その表情のつくりかたを教えてくれる?」 放課後に、森野は僕の前に直立して無表情にそう言った。内心で彼女は僕のことを|嘲《あざけ》っていたのだろう。五月のはじめのころだった。 僕たちはそれ以来、ときどき話をするようになった。 森野は黒い色のものしか身につけなかった。直毛の長い髪の毛から靴の先まで暗黒に包まれている。反対に肌はこれまでに僕が見ただれよりも白く、手は陶器でできているようだった。左目の下に小さなホクロがあり、それはピエロの顔に描かれた模様のように、彼女へ魔術的な雰囲気を与えていた。 表情の変化は一般の人よりも少なかったが、ないわけではない。例えば彼女は、ロシアで五十二人の女性や子供を殺害した殺人鬼に関する本を楽しそうに読む。クラスメイトたちのざわめきの中にいるときの死にたくなりそうな青い顔ではない。目を輝かせているのだ。 森野を相手に話をするときだけ、僕は表情を作らない。それが他人を相手にしたなら、なぜ僕が無表情でにこりともしないのかと相手は思うだろう。彼女を相手にしたとき、それがゆるされる。 おそらく彼女も似たような理由から、ひまなときの話し相手として僕を選んだのだろう。 僕たちはお互いに目立つことを嫌っていた。教室ではクラスメイトたちの騒々しさの陰にかくれて静かに生活していた。 やがて夏休みがおとずれて、僕はその手帳を読むことになったのだ。
出校日の次の日、駅で僕たちは合流したあと、S山の麓まで行く電車に乗りこんだ。 学校の外で会うのも、制服ではなく私服を着た森野を見るのもはじめてだった。あいかわらず彼女は暗い色調の服装を選んでいた。それは僕の方でも同じだったらしく、彼女の視線からそのことに気づいた。 電車内は静かで、混雑とは無縁だった。僕たちは話をせず、それぞれ読書をしていた。彼女は児童虐待に関する本を読み、僕はある有名な少年犯罪の犯人の家族が書いた本を読んでいた。 駅に降りたところで、S山の周辺に蕎麦屋は何軒ほどあるのかと駅前の古ぼけた煙草屋の老婆にたずねた。蕎麦屋は一軒しかないことと、その場所がここからそう離れていないことを僕たちは知った。その後で森野は的確な発言をした。 「煙草は大勢の人を殺すけど、煙草の自販機はあのおばあちゃんから職をうばって殺すのだわ」 特に気の利いた回答を求める様子でもなかったので、僕は無視した。 目的の蕎麦屋まで道路の路肩を歩いた。道は上り坂になり、山の側面にそってカーブしていた。 蕎麦屋はS山の麓の、飲食店の並ぶ通りにあった。にぎわっている様子はなく、華や人影のまばらな寂しい雰囲気だった。蕎麦屋の駐車場には一台も車はとまっていなかったが、店を開けていないわけではないらしく、営業中の看板があった。僕たちは店内に入った。 「ここで犯人と水口ナナミは出会ったのね」 森野はまるで観光名所へ来たように店内を見渡した。 「失敬。まだ、出会ったかもしれない、という可能性の段階だったわね。それが事実かどうかを確かめるために来たのだから」 僕は彼女を無視して手帳を読んでいた。 青いボールペンで書かれている。 手帳に書かれていたのは三人の女性が殺される物語だけではなかった。ほかにも、いくつかの山の名前が書かれている。それは最初の方のページで、女性の殺される物語よりも先に書かれたらしい。 山の名前の前に◎や○、△や×などのマークがつけられている。三人の捨てられていた山には、◎がつけられていることから、死体を捨てるのに都合がいい山をリストアップしていたのではないかと推測する。 手帳の持ち主を示すようなことは書かれていなかった。 手帳を警察へ渡そうという考えは、僕たちにはない。僕たちが何もしなくても、どうせそのうちに犯人はつかまるのだ。 手帳を警察に持っていけば、犯人の逮捕が早まるかもしれない。最終的な犠牲者の数は減るだろう。本来は手帳を警察に渡すのが義務だ。 しかし残念ながら僕たちは、手帳など拾わなかったことにして黙っていることに良心を痛めない、|爬《は》|虫《ちゅう》|類《るい》のようなひどい高校生だった。 「四人目の被害者が出たら、それはきっと僕たちが殺してしまったことになるんだ」 「いたたまれないわ」 僕と森野は蕎麦をずるずると食べながらそんな話をした。彼女は「いたたまれない」という顔をしてはおらず、目下のところ蕎麦にしか興味はないという投げやりな声だった。 蕎麦屋で、神社のある場所を聞いた。 歩きながら森野は手帳を眺めていた。表紙を何度も指の先でなぞり、殺人鬼の触ったであろう個所に触れていた。その仕草から、彼女が犯人に対して畏敬の心を抱いていることが感じられた。 その気持ちは僕の中にも少しあった。それが不謹慎なことであるのも知っていた。犯人は間違いなく罰せられるべき人物だ。それを、革命者や芸術家を見るような目で見てはいけない。 そして同時に、しばしば有名な殺人犯を崇拝する特殊な人間がいることも知っている。それらの人々のようになってはいけないこともわかっている。 しかし、僕たちは手帳の持ち主が行なった事件の|禍《まが》|々《まが》しさの虜となっていた。犯人は日常生活のある瞬間に一線を踏み越えて、人間の持つ人格や尊厳を踏みにじり、人体を破壊しつくしたのだ。 それが、悪夢のように惹きつけて止まない。 神社へ行くためには、蕎麦屋のあるところからさらに頂上へむかって歩き、長い階段を上らなければいけなかった。 僕たちは体を動かすということについてほとんど理不尽な怒りを感じるのだ。だから、斜面も階段も好きではない。 神社へたどりついたとき、僕たちはつかれていた。しばらく境内に設置されていた石碑に腰掛け、休憩をとる。境内に植えられた木は高く枝を伸ばしており、見上げると来夏の太陽が葉の間から覗いていた。 二人並んで、頭上から降ってくる蝉の声に耳をすませた。森野の額に汗の粒がぽつぽつとできていた。 やがて彼女は汗を拭いながら立ち上がる。水口ナナミの死体の捜索が始まった。 「犯人と水口ナナミはここをいっしょに歩いたのね」 森野は僕と並んで歩きながら口ずさむ。 神社の奥から、森へ向かった。 どれほどの距離を、どの方向に向かって犯人たちは歩いたのか、わからない。そのため、手探りの捜索となった。 闇雲に探しているうち、一時間が過ぎた。 「あっちがわかもしれない」 そう言って別れた森野が、やがて離れた場所から僕の名前を呼んだ。 声のした方に行くと、崖の下辺りに森野の後ろ姿があった。両手をだらりと下げて直立していた。彼女の横に立ち、僕もそれを見た。 水口ナナミがいた。 森と崖の狭間、一本の大きな大木の陰、夏の薄暗闇の中に彼女は裸で座っていた。 腰を地面につけて、背中を大木の幹にあずけている。両手両足は力なく投げ出されている。 首から上はない。 頭部は、割かれた腹の中に入っている。 二つの眼球は取り出されて、左右それぞれの手の中に握らされていた。 そのかわり、ただの穴となった眼窩には泥がつめられている。口の中にも、腐葉土が塗りこめられていた。 背中をあずけている大木の幹に、何かが巻きつけられていた。それはかつて水口ナナミの腹の中にあったものだった。 血の跡は黒く地面に残っていた。 少し離れた場所に、彼女の服が落ちていた。 僕たちは彼女の正面に立ちすくみ、静かに見た。 何も話はできなかった。 死体をただ静かに見た。
次の日、森野の携帯電話から僕の携帯電話へメールが入った。 『手帳を返して』 彼女のメールはいつも、簡潔で短い。よけいなものはつけない。それは、森野ががちゃがちゃとうるさいキーホルダーやストラップに憎悪のようなものを抱いていることにも通じている。 手帳は僕が持ち帰っていた。水口ナナミのいた場所を去るとき、森野へ返さずにいた。 帰りの電車の中で、森野は衝撃から回復しないまま遠くを見つめているだけだった。 彼女は、あの場所から立ち去るとき、地面に落ちていた水口ナナミの服を拾い上げて自分の鞄に詰め込んでいた。服はほとんど切り裂かれていたが、帽子や鞄、その中身は無事だった。 水口ナナミの持っていた鞄には、化粧の道具や、財布、ハンカチなどが入っていた。帰りの電車の中で、僕はそれらを眺めた。 財布の中に入っていた学生証から、水口ナナミが隣の県に住む高校生であることを知った。プリクラを張りつけておくための手帳も鞄の中にあった。学生証の写真やプリクラで、彼女の生前の顔がわかった。 水口ナナミとその大勢の友達が、プリクラの小さなシールの中で笑顔を見せていた。 メールをもらった日の午後、僕と森野は駅前のマクドナルドで会った。 森野はいつもと違い、暗い色調の服ではなかった。そのため、最初はだれなのか気づかなかった。被っている帽子が、昨日、水口ナナミの遺体のわきで拾ったものと同じだったことから、その服装が彼女に似せたものだということがわかった。 髪型や化粧など、プリクラの中にいる水口ナナミのものと同じなのだ。服は切り裂かれていたので、似たものを探したのだろう。 彼女は手帳を受け取りながら、とても楽しそうだった。 僕はたずねた。 「遺体が森の中にあること、水口ナナミさんの家族には知らせる?」 彼女はしばらく考えて、放っておくことを宣言した。 「彼女は、いつごろ警察に見つけてもらえるかしら」 森野は水口ナナミが死の直前までしていたような格好で、彼女の死について語った。 水口ナナミの家族は、今、どうしているのだろうか。行方不明だと騒いでいるのだろうか。彼氏はいたのだろうか。学校での成績はどうだったのだろうか。 森野は少し、いつもとちがっていた。いっしょに会話をしているうちに、話し方や仕草が、いつもの彼女から離れていく。前髪のありかたを気にしていたり、離れた席に座っているカップルの雰囲気を話題に出したりする。それらはこれまで一度も森野が見せなかった行動だった。 水口ナナミと僕は面識がない。けれど、今の森野を見ていると、水口ナナミはこんな感じだったのではないかという気がしてくる。 森野はテーブルに肘をついて楽しそうにしている。かつて水口ナナミの所有していた鞄をわきに置いている。鞄のファスナーのつまみに、キャラクターもののキーホルダーがついていた。 「当分、その服装で過ごすつもり?」 「そうよ、おもしろいでしょう?」 これは森野の、ごっこ遊びなのだ。それもただ、笑い方や鏡を見てまつげを気にする様を普通の女子高生らしく似せるというだけではなかった。もっと森野の根本的な部分へ水口ナナミが侵食したように感じられた。 マクドナルドを出るとき、森野はごく自然に僕の手を握って歩いた。そのことに彼女自身は気づいておらず、指摘するまでそうしていた。 きっと僕は、死んだはずの水口ナナミに手を握られていたのだ。 駅前で森野と別れて家に帰りつくと、まずテレビをつけた。ニュースで、例の猟奇殺人事件のことを取り扱っていた。 一番目と二番目の被害者のことを報道している。これまでに繰り返し取り上げられた情報ばかりで、目新しいことは言っていない。 水口ナナミの名前はまったく出ない。 二人の被害者について、その友人や家族の悲しんでいる映像が流れる。 ブラウン管に大きく映し出される二人の被害者の写真……。 僕は森野のことを思い出し、嫌な予感がした。しかし、そんなことが起こるのはめったにないはずだ。そうやって、考えたことを否定する。 写真に写っていた二人の被害者の髪型、服装が、水口ナナミに似ていた。 それはつまり、今の森野は、殺人鬼の追い求めるタイプだということだ。
† 3
マクドナルドで会った三日後の夕方、僕の携帯電話は、だれかからメールが届いたことを示す着信音を鳴らした。 メールは森野からだった。 『たすけて』 ただそれだけの短いメールが液晶の画面に表示された。 僕はメールを返信してたずね返した。 『なにがあった?』 しばらく待ったが、彼女からの返事はなかった。 電話をかけてみる。しかし彼女の携帯電話にはつながらなかった。電源を切られたか、破壊されたかしたのだろう。 夜、森野の家に電話をかけた。家の電話の番号は、以前に彼女から聞かされていた。家に電話をするかもしれないという理由で番号を教わったのではない。彼女の家の番号がたまたまごろ合わせで頭の狂った文章になることを、以前、森野は話していた。それを僕は記憶していたのだ。 電話に出たのは彼女の母親だった。高い声で、早い話し方をする人だった。 僕はクラスメイトであることを話し、先生から言づてがあるので彼女と話をしたいと伝えた。 彼女は戻っていなかった。 まさか森野が襲われることはないだろうと思ってはいた。 あの手帳に書かれていたのは真実だったため、殺人犯が彼女と同じ喫茶店にいたということはおそらく事実だろう。犯人が偶然に今の森野の姿を町中で見かける可能性もゼロではない。今のスタイルの森野を見かけた犯人は、先日、殺害した水口ナナミとまったく同じ服装の女がいることを不思議がるかもしれない。そして、心を動かされるかもしれない。 だからといって犯人が森野に狙いを定めるのは低い確率でしかない。おそらく同じような服装の女の子は大勢、町を|徘《はい》|徊《かい》しているはずだからだ。 ただ一つ森野が犯人に襲われるかもしれない根拠があるとすれば、それは、森野と犯人の生活圏内が重なっている可能性だ。二人は同じ喫茶店にいたのだ。犯人がその日、特別に遠出をしてきてたまたまその店にいたのでなければ、日ごろ生活していて目につくところに森野が歩いていることになる。つまり、二人は出会う確率が高い。 夜中に僕は考えた。 たぶん、今ごろ森野は殺されているにちがいない。死体はどこかの山で撒き散らされているだろう。 その様を想像しながら眠りについた。 次の日、彼女の家にもう一度、連絡をいれた。 彼女はやはり、まだ戻っていなかった。母親が言うには、連絡もなく外泊するのははじめてのことだという。母親は心配していた。 「ところであなた、あの子の彼氏なの?」 受話器の向こうで、森野の母親は言った。 「いえ、ちがいますよ」 「そんなにはっきりと否定しなくてもいいのよ。私にはわかってるんだから」 森野の母親は、僕が娘の恋人であることを疑っていなかった。娘には友達らしい友達がおらず、家にだれかから電話がかかってきたのは小学生のとき以来であることを説明した。 「最近のあの子、服装も以前に比べて明るくなったし、男ができたんだと確信していたの」 僕は携帯電話の通話料金を気にした。 「彼女の部屋に、小さな茶色の手帳がありませんか?」 母親はすぐに調べてくれた。受話器から離れて、しばらく沈黙する。やがてまた声が聞こえた。 「あの子の机の上に、それらしいのがあったけど、これかしら」 どうやら森野は、手帳を持ち歩いてはいなかったようだ。もしもそうでなかったのであれば、彼女が外で手帳を開いているところを、偶然、犯人に見られてしまい、口封じのために襲われたという可能性も考えていたのだが。 手帳を受け取りに行くので家の住所を教えてほしいと僕は森野の母親に頼んだ。 電話を切り、森野の家に向かう。彼女が駅からそう離れていないところに住んでいるのは知っていたが、家をたずねるのははじめてだった。 彼女の家は駅の表側にあるマンションの三階だった。 チャイムを鳴らすと、電話で聞いた声の女性が返事をしながら扉を開けた。森野の母親であることは間違いなかった。 「まあまあまあ、いらっしゃい」 森野の母親はエプロンをして、家庭的な普通の主婦だった。それがいつも見ている森野の雰囲気とはかけ離れていたので、この母親でどうして娘がああなるのだろうかと思った。 家にあがるように勧められたが断った。玄関先で用件を済ませるつもりだった。 手帳の話をすると、彼女はすでに用意していたらしく、すぐに持ってきた。手帳を受け取りながら、中身を読んだかどうかをたずねると、彼女は首を横に振った。 「小さな文字を読むのはめんどうだから」 興味の対象は、手帳よりも僕にあるようだった。 「あの子、二年になってちゃんと学校に行くようになったと思ったら、こういうわけだったのね」 森野は一年のとき、学校が退屈だと言ってあまり登校しなかったらしい。そのことを僕ははじめて知った。彼女の趣味は少し特殊だし、その上、周囲の人間に溶けこむことのできない不器用さがある。だからどうしてもそうなってしまうのだろう。 娘を最後に見たのはいつだったのかを僕はたずねた。 「昨日の、昼を過ぎたころかしら。家を出ていくのを見たわ」 「行き先を聞きましたか?」 森野の母親は首を横に振った。 「娘を捜してくださるの?」 玄関を離れるとき、森野の母親はそうたずねた。 僕はうなずきを返す。 ただし、生きた状態ではないでしょう、とつけくわえた。母親は冗談だと思って笑った。
駅に向かって歩きながら、合成革の表紙をめくって山の名前が連なったページを開けた。 犯人が死体遺棄を考えたであろう山の名前がリストにされている。◎のマークのつけられた山は、特に死体遺棄しやすいと犯人が判断した山にちがいない。なぜなら、◎のついた山が全部で四つあり、これまで死体のあった山はすべてその中から選択されていたからだ。 さて、◎のついた四つの山のうち、三つはすでに死体が置かれている。ということは、残った最後の山へ森野はつれていかれたのではないかと考えられる。 それはN山だった。 N山に行くためにはどの電車に乗ればいいのかを駅員にたずね、切符を買った。 N山に最も近い駅で電車を降り、そこからバスに乗らなければならなかった。N山の麓ではぶどうの栽培が行なわれており、ぶどう狩りの看板をバスの窓から頻繁に見かけた。 車に乗ってN山を訪れたとき、犯人はどの辺りに死体を残していくだろうか。おそらく悲鳴をだれにも聞かれない深い場所で犯人の儀式は行なわれるのだろう。僕にはその場所の見当がつかなかった。 バスに乗っているのは僕と運転手だけだった。車内に貼ってあった路線図を見たり、運転手に話を聞いたりして、N山のうちで犯人の立ち寄りそうな場所にあたりをつける。 僕や森野の住んでいる方面からN山を訪れた場合、ほとんどの車はN山の東側を通る県道を使うはずだという。もともとN山を通る道は少なく、その県道以外の道は僕たちの住む方面には続いていないのだ。 犯人が森野を乗せてN山にくる場合、間違いなくその県道を通っただろう。運転手の話では、今、バスが走っている道こそ、その県道だという。 僕は停留所でバスを降りた。もしも車でN山の奥へ向かう場合、一本、太い道が頂上付近まで続いているという。その道にもっとも近い停留所だった。 頂上への道を歩いた。地面はアスファルトだったが、ほとんど車とはすれ違わない。 わき道がいくつかあり、深い森の奥へと延びていた。それらのどこかに犯人と森野は入ったのかもしれないと考えた。 上り坂を歩くうち、次第に高度が増していく。木々の間から見下ろす町は小さくかすんでいた。 頂上付近まではすぐに辿り着けた。小さな駐車場があり、展望台らしい建物があった。そこから先、車は進めない。歩き始めてそれほど時間がたっていなかったので、疲れはなかった。 僕は森野の死体を捜した。 木々の間を延びる道を歩き、途中で見かけたわき道にも入った。 空は曇っており、森は暗く沈んでいる。絡み合う枝葉の間から、深い木々の連なりが覗いた。 風はなく、蝉の声だけが周囲を包んでいた。 N山は、一人のばらばらになった人体を捜し出すには広すぎる。結局、森野を見つけることは無理だと僕は判断した。 バスの停留所まで戻ったとき、歩きつかれて全身に汗をかいていた。 バスの通る県道脇には、まばらではあるが民家がある。頂上へ向かう道のそばにも一軒あり、その庭にいた老人に、昨夜この道を山奥へ向かった車がなかったかとたずねてみた。老人は首を様に振った。その後で家族まで呼び出して僕の質問を検討しだしたが、結局、車は見なかったそうだ。 森野は昨日、どういう状況でメールを打ったのだろう。 犯人に力ずくで連れ去られたのだろうか。 やすやすついていくほど愚かなやつではないと思う。 それとも、犯人につかまったというのは僕の考えすぎだろうか。 停留所のそばに座り、手帳を読み返す。三人を殺害する様を描写した文章から、犯人の性格を読み取れるほど僕は心理分析に長けていなかった。 汗が手帳の上に落ちてインクがにじみ、文字が一部、読めなくなった。犯人が記述に使用したのは、水溶性のインクだったらしい。 そもそも犯人はどこでこの手帳に文章を書いたのだろうか。犯行の直後、自分の車の中か家に戻った後で書いたのだろうか。おそらく犯行中に書いたのではないだろう。犯行を思い出し、たっぷりと想像に浸りながら書いたにちがいない。 バスが来たので、僕は立ちあがった。時計を見ると、正午を三時間ほど過ぎていた。 山を下りるつもりだった。 もしかしたら、まだ犯人は森野を殺しておらず、家に閉じ込めているだけだという可能性もある。本当にそうなのかどうかを確かめるには直接、犯人にたずねるしかない。 もしもすでに殺害しているのなら、森野の死体をどの辺りに捨てたのか聞き出す必要がある。 なぜならそれを見てみたいからだ。 どっちにしろN山を下りて犯人に会わなくてはならない。もちろん、そうするつもりだった。
† 4
森野が常連になっているという喫茶店は、駅前の繁華街から奥まった場所にあった。場所は以前に聞いて知っていたが、入るのははじめてだった。 話に聞いていたとおり、店内の照明はひかえめで、心地よい暗さに包まれている。静かな音楽が流れていて、それは自己主張もなく空気の中に溶け込んでいた。 僕はカウンター席についた。 店の奥にトイレを示す表示がある。その辺りの床に目をやった。手帳はそこに落ちていたと森野は言っていた。 店内には、僕以外に一人、客がいた。若い女性の客で、スーツを着ている。窓際でコーヒーを飲みながら雑誌を読んでいた。 店の主人が注文をとりにきたので、たずねてみた。 「あそこにいる人は、常連のかたですか?」 主人はうなずいた。そして、それがどうかしましたかと首をかしげた。 「いえ、意味はありません……。それよりも、握手していただけませんか?」 「握手? なぜです?」 「いえ、記念にと思って……」 主人は誠実そうな顔をした男だった。若くはないが、まだ中年というほどでもない。肌の色は白く、どこにでも売っているような黒いTシャツを着ている。 髭は丹念に剃られていた。 彼は最初のうち、僕のことをおかしな客だと思っているようだった。僕が見つめすぎたためだろう。 注文したコーヒーはすぐにできた。 「僕は、森野という女の子の友達なんです。ご存知でしょう?」 「常連ですよ」 彼女はまだ生きてますか、と聞いてみた。 主人は動きをとめた。 持っていたコーヒーのカップを |