乙一
------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】
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(例)内部は|黴《かび》と染みに覆われていた。 (例)|色《いろ》|艶《つや》が描写されている。
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20行42文字 ------------------------------------------------------- [#改ページ] [#ここから目次] 目次
Ⅰ 暗黒系 Goth 5
Ⅱ リストカット事件 Wristcut 39
Ⅲ 犬 Dog 71
Ⅳ 記憶 Twins 127
Ⅴ 土 Grave 175
Ⅵ 声 Voice 237
あとがき Postscript 329 [#ここまでで目次終わり]
[#改ページ] [#地付き]装幀 帆足英里子(ライトパブリシティ) [#改ページ] Ⅰ 暗黒系 Goth [#改ページ]
† 1
夏休みが二十日ほど過ぎたころ、出校日でひさびさに森野と顔を合わせた。 朝のホームルームが始まる前、登校してきた彼女は、話し声の騒々しいクラスメイトたちの間をぬって僕の机に近づいてきた。 僕たちにあいさつを交わす慣習はなかった。森野は僕の目の前に立つと、ポケットから手帳を取り出して、机の上に置いた。見覚えのない手帳だった。 手のひらにおさまる大きさで、表紙は茶色の合成革だ。よく文房具屋に並んでいるありふれたものである。 「拾ったの」 彼女は言った。 「僕のじゃないよ」 「知ってるわ」 手帳をさしだす彼女にはどこか楽しげな雰囲気があった。 机に置かれた手帳を手にとる。表紙の合成革は滑らかな肌触りをしていた。 ぱらぱらと中身を大雑把に確認すると、手帳の前半部分に細かい文字が連ねてある。後半は白紙のままだ。 「文章を最初から読んでみて」 彼女の言う通り、だれのものなのかわからない他人の文字を目で追っていった。改行が多く、箇条書きのような文章だった。
五月十日 駅前で楠田光恵という女と知り合う。 年齢は十六。 声をかけるとすぐに車へ乗りこんできた。 そのままT山に連れていく。 女は窓の外を眺めながら、母親が新聞の投稿欄にこっていることを話す。 T山の頂上付近に車をとめる。 トランクからナイフや釘などの入った鞄を取り出していると、女は笑いながらそれは何かとたずねてきた。 …………
文章はその先もまだ続いている。 僕は楠田光恵という名前に見覚えがあった。 ……三ヶ月前、T山へある家族がハイキングへ行った。男の子とその両親の三人家族である。父親はひさしぶりの休日だったため、山へ到着するなり寝転んで休んでいた。男の子はいっしょに遊ぼうと父親を起こそうとしたが、だめだった。 昼過ぎ、男の子は一人で森の中を散策。 母親は息子の姿が見えないことに気づく。そのとき、悲鳴が森の奥から聞こえた。 夫婦が森の中を捜すと、男の子は見つかった。彼は少し見上げた格好で立ちすくんでいた。 息子の視線を追った父親と母親は、そのあたりの木の幹が赤黒く汚れていることにまず気づく。そして、奇妙で小さなものが目の高さに釘で固定されているのを見る。周囲を眺めると、まわりの木々にはどれも釘で何かが張りつけられている。 それらが楠田光恵だった。彼女の体は森の奥で何者かに解剖された。眼球、舌、耳、親指、肝臓……。それらは木の幹に釘で固定されていた。 ある本には上から順番に左足の親指と上唇と鼻と胃袋がはりつけにされ、また別の本には彼女のほかの部分がクリスマスツリーの飾りのように並んでいた。 事件はすぐに全国を騒がせた。 森野の持ってきた手帳には、楠田光恵という女を殺害し、どの部位から本に張りつけていったか、どんな種類の釘を使用したのかが、克明に感情を交えず何ページにもわたって記されている。 僕はこの事件に関してテレビや雑誌、インターネットで情報を漁ったことがあるので詳しい。 それでも手帳は、どんな媒体にも露出していない細部まで語り尽くしていた。 「私が思うに、その手帳は彼女を殺した犯人が落としたものだと思うの」 楠田光恵は隣の県に住む女子高生だった。彼女を最後に見たのは、駅前のビルでわかれた友達だった。そして楠田光恵は、今も日本中をにぎわせている猟奇殺人の「最初の」被害者となった。 似た手口の事件がもうひとつ起きており、これらは連続殺人として考えられている。 「二番目の被害者のことも、書いてあるわ」
六月二十一日 買い物袋を抱えてバスを待っていた女に声をかける。 女は中西香澄と名乗った。 車で家まで送ろうかと話を持ちかける。 H山に向かっていたところ、家の方角に向かっていないことをさとり、助手席で女が騒ぎ出す。 いったん車をとめて金槌で殴ると静かになった。 H山の奥にある小屋に女を入れた。 …………
中西香澄という専門学校生の名前が全国的に知られたのは、一ヶ月前のことだった。ニュースや新聞で大きく取りざたされ、学校から帰宅した僕は、二人目の被害者が出たことを知った。 彼女はH山にある小屋の中にいた。その建物は持ち主が不明で、長くそのままになっていた。雨漏りがひどく、内部は|黴《かび》と染みに覆われていた。壁や床は板張りで、縦横三メートルの広さだった。 H山へ山菜を取りに来ていた麓に住む老人は、早朝、いつもは閉まっているはずの小屋の扉が開いているのを発見する。不思議に思い近づいてみると、異臭が鼻をついた。 老人は、入り口から小屋の中を確認する。最初はどうなっているのかわからなかったにちがいない。 小屋の床に、中西香澄は並べられていた。一人目の被害者と同様、体を各パーツに分けられて、几帳面にそれぞれ十センチほどの間隔をあけて十×十になるよう床一面に配されていたのである。つまり彼女は体を百の小さな塊にされていたのだ。 手帳には、その作業を行なう場面が描写されている。 二つの事件で犯人を見た者はおらず、彼女たちを殺害した人間は逮捕されていない。 マスコミはこの二つの事件を連続猟奇殺人事件として今も騒いでいる。 「私は、この事件のことをニュースで見るのが好きなの」 「どうして?」 「異常な事件だからよ」 森野は淡々と言った。 僕も、同じ理由でいつもニュースを見ていた。だから、彼女の言いたいことはよくわかっていた。 人間が殺されて、撒き散らされたのだ。そうなった人間と、そうした人間が実際に存在する。 僕と森野はこういったやるせない話に、特別の興味を抱いた。悲惨で、聞いた瞬間に首を吊りたくなるエピソードを常に求めていた。 この不思議な習性について、はっきりと口にしたわけではないが、お互いにそうであることを無言のうちに感じ取っていた。 おそらく普通の人は顔をしかめるのだろう。僕たちの感覚はずれている。だから、世界中の拷問器具やさまざまな死刑の方法について話をするとき、僕たちは特に小声で会話をした。 手帳から顔を上げると、森野は窓の外を見ていた。中西香澄のいろいろなものが床に並んでいる場面を想像しているのだということがわかった。 「この手帳、どこで拾ったの?」 僕がたずねると、彼女は説明した。 昨日の夕方、森野はお気に入りの喫茶店に居座っていたそうだ。そこはでしゃばらない主人のいる、薄暗い静かな店なのだという。 彼女は店の主人がいれたコーヒーを飲みながら、『世界残酷物語』のページをめくっていた。 ふと、雨音が聞こえた。窓に目をやると、外では激しい夕立が降っている。 帰ろうと立ち上がりかけた店内の客が、また座りなおしたのを森野は見た。夕立がやむのを待つため、もうしばらく喫茶店にいようと考えたのだろう。 そのとき、喫茶店の中には、彼女以外に五人の客がいた。 森野はトイレへ行くために席を立った。店内を歩いている途中、靴の裏におかしな感触があった。床は黒い木の板でできているが、そこにだれかの手帳が落ちており、踏んでしまっていた。彼女は手帳を拾い上げ、ポケットに入れた。持ち主を探して返そうとは考えなかったそうだ。 トイレから戻ったときも、客は夕立の景色を窓から眺めているだけで、数は変わっていなかった。 夕立の激しさは、用事のために短時間、外に出ていた店長の服装からわかった。全身が濡れていた。 森野は手帳のことを忘れて読書に戻った。 夕立がやむと、また外は太陽が照り出した。 客の幾人かは立ちあがり、外へ消える。 夏の日差しはすぐに道路を乾かす。 森野が手帳のことを思い出し、中身を読んだのは、家に帰ってからだったそうだ。 「私は二回、トイレに行ったの。一回目のときには手帳は落ちてなかった。その直後に夕立があり、客が固定された。二度目に席を立ったとき、手帳が今度は落ちていた。あの店内に犯人がいたのね。犯人は、この近所に住んでいるのだわ」 彼女は胸の前で手を握り締めた。 二つの死体は、僕たちのいる町から二、三時間はなれた場所で見つかっていた。この町に犯人が住んでいる可能性はないわけではない。 しかし、それは現実味のない話だった。 この事件はおそらく、長く語り継がれるだろう。まだ未解決ではあるが、そう感じさせる猟奇的なものがあった。全国的にこの事件について会話がなされ、小学生でも関心を持っている。 あまりにも有名になっていた。 その犯人がこの周辺にいるというのは考えづらい。 「この手帳、報道されたものをもとに想像して書いた可能性があるでしょう」 「手帳の続きを読んでごらんなさい」 ようこそ。そんな感じで森野は言った。
八月五日 水口ナナミという女を車に乗せた。 S山の近くの蕎麦屋で知り合った。 山の南側の森に行くと、神社があった。 女といっしょに、森へ入った。 …………
森の奥で、手帳の持ち主は水口ナナミという女の腹部にナイフを突き刺した。 彼女の体が手帳の中で破壊されていく。細かい文字で、彼女の両目の取り出されるさまや子宮の|色《いろ》|艶《つや》が描写されている。 そして、水口ナナミは森の奥に捨てられた。 「水口ナナミという名前に、聞き覚えは?」 森野が聞いた。僕は首を横に撮る。 水口ナナミの死体が発見されたという報道は、まだされていなかった。
† 2
はじめて森野のことを知ったのは、二年に進級して同じクラスになったときだった。僕と同じで、だれとも関わらずに生活しているやつがいると最初は思った。休憩時間になっても、廊下を歩いているときも、彼女は常に人をさけて行動していた。つまり、群れたがらないのだ。 同じクラスでそういうことをしているのは、森野と僕だけだった。といっても、僕は彼女のように、クラスメイトたちのはしゃいでいる様子を眺めて冷ややかな顔をしない。僕の場合は、話しかけられれば返事はするし、人間関係を円滑にするため冗談も言う。普通の生活を送るための最低限のことはしていた。 しかしいずれも表面的なつきあいで、クラスメイトに向ける笑顔はほとんど嘘だった。 最初に話をしたとき、森野は僕のその部分を見通して突いてきたのだ。 「私にも、 |