扦埂 げげ。冗談かマジか。どっちにしても、これは大至急手当てが必要。 てなことを思って立ち上がろうとしたとき、綾子《あやこ》が突然声を上げた。 「ナルっ!」 悲鳴にあたしが振り返ったときには、ナルは海岸の上に倒《たお》れていた。 全員が駆け寄る。真っ先に飛びついたのはリンさんだった。 ……ま、また貧血かぁ? 「ナル!?」 抱き起こそうとしてリンさんはハッと身体《からだ》をすくませる。すぐに顔をナルの胸の上に伏《ふ》せた。 ナルの蒼《あお》い顔。堅《かた》く閉じた瞼《まぶた》には薄く影が降りて見える。「ねぇ、だいじょうぶなの!?」 綾子の悲鳴じみた問いかけを無視して、リンさんは身を起こす。両手をナルの胸にあてて体重を乗せて力いっぱい押した。 そ、そんなことをしたらナルのほっそいからだなんて壊れちゃうよぉ。 リンさんはそうやってニ、三度胸を押し、じれたように手を離すといきなりナルの胸ぐらをつかみあげて片手を振り上げた。 ……ちょっ、ちょっとリンさんっ!! 止める間もなくパシッという激しい音がする。遠慮会釈《えんりょえしゃく》のない張り手。 「ナル! 息をしなさい!!」 ……今、なんて言った? ジョンが駆け出した。 「救急車を呼んできます!」
ナルは近くの救急病院に運《はこ》ばれ、あたしたちの背筋を寒からしめたことに、すぐさま集中治療室に運ばれた。 あたしたちは病室からも追い出されて、呆然《ぼうぜん》と廊下《ろうか》に立っていた。うずくまってしまった安原さんと、ジョンとぼーさんが手当てのために連れて行かれてしまう。しばらくしても病室のドアは開かない。みんなのようすを見てくる、と言って綾子がどこかへ行ってしまい、結局あたしと真砂子《まさこ》とリンさんでじいっとそこに立っていた。 黙《だま》っていると悪いことばかり考える。暗い思考にウンザリしたころ、やっとお医者さまが出てきた。 「どなたか代表の方は」 言われてリンさんが前に出た。 「ショック症状だと思われますが、脈拍も弱いし、いちじるしい不整脈が見られます。血圧も非常に低い。心筋梗塞《しんきんこうそく》に似ていますが、心電図を見るかぎり心筋梗塞ではなさそうですね。以前にも同じような発作を起こされたことがありますか?」「軽いものでしたら何度か。ここまで酷《ひど》いのは初めてです」 「何か病気をしておられて、熱があったというようなことは?」 「ありません」 「では過敏症ですかね。何か薬を飲んでおられましたか?」 「いえ」 「狭心症の発作は」 ありません。 ふうむ、とお医者さまはうなる。 「一応血圧上昇剤を投薬して、血圧のほうは徐々に戻りつつあります。ショック状態からは回復しつつあるとみてよいと思います。この後余病を併発《へいはつ》するおそれがありますので、とりあえずしばらくは入院していただいて経過を見守ることになります」 真砂子が顔をおおってその場にしゃがみこんだ。リンさんはそれを見やってからお医者さまに頭を下げる。 「……よろしくお願いします」 「あとのことは看護婦から説明がありますので」 会釈して離れていくお医者さまを見送って、あたしはリンさんの袖《そで》を引っ張る。 「ナルはどこか悪いの?」 「いえ。特に持病があるわけではありません」 「じゃ……ナルは気功《きこう》を使ったよね。それが原因?」 リンさんは驚いたように眼を見張るる 「前にも倒れたこと、あったよね。リンさんは貧血だって言ってたけど、あれも本当はそうだったんじゃないの?」 あたしのおかーさんは事故で死んでしまった。死因は出血からくるショック死だった。ショック症状って、本当にたいへんな状態なんだって、あたしは知ってる。 「こうなることがわかってたから、リンさんはナルをとめたの?」 リンさんは軽く息を吐《は》く。 「……そうです」 「気功ってそんなに危険な方法なの? 気功法で病気も治《なお》せるんでしょ? なのにナルはどうしてこういうことになっちゃうわけ?」 リンさんは落ち着け、と言うようにあたしの肩を叩《たた》く。 「人は誰《だれ》でも気を放出しています。気配というのがそれですね。それは普通ただ放出されるだけで、何かに使用することはできません。気功というのはそれをうまく増幅して、ある目的のために制御《せいぎょ》する方法です。スポーツと同じで誰でも修練を積めばある程度のことはできるようになります。ですが、ナルはそういうのとは桁《けた》が違うんです」 ……桁が違う。 「あれは天賦《てんぷ》の才能です。ナルは小さい頃ポルターガイストを起こす子供でした」 ……あ。 「本人の意識で制御できない気の放出を制御できるようにするために、私が気功法を教えました。ですから気功法にスタイルはよく似ています。けれども気功とは全然別のレベルのものなんです」 「そう……なの?」 「はい。ただナルの持つあの力は人間には大きすぎる。ですから、それを使うと身体《からだ》のほうがついてこれなくなる。そういうことです」 「……あたしのせいだ」 涙がこぼれた。ここでなくのは卑怯《ひきょう》なことだと思うけれど。 「あたしが、挑発《ちょうはつ》するようなことを言ったから」 「挑発に乗るほうが悪いんです」 「でも……」 リンさんは微《かすか》に笑う。 「ナルにだって何が起こるかわかっていたことなんですから。冷静だったらあんなに挑発に乗るような人ではないですし、そもそも度を失うような人でもありません。よほど自分の失態が腹《はら》に据《す》えかねたのでしょう。自尊心を傷つけられてタガが吹き飛んだんですね。彼のプライドは途方《とほう》もなく高いですから」 ……それはそうだけど。 「自尊心のために命をかけるのは愚《おろ》かなことです。目が覚めればそれに気づくでしょう。いい薬ですよ。――しばらくは機嫌《きげん》が悪いでしょうが」 「……そうかな」 「失態に逆上して抜いてはいけない剣を抜いたわけですから。いわば二重の失態ですからね、しばらくは荒れると思います。これで除霊にも失敗していたら、憤死しかねないことですが」 あたしはちょっと笑った。 「……そだね。――ちゃんと治る?」 リンさんもちょっとだけ微笑《わら》ってくれた。 「もちろんです」
エピローグ
――今日もいい天気だ。 空を見上げてからみんなと車に乗り込もうとしたら、声をかけられた。 「お出かけですか」 声のほうを見ると、裕恵《ひろえ》おばさんが左官屋さんにお茶を出しているところだった。 「はい。お見舞いに」 「お気をつけて」 あちこちが壊《こわ》れてしまったお店には左官屋さんが入って、今壁の塗《ぬ》り替《か》えをしている。当分は営業もできないし宿として使ってください、という吉見《よしみ》家の申し出をあたしたちはありがたく受けた。 吉見家の人たちはあたしたちを責《せ》めない。あの人たちも辛《つら》いことがいっぱいあったのに。あたしたちのせいにして、やつあたりしてしまいたいだろうに。 「いい人たちだなぁ……」 誰《だれ》にともなく言うと、ぼーさんがああ、とうなずいた。
病院の入り口でちょうど出てくる彰文《あきふみ》さんに会った。彰文さんと靖高《やすたか》さんと、そして陽子《ようこ》さん。 「お見舞いですか?」 聞かれてあたしたちはうなずく。 「靖高さんは退院ですか?」 あたしが聞くと靖高さんは丁寧《ていねい》に頭を下げる。 「ええ。おかげさまで。たった今、渋谷《しぶや》さんと安原《やすはら》さんにもごあいさつをしてきたところなんです」 「あ、そうなんですか。おばあさんはいかがです?」 小火《ぼや》の時に煙を吸って入院してしまったおばあさん。 「もう、よさそうです。今週には家に帰れるんじゃないでしょうか」 「よかったですね」 「安原さんも今日退院とか。おふたりとも大事にならなくてよかったですね」 「ありがとうございます」 「じゃ、先に戻ってますので」 頭を下げて駐車場のほうへ歩いていく三人をあたしたちは見送った。 いい人たちなのに、何も悪いことなんかしてないのに。この間、和泰《かずやす》さんと奈央《なお》さんのお葬式があった。みんな、とても辛そうにしていた。奈央さんが事故、和泰さんが自殺ということになったのだけが幸いだろう。克己《かつき》くんと和歌子《わかこ》ちゃんは泣いていた。小さいなりに哀しいことがわかったのにちがいない。葉月《はづき》ちゃんはまだお葬式の意味がわかっていないようだった。綾子《あやこ》の浄化以来、奇妙なおできも治って無邪気《むじゃき》に笑っていた。それが少し哀しかった。 「麻衣《まい》、行くぞ」 ぼーさんに声をかけられて、あたしは歩きだした。ジョンもぼーさんも結局傷をざくざく縫《ぬ》われてしまった(ぼーさんの言による)ジョンは一昨日《おととい》、ぼーさんは昨日抜糸がすんだばかりだ。 「あたし、ぼーさんに弟子《でし》入りしようかなぁ……」 「ふーん?」 「弟子入りしてちゃんと修行したら、もちょっとちゃんとした拝《おが》み屋になれると思う?」 ぼーさんは何も言わずにあたしの頭をかき混ぜた。
「おっはよー」 あたしたちがドアを開けると、ベッドの上に身体《からだ》を起こして本を読んでいたナルが顔を上げた。 「いいの、起きて」 「そうそう寝ていると身体がなまる」 つっけんどんな物言い。リンさんの予言どおり、意識を取り戻して以来ナルの機嫌《きげん》は最低に悪い。何を言ってもけんもほろろ。 綾子は紙袋をロッカーの上に降ろす。 「メロン買ってきたわよ。食べる?」 「欲しくない」 「食べなさいっ。それでなくても体力ないんだから」 ナルはめいっぱい嫌《いや》そうな顔をしたけど、特に何も言わなかった。切り札を握った綾子は強い。ナルが皮肉を言おうとすると、ワザとらしく首に手をあてて咳《せき》をすんだよな、こいつってば。 綾子がかいがいしくお茶をいれたりメロンを冷蔵庫に入れたりしていると、安原さんの病室に行っていたぼーさんとジョンが、当の安原さんを連れてやってきた。 「退院おめでとー」 「いやいや、どうも」 安原さんは診察室に連れて行かれて、実は肋骨《ろっこつ》が折れていたことが発覚した。翌日から高熱を出して寝こんでいて、ようやく復調して退院の運びになったわけだけど、退院といっても本当に完治したわけではない。当分コルセットで固定しておいて、お風呂もスポーツも禁止。 「先に帰るの?」 あたしが聞くと、安原さんは首を振る。 「せっかく来たのに、それじゃつまんないでしょ。今から沖縄《おきなわ》に戻っても、働けないし、せっかくの夏休みに家にいるのもつまんないし」 「とんだ夏休みになっちゃったね」 あたしたちが呼んだせいで。 「いやー。スリリングな夏休みで。有意義このうえないですよ」 「有意義ですかぁ?」 「そりゃ、もう。リゾート・ホテルのバイトなんて一回コンパで自慢したらおわりてずからね。そのてん、悪霊払《あくりょうばら》いに参加して名誉の負傷なんて、じじいになっても自慢できる」 ま、それはそーですが。 「この武勲は末永く語り継《つ》がれることでしょう。うんうん」 ひとりでうなずいている安原さんをあたしたちは笑う。 「そういうわけで」 と安原さんは小さな本を引っ張り出した。 「なに?」 「観光マップ。ぜひ遊びに行きましょう」 「ムリは禁物だよ、安原さん」 肋骨折れてるんだからー。 「だいじょうぶですよ。疲れたら滝川《たきがわ》さんがおぶってくれますからね」 げっ、とぼーさんが声をあげる。 「こらこら。誰《だれ》がだ」 「いやー、沖縄から能登《のと》まで、たいへんだったなー」 「有意義だったんだろ?」 安原さんはよろり、とショックを受けたポーズ。 「ひどいっ。あたしノリオのために飛んできたのにっ」 「誰が、あたし、だっ」 「けなげな恋心をじゃけんにするなんてっ」 「お前はなー」 安原さんは両手を胸に当てる。 「恋だと思うの。ほら、こんなに胸が苦しい」 「こら」 「締めつけられるようで、しかもかゆくてたまんないの」 か、かゆい? 「おまけに汗くさくてー。……ってこれはコルセットのせいか」 コルセットのせいですっ。 バカ笑いしているあたしたちを、ナルは呆《あき》れた顔で見てたけど。 ……顔はいいんだけどなぁ。 あたしは内心溜《た》め息《いき》をつく。麦茶でも沸《わ》かしに行こうと廊下に出ると、真砂子《まさこ》があとを追ってきた。 「手伝いますわよ」 「あ、ありがと」 あたしと真砂子はすっかりなれ合ってしまってるんだな、実は。ふたりして給湯室に行って、共同のヤカンを火にかけて。 「安原さんも人がいいんだから……」 真砂子が言う。 「だよね」 「滝川さんも、ブラウンさんも、ナルのせいで迷惑《めいわく》したんだから、少しは怒ればよろしいのに、少しも責《せ》めないんですものねぇ」 「まったくねぇ」 誰《だれ》ひとり、目を覚ましたナルを責めなかった。少なくともぼーさんとジョンは責める資格があるんじゃないかと思ったんだけど、やっぱり一言も責めれる言葉は口にしなかった。 「本当にあたくし、あのお三方の誰かにすればよかったと思いますわよ」 「ほんとに」 「あんなわがまま勝手に情けのない振る舞いをしておいて、ナルも少しはもうしわけなさそうにすればよろしいのに」 「だよねぇ。……でもさー、ナル、謝《あやま》ったらしいよ」 真砂子はあたしを見る。 「本当?」 「ホント。昨日ぼーさんに聞いて、目を覚まして、いちばんに謝ったらしいよ」 真砂子は手でもてあそんでいた茶碗を思いっきり乱暴に置く。 「あたくし、ナルのそういうところが嫌《いや》ですのっ」 「まー、謝らないよりはいいからさー」 「それですわよ。あれで謝らなければ単に性格の悪いヤツですみますわよ。あたくしだって、こんな人、と思って見捨てることもできますのっ。それを妙なところで潔《いさぎよ》いすんですものっっ」 あたしはしみじみうなずいた。 「それは、言えてる。単に性格が悪いよりも、手におえないよな」 「でしょう? あの洞窟《どうくつ》でだって、ナルはさんざんなことをするから、あたくし密《ひそ》かに見捨ててやるって決心してましたのよ。それをナルってば、倒《たお》れたりするんですものっ。それで本気で腹《はら》をたてるなんてできるとお思い?」「……たしかに、あたしも、思った」 「卑怯《ひきょう》だと思いますの。好きでばっかりもいられないし、嫌《きら》いにもなれないし」 「うんうん。いい奴《やつ》か悪い奴か、はっきりしてほしいよな」 「ですわよ。好きになるのは馬鹿《ばか》みたいな気がしすまのに、嫌いになるのはもったいない気がしてしまうところが嫌《いや》ですのっ」 ……うーむ。言えてる。 しかし、こうしてお湯が沸くのを見ながらボソボソ人に聞かれたくない話をするあたり、まるでOLのようだねぇ。 ヤカンを見ながらあたしと真砂子は仲よく溜《た》め息《いき》をついた。 「……よりによって、ナルでなくてもよろしいのに」 「……まったく」 毎日こうやって真砂子とナルの悪口を言って、それで最後に出る結論がつねに同じってのがちょっくら情けないものがあるよな。 「そう思うのに諦《あきら》めることはできないんですのよね。どうしても、期待してしまうし……」 「アレじゃない? ホレた弱み……。ああ、ナルの奥さんになるなんて人がいたら顔を見てみたいよね」 きっと神々《こうごう》しいばかりに温和《おんわ》な人にちがいない。 「あたくしの顔でよければいくらでもどうぞ」 「ほう。キミはナルと結婚したいなどという野心を抱いておるのかね」 「あら、麻衣はそう思ってませんの?」 「あたしはそんな先のことは考えてない。とりあえず、デートできるといいなぁ、なんて」 「あたくし、デートならいたしましたし」 こ、こいつっ。 「それを言うならあたしは、休み中ナルとオフィスで一緒だしー」 「リンさんがいますでしょ」 「常にいるとはかぎらない」 真砂子があたしをにらみつける。 「麻衣。……抜け駆けはなしですわよ」 「んじゃ、ナルの弱みを教えてくれる?」 「教えません」 「じゃ、あたしもそんな協定には応じられないなっ。そもそもレンアイに卑怯《ひきょう》な手管《てくだ》はつきものさっ」 「どうぞ。そうやって麻衣が卑怯な手を使っている間に、あたくしはいいこにしてますの。いびってくださってもいいんですのよ」 「王子さまが選ぶのはシンデレラってか?」 「普遍の真理ですわ」 「王子の性格に対する認識が甘い」 真砂子はちょっとひるむ。 「……そうですわね」 「でしょ?」 結局バカみたいに笑いころげてしまったあたしたちだった。
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