埂2à隆钉薄筏颏à挨盲皮扦慷纯撙扦工汀¥沥绀Δ扇瞬瞍分袱巫Δ尾糠证椤⑷毪杲藪iけています」 「すごーい。その洞窟見れます?」 「ええ。今日はもう遅《おそ》いですから、明日よろしければご案内します」 わーい。わくわく。 「しかし吉見さんや」 ぼーさんが声を上げた。 「建物が立派でロケーションもいいのはわかったが、こんなへんぴなところで料亭なんて、商売になるのかい」 確かに。通ってきた街は決して大きくなかったし、しかもここは街のはずれだ。 「うちは普通の料亭とは少し違うので。会員制の料亭と言ったらわかるでしょうか」 ほう、そういうものがあるのか。 「すごーい。よかったわねぇ、麻衣《まい》もぼーさんも」 綾子があたしの肩に手をかけてきた。 「あんだよ」 「あんたたちじゃ、こういうとこには一生来れるはずがなかったってこと。おいしい仕事でラッキーじゃない」 どーせあたしは貧乏人《びんぼうにん》。 「そういう綾子はどうなのかにゃーだ」 「あら、アタシには玉《たま》の輿《こし》というチャンスが残されてるもの。ほほほ」 こ、こいつっ。 「その性格で乗れる輿じゃタカがしれてらい」 「ふふーん。女子供《おんなこども》にはわからない魅力があるのょぉ」 「だったら急げば? イブを過ぎてからじゃ遅《おそ》いと思うよ」 「ま、だ! まだイブには間《ま》があるからねっ」 「みーんなそう言って高望みしてる間に通り過ぎてしまうんだよな」 「ふん、アタシならチョロいわよ」 「そーゆうことは恋人ができてから言えばぁ?」 「かわいくないっ」 「綾子にかわいがられても気味が悪いだけだい」 ――てなことを言ってると。おっと、いかん、彰文さんの肩が震《ふる》えてる。視線が合うと、彰文さんはもうしわけなさそうな顔をした。 「……すいません」 「いーんです。無理しないでどんどん笑ってください」 どーせあたしらは漫才師《まんざいし》。 綾子が突然彰文さんに指を突《つ》きつけた。 「そうだ。吉見さんっておいくつ?」 彰文さんはキョトンとする。 「もうすぐ二十歳《はたち》ですけど」 へへっ、年下だ。綾子、残念だったな。 めいっぱい笑ってると、背後から冷酷無比《れいこくむひ》な声が飛んできた。 「麻衣! いつまで遊んでる!」 おっとぉ。大将がお怒りだ。お仕事、お仕事。
4
彰文《あきふみ》さんも手伝ってくれて、あたしたちは大量の機材をベースに運んだ。「店を中心に機材をおく。ぼーさんと松崎《まつざき》さんは葉月《はづき》ちゃんのところへ。とりあえず護符《ごふ》を用意して、彼女の安全を確保する」 はいはい。カメラを運んでビデオを接続して。サーモグラフィーに振動計に赤外線レーダーにその他モロモロの測定器、っと。 「なんだか、あまり霊能者という感じじゃないですね」 空《あ》き部屋に機材を運んでくれながら、彰文さんが言う。 「はぁ。ごーすと・はんたーと呼んでください。すいませんけど、黄色いテープを貼《は》ったケーブルを取ってくださいませんか」 「谷山《たにやま》さんもこんな機材を扱《あつか》えるんですね。――ええと、ケーブル?」 「コードのことです。――接続だけなんとか。大半は今もちんぷんかんぷんです」 「接続だけでもすごい気がしますよ。僕《ぼく》は機械は苦手《にがて》なので」 「苦手なんですか?」 「むやみに触《さわ》ると壊《こわ》してしまいそうな気がして。機械を前にするとアガってしまうタイプなんです」 なーるほろ。 「あき……」 ふみさん、と言いかけてあたしはあわてて口を塞《ふさ》ぐ。 「かまいませんよ、彰文で」 彼は微笑《わら》ってくれたけど、さすがに知って間《ま》もない男の人を下の名前で呼ぶのはちょいと。 「す、すみません。全員『吉見《よしみ》さん』なんで、つい――」 「どうぞ、お気になさらず。それでなくても人数が多くてややこしいですから」 「じゃ失礼して、彰文さん。――二十歳ということは、大学生ですか?」 「ええ。東京の大学に行ってます」 「あ、じゃあ普段はここに住んでるわけじゃないんですね」 「そうなんです。できるだけ休みには帰ってくるようにしてるんですけど」 「やっぱりお店の手伝いが?」 彰文さんは微笑って首を振る。 「祖母が寂《さび》しがるんです。家の者は店があるからかまってやれないので」 「へぇぇ。おうちの人はみんなお店で働いてるんですか?」 「そうですね。下の兄は公務員ですけど」 「下の兄――ということはお兄さんがふたり以上いるわけだ。何人兄弟ですか?」 「兄がふたり。姉がふたり。僕は五人兄弟の末っ子です」 「五人……。それは大人数ですねぇ」 彰文さんはちょっと複雑そうに微笑《わら》った。 「たくさん死ぬのなら、たくさん人間がいなくては家が絶《た》えてしまいます。そういうことだと思いますよ」 「はぁ……。それとご両親とおばあさんと?」 「そのほかに上の兄と姉にはそれぞれ配偶者と子供がいます。子供は全部で三人。兄の子がふたり、姉の子がひとり。葉月は兄の末っ子なんです」 うげげ。 「そ、それだけの人間が全員ここに住んでるんですか?」 「僕《ぼく》を除いては」 あたしは指を折った。自分の手を見る。 「全員で十三人? 壮観でしょうねぇ」 彰文さんは陰のある微笑いを浮かべる。 「それでも八人死ねば、半分も残りません」 嫌《いや》な話だ。呪《のろ》われた家がある。そこでは大勢の家族が死ぬ。だからたくさんの被害が出ても家が絶えることのないように、子供をたくさん作っておく。あたしに家や家族がないせいかもしれないけれど、そういうのはとても気持ちが悪い。まるで子供が、家を残すための道具みたいで。子供に対して愛情を持っていない親はいないのだろうけど、愛情のうちの何パーセントがひとりの人間に対する愛情なんだろう。 彰文さんはちょっと頭を下げる。 「……すみません。暗い話をして」 「いえ、こ、こちらこそ」 「谷山《たにやま》さんは、ご家族は?」 「あ。あたし、ひとりぼっちなんです」 彰文さんは驚いたようにあたしを見る。 「……もうしわけありません。無神経なことを聞いて」 「やだなぁ。知らなかったら聞くのはあたりまえですよぉ」 なのに、みーんなあやまるんだよなー。 「でも……」 でもってみんな話題に詰《つ》まるんだよ。 「お気になさらず。人にはイロイロあるし、あたしにもイロイロあるってことですよ」 「はぁ……」 「それに両親がいたら、こんな妙なバイトさせてくれませんもんね。そうするとこういう豪華な料亭なんて来ることもなかったわけだしー」 「……そうでしょうか」 「そうですよ。気楽でよかったなーなんて、特に友達が家族とケンカしてたりすると思っちゃうんですよね。いや、べつに親が死んでよかったと思ってるわけじゃないんですが」「それは、そうかもしれませんね」 「そそ。もちろん、寂《さび》しいこともあるんですけどね」 彰文さんは微笑《わら》う。 「僕《ぼく》と谷山さんと、足《た》してニで割ればちょうどよかったですね」 「七人かぁ……それでも世間《せけん》の常識からいうと、ちと多いような」 「あ、本当だ。僕の家って、本当に大人数なんだな」 いまさら気がついたように彰文さんは言った。 「あのー、ひとつ不思議《ふしぎ》なことがあるんですけどー」 「なんですか?」 「ご飯どうやって食べるんですか?」 やっぱ十三人、ずらーっと並んで食べるのかしらん。 「そうか。普通は一緒に食べるんですよね」 感心したように彰文さんは言う。 「違うんですか?」 「うちは料亭ですから。店を手伝ってる人間は店で妙な時間に食べますから」 「あっ、そういうおうちもあるんだ」 うーむ。世間は広い。 「ちょっと残念だなー。十三人並んでるところを見たかったなー」 あたしが言うと彰文さんは、ちょっと不思議そうな顔をした。 「どうかしましたか?」 「いえ。母が今夜は皆さんとご一緒に食事を、と言ってたんですが」 わお。ひょっとしてご馳走《ちそう》では(ハート) 「……いったいどうやって食べるんだろう」 うっ。 「総勢十八人ですよ」 「そ……それって食事ではなく、もはや宴会では」 「ですよね」 しばらく考えこんでしまったあたしと彰文さんだった。
5
ベースに戻って手前の部屋の縁側にラックを組み立てて。葉月《はづき》ちゃんのようすを見てきたぼーさんと綾子《あやこ》が帰ってくると、ふたりにも手伝わせて大量の機材を搬入《はんにゅう》する。無駄話《むだばなし》をしながらセッティングとチェックを終えた頃には、外はすっかり暗くなってしまっていた。 そのあと、あたしたちは彰文《あきふみ》さんに案内されて店の一角にあるお座敷に向かった。広い上品なお座敷に案内されると、長いテーブルに四人の男の人が座《すわ》っていた。ひとりはおばあさんのところで会ったお父さんの泰造《たいぞう》さんだ。泰造おじさんは、白い板前さんの服を着ている。ということは、お料理はおじさんが作るんだな。 「どうぞ、お楽に。この度《たび》はお呼びだてしてもうしわけありません。どうかよろしくお願いします」 丁寧《ていねい》に頭を下げられて、上座に案内されて。ありがたそうな掛《か》け軸《じく》とか優雅な生《い》け花だとか、あたしには落ち着かないことこのうえもない。これで正座しなきゃいけないんだったらウンザリしたところなんだけど、幸《さいわ》い堀りごたつみたいに腰掛けられるようになってて、一安心。 泰造おじさんはその場にいた男の人を紹介してくれた。スーツを着た太めのおじさんが長男の和泰《かずやす》さん。Tシャツにジーンズのがっしりとした人が次男の靖高《やすたか》さん。でもって泰造おじさんと同じように板前の服を着た人がお婿《むこ》さんの栄次郎《えいじろう》さん。どの人も三十をすぎたくらいだろう。なんだか暗い感じの人ばかりだったけど、大中小と順番にサイズが小さくなるところが笑える。 こんだけしかいないのかなー、つまらないなーと思っていたら、お料理を持って女の人が四人、入ってきた。しゃっきりした着物姿はお母さんの裕恵《ひろえ》おばさんだ。おっとりした感じの人が和泰さんの奥さんの陽子《ようこ》さん。いかにも気の強そうなのが上から三番目、長女の光可《てるか》さん。でもって冷たそうな若い女の人が四番目、侍女の奈央《なお》さん。 今回も関係者が多いなぁ。誰《だれ》が誰だかちゃんと覚えられるかしら、あたし……。(不安) 「渋谷《しぶや》さんはお酒は」 泰造おじさんはナルに聞く。 「いえ。僕《ぼく》もリンも飲みませんので」 おまけにあんたは未成年だ。 「滝川《たきがわ》さんと松崎《まつざき》さんはだいじょうぶですか?」 聞かれてぼーさんはニンマリする。 「ありがたく」 さてはあんた、ノンベだな。綾子もニコニコしてたんでいけるクチなんだろう。当然のことながら、いっしょにお酒をのんだ経験はいなもんなぁ。 「谷山《たにやま》さんは?」 「とんでもない」 だからあたし、未成年ですってば。 とりあえず仕事の話はヌキで、ということになって雑談なんかしながらお料理をいただく。きれいで凝《こ》ってておいしかったんだけど、陰気《いんき》なおじさんたちに囲まれてではいまいち……。女の人たちは料理を運んできたり下げたりで、一緒にご飯を食べたりしなかったし。 順番に出てくる料理の何番目かで、あたしはふと隣《となり》に座っているリンさんの器に目を留《と》めた。やや、リンさんだけ料理が違《ちが》うぞー。そう思ってテーブルを見渡すと、ナルも違う。どーやらナルとリンさんだけ別のお料理が出てるみたい。 「どしてリンさんはお料理が違うの?」 小声で聞くと、ちょうど器を下げにきた裕恵おばさんが、 「渋谷さんと林《りん》さんは肉類を召し上がらないとお聞きしたので、献立《こんだて》を変えさせていただいたのですけど……違いましたか?」 「えー? リンさんお肉は食べないの?」 これはびっくり。そういえばいつもいろんなものを残すから、リンさんもナルも偏食するなーとは思ってたんだけど。 「菜食主義ってやつ? ぜんぜん食べないの?」 リンさんは無表情にうなずく。 「ダメだよ、食べないと、だからリンさん、痩《や》せてるんだよ」 裕恵おばさんはやんわりと微笑《わら》って、 「何か少しお持ちしましょうか? せっかく海の側《そば》にいらしたんですから」 リンさんは軽く頭を下げる。 「調査の時には、精進潔斎《しょうじんけっさい》しておくことにしていますので」 げげ、すごい。ナルやリンさんが、そんな深い思慮あって食べ物を残していたとは。性格が性格だから単にわがままなだけだと思ってたのになー。 ほんと、世の中って奥が深いよな。 「霊能者の方もたいへんなんですね」 泰造おじさんが感心したように言ったとき、ぼーさんと綾子が気まずそうにお皿をにらんだのをあたしは見逃さなかった。……はっはっは。
男性陣と女性陣にいろいろと聞きこみをしたけど、何も収穫がないままあたしたちはベースに引き上げた。ベースではあちこちの機材から送られてくるデータが寂《さび》しくモニターに映《うつ》っている。 「異常は」 機材の前に座ったリンさんにナルが聞く。 「現在はありません。これまでの記録をチェックします」 モニターの画面に映っているのは母屋《おもや》の廊下《ろうか》、葉月ちゃんの部屋、店の廊下、入り江側の空《あ》き部屋、海岸側の空き部屋の五箇所。どの映像にも異常はない。 「今夜から動きがあると思う?」 あたしが聞くと、ナルは画面を見たまま、 「さてな。いったい何が起こるのか手がかりがなさすぎる。明日にでも地元の図書館へ行ってみるんだな。――ぼーさん」 「ほいよ」 「夜の間は葉月ちゃんの周囲に結界《けっかい》を――」 言いかけたところに彰文さんがお茶の道具を持ってきた。 「お疲れさまです」 電気ポットだの急須だのを揃《そろ》えておいてくれる。ついでにお茶をいれてくれて、 「谷山さん、残念でしたね」 ほにゃ? 「十三人。少人数でがっかりなさったでしょう?」 あはは、そのことか。 「そうでもないですけど。でも、もっとにぎやかなもんだとは思ってました」 「いつもは兄たちだけでも、もっとにぎやかなんですけど……。どうも最近は暗くて」 「やっぱり、心配ごとがあるとどうしても暗くなりますよね」 あたしが言うと、彰文さんはなんだか複雑な微笑《わら》いをする。 「お婿《むこ》さんでしたっけ、栄次郎さん? なんだか機嫌《きげん》悪そうでしたもんね」 なんだかイライラしてる感じで、ちょっとこわかったんだよなぁ。 「そうですね。どうしたんでしょうか、急に」 「急に?」 彰文さんはうなずいた。 「なんでもないことなのかもしれませんけど。和兄さんも栄次郎義兄《にい》さんも店を手伝ってるので、もともと人あたりはいいんです。客商売は人あたりが肝心ですから。栄次郎義兄さんのあんな不機嫌な顔、初めて見ました」 ナルが眉《まゆ》をひそめる。 「つまり、栄次郎さんはもともと、人前で不機嫌な顔をするような人ではないわけですね?」 「ええ。今までは怒ってても顔に出なかっただけなのかもしれませんけど、少なくとも栄次郎義兄さんがあんな顔をするのは初めて見ました」 「和泰さんもですか?」 「はい。和兄さんもこのニ、三日ピリピリしていて。靖兄さんもそうです。靖兄さんがいちばんひどいかな。人前に出れば少しはひかえますけど、もともとすごく明るい人間なんです。明るすぎて父母からたしなめられるくらいで」 ……へぇぇ。 「靖高さんのようすが変わったのは、いつからですか?」 「祖父の葬儀の日からだと思います。理由を聞いても言わないし」 「ほかにようすの変わった人がいますか?」 彰文さんは少し考えこんだ。 「陽子義姉《ねえ》さんですね」 んーと、どっちの女の人だっけ? 「気の強そうな人?」 「いえ、それは光可《てるか》です。光可姉さんはもともとうちでいちばん気が強くて」「じゃああの、おっとりした感じの?」 「ええ。いえ、もともとおっとりした人なんですけど……」 「けど?」 ナルに聞かれたけど、彰文さんは、 「うちでいちばんようすが変わったといったら、なんといっても子供たちです。葉月のほかにあとふたりいるんですけど。和兄さんの子供が克己《かつき》と葉月。光可姉さんの子が和歌子《わかこ》。この克己と和歌子が妙なんです。最近ふたりでコソコソしているんですよね」 あたしが首をかしげると、彰文さんは困ったように微笑《わら》う。 「なんと言ったらいいのか……。もともとそうでもなかったのに、最近ベッタリくっついて離れないんです。おまけにふたりで始終コソコソ内緒話して。何を話してるのか聞くとふたりで目配《めくば》せして逃げていくし……」 ふぅん……。 「これも祖父の葬儀の前後からなんです。葬式でバタバタしてて、子供をかまってるヒマがなくって。一段落したら、もうそうなってたんです。それで、陽子義姉さんはすごく心配してたんです。この間まで。それがここニ、三日、急に気にしているようすがなくって」 「なるほど……」 ナルは考えこむ。 変化した家族。……この家で何が起こってるんだろう……。 そのすぐあと、海岸側の部屋においたカメラの角度をなおすように言われて、あたしはベースを出た。廊下《ろうか》に出ると、廊下は真っ暗だった。遠くに非常灯の灯《あか》りが見えるくらいで、全部の電気が消えてしまっている。 「あれ?」 電気代節約のために消されてしまったんだろうか。斜向《はすむ》かいの部屋まで行くだけだし、あたしは深く考えずに歩きだした。とりあえず歩けないほど暗いわけじゃないし。 半分歩いたときだった。暗くて長い廊下のどこかで微《かす》かな声がした。あたしは驚いて足を止める。ごく小さな息づかいほどの声だった気がした。周囲を見渡すけれど、、暗くてよくわからない。気のせいかなと思ったところでもう一度、今度はごく小さく囁《ささや》くくらいの声がした。 心臓が鳴った。あたしはもう一度、注意深くあたりを見回す。そうして母屋《おもや》のほうへ少し行ったところの廊下にコブがあるのに気がついた。廊下の壁。あたしの腰くらいの高さにサッカーボールくらいの大きさのコブ。 「……さん」 密《ひそ》かな、密かな声が耳に届いた。 「誰《だれ》かいるの……?」 コブの脇から細いものが伸びて、それがちょいちょいと手招《てまね》きをした。 「……おねえさん」 子供? 子供だろうか? そんな感じの声だった。よく目をこらすとコブは子供の頭のように見える。ちょうど角から顔を出した子供みたいに。でも、この廊下はまっすぐで、あんなところに曲がり角なんてない。 「……おねえさん……」 囁《ささや》く声に怖《お》じ気《け》づいてベースに戻ろうとしたところで、あたしは壁に格子戸《こうしど》が並んでいるのを思い出した。格子戸の中から顔を出しているんだろう。 あたしはホッと息をついた。それからその子のほうへ歩きだした。 「誰?」 その子は手招きをする。すぐに廊下に出てきた。ひとり――ふたり。 近づいてみると、まちがいなく子供だった。夏物のパジャマを着た男の子と女の子。小学校の一年生かそれ以下か。するとこの子たちが克己くんと和歌子ちゃんなんだろう。和歌子ちゃんのほうが少しだけ大きかった。 「どうしたの? 克己くんと和歌子ちゃんでしょ?」 前に立ち止まってあたしが聞くと、ふたりは顔を見合わせた。何かをコソコソと耳打ちしあう。それから和歌子ちゃんが、 「……おねえさんたち、ぜんぶでなんにんいるの」 そう聞いてきた。 「え?」 和歌子ちゃんは噛《か》んでふくめるようにくりかえす。 「なんにん、いるの?」 「五人だよ」 こんな時間に起きてていいの、と聞こうとしたら、ふたりはまた耳打ちをする。 「……ごにん……」 「おおい……」 「……たいへん……」 ごく微《かす》かにそんな単語が聞き取れた。何かをひそひそと話しあう。それから、そろってくるりと背中を向けた。母屋《おもや》のほうに向かって歩きだす。 「ちょっと待って。どうしたの?」 和歌子ちゃんが振り返った。 「ごにん、なんでしょ」 「そうだよ。ねぇ、どうしたの?」 「おねえさんは、きにしなくていいの」 そう密《ひそ》かな声で笑って、ふたりは小走りに走っていく。 あたしは少しの間、ぽかんとしてふたりが消えた方向を見守っていた。 ……なんだろう。嫌《いや》な感じ。別にどこがどう変だというわけじゃないんだけど……。あたしは彰文さんが言いにくそうにしていた理由がわかる気がした。この感じを他人に伝えるのはむずかしい。でも、何かがすごく妙で……。 ひとつ息を吐《は》いてカメラの角度を直しに行こうとした時だった。 ……背後の廊下から悲鳴が聞こえた。
二章 不測の事態
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声は母屋《おもや》のほうから聞こえた。ナルたちもベースから飛び出してきて、全員で母屋へ向かって走る間にどんどん騒ぎが大きくなる。何かを怒鳴《どな》る声、激《はげ》しい物音。そして駆《か》けつけたあたしたちが目にしたのは、包丁《ほうちょう》を握って暴《あば》れている栄次郎《えいじろう》さんの姿だった。 茶の間みたいな部屋だった。泰造《たいぞう》おじさんと和泰《かずやす》さんが栄次郎さんを背中から羽交《はが》い絞《じ》めにしている。部屋の隅《すみ》には真っ青な顔をした裕恵《ひろえ》おばさんと光可《てるか》さんが、抱き合うようにしてうずくまっていた。 栄次郎さんの顔は血で真っ赤だった。額《ひたい》に深い傷があってそこから流れ落ちた血が顔の半分を汚していたけれど、栄次郎はん気にしているようすがない。握った包丁は先が折れていて、折れた先がTVのフレームに刺さっていた。口角に泡《あわ》をためて何かを怒鳴っていたけど、ロレツが回らなくて何を言っているのかは聞き取れない。静止を振り切ろうとして全身でもがく。泰造おじさんも和泰さんも、太った重そうな人なのに、ともすればしがみついているふたりを振り切りそうな勢いだった。 「リン」 ナルが小声で言うと、リンさんが無言で栄次郎さんに歩み寄った。別に気負ったようすも緊張したようすもないごく自然な動き。栄次郎さんがリンさんをにらむ。歯をむきだしにして威嚇《いかく》するような声を上げた。包丁を持った右腕を振り上げる。右肩にしがみついた泰造おじさんが、つんのめって転《ころ》んだ。 「リンさんっ」 思わず声を上げたあたしだったけど、実のところは声を上げた意味なんかぜんぜんなかった。突き出してきた右手をぽんと払って身体を入れ替える。勢いあまって前のめりになった栄次郎さんの首に腕をまきつけてそれでおしまい。気をつけて、と言いたかったのだけど、声にするより先に栄次郎さんは首をリンさんに抱きかかえられた格好でずるずると尻餅《しりもち》をついてしまった。 とっさのことに反応できないあたしたちを、リンさんは無表情に振り返る。 「何かで縛《しば》っておいたほうがいいと思いますが」 彰文《あきふみ》さんが飛び上がるように動いて、駆け出した。 「いったい何があったんですか?」 平然とした声を上げたのはナルだった。ようやく息を吐《は》いて裕恵おばさんと光可《てるか》おばさんが座り直す。光可さんは震える声で、 「何があったのかこっちこそ知りたいわ。いきなりなんですからね」 ナルを責《せ》めるような口調だった。 「いきなり暴れだした?」 「ええ。ここで話をしてたらふいと立ち上がって、……それはちょっとは言い争いをしましたけど」 「内容をお聞きしてもいいですか?」 光可さんは小さな切り傷だらけの腕を上げて髪をかきあげた。 「今日食事のときに不機嫌《ふきげん》だったので、理由を聞いただけです。なんでもないって言い張るんでこっちもカッとなって、なんでもないんだったらあんな顔をしないで、って言ったらいきなり立ち上がって部屋を出ていってしまったんです。すぐに戻ってきたと思ったら包丁を持ってて……。気が変になったとしか思えないわ」 栄次郎さんはのびたままだ。リンさんがネクタイを外《はず》して腕を後ろ手に括《くく》った。 「栄次郎さんが不機嫌だったことの原因に心当たりはありますか」 「わかりません。食事の前までは普通だったんです。板場でも……」 「板場?」 「調理場です。主人は調理人ですから。父とふたりで料理の用意をしているときも普通だったんです。一通り用意を終わって、ちょっと外の空気を吸ってくると言って出ていって、戻ったときにはああだったんです」 彰文さんが救急箱と荷紐《にひも》を持って戻ってきた。手当てをするのを見ながらぼーさんが、 「憑依霊《ひょういれい》かね」 ナルはうなずく。 「だろうな。ジョンを呼んだほうがよさそうだな。それとも――」 言ってナルは綾子《あやこ》を振り返る。 「松崎《まつざき》さん、落とせますか」 「できなくはないけど……あんまり得意じゃないのよね」 ほう。あんたに得意なことなんかあったのか? 「ぼーさんは?」 「やってもいいけどな。人間誰《だれ》しも初体験ということはあるしよ」 ちっ。頼りにならんやつ。 「成功の自信は?」 「失敗があって初めて人は上達するもんだ」 綾子が露骨にあざ笑った。 「ということは、今まで憑依霊を落としたことがないんだ。とんだ霊能者だこと」 「なんだったらお前に向かって九字を切ってやろうか? 何があっても俺《おれ》は責任とらねぇけど」 『九字』というのは退魔法の一種だ。九つの文字を唱《とな》えながら九回空《くう》を切るので『九字』という。あたしはぼーさんの腕をついた。 「どうゆうこと?」 「法力てぇのは、直接人に向けてはならない。危険なんだ」 「どういうふうに?」 「知らん。やった者がいない」 はぁ? 「だから俺も人間に憑依した霊を落としたことはない。壷《つぼ》に憑依した霊を落としたことはあるが」 言ってぼーさんは頭をかく。 「霊も落ちたが壷も粉々になったからな。やっぱ人間を粉々にしちゃ、寝覚めが悪いだろーが」 寝覚め以前の問題だってば。 「あ、でもあたしタカに向けて九字を切ったことがあるよ。やってみせてくれって言うんで」 ぼーさんが軽くあたしを小突《こづ》いた。 「二度とするな。麻衣《まい》程度だから何も起こらずにすんだんだぞ」 「あい」 うーん、いったいどうゆうメカニズムになってるんだろうなー? ナルは綾子に視線を向ける。 「一応、やってみますか?」 「いいけど。とりあえず落とすだけならできると思うから。でも、また憑《つ》いたって知らないからね」 「このまま栄次郎さんに憑いてるよりましでしょう。ずいぶんと凶暴な霊のようだから」 ……確かに、下手《へた》したら裕恵おばさんも光可《てるか》おばさんも殺されてたわけで。 内心うなずいて、それからあたしはふと考えた。過去に事故で死んだという人たち。その全員が本当に単なる事故で死んだのだろうか?
2
また暴《あば》れてもだいじょうぶなように、気を失った栄次郎さんを茶の間のすぐ近くにある納戸《なんど》に運《はこ》んだ。ナルがジョンに連絡を取っている間に綾子《あやこ》がお祓《はら》いの準備をする。実際に祈祷《きとう》が始まったのは十一時過ぎだった。 「ジョン、来れるって?」 ナルに聞くと、 「ああ。原《はら》さんと明日一番の飛行機で向こうを発《た》つと言ってた」 ほお。真砂子《まさこ》とねぇ。 ジョン(ジョン・ブラウン、エクソシスト)はともかくとして、真砂子(原真砂子、霊媒《れいばい》)まで呼び出すとは。 「真砂子も呼んだんだー」 「後手にまわりたくない。やっかいなことにならないように」 ……ふうん。どうだか。 「つつしんでかんじょうたてまつる……」 綾子の祝詞《のりと》が始まった。 「みやしろなきこのところにこうりんちんざしたまいてしんぐのはらいかずかずかずかずたいらけくやすらけくきこしめしてねがうところをかんのうのじゅなさしめたまえ」 もっともらしい声を出しているが、本当に効果があるのかははなはだ疑問。何しろ今日まで誰《だれ》も綾子が役に立ったところを見た者がいない。 あたしたちは無言で綾子と栄次郎さんを見守っていた。部屋の隅には機材が置いてあって、ビデオ・カメラの無表情な目がじっと栄次郎さんを見つめている。 やがて綾子が指を弾《はじ》いたところで、それまでぐったりと横になっていた栄次郎さんが眼を開けた。弾かれたように起き上がろうとしたけど、残念ながら彼の身体《からだ》は荷紐《にひも》でぐるぐる巻きにされている。栄次郎さんは歯ぎしりし、芋虫《いもむし》みたいに転《ころ》がったままうなり声を上げ始めた。犬が敵を威嚇《いかく》するときに出す、喉《のど》の奥でゴロゴロいうような声。 「……だいじょうぶなの」 小声でナルに聞くと、無表情にさあな、と答える。 「やっぱ綾子じゃムリなんじゃないの」 「かもしれない。どうせ明日になればジョンが着く」 「リンさんはダメなわけ?」 リンさんは中国呪術《じゅじゅつ》の導士らしい。いろんなことがいっぱいできるのに。 「相手の正体がわからないからな」 ……ふうん。 そう思ったとき、ナルが眼を見開いた。 「……麻衣《まい》。下がってろ」 あわてて栄次郎さんのほうを見ると、彼の姿にダブって何かの影が薄く見えた。何か――獣《けもの》のようなものの姿。 「なに、あれ」 ナルの返答はない。ふいに天井《てんじょう》を見上げた。あたしもつられて天井を見る。綾子の祝詞《のりと》に重なるようにしてキシキシ家鳴りがするのが聞こえた。 ナルは納戸の入り口から中をのぞいている彰文《あきふみ》んたちのほうへ眼をやる。「リン、麻衣を連れていけ。ギャラリーを頼む」 「はい」 うなずいてリンさんはあたしを促《うなが》す。彰文さんたちが驚いたように立ちすくんでいるところに、そろそろと歩いていった。栄次郎さんが突然笑い出した。あたしは驚いて振り返る。栄次郎さんは身もだえするようにして大笑いしていた。品性も何も感じられない嫌《いや》な声音の哄笑《こうしょう》。 そうしている間にもきしみは続いている。栄次郎さんの身体《からだ》にダブって見える獣の姿はじょじょに濃《こ》くなっていった。それは尾の長い獣に見えた。狐《きつね》に似ているけれど、人の背丈ほどもあるからすごく大きい。身を屈《かが》めてこちらをじっと見ている一対《いっつい》の眼――。 綾子は音をたてて手を合わせる。 「なむほんぞんかいまりしてん、らいりんえこうきこうしゅごしたまえ」 強く言って指を組む。それと同時に獣が跳《は》ねた。背後で声にならない悲鳴があがった。 そこからはスローモーションみたいだった。獣は高く跳躍して綾子の頭上を越える。綾子が驚いたようにそれを眼で追う。それはまっすぐこちらへ向かっていた。思わず眼を閉じようとしたときにリンさんとぼーさんが前へ出る。ふたりが何をするよりも早く獣は到着して方向を変えた。変えたその延長線上にはナルがいる。すっとナルが身構えるように見を低くした。その時だった。 「ナル! 止《や》めなさい」 ほっとナルが一瞬だけリンさんを見た。上げようとした両手が、ふと止まった。ナルが視線を戻すのと獣がナルに衝突するのがほとんど同時だった。 「ナルっ!」 誰《だれ》の声かはわからない。少なくともあたしは声なんか出なかった。ナルの身体《からだ》が吹き飛ぶ。すぐ背後の壁にたたきつけられ、そうして獣の姿は消えていった。まるでナルの身体ごと壁を通りぬけてしまったように。獣の頭がナルの胸にもぐりこみ、すり抜けるように尾の先までが消えていくのがコマ落としのように見えた。 「だいじょうぶか?」 ぼーさんたちが駆《か》け寄る。ナルは壁にもたれたまま膝《ひざ》をついた。咳《せ》きこむようにして手をつく。 「ケガは」 「……だいじょうぶだ」 あたしはなんだか金縛《かなしば》りにあったみたいに動けずにいた。背後から誰かが肩に手をおく。 「谷山《たにやま》さん?」 彰文さんが顔をのぞきこんできた。 「だいじょうぶですか?」 「あ……ええ……ちょっとびっくりして……」 ナルは軽くホコリを払って立ち上がる。 「栄次郎さんは」 言われて綾子があわてたように駆け寄った。いつの間にか栄次郎さんは首だけを上げてキョトンとしている。 「だいじょうぶですか」 綾子に聞かれて栄次郎さんはきょときょととあたりを見回して、 「いったいこれは、どうしたことです?」
3
栄次郎《えいじろう》さんは夕方に外へ出てからそれ以後のことを、まったく覚えていなかった。祈祷《きとう》中のビデオを再生してみても、問題の狐《きつね》らしき動物の姿が見えたあたりから、映像が途切れてしまっている。 「映ってないよ」 リンさんはうなずく。 「霊障でしょうね。テープは動いているようですから。ほかの計器類は全部針が振り切れています」 いつもはよくわかんない数字がいっぱい並んでいる画面は、「ERROR《エラー》」という文字で埋《う》まっている。サーモグラフィーも映像がとんでしまっているし。これはどう考えてもただごとじゃない。 ぼーさんが低い声で、 「単なる狐に見えたが、そんな生やさしい相手じゃないかもしれんな……」 うん。あたしがうなずいたとき、リンさんが怪訝《けげん》そうに振り返った。 「ナル?」 ナルはテーブルの上に肘《ひじ》をついて、顔を伏せている。 「どうしたの!?」 「……いや、少し背中が痛むだけだ」 ああ、とんでもないぶつけ方をしたから。 「だいじょうぶ?」 「たいしたことはない。――リン、悪いが少し寝てくる」 リンさんはちょっとだけ眉《まゆ》をひそめてうなずいた。とくに顔色は悪いように見えない。ナルが立ち上がると綾子《あやこ》も立ち上がった。 「本当にだいじょうぶなの? 背中以外に痛いところは?」 なんて聞きながらナルのあとを追いかけていく。しょせん綾子って世話好きだからなぁ。ここは邪魔しないのが綾子に対する正しい対処法だろう。 「どうなのかねぇ……」 ぼーさんが呟《つぶや》く。 「何が」 「綾子さ。あいつは何者なんだろうと思ってさ」 ふにゃ? 「さっきの除霊も完全に失敗だろう。綾子が役にたったのを見たことがあるか?」 それはそーだけども。 「だいたい、『巫女《みこ》』ってことじたいがうさんくさい。ちゃんとした神社に所属する巫女さんが、ふらふら勝手に除霊をしてまわったりするもんか」 「え、そうなの?」 「そう。綾子の『巫女』ってぇ肩書きはあくまでも自称、ってことだろう。巫女のナリした霊能者はたしかに多いが、それかってぇとそれとも違う。そういう連中は宗教活動の一環として除霊をやってるもんだからさ。綾子にゃまったく宗教色がねぇし、だからといって神道についてシロウトってわけでもねぇようだ。一応両部神道にのっとってやってるからな。どっかでちゃんと修行《しゅぎょう》をしたのはまちがいねぇんだろうが……」 「ふうん」 「それに第一、本当に無能ならナル坊が連れてくるかよ」 「それは、言える」 こう考えるとけっこう綾子もナゾの女だなぁ。 てなことを考えながらモニターを見るともなく眺《なが》めていて、あたしは一瞬のうちに硬直した。 げっ、なんだありゃあ。 店の廊下《ろうか》の映像だった。画面の中央に遠く人影が見える。もちろんあれはナルと綾子だ。それはべつに不思議《ふしぎ》でもなんでもないんだけどさ、そのナルの両手が綾子の肩に置かれているように見えるのはどういうわけだぁ!? 「どうした?」 ぼーさんに声をかけられたけど、返事なんてできるかい。ナルが綾子を引き寄せる。あ、綾子の手がナルの身体《からだ》にまわった。こーれはどう見てもラブ・シーンでないの!? ぼーさんもその映像を見つけたのか、 「げ」 と、短く一言。それから感心した(呆《あき》れた?)ように何やら言って、そうして突然立ち上がった。 邪魔すっと恨《にく》まれるぞ。……ええい、こんな伏兵がいたとは。真砂子《まさこ》だけを警戒していたというのにぃっ! 「リン! 来い!」 ぼーさんのせっぱつまった声。振り返ると血相《けっそう》を変えてベースを駆け出していく。リンさんまでが弾《はじ》かれたように立ち上がった。あたしは唖然《あぜん》とし――そうして画面に視線をもどして、血の気が引いた。 ――ラブ・シーン? ……とんでもないっ! あれは、ナルが綾子の首を絞《し》めているんだ。
あたしがあわてふためいて廊下《ろうか》に飛び出した時には、ナルは廊下に倒《たお》れていた。そのわきでは綾子が座りこんで激しく咳《せ》きこんでいる。綾子が無事でよかった。綾子のためにもナルのためにも。 「ぼーさん、ナルは」 「リンが手刀で一発」 そう言って掌《てのひら》の横で自分の首筋を叩《たた》くまねをする。 「いったい、どうしたの……!?」 ぜいぜいいっている綾子の背中をさする。綾子は何か言おうとして盛大に咳こんでしまった。 「どーしたもこーしたもねぇだろ。いくらナルの性格が悪くても他人の首を絞めるもんか」 ……それはそうだけど。 「さっきの奴《やつ》だ。奴は壁を抜けたんじゃない。ナルの中に入りこんだんだ」 ……あ。 「憑依《ひょうい》されてる。ナルに憑依するような根性のある霊がいたとはな」 言ってぼーさんは苦々《にがにが》しげな顔をする。 「こいつはやっかいなことになりやがった」
4
なんてこったい。こんなことが起こりうるとは。 とりあえずナルをベースの隣《となり》にある部屋に運《はこ》んで寝せて。あたしたちは呆然《ぼうぜん》と意識のないナルを見てたりする。 「なんなのよ、あれは」 綾子《あやこ》の声はかすれてしまっている。 「うるさい、って。いきなりアレよぉひどいんだからっ!」 「まぁまぁ。ナルが自分の意志でやったことじゃないんだし」 「それ、自分が襲われても言える? ナルの眼が据《す》わったらどんだけ怖《こわ》いと思うのよっ!」 ……それはたしかに、怖かったろーな。 「ぜったい許さないからっ!」 はいはい。おざなりに綾子の背中をたたいて、あたしはぼーさんにこわごわと進言してみる。 「やっぱ栄次郎《えいじろう》さんみたいに縛《しば》っといたほうがいいんじゃないの?」 ぼーさんは顔をしかめた。 「ナル坊をか?」 いや、その気持ちはわかりますが。正気に戻ったとき何を言われるかわかったもんじゃねぇからな。んでもやはりこのまま寝かせとくのは危険では。 「無駄《むだ》だと思いますが」 冷静な声で言ったのはリンさんだった。 「なんで」 ぼーさんの問いに、リンさんはあくまでも無表情のまま。 「縛ったくらいでナルを止めることはできないということです」 ぼーさんは首をかしげる。 「……どういうことだ?」 「言葉どおりの意味です。松崎《まつざき》さんは運がよかったのだと思いますね」 言ってリンさんは綾子を見る。 「おそらくはナルに憑依《ひょうい》した者も、まだナルの使い方がよくわかっていないのだと思います。そうでなければ松崎さんはとっくに死んでいますよ」 「そりゃ、どういう意味だ?」 「ですから、言葉どおりの意味です。奴《やつ》が本格的にナルを使うことを覚えたら、我々に対抗手段はありません。縛り上げようと監禁しようと無駄です。我々も――ナル自身も生き残ることはできないでしょう」 あたしたちは思わず眠っているナルに視線を向ける。 ?? どういう意味? 「どういうことなのか、聞いたら教えてもらえるかね」 「もうしわけありませんが、私の一存では」 ぼーさんはがっくり肩を落として溜《た》め息《いき》をひとつ。 「あのなぁ」 「ご不満はわかりますが、私にはもうしあげられません。ここは信じていただくしかないんです。ナルはあなた方が想像している以上に危険な人間だということを」 あたしと綾子は顔を見合わせる。さっぱり意味がわからん。 「ひとつ聞く。お前さん、喧嘩《けんか》は強いか?」 ぼーさんが聞くとリンさんはあっさり答える。 「おそらく」 「ナルとどっちが?」 リンさんは無表情に言ってのけた。 「殺し合いなら、ナルの圧勝でしょうね」 ――なんだって? ぼーさんはリンさんをまじまじと見て、それから深い深い溜め息をついた。 「……了解。つまり、すまきにして物置に放りこんでも無駄《むだ》なんだな? ナルは危険人物だ、と。となりゃあ、ジョンを待ってる余裕はない。今のうちに除霊してみるしかねぇわけだ」 リンさんはぼーさんを見る。 「たとえブラウンさんでも無理だと思いますが」 「どうして」 「ナルのようなタイプの人間は憑依《ひょうい》されにくいかわりに、いったん憑依されると手がつけられないものです」 「ナルのようなタイプ……」 「極めて意志が強く、自制心に優《すぐ》れているタイプ。言葉を返せば我が強い。そういうタイプの人間に憑依した霊を落とすのは容易ではないし、下手《へた》に手出しをして暴走させるとたいへんに危険です。――特にナルは」 「――じゃ、どうすりゃいいんだ?」 「わかりません」 ……わかりません、って、そんな! 「憑依した霊の正体がつかめれば、有効な除霊方法が見つかるかもしれません。あるいは私にも落とせるかも」 ぼーさんは髪をかきあげる。 「やれやれ……」 「ねぇ、ぼーさん」 あたしはコワゴワ聞いてみた。 「憑依霊《ひょういれい》を落とすのってそんなにたいへんなものなの?」 TVとか見るかぎりじゃ霊能者の代表的なお仕事じゃん。なのに、リンさんと綾子とぼーさんと、三人も霊能者がいて誰《だれ》も除霊できないとは。 「ひとくちに憑依霊つってもいろいろあるからなー。――よく言うだろ。悪い霊でも憑《つ》いてるんじゃないか、って。どうもこのところ体調が優《すぐ》れない、不運続きで何をやってもうまくいかない」 「うん」 「そういうのは憑くと言っても横にくっついてるだけだ。霊は人の気力を喰《く》うから、体調も悪くなるし何をやってもうまくいかない」 「そーなの?」 「まぁな。そういうのはたいして落とすのに苦労がない。チンケなやつ《やつ》になると霊能者が近づいただけで逃げたりもする」 「へぇぇ」 「もうちょっと手ごたえのある奴になると、がっちりしがみついてる状態になるな。よからぬことを囁《ささや》いたり、とんでもない欲望を吹きこんだりする。こういうのに憑かれると人は『魔がさした』状態になるわけさ。……だがこれもあまり苦労じゃねぇな。憑かれた人間のほうで意志を強くもってりゃ、霊能者なんて呼ばなくても落ちるからよ」 ふむふむ。 「いちばんおおごとなのは、ナル坊のようなやつさ。普通人間は自分のやりたくないことはしない生き物だ。たとえば強烈な催眠術《さいみんじゅつ》をかけたところで、望んでもいない人間に自殺や殺人をやらせることはできねぇ。心理的な抵抗が強すぎて覚醒《かくせい》しちまう」 「でも、ナルは」 「おおさ。だからたいへんなんだよ。本人の意志に反することをやらせるってことは、本人の意志なんかじゃ対抗できない状態になってるってことだ。いわば頭の奥に寄生しちまってる状態。こういうのを落とすのは並大抵《なみたいてい》のことじゃねーんだ」 「ふうん……」 「だいたい、憑依霊というやつは本人の意志の力……気力が弱まっていると憑いてくる。心配ごとがある、気分が滅入《めい》っている、体力が落ちてる、そういう状態の時だな。精神状態が前向きで気力が充実してるときには、そもそも霊が寄ってはこないもんさ。ナル坊なんてのはいちばん霊が嫌《きら》う相手だろう」 「我《が》は強いし、頑固《がんこ》だし、自分に絶対の自信があっておよそ落ちこむということを知らないタイプだもんね」 「そういうことだ。たぶん一種の虚《きょ》をついて力ずくで寄生したんだろうが、相手が相手だから生半可《なまはんか》な霊にできることじゃねぇ。……確かにジョンでも厳《きび》しいだろうな」 「でもナルはいわば人並みはずれて気力が充実しているわけで……」 「だからいっそうやっかいなんだ。憑依《ひょうい》した奴《やつ》はうまくナルの意識に食いこんで支配している。こうなると本当なら霊を退けるはずの気力が、悪用されて霊を守るために使われたりする。除霊だのなんだのってのはしょせんは気力のぶつけ合いだからよ、当然のことながら気力のあるほうが勝つ。ナルとジョンとどっちが強いと思う」「……ナル」 「だろ? つまり除霊は難しい、と。調査を続行するしかねぇわけだ。しかし、その間ナル坊やをどうする」 縛っても監禁しても無駄《むだ》な相手を? 「私が禁じておきます。金縛《かなしば》りをかけて、このまま眠らせておくのが最善でしょう。意識があると危険ですので」 「ナル坊に危険はないのか」 ぼーさんは渋《しぶ》い顔だった。 「いわば、まったく無防備になるということじゃねぇのか」 「式を残しておきます」 式というのはリンさんの命令に従う使役霊《しえきれい》のことだ。 「アテになるのか?」 「全部を残せば」 「全部?」 ぼーさんが聞くと、 「私の持つ式は五つ。それぞれに得手《えて》があります。五つで互いに補い合うようになっているのです。全部を残せば完全に安全ですが、その代わり私にできることはいくらも残りません」 「つまり、お前さんがパワー・ダウンしちまうわけだ」 「そういうことになります」 ぼーさんは指を弾《はじ》いた。 「ナル坊にうろつかれちゃ、身動きがとれん。お前さんの言うとおりにナルが危険人物だというならなおさらだ。それでいこう」 「さて、どーする。綾子、麻衣《まい |