていますが、心電図を見るかぎり心筋梗塞ではなさそうですね。以前にも同じような発作を起こされたことがありますか?」「軽いものでしたら何度か。ここまで酷《ひど》いのは初めてです」 「何か病気をしておられて、熱があったというようなことは?」 「ありません」 「では過敏症ですかね。何か薬を飲んでおられましたか?」 「いえ」 「狭心症の発作は」 ありません。 ふうむ、とお医者さまはうなる。 「一応血圧上昇剤を投薬して、血圧のほうは徐々に戻りつつあります。ショック状態からは回復しつつあるとみてよいと思います。この後余病を併発《へいはつ》するおそれがありますので、とりあえずしばらくは入院していただいて経過を見守ることになります」 真砂子が顔をおおってその場にしゃがみこんだ。リンさんはそれを見やってからお医者さまに頭を下げる。 「……よろしくお願いします」 「あとのことは看護婦から説明がありますので」 会釈して離れていくお医者さまを見送って、あたしはリンさんの袖《そで》を引っ張る。 「ナルはどこか悪いの?」 「いえ。特に持病があるわけではありません」 「じゃ……ナルは気功《きこう》を使ったよね。それが原因?」 リンさんは驚いたように眼を見張るる 「前にも倒れたこと、あったよね。リンさんは貧血だって言ってたけど、あれも本当はそうだったんじゃないの?」 あたしのおかーさんは事故で死んでしまった。死因は出血からくるショック死だった。ショック症状って、本当にたいへんな状態なんだって、あたしは知ってる。 「こうなることがわかってたから、リンさんはナルをとめたの?」 リンさんは軽く息を吐《は》く。 「……そうです」 「気功ってそんなに危険な方法なの? 気功法で病気も治《なお》せるんでしょ? なのにナルはどうしてこういうことになっちゃうわけ?」 リンさんは落ち着け、と言うようにあたしの肩を叩《たた》く。 「人は誰《だれ》でも気を放出しています。気配というのがそれですね。それは普通ただ放出されるだけで、何かに使用することはできません。気功というのはそれをうまく増幅して、ある目的のために制御《せいぎょ》する方法です。スポーツと同じで誰でも修練を積めばある程度のことはできるようになります。ですが、ナルはそういうのとは桁《けた》が違うんです」 ……桁が違う。 「あれは天賦《てんぷ》の才能です。ナルは小さい頃ポルターガイストを起こす子供でした」 ……あ。 「本人の意識で制御できない気の放出を制御できるようにするために、私が気功法を教えました。ですから気功法にスタイルはよく似ています。けれども気功とは全然別のレベルのものなんです」 「そう……なの?」 「はい。ただナルの持つあの力は人間には大きすぎる。ですから、それを使うと身体《からだ》のほうがついてこれなくなる。そういうことです」 「……あたしのせいだ」 涙がこぼれた。ここでなくのは卑怯《ひきょう》なことだと思うけれど。 「あたしが、挑発《ちょうはつ》するようなことを言ったから」 「挑発に乗るほうが悪いんです」 「でも……」 リンさんは微《かすか》に笑う。 「ナルにだって何が起こるかわかっていたことなんですから。冷静だったらあんなに挑発に乗るような人ではないですし、そもそも度を失うような人でもありません。よほど自分の失態が腹《はら》に据《す》えかねたのでしょう。自尊心を傷つけられてタガが吹き飛んだんですね。彼のプライドは途方《とほう》もなく高いですから」 ……それはそうだけど。 「自尊心のために命をかけるのは愚《おろ》かなことです。目が覚めればそれに気づくでしょう。いい薬ですよ。――しばらくは機嫌《きげん》が悪いでしょうが」 「……そうかな」 「失態に逆上して抜いてはいけない剣を抜いたわけですから。いわば二重の失態ですからね、しばらくは荒れると思います。これで除霊にも失敗していたら、憤死しかねないことですが」 あたしはちょっと笑った。 「……そだね。――ちゃんと治る?」 リンさんもちょっとだけ微笑《わら》ってくれた。 「もちろんです」
エピローグ
――今日もいい天気だ。 空を見上げてからみんなと車に乗り込もうとしたら、声をかけられた。 「お出かけですか」 声のほうを見ると、裕恵《ひろえ》おばさんが左官屋さんにお茶を出しているところだった。 「はい。お見舞いに」 「お気をつけて」 あちこちが壊《こわ》れてしまったお店には左官屋さんが入って、今壁の塗《ぬ》り替《か》えをしている。当分は営業もできないし宿として使ってください、という吉見《よしみ》家の申し出をあたしたちはありがたく受けた。 吉見家の人たちはあたしたちを責《せ》めない。あの人たちも辛《つら》いことがいっぱいあったのに。あたしたちのせいにして、やつあたりしてしまいたいだろうに。 「いい人たちだなぁ……」 誰《だれ》にともなく言うと、ぼーさんがああ、とうなずいた。
病院の入り口でちょうど出てくる彰文《あきふみ》さんに会った。彰文さんと靖高《やすたか》さんと、そして陽子《ようこ》さん。 「お見舞いですか?」 聞かれてあたしたちはうなずく。 「靖高さんは退院ですか?」 あたしが聞くと靖高さんは丁寧《ていねい》に頭を下げる。 「ええ。おかげさまで。たった今、渋谷《しぶや》さんと安原《やすはら》さんにもごあいさつをしてきたところなんです」 「あ、そうなんですか。おばあさんはいかがです?」 小火《ぼや》の時に煙を吸って入院してしまったおばあさん。 「もう、よさそうです。今週には家に帰れるんじゃないでしょうか」 「よかったですね」 「安原さんも今日退院とか。おふたりとも大事にならなくてよかったですね」 「ありがとうございます」 「じゃ、先に戻ってますので」 頭を下げて駐車場のほうへ歩いていく三人をあたしたちは見送った。 いい人たちなのに、何も悪いことなんかしてないのに。この間、和泰《かずやす》さんと奈央《なお》さんのお葬式があった。みんな、とても辛そうにしていた。奈央さんが事故、和泰さんが自殺ということになったのだけが幸いだろう。克己《かつき》くんと和歌子《わかこ》ちゃんは泣いていた。小さいなりに哀しいことがわかったのにちがいない。葉月《はづき》ちゃんはまだお葬式の意味がわかっていないようだった。綾子《あやこ》の浄化以来、奇妙なおできも治って無邪気《むじゃき》に笑っていた。それが少し哀しかった。 「麻衣《まい》、行くぞ」 ぼーさんに声をかけられて、あたしは歩きだした。ジョンもぼーさんも結局傷をざくざく縫《ぬ》われてしまった(ぼーさんの言による)ジョンは一昨日《おととい》、ぼーさんは昨日抜糸がすんだばかりだ。 「あたし、ぼーさんに弟子《でし》入りしようかなぁ……」 「ふーん?」 「弟子入りしてちゃんと修行したら、もちょっとちゃんとした拝《おが》み屋になれると思う?」 ぼーさんは何も言わずにあたしの頭をかき混ぜた。
「おっはよー」 あたしたちがドアを開けると、ベッドの上に身体《からだ》を起こして本を読んでいたナルが顔を上げた。 「いいの、起きて」 「そうそう寝ていると身体がなまる」 つっけんどんな物言い。リンさんの予言どおり、意識を取り戻して以来ナルの機嫌《きげん》は最低に悪い。何を言ってもけんもほろろ。 綾子は紙袋をロッカーの上に降ろす。 「メロン買ってきたわよ。食べる?」 「欲しくない」 「食べなさいっ。それでなくても体力ないんだから」 ナルはめいっぱい嫌《いや》そうな顔をしたけど、特に何も言わなかった。切り札を握った綾子は強い。ナルが皮肉を言おうとすると、ワザとらしく首に手をあてて咳《せき》をすんだよな、こいつってば。 綾子がかいがいしくお茶をいれたりメロンを冷蔵庫に入れたりしていると、安原さんの病室に行っていたぼーさんとジョンが、当の安原さんを連れてやってきた。 「退院おめでとー」 「いやいや、どうも」 安原さんは診察室に連れて行かれて、実は肋骨《ろっこつ》が折れていたことが発覚した。翌日から高熱を出して寝こんでいて、ようやく復調して退院の運びになったわけだけど、退院といっても本当に完治したわけではない。当分コルセットで固定しておいて、お風呂もスポーツも禁止。 「先に帰るの?」 あたしが聞くと、安原さんは首を振る。 「せっかく来たのに、それじゃつまんないでしょ。今から沖縄《おきなわ》に戻っても、働けないし、せっかくの夏休みに家にいるのもつまんないし」 「とんだ夏休みになっちゃったね」 あたしたちが呼んだせいで。 「いやー。スリリングな夏休みで。有意義このうえないですよ」 「有意義ですかぁ?」 「そりゃ、もう。リゾート・ホテルのバイトなんて一回コンパで自慢したらおわりてずからね。そのてん、悪霊払《あくりょうばら》いに参加して名誉の負傷なんて、じじいになっても自慢できる」 ま、それはそーですが。 「この武勲は末永く語り継《つ》がれることでしょう。うんうん」 ひとりでうなずいている安原さんをあたしたちは笑う。 「そういうわけで」 と安原さんは小さな本を引っ張り出した。 「なに?」 「観光マップ。ぜひ遊びに行きましょう」 「ムリは禁物だよ、安原さん」 肋骨折れてるんだからー。 「だいじょうぶですよ。疲れたら滝川《たきがわ》さんがおぶってくれますからね」 げっ、とぼーさんが声をあげる。 「こらこら。誰《だれ》がだ」 「いやー、沖縄から能登《のと》まで、たいへんだったなー」 「有意義だったんだろ?」 安原さんはよろり、とショックを受けたポーズ。 「ひどいっ。あたしノリオのために飛んできたのにっ」 「誰が、あたし、だっ」 「けなげな恋心をじゃけんにするなんてっ」 「お前はなー」 安原さんは両手を胸に当てる。 「恋だと思うの。ほら、こんなに胸が苦しい」 「こら」 「締めつけられるようで、しかもかゆくてたまんないの」 か、かゆい? 「おまけに汗くさくてー。……ってこれはコルセットのせいか」 コルセットのせいですっ。 バカ笑いしているあたしたちを、ナルは呆《あき》れた顔で見てたけど。 ……顔はいいんだけどなぁ。 あたしは内心溜《た》め息《いき》をつく。麦茶でも沸《わ》かしに行こうと廊下に出ると、真砂子《まさこ》があとを追ってきた。 「手伝いますわよ」 「あ、ありがと」 あたしと真砂子はすっかりなれ合ってしまってるんだな、実は。ふたりして給湯室に行って、共同のヤカンを火にかけて。 「安原さんも人がいいんだから……」 真砂子が言う。 「だよね」 「滝川さんも、ブラウンさんも、ナルのせいで迷惑《めいわく》したんだから、少しは怒ればよろしいのに、少しも責《せ》めないんですものねぇ」 「まったくねぇ」 誰《だれ》ひとり、目を覚ましたナルを責めなかった。少なくともぼーさんとジョンは責める資格があるんじゃないかと思ったんだけど、やっぱり一言も責めれる言葉は口にしなかった。 「本当にあたくし、あのお三方の誰かにすればよかったと思いますわよ」 「ほんとに」 「あんなわがまま勝手に情けのない振る舞いをしておいて、ナルも少しはもうしわけなさそうにすればよろしいのに」 「だよねぇ。……でもさー、ナル、謝《あやま》ったらしいよ」 真砂子はあたしを見る。 「本当?」 「ホント。昨日ぼーさんに聞いて、目を覚まして、いちばんに謝ったらしいよ」 真砂子は手でもてあそんでいた茶碗を思いっきり乱暴に置く。 「あたくし、ナルのそういうところが嫌《いや》ですのっ」 「まー、謝らないよりはいいからさー」 「それですわよ。あれで謝らなければ単に性格の悪いヤツですみますわよ。あたくしだって、こんな人、と思って見捨てることもできますのっ。それを妙なところで潔《いさぎよ》いすんですものっっ」 あたしはしみじみうなずいた。 「それは、言えてる。単に性格が悪いよりも、手におえないよな」 「でしょう? あの洞窟《どうくつ》でだって、ナルはさんざんなことをするから、あたくし密《ひそ》かに見捨ててやるって決心してましたのよ。それをナルってば、倒《たお》れたりするんですものっ。それで本気で腹《はら》をたてるなんてできるとお思い?」「……たしかに、あたしも、思った」 「卑怯《ひきょう》だと思いますの。好きでばっかりもいられないし、嫌《きら》いにもなれないし」 「うんうん。いい奴《やつ》か悪い奴か、はっきりしてほしいよな」 「ですわよ。好きになるのは馬鹿《ばか》みたいな気がしすまのに、嫌いになるのはもったいない気がしてしまうところが嫌《いや》ですのっ」 ……うーむ。言えてる。 しかし、こうしてお湯が沸くのを見ながらボソボソ人に聞かれたくない話をするあたり、まるでOLのようだねぇ。 ヤカンを見ながらあたしと真砂子は仲よく溜《た》め息《いき》をついた。 「……よりによって、ナルでなくてもよろしいのに」 「……まったく」 毎日こうやって真砂子とナルの悪口を言って、それで最後に出る結論がつねに同じってのがちょっくら情けないものがあるよな。 「そう思うのに諦《あきら》めることはできないんですのよね。どうしても、期待してしまうし……」 「アレじゃない? ホレた弱み……。ああ、ナルの奥さんになるなんて人がいたら顔を見てみたいよね」 きっと神々《こうごう》しいばかりに温和《おんわ》な人にちがいない。 「あたくしの顔でよければいくらでもどうぞ」 「ほう。キミはナルと結婚したいなどという野心を抱いておるのかね」 「あら、麻衣はそう思ってませんの?」 「あたしはそんな先のことは考えてない。とりあえず、デートできるといいなぁ、なんて」 「あたくし、デートならいたしましたし」 こ、こいつっ。 「それを言うならあたしは、休み中ナルとオフィスで一緒だしー」 「リンさんがいますでしょ」 「常にいるとはかぎらない」 真砂子があたしをにらみつける。 「麻衣。……抜け駆けはなしですわよ」 「んじゃ、ナルの弱みを教えてくれる?」 「教えません」 「じゃ、あたしもそんな協定には応じられないなっ。そもそもレンアイに卑怯《ひきょう》な手管《てくだ》はつきものさっ」 「どうぞ。そうやって麻衣が卑怯な手を使っている間に、あたくしはいいこにしてますの。いびってくださってもいいんですのよ」 「王子さまが選ぶのはシンデレラってか?」 「普遍の真理ですわ」 「王子の性格に対する認識が甘い」 真砂子はちょっとひるむ。 「……そうですわね」 「でしょ?」 結局バカみたいに笑いころげてしまったあたしたちだった。
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