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GOTH リストカット事件
作者:    出处:咖啡日语    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     

`うのだ。その違いは決定的で、人間なのか、そうでないかをわけるようなものだと思う。
 彼女は人間。いつも殺される役だ。
 だが僕は違う。
「パーマをあてた後の顔写真も公開されているんだ。親族に無断で使用された写真だから、あまり出まわってないみたいだけど。そっちに見覚えがあっただけだよ」
「そういうわけか」
 彼女は再び納得した。
 家に帰り、僕は二階の自室でパソコンを起動させた。北沢博子の死体の写真を求めてネットを探しまわる。部屋の空気が淀み始め、濁ってくる。しかし見つからなかった。
 あきらめて僕は、本棚の奥に際していたナイフを取り出した。刃に映りこんだ自分の顔を見つめる。外から聞こえる風の音が、かつてそのナイフによって殺害された人の悲鳴に似てくる。
 ナイフがまるで意思を持ったように僕へ呼びかけることがあった。あるいはもしかすると、僕の心の奥底にいるものが、ナイフという鏡に映して自分の声を聞かせているだけなのかもしれない。僕は窓の外を見た。遠くにある街の光が、夜空に薄く明かりを滲ませていた。
 手に持ったナイフから、あるはずのない音が聞こえてくる。刃の乾燥する音だと、なぜか僕はそう感じる。
 僕は森野に嘘をついた。パーマをあてた北沢博子の顔写真は、一切、出まわっていない。

   † 1

 これまで、家族のうちのだれかが一人、一時的に家の中から消えるということはあった。たとえば父が出張でいなくなったときや、母が友達との旅行で出かけているとき、四人で暮らしていた家の中が、妙に風通し良くなったように感じた。私が修学旅行に参加しているときも、家にいる両親や姉は、いつも私のいるはずの空間に空気しかないのを見て、似たような虚しさを感じていたのだろうか。しかしそういった家族のひと欠けも、たいていはほんの数日のことだった。欠けていた家族が旅行先から帰ってくれば、また元通り、家の中には四人の顔が見られるようになる。家の中はちょうどよく慣れた広さになって、テレビの前を横切るときに姉の伸ばした足につい|躓《つまづ》いてしまうような、心地よい窮屈さに復帰する。
 私の家は少し前まで、四人家族だった。しかし今、姉が永遠にいなくなって、テーブルに家族がついても、ひとつだけ椅子が余るようになった。
 姉がなぜ殺されなければいけなかったのか、だれにもわからない。しかし、七週間前に姉の北沢博子は死んだ。最後に目撃されてから十二時間後、彼女はだれかに殺された状態で、郊外にある病院の廃墟で発見されたのだ。
 私は実際にその廃墟の中へ入ったことがない。しかし、姉が発見された後、外から一度だけ眺めたことならある。枯れた草の他になにもない、寒々しい場所だった。地面は砂利道で、細かい砂埃が風に吹かれて靴の表面を白くした。病院の廃墟は、四角いコンクリートで、巨大な何かの抜け殻のように見えた。窓ガラスがすべて割れていて、奥は暗かった。姉がその中で発見されてさほど時間がたっていなかったので、入り口にテープがはられ、警察がそれをくぐって出入りしていた。
 廃墟の奥まったところにある部屋で、姉は小学生に発見されたという。警察は情報を公開していないが、その部屋は以前、患者の手術を行なっていた部屋だった。
 遺体の損傷は激しく、身元を判別することは困難だったそうだが、近くにあったバッグから姉の持ち物が出てきて、警察はうちに連絡をすることができた。電話を受けたのは母だった。最後に姉を見てから一日も経過していない昼間のことで、電話はだれかのいたずらとしか思えなかったそうだ。
 しかし遺体はたしかに姉のものだった。それは、実際に姉を知っている両親や私、恋人の赤木さんが姉の|亡《なき》|骸《がら》を確認してわかったというわけではない。生前に姉のかかっていた外科医のカルテや、いくつかの精密な医学的な検査が判定したことだった。
 ……警察は、姉がどのような状態で発見されたのか、どのような方法で殺されたのかを、あまり公にはしなかった。世間には、絞殺され、刃物で切断されていたとだけ広めた。それだけでも、相当に残酷な事件で、ニュースは騒ぎ立てた。しかし実際は、その程度のことではなかったらしい。
 姉の受けた仕打ちを何もかも公開すると、あまりにも社会に対する影響が大きいと判断したらしく、だれもが口を閉ざしたのだ。発見した小学生にまで、その箝口令はしかれたらしい。
 両親は、姉の死体を見せてくれるように警察や医者へ頼みこんだ。しかし彼らはしぶった。姉はもう、もとの姿にまで復元することは不可能な状態で、家族には見せないほうがいいと判断されたのだ。
 父母は生前の姉を、特別に溺愛していたというわけではなかったと思う。どこにでもあるような親子で、テレビコマーシャルの話題で盛りあがったり、新聞をどこに置き忘れたかで険悪になったりするような家族だった。人前で姉を誉めるということもなく、どれだけの愛情を注いで育てていたのかなど、姉の死を知らされた両親が顔を擦って泣き出すまで私は知らなかった。
「博子に会わせてください!」
 病院で、父は必死に医者と警察へ頼みこんだ。顔を赤くして、ほとんど怒っているように見えた。少しも引く様子がないのを見て、医者と警察は困惑しながら、父母を遺体の安置されている部屋に通した。
 四角い両開きの扉を抜けて両親の背中が消えるのを、私は廊下から見送った。恐ろしくて、私は姉を見るためにその部屋へ入る勇気がわかなかった。
 刑事と医者が話しているのを、ちらりと耳にした。彼らは、私が階段の陰にいることに気づいていなかったらしい。
 散らばった体を集めるのが大変で……。
 刑事は、そう口にした。私の靴が、病院の床で擦れて高い音を出した。刑事が振り向いて、私の存在に気づく。しまった、という表情をして口をつぐんだ。
 姉の体を、集める。私は立ちすくんで、その言葉の意味を考えた。
 しばらくして両親が連体の安置された部屋から出てきたとき、姉はどのような状態だったのかと私は尋ねた。しかし、言葉は二人の上を素通りした。それまで涙を流し続けていた二人は、その部屋に入った後、もう泣かなくなっていた。そのかわり、だれとも目をあわせないまま下を向いて押し黙っていた。表情を部屋の中に忘れてきたようだった。二人の顔の皮膚はひどく黄色くて、まるで動かないマスクのようになっていた。
 姉の遺体について、警察は固く口を閉ざし、世間に対しては、黒い箱の中へ入れたままにした。そのおかげなのか、遺体が発見された当時は賑やかだった報道も、長くは続かなかった。姉が殺されて七週間が経過した今、もう警察や報道関係者がうちにくることはなくなっていた。

 姉は私より二歳年上で、死んだとき二十歳だった。二人きりの姉妹だったから、いつも姉を見て私は生きてきたようなものだった。
 私が小学五年生になったとき、姉は中学校の見なれない制服を着た。私が中学二年生になったとき、姉は高校というやはり私の知らない世界のことを家で話し始めた。二年後の私に訪れるはずの生活を、私は姉の中に見ていた。そう考えてみると、姉は私にとって、暗い海を先導して進む船のような存在だったのではないかと思う。
 二歳のちがいはあったが、背丈はほとんど変わらなかった。そのせいか、私たちはよく人から、似ていると言われた。小学生だったころ、正月に親戚の家へ行くと、会う人ごとにそう話しかけられて困った。
「べつに、そんなことないよねー?」
 姉は親戚たちの反応をおかしそうに見ながら私にそう言った。私たちにとって、毎日、目にするお互いの顔は、自分とは全然ちがった別の顔にしか見えなかった。どこが似ているというのだろう。いつもそう思っていたが、姉と別の部屋で親戚の子供といっしょにゲームなどをやっていると、部屋の前を通りかかった親戚のおばさんは、「あら、あなたさっき、向こうの部屋にいなかった?」と首をかしげていた。
 子供のころ、私と姉は仲が良くて、いつもいっしょに遊んだ。姉に手を引かれて、二歳年上の、姉のクラスメイトの家に行ったこともあった。
 ……それが、いつごろから変わってしまったのだろう。最後に笑って姉と会話したのが、いつだったのかを思い出せない。
 数年前から私たちの間に、わずかな溝ができていた。それは、まわりの人にもわかるような、はっきりとしたものではなかった。あるいは、溝というほどの大げさなものではなかったのかもしれない。私と話をしていると、姉が、わずかに不機嫌そうな顔をするときがあったのだ。
 あるとき私が居間のソファーで、読んでいた雑誌を指差し、こんなおもしろい記事があるよと姉に声をかけた。ただそれだけなのに、彼女はちらりと雑誌を目にすると眉間に皺をよせ、ああそう、とそっけなく居間を出ていった。そのときの姉の仕草や表情に、気のせいか、いらつきの断片が見え隠れしたように思えた。
 虫の居所が悪かっただけにちがいない。あるいは、忙しいときに私は声をかけてしまったのかもしれない。私はそのように考え、姉の見せた表情が、たいした理由によるものではないと信じようとした。
 しかし姉のいらつきは気のせいでも、そのときだけの特別なことでもなかった。
 たとえばある日、私が高校から帰ってくると、姉が居間で友達と電話をしていた。コードレスの受話器に向かって話す彼女の声には、笑い声が交じっていた。私は電話の邪魔をしないよう、ソファーに腰掛け小さな音声でテレビを眺めた。
 やがて姉が電話を終えると、部屋は急に静かな空間へと変わった。私たちは向かい合わせのソファーにそれぞれ座り、無言でテレビ画面を見つめていた。私は何か姉に話しかけたかったのだが、それをためらわせる気配が姉から発散されていた。ついさきほどまで電話に向かって機嫌良く話をしていたはずなのに、私とふたりきりという状況になると、急に姉は黙りこむ。毛布のような暖かい雰囲気を消して、見えない壁を作り、私から距離をとる。
 そこへ近づいて話しかけようとすると、姉は不機嫌な表情で拒否するのだ。私と話をするときの、姉の受け答えは短かった。母と話をするときに比べ、短時間で会話を終わらせようという意思を感じた。
 理由がわからず、恐かった。言葉よりも前に姉の不機嫌さだけを肌で感じ、そばにいることすらできなくなる。やがて姉の前を横切ったり、いっしょの部屋にいたりするだけで緊張するようになり、そのようなとき私は、体を硬くした。
「夏海、その服はやめたほうがいいんじゃない」
 半年ほど前、参考書を買いに本屋へ向かおうとしていると、姉がそう声をかけてきた。彼女が指差していたのは、私がよく外出するときに羽織っていた白い毛糸の上着だった。昔から愛用していたものだから、近くで見ると、たしかに毛玉がついていたり、ほつれたところがあったりした。
「でも、これ好きだから」
 そう返事をすると、姉は不満そうな顔をした。
「あ、そう」
 私になどもう興味ないと言いたげに、そっぽを向いた。私は立ちすくみ、世界にあった光が急激にしぼんでいくような気持ちに耐えた。
 私たち姉妹は人の言うように外見が似ていたかもしれない。しかし趣味や性格は正反対だった。
 姉は明るく、恋人もいて、いつも笑顔を絶やさない人だった。まわりにはいつも姉を慕う友人がついており、毎日だれかから電話がかかってきていた。活動的で多趣味だったから、落ち着いて家の中にいるということが少なかったように思う。妹の私から見ても、姉は輝いていた。
 一方で私といえば受験生である。いつも机に向かって、ペンシルの芯が折れる音しか最近は聞いていない。暇な時間は、歴史小説を読むだけだ。姉が中学に入り、私の知らない町のことや、知らない人々との交流を持って家を空けるようになったころから、姉に引っ張られて外遊びをしていただけの私は、だんだんうちにこもって本を読むばかりになったのだ。しかしその変化は自分にとってごく自然なことだったし、華やかで明るい姉のことは好きだった。
 外を軽やかに飛びまわるような姉と、家の中で石のようにじっとしている自分の姿とを、私はよく見比べた。劣等感を抱いたことは、あまりなかった。ただ、自分はすごい姉を持ったものだという誇らしさを感じることならあった。
 しかし姉にとって私は、野暮ったいだけの人間だったのかもしれない。以前は気づかなかったが、私の生活のしかたなどが、彼女の気にさわっていたのではないだろうか。
 姉はやさしい人だった。私に対する不満をはっきり口にしなかったのは、その表れだったように思う。彼女が私のことを嫌いだなどと言ったことは一度もなく、自分の不機嫌さを私に|覚《さと》られまいとしている印象もどこかあった。だから、長い間、妹としてそばにいながら彼女の気持ちに気づかなかったのだ。
 姉は私のことを、私が思っていたようには好きではないのかもしれないなあ……。
 その結論が真実かどうかはわからない。しかしその悲しい解の他にどのような答えも思い浮かばなかった。
 なぜなの? ただ一言、そう聞けばよかったのに、もう遅い。どうして私は、姉が生きているうちに勇気を出して問いたださなかったのだろう。後悔するような返事をもらうことになっても、そのほうが良かったに違いない。
 しかし、姉が言葉を発する機会は永遠にこなくなった。もはや私は、疑問を抱いたまま姉のことを思い返すことしかできないのだ。
 姉がいなくなった家の中は、朝のこなくなった夜のように静かだった。二ヶ月前と比べて同じ家庭とは思えないほど変わってしまった。
 両親は姉の遺体を見て以来、口数が少なくなっていた。感情の抜け落ちた顔で、世間話をすることなくテレビを見ていることが多くなった。バラエティ番組にチャンネルを合わせていても、笑い声をあげることもなく、楽しそうな笑みを浮かべることなく、静かに見ているだけなのだ。両親は、一生この先、このままなのかもしれない。二人を見ていると、そう思うことがあった。
 もはやこの先、どんな幸せなことが起こっても心から楽しめないものを背負ってしまったような、そんな顔を二人はしていた。
 かろうじて母は食事を作ってくれる。これまでの生活で体に染みついた習慣どおりに食事を用意する母は、まるで機械のようだった。
 部屋の隅に落ちていた埃の塊を見たとき、私は泣きそうになった。父母が憐れだった。母は姉のいなくなる前、こまめに掃除をしていたはずだった。しかし今の家の中は、どこも薄く埃に覆われている。それにも気づかずに二人は、きっとどんな瞬間にも、幼いころの笑った姉の顔を思い出しているのだろう。はじめて抱き上げたとき、腕に感じた重みは、まだ二人の腕にきっと残っているのだ。
 二人はやはり、遺体の安置された部屋に入るべきではなかったのだ。そこで見てしまったものと、記憶の中にある幼い姉の笑顔とのギャップに、二人は首を永遠に傾げ続けることになってしまったのだ。
 沈黙しかない家庭の中で、私の存在は希薄だった。父に話しかけても、「うん……」という意味のない頷きしか返ってこない。しかしはたから見ると、私も両親と同じように映っていたのかもしれない。友達との会話で、両親と同じく笑うということができなくなっていたからだ。
 私はときどき、夜になると、主のいなくなった姉の部屋に入り、椅子に座って考え事をした。姉の部屋は、私の部屋の隣にあった。生前に断りもなく入ったとしたら、きっと姉に怒られていただろう。
 使うもののいなくなった部屋は、埃のつもるのが早かった。姉の使っていた机の上に手を載せると、ざらつくものが表面を覆っていた。
 姉はここでどのようなことを考え、生きていたのだろう。椅子の上で膝を抱えるようにして座り、家具のひとつひとつを見ながら思った。カーテンの閉められていないガラス窓は、夜の暗闇のために黒かった。
 姉の顔が、ガラス窓の中に浮かんでいた。一瞬、そう思ったが、私の姿が反射しているだけだった。自分で見間違うということは、やっぱり私たちは似た姉妹だったのだろうか。
 棚に、手鏡が置かれていた。私は自分の顔を見ようと、それに手を伸ばす。手鏡の横に小さな筒状のものが転がっているのを見つけ、そちらに興味がわいた。どうやら口紅らしい。手鏡ではなく、それを手にする。
 血のような、赤色の口紅だった。薄いピンク色をしたかわいらしい口紅もいくつか転がっていたが、血のような赤に、私は吸い寄せられた。
 鏡を見るまでもない。それらを持っているか、いないかが、私と姉の違いだったと思う。口紅を握り締めたまま、私は部屋を出た。
 この先、どうやって生きていけばいいのかわからなかった。そのような状態の私が姉の声を聞くことになったのは、十一月の終わりかけたある夕方のことだった。

   † 2

 十一月三十日。
 学校から帰る途中、街中にある大きめの本屋に立ち寄った。大学受験に関する問題集を購入するためである。意欲をもって大学への進学を望んでいたわけではなかった。姉のいたときははっきりと自分の学びたいことがあったけど、今は違う。他に自分が何をしていればいいのかわからずに、ただ漠然と、それまで行なっていたことをつづけているだけだった。
 本屋の奥まった場所に、問題集を詰めこんだ棚はあった。私はその前に立ち、まず一番上の段を見上げて、並んでいる背表紙を左から順番に目で追った。棚の右端までくると下の段に移り、自分と気の合うような問題集を探す。
 良さそうな本はなかなか見つからなかった。私は腰を曲げ、最後に、足元近くにある最下段を探した。並んでいる背表紙を左から一つずつ確認し、視線が右端まで移動し終えたとき、視界の端ぎりぎりのところに人の靴が見えた。
 黒い靴のつま先が、私のほうを向いていた。あきらかに私という存在を正面にとらえた立ち方だった。私が顔を上げてそちらを見ようとすると、その靴は素早く遠ざかって本棚の間に消えた。
 じっと見つめられていた気がした。胸に不安が広がっていくのを感じながら、再び私は、棚に視線を向けた。
 今度は、背後に人の立つ気配がした。店内の蛍光灯が、すぐ正面にある棚に私自身の影を落としていたのだが、それを一まわり大きな影が覆った。
 靴音もなにもしなかった。その人物は、私の背中に触れるか触れないかという近さに立っているらしく、呼吸する音が聞こえてきた。
 痴漢だということはすぐにわかった。以前、この本屋に現れたという話をだれかから聞いていた。しかし、私は悲鳴をあげることも、逃げ出すこともできなかった。すくんで足が動かない。恐くて振りかえることさえできなかった。体中が硬化し、石になったように感じた。
「すみません、通してもらえませんか?」
 唐突に、右手の方から声がした。まだ若い、男の子の声だった。
「痴漢の方、ですよね。さっきから鏡で見ていましたよ。ほら、天井に設置してあるでしょう、鏡が。興味深かったです。でも、僕はそこを通りたいので、脇によっていただけませんか」
 人がきてくれたという安堵からか、魔法のように私の体が金縛りからとけた。声のした方を振り向くと、黒い学生服を着た少年が本棚の間に立ってこちらを見ていた。
 背後にあった気配が、慌てたように少年とは反対の方向へ逃げ出していく。その後ろ姿を、私は見た。背広姿の、どこにでもいるような男の人だった。走って遠ざかる姿は少し滑稽で、自分の中の恐怖心が綺麗に溶けていくのを感じた。
「……すみません、ありがとうございます」
 私は少年に向き直り、礼を言った。彼は私より背が高く、痩せた体をしていた。どこか力のない立ち姿が印象に残った。彼の着ている黒い制服には見覚えがあった。知り合いの男の子が通っている学校のものに間違いない。
「いえ、別に。僕は、あなたを助けようと思ったわけではありません」
 彼は表情を変えずに淡々と話をした。
「それでは、本当にここを通りたくてあんなことを言ったの……?」
「あなたに話しかけようと思ったのですよ、北沢さん。北沢夏海さん、ですよね。お姉さんに、とてもよく似ていらっしゃいます。だから、すぐにわかりました」
 あまりに唐突だったので、反応ができなかった。聞き返そうとする前に、彼はまた口を開いた。
「僕は生前の博子さんと少しだけ面識のある人間です。彼女から、あなたのことを聞かせていただきました」
「ちょっと待ってください。いったい、あなたはだれなんですか?」
 それだけを言うのがやっとだった。
 少年は私の問いに答えないまま、学生服のポケットから何かを取り出した。どこにでも売っている薄い茶色の封筒だった。中に何かが入っているらしく、厚みがある。
「これをお渡しします」
 少年はそう言って私に封筒を差し出した。わけもわからないまま受け取る。封筒の口は開いており、中を確認すると、透明なケースに入ったカセットテープらしいものが奥に見える。
「すみませんが、今ここで中身だけ取り出して、封筒は返してください」
 私はそのようにした。テープを抜いて、空になった封筒を少年に渡す。彼はそれを折りたたんで、ポケットにしまった。
 カセットテープはどこにでも売っているものだった。シールが貼ってあり『Voice1・北沢博子』と書いてある。手書きではなく、プリンタで出力された文字だ。
「このテープはなに? なぜ姉の名前が書かれているの?」
「再生すればわかります。それは、生前の北沢博子さんから預かったものです。ぜひあなたに聞いていただきたいと思ってお持ちしました。あと二本テープが残っています。それは、また次の機会に。もしもあなたが僕のことをだれかに話せば、きっとその機会は訪れないでしょうけれど」
 それだけを言うと、彼は背中を向けて立ち去ろうとした。
「待って……」
 声を出して、私は追いすがろうとする。しかし、だめだった。さきほど痴漢に背後へ立たれたときと同様、足が動かなかった。なぜ、自分がそうなっているのかわからなかった。少年は私に危害を加えようとしたわけではないし、逆に痴漢から救ってくれたはずだ。それなのに私は、自分でもはっきりと意識しないうち、いつのまにか全身に汗をかいて緊張していた。
 そのうちに彼の後ろ姿は本棚の陰に見えなくなった。後には、私と、手に握ったテープだけが残った。
 帰りの電車の中、私は椅子に座って、受け取ったテープを眺めていた。辺りはすでに太陽が沈んで暗かった。窓の外は墨で塗られたように黒く、景色はほとんど見えない。そのせいか、電車が動いているようには思えなかった。すでに太陽は冬の時間で動いているのだと思った。たしか姉が殺されたとき、夕方は、明るかったはずだ。
 あの少年は何者だったのだろう。高校の学生服を着ていたことから、私と同い年か、一、二歳年下だろう。彼は姉と面識があると言っていた。しかし、私は彼のことなど聞いたことがない。
 もっとも、殺されるより少し前から姉とは親しくできていなかったから、彼のことを教えられていないのは当然のことなのかもしれない。
 テープは、姉から預かったと言っていた。ということは、姉が私に、このテープに録音されているものを聞かせたがっていたということだろうか。『Voice1・北沢博子」という題名には、どのような意味があるのだろう。
 電車がスピードを落として、私の体に慣性の力が働いた。私は立ちあがって電車を降りた。
 駅前は人の通りが多い。しかし、わき道にそれて住宅地に入ると、アスファルトの道が闇の中をのびているだけである。私は冷たい風に震えながら家に向かって歩いた。暗い中で、道の両側に並んでいる家々の窓だけが明るく光を放っていた。その中のひとつずつに家庭が存在していて、夕食の並んだテーブルがあり、それを囲む人々が生活しているのだと思うと、途方もないという気持ちになる。
 自分の家の窓は暗かった。しかし、留守でだれもいないというわけではない。私は玄関を開けると居間に向かい、ただいまと両親に声をかけた。
 二人はソファーに座って、電気をつけないまま詰もせずにテレビを見ていた。画面の発する光だけが部屋の中を照らしている。私が蛍光灯のスイッチを入れると、二人は顔を私に向けて、おかえり、と言った。弱々しい声だった。
「玄関のドア、また鍵がかかっていなかったよ、だめじゃない」
 私がそう言うと、「あら、そうね」と母が頷いた。そしてまたテレビ画面に視線を向ける。何もかもどうでもいいという、無気力な様子だった。
 二人はテレビを見ているわけではない。画面に映し出されたどんな色の変化も二人の目には届いていない。私は、皺だらけの服に身を包んだ二人の小さな背中から目をそらし、居間を離れて二階の自室へ向かった。
 制服を着たまま、鞄をベッドの上に放り出し、テープをステレオにセットする。小型で、やや青みがかった銀色のステレオである。柵の上から二段目に置いていた、私はその前に立って、心を落ち着けるための呼吸をする。
 姉の顔を思い出す。死ぬ少し前の、どこか苛立った様子で私を見る彼女の顔ではない。もっと小さなころ、手をつないで坂道を歩いたときの、八重歯を覗かせて笑った姉の顔だ。
 ステレオ本体にある再生のボタンを、人差し指で押した。ステレオの内部で機械の動き出す音がする。テープがまわりだした。スピーカーに視線を向ける。
 最初の数秒間、無音だったが、やがて雑音のような風の音が聞こえてくる。緊張で、私の心臓は早鐘を打つ。
 風の音だと思ったものは、どうやら風ではなかった。だれかの吐き出す息が、マイクに当たったもののようだった。

 夏海……。

 唐突に姉の声が聞こえてきた。まるで|憔《しょう》|悴《すい》したように弱々しい。しかし、確かに聞き覚えのある姉の声である。呼吸の音は、どうやら彼女のものだったらしい。あの少年の言ったことは嘘ではなかった。本当に姉が、私に残したテープだったのだと確信する。

 ねえ、夏海、この声はあなたに届いているのかしら……。今、私は目の前に差し出されたマイクに向かって伝言を残しているの。でも、本当にあなたへ届いているのか、今の私には確認することなんてできない……。

 姉はいつどこでこのテープを録音したのだろう。声はか細く、消え入りそうである。途切れがちに話す彼女の声は、苦しげで、切羽詰まっているように思えた。ゆっくりと、合間に沈黙をはさみながら声を出す。そのために、脚本ではなく姉が考えながら言葉を生み出しているのだと感じられる。

 よく聞いて……。私は、伝言を残すことを許されたの……。どんなことでもいいから、今、一番、言いたいことをマイクに話せって……。ただし、だれか一人だけに向けて……。
 そう言われたとき、咄嗟にあなたの顔が浮かんできて、言っておかなければいけないことが、たくさんあることに気付いたわ……。不思議ね、赤木さんではなくて、あなたへの言葉だけが浮かんでくる……。
 今、私にマイクを差し出している彼、……彼のことは話してはいけないことになっているから、言えないの、ごめんなさい、……その彼が、録音されたテープを、後であなたあてに届けると言ったの……。送り届けて、私の言葉を託された人の反応を見て楽しむのだそう……。それは、とても悪趣味なことだと思うけど、私の声があなたに届くのであれば、それでもかまわないと思う……。

 私は身動きできなかった。ただ、嫌な予感だけが膨れ上がっていった。頭の中で、この先を聞いてはいけないという危険を知らせる声が響いていた。恐ろしいことが待ち構えている、そしてそれを聞いて知ってしまうと、もう戻れなくなる……。私はそのことを確信しながら、息苦しさのため、あえぐように呼吸をした。
 停止のボタンを押すつもりはなかった。私はじっとして、雑音混じりの姉の声を聞いた。

 ……夏海、今、私は薄暗い部屋にいます。動けない状態なの……。まわりはコンクリートで……寒い……台に寝かされているわ……。

 私は手で口を押さえ、悲鳴をこらえた。マイクに向かって話しかけている姉がどのような場所にいるのか、ある解答が頭に浮かぶ。
 姉の声に、泣き声が混じった。鼻をすする音。

 ここは……どこかの廃墟みたい……。

 彼女の声は静かで、冷たいコンクリートの暗闇に虚しくこだまするような、悲しい響きを持っていた。その悲痛さが、直接、私の心を串刺しにする。
 私は無意識のうちに、スピーカーの方へ右手を差し出していた。姉の声へ追いすがろうとするように、震える指の先が、スピーカーを覆っている網の表面に触れる。

 ……夏海、ごめんね。

 その一言が、私の指先のすぐそばで発生して消える。わずかな振動が余韻となって手に残った。まるで声の小さな塊をつかんだような気がした。やがて姉の呼吸する音が消え、スピーカーからは雑音さえ出なくなる。録音が終わったらしい。テープを裏返してB面を聞くが、そちらにはなにも録音されていない。
 このテープは、姉が殺される直前に録音されたものに違いない。本屋で少年からテープを受け取ったときのことを思い出す。
 テープは封筒に入っており、彼はその場で私に、封筒から中身を取り出させた。それから封筒だけを返却させられた。
 彼は一度も、テープには触っていない。あの一連の動作は、指紋をつけないようにという配慮のためだったに違いない。彼が姉にマイクを向けて殺害したのだろうか。
 このテープは警察へ渡すべきだ。それがもっとも、正しいことに違いない。
 しかし、そうするつもりはなかった。あの少年は別れ際、警察に知らせたら残りのテープを聞く機会がなくなるだろうと言い残した。
 まだ、テープには続きがある。私はそれを聞きたかった。

 テープを聞いた翌日の夕方、私は学校を休んで、M高校の校門が見える場所にいた。
 M高校は、私の通う学校とは二駅しか離れていない場所にある市立の高校だった。校門は車の通りの多い道路に面している。そこから敷地を囲むように、淡い緑色の葉をつけた木がすきまなく並んで生垣を作っていた。綺麗に葉が切りそろえられていて、緑色の平らな壁に見える。その上端から、敷地の奥にある白い校舎の屋上が突き出て見える。
 道路を挟んだ学校の正面にコンビニエンスストアがあり、雑誌売り場に立つと、店のガラス越しに校門を確認することができた。雑誌を立ち読みするふりをしながら一時間ほど経過したとき、ようやく校門から、授業を終えた生徒たちが出てきた。日が傾き始めていた。
 生徒たちは校門を出ると、ほとんどが道路を渡ってコンビニエンスストアのある側にくる。駅が道路のこちら側で、歩道も広いからだろう。おかげで一人ずつ生徒の顔を確認することができた。
 大勢の行き交う生徒たちを見ながら、私は姉の声を思い出していた。昨夜のうちにも何度かテープを聞き返し、そのたびに動揺して一睡もできなかった。ベッドに寝転がり、天井を見上げて考え事をしたが、どこかへ思考が着地するわけでもなかった。
 体がふらつくような気がした。眠っていないからだろう。持っていた雑誌のページをめくりながら、視線を店員に向ける。ずっと立ち読みするふりをして移動していないから、迷惑がられているかもしれない。もしかすると不審に思われている可能性もあり、呼びかけられたらどうしようかと、少し恐かった。
 再びガラスの外に目をやり、道を歩く生徒たちの集団を見た。楽しい会話をしているのか、五人ほどの男子生徒が、おかしそうに笑い合いながら目の前を過ぎていく。その中の一人と、目が合った。
 彼は首を傾げてその場に立ち止まると、一緒に歩いていた彼の友人たちに何か声をかけた。ガラス越しだったので、なにを言ったのかはわからなかったが、おそらく別れの言葉だったのだろう。彼一人を残して他の四人は去っていく。
 私は居住まいを正した。
 彼がコンビニエンスストアの店内に入ってきて、小走りに私のそばへ駆け寄ってくる。
「北沢先輩じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで」
 神山樹という名前の、中学時代の知り合いだった。バスケ部の幽霊部員をしていた男子生徒で、私はマネージャーだった。彼はぱっと明るくなるような笑顔の持ち主で、まるで子犬のようだった。背丈は私よりも高いが、その駆け寄ってくる様子が、ただの犬というよりも子犬のようだったのだ。
「どうしたんですか、俺の顔、ちゃんと覚えてますか?」
 私は彼に声をかけられて、ほっとして泣きそうになった。今まで自分は心細かったのだと自覚する。
「ばかね、もちろんよ。ひさしぶり、樹君……」
 姉の葬式の日を思い出した。親類や姉の大学の同級生たちが弔問に訪れる中、彼も学生服姿でかけつけてきてくれた。私のそばにいっしょにいてくれた。別に、元気付けるような言葉をかけてくれたわけではない。でも、そばに立っていてくれるだけで私は救われていた。
 そのとき彼の着ていた制服の学章を、私は覚えていた。だから、テープをくれたあの少年が、樹と同じM高校の生徒であることがわかったのだ。少年の名前がわからない今、彼を探し出す糸口はそれしかなかった。
「偶然ですね、こんなところで会うの。だれかと待ち合わせですか?」
 まさか、姉を殺したかもしれない犯人が校門から出てくるのを待っているなどと、説明するわけにはいかなかった。私は首を横に振る。ううん、そういうわけじゃないの。私はどんな顔をしていたのだろう、彼は顔を曇らせた。
「なにかあったんですか……?」
 彼の声には、人を心配するやさしさがこめられていた。
「お姉さんのことで、今も……?」
 彼は、私と姉の不仲を知っている。葬式のとき、隣に立つ彼へ話してしまった。きっと、葬式のときに飾られた写真が、死ぬ少し前に撮影されたものだったから、私は相談したい気持ちになったのだろう。胸から上を写された写真の姉は、綺麗だったが、私とは親しくなくなったころの姉だった。
「姉のことは、もういいの……」
「でもあんなに悩んでいたじゃないですか。お姉さんと話をしておきたかったって……」
「うん、でも、もういい……。お葬式のときはごめんね。私あのとき、あなたにそんなことを言ったのね……」
 樹の私を見る目は、痛ましいものを見るときの目だった。
「お姉さんを殺した犯人について、警察が何か手がかりを見つけたんですか?」
 私は彼を見つめた。
「なんとなく、様子が変だから」
 なんて勘の鋭い子だろう。私は、首を横に振った。
「警察は、何も……」
「そうですか……」
 彼がそう言って息を吐き出したとき、私の目の端に、現れた。樹と話をしている間にも太陽は沈みかけ、外は薄暗くなっている。それでも店のガラス越しに、校門を出て道路を渡る彼の顔を確認することができた。
 あの少年が姉を殺害した犯人だと決まったわけではない。しかし私は、彼が視界に現れたとき、暗闇に閉じ込められるような恐ろしい気持ちになった。
 彼は女子生徒といっしょに歩いている。髪の長い、美しい顔立ちの子である。二人ともほとんど無表情だった。
 雑誌の並んだラックと店のガラスを挟んですぐ外を、二人の横顔が通りすぎていく。私が唐突に黙りこんでしまったので不審に思ったのか、樹も私の視線を追って外を見た。
「森野さん……」
 樹の口から声が聞こえた。
「それが、あの男子生徒の名前?」
「いえ、女子の方。結構、有名な人なんですよ。以前、痴漢しようとした先生を逆に返り討ちにしたとか、しなかったとか」
 あの二人は樹と同様に、M高校の二年生なのだそうだ。
「男子生徒の方の名前、わかる!?」
 私はたずねた。つめよるような言い方だったので、彼は少し驚いていた。
「あ、はい、彼は……」
 樹は名前を口にした。私は、その男子生徒の名前を忘れないよう頭に刻み付けた。
 私は持っていた雑誌を置くと、店の外へ出た。冷たい空気と、車の排気ガスの臭いが、さっと体を包む。
 私は店の前に立ったまま、彼の歩いていった方向に目を向ける。駅のある方角へ遠ざかっていく二人の背中が見えた。
 視線を感じたのだろうか。少年の隣を歩いていた森野という女子生徒が振りかえり、こちらを見た。私をちらりと確認して、また正面を向く。
 店のドアが開いて樹も店から出てきた。
「あいつとは一年のときに同じクラスだったんです」
「どんな人だったの?」
 樹は私をまじまじと見て、肩をすくめた。
「別に、普通のやつだったけど……」
 私は迷った。追いかけたほうがいいだろうか。しかし、そばには樹がいる。あの森野という女子生徒もいる。姉の声を録音したテープについて話を聞くことはできそうにない。
 追いかけるのは諦めることにした。
「どうかしましたか……?」
 私は首を横に振った。そして二人の去っていった駅のある方向へ私たちも歩き出す。すでに二人の背中は見えなくなっていた。

 道路に面して並んでいる店の看板や自動販売機が、電灯で内側から明るく光っていた。歩いているうちに日が沈み、冬の冷たい闇が濃くなっていくと、それらの明るさだけがはっきりとしてくる。
 歩道を歩きながら私と樹は近況報告をしあった。話してもさしつかえのないような、大学受験に関することばかり私は話した。一方で彼は、学校であったおもしろい話を聞かせてくれる。友達とどんな遊びをしたとか、どんなところへ出かけたとか……。
 十七歳の男子高校生らしい、たあいのないエピソードが、こわばっていた私の心を解きほぐす。樹本人も何かに気づいて、私を励まそうと語ってくれたのだろう。
 ヘッドライトをつけた車が絶えず道路を行き交い、私たちを照らして通りすぎた。
「そこで話をしていきませんか」
 駅前で樹がファミリーレストランの看板を指差して言った。窓から見える店内は、白い蛍光灯に照らされて暖かそうだった。
 店内は夕食を食べにきた人々の和やかな声で満ちていた。ウェイトレスが私たちを奥の席に案内する。テーブルのしきりや壁に銀色の装飾が施されており、店の照明がそこに反射して輝いている。
「おじさんとおばさんの調子はどうです?」
 コーヒーを注文して、樹は質問した。私は首を横に振る。
「よくないわ、家にこもったまま……」
 姉がいなくなってからの家の様子を彼に話した。部屋の片隅にある埃の塊のことや、電気をつけずに居間でテレビを見つづけること。鍵の閉められない玄関のこと。
「やっぱり、博子さんのことがまだ……」
「うん、特にお父さんとお母さんは、見てしまったから……、姉さんの遺体を……」
 無言で彼は頷く。姉の姿が報道よりもはるかにひどい状態だったということを、以前、葬式のときに教えていた。
「立ち直れるのかしら……」
 両親の姿を思い出しながらつぶやく。二人が再生した姿など想像できなかった。私の頭に思い浮かぶのは、いつまでも今と同じように心から火が消えたままの二人の丸い背中だった。
「赤木さんはどうしていますか?」
「葬式のとき以来、何度かうちを訪ねてきたけど、最近はこない……」
 赤木さん。姉の恋人だった人である。姉が殺されてひどくショックを受けた人間の一人だった。姉とは同じ大学に通っており、はっきりと聞いたことはないが、おそらくそこで出会ったのだろう。彼は姉につれられてよくうちへ遊びにきていたから、私もよく話をした。葬式での赤木さんは、両親のそばについて支えてくれていた。
「博子を殺したのは僕なのかもしれない……」
 彼は葬式の後で私に告白した。
「彼女が殺される前日、僕たちは喧嘩をした……。それで、彼女は僕の部屋を飛び出していったんだ……」
 次の日の昼、姉は廃墟で見つかった。生前の姉を最後に目撃したのは彼だった。
 もしも喧嘩しなければ、姉は犯人に会うこともなく、殺されることもなかっただろう。赤木さんはそう言うと、手で顔を覆った。
「そろそろ俺は行かないと……」
 樹が立ちあがる。電車の時間らしい。
「私は少しここで考え事をしていくから」
「わかりました。それでは……」
 彼は立ち去ろうとして、一度、振りかえった。
「……何か悩んでいることがあるのなら、呼び出してくださいよ」
 店を出ていく彼の背中に向かって、私は感謝した。一人で残った私は、コーヒーに口をつけながら、通路を隔てた隣の席にいる家族を眺める。露骨に見ると気まずいことになるから、横目でひかえめに見る。
 夕食を食べにきたらしい、子供連れの家族だった。若い夫婦に幼い姉妹という構成で、それは昔の私の家族に似ていた。姉妹のうち妹の方は言葉も話せないほどの年齢で、指をつねに口に入れてべとべとにしながら、混じりけのない黒い瞳で周囲を見渡していた。横目で見つめていた私は、その子と不意に目があった。
 姉のことを、思い出した。
 子供のころのことだ。私たちは二人で、遠くまで歩いて出かけた。おそらく春先で、暖かい季節だった。まだ私が小学校にあがったばかりくらいの年齢で、ガードレールや塀、ポストなど、あらゆるものが巨大に見えた。
 住宅地の坂道を、姉とどこまでものぼっていく。やがて上がりきった辺りに森があった。私たちは木陰に並んで町を見下ろした。はるか遠くまで、小さくなった家々が並んでいた。
 鳥が空の高いところを飛んでいた。白く、翼のまっすぐした鳥だった。町には大きな川が流れていたから、そこに住んでいる鳥なのだと、子供の私は勝手に決めつけた。
 翼をぴんと伸ばして、あまりはばたかせることなく、風に乗って悠然と青い空を飛ぶ。それをいつまでも飽きずに眺めていた。
 姉が私を見て微笑んでいた。口の端から八重歯が覗いていた。成長して歯が生え代わった後も、姉の八重歯は残った。よく、吸血鬼ごっこをして遊んだ。けれど、もうずいぶん長い間、姉が八重歯を見せて笑ったところを、私は目にしていなかった。
 姉が髪を染めた時、私もそんな感じにしようかしらと何気なく口にした。
「やめなよ、夏海には似合わないから」
 姉はそう言った。私はその言葉を、やさしさから出た忠告だとは受け取れなかった。姉の口調が、言い放つ、といった感じのものだったからだろう。
 そういう瞬間に出会うたび、自分は姉から存在を望まれていないのだという気持ちになった。
 なぜ、姉は死んでしまったのだろう。殺されるほどの恨みをだれかに抱かせていたとは思えない。そして殺される前に私へ残したがった話の内容とは、どんなことだろう。
 そのとき、テーブルに影が落ちた。顔を上げると、黒い学生服を着た男の子がそばに立って私を見下ろしていた。さきほどコンビニエンスストアの前を森野という少女とともに通りすぎていったあの少年だった。
「北沢さん、僕が校門から出てくるのを見張っていましたよね」
 私はさほど驚かなかった。それどころか、彼が突然に現れるのは当然なことであるかのように感じていた。私はテーブルについたまま、彼を見上げる格好で聞き返した。
「……あなたが、姉を殺したの?」
彼は少しの間、無言だった。やがて静かに唇が開いて、言葉が生まれた。
 ええ、僕が殺しました。
 彼の静かな声は、店内に満ちている穏やかなざわめきを私の耳から消しさった。

   † 3

 少年が、さきほどまで樹の座っていた向かい側の椅子に腰掛ける。私は麻痺したように体が動かせず、ただ彼の行動を見つめていた。しかし、もしも動けたとして、彼が正面に座るのを拒否したり、立ちあがって悲鳴をあげたりはしなかっただろう。
 僕が殺しました……。
 少年の言葉が頭の中で繰り返される。そうかもしれない、とは思っていた。だが、耳に入ったその声は、かんたんに心の中までは染みこんでこなかった。鉢植えに、一気に大量の水を流しこんだときと同じだ。頭蓋骨と脳の間で彼の声は立ち往生し、声の大部分が、脳へ吸収されずに溢れている。
 少年が私の顔を見て、首を傾げている。わずかにテーブルへ身を乗り出して、何か口を動かしている。大丈夫ですか、彼はそう言っているらしい。唇が、そのように動いている。そして片手を伸ばし、テーブル越しに私の肩へ触れようとした。指の先端が、服に触れるか触れないかというところで声が出た。
「やめて!」
 後からできるだけ遠ざかろうと、ソファーの背もたれに体を押しつけ、壁の方に体を寄せた。考えての行動ではなく、咄嗟のことだった。
 その瞬間、急に店内の明るいざわめきが蘇った。いや、蘇ったというのは正しくない。店内の音楽も、客たちの会話も、それまで途切れずにあったのだ。私の耳に入ってこなかっただけである。しかし私には、止まっていた時間が動き出したように思えた。
 通路をはさんだ席にいる家族にまで、私の声が届いてしまったらしい。夫婦そろって、怪訝そうな顔で私を振りかえっていた。目があうと、気まずそうに目をそらして家族同士の会話に戻る。
「大丈夫ですか、夏海さん?」
 少年が、私に拒否された片腕を引いて、ソファーに深く座りながら聞いた。私も元通り座りなおしながら、首を横に振った。
「大丈夫じゃないわ……」
 胸がつまった。泣いてはいなかったが、涙声だった。
「何ひとつ大丈夫じゃない……」
 頭の中が、熱かった。彼に、恐怖すればいいのか、憤ればいいのか、何もわからなかった。しかし、目の前に向かい合わせで座っている少年の、何かを超越した雰囲気だけは感じていた。
 目の前で私が動揺し、取り乱していても、まるで生き物の観察をするように冷静な顔をしている。私は、自分がまるで人間ではなく、虫眼鏡で覗かれている昆虫になったように思えた。
「夏海さん、僕はあなたに、悲鳴をあげてほしくありません」
 彼の声には、感情のどんなゆらめきもこもっていない。まるで、心などないかのようだった。私は、テーブルを挟んでひどく恐ろしいものと向かい合っているのだと思った。
「なぜ、姉を殺したの……?」
 彼はおそらく、樹のように笑ったり、突然に悩みを打ち明けられて動揺したりすることはないのだろう。枝葉を切り落として存在だけが純化された人間の塊……、不思議な表現だが、そのような印象を彼に対して抱いた。
「僕が博子さんをなぜ殺したのか、根本的なところは自分でもわかりません」
 彼はゆっくりと、言い聞かせるように話をする。
「しかし彼女に問題があったわけでなく、殺したのは完全に僕の問題でした」
「……あなたの、問題?」
 彼は考えこむようにして、少し沈黙した。その間も私から目を離さなかった。やがて、無言のまま、わずかに顎を動かして、通路を挟んで座っている家族を差した。
「あなたはさきほど、あの家族を見ていましたね」
 子供の姉妹が、笑いあっている。その声が聞こえる。
「あの姉妹に自分と博子さんを重ねて、昔のことを思い出していましたか? 幼かったころの楽しい記憶を心の奥からそっと取り出して、大切な宝石を眺めるように見つめていたのではありませんか?」
「やめて……」
 彼の声がもう入ってこないように、耳を押さえたくなった。土足で心の中に入られたように感じた。
「僕にも妹がいます。そして十数年前には、やはりあの家族のように食事をしました。覚えてはいませんが、したはずです。意外に思いませんか?」
 彼が言葉を紡ぐたび、心臓が次第に鼓動を速めていく。奈落へ続く斜面を転がりながら、ゆっくりと加速度が増していくようだった。
「あの小さな女の子を見てください。見ていることを覚られないように、気をつけて……」
 少年が、心持ち小声で言った。
 私は彼から目を離し、隣の席の、小さな女の子を横目で見る。彼女はソファーの上に立っている。無垢な瞳を遠くに向けて、小さな指で母親の服をしっかり握っていた。私と、その女の子は他人で、名前すら知らない。それでも、愛しいという気持ちがわく。
「夏海さん、あの女の子が十年後に人を殺すとしたらどう思いますか?」
 急に、心が冷えた。何を言っているの、振りかえってそう抗議をしようとしたが、声の出る前に彼が言葉を続けた。
「両親と姉を殺すかもしれない。可能性は、ゼロではありませんよね。もしかしたらもう、すでにその計画を練っているかもしれません。ああやって子供のふりをしているのはすべて演技で、本当はあのハンバーグを切り分けているナイフをつかみあげ、一刻も早く母親の喉元につけたがっているのかもしれません」
「お願い……」
 もうよして。あなたは狂っている。私は顔を伏せ、目を強く閉じて彼の言葉に耐えた。まるで頬をぶたれているように、ひとつひとつの言葉が痛みへと変換するようだった。
「夏海さん、顔をあげてください……。冗談ですよ……。あの子はおそらくだれも殺さないでしょう。しかし今の話は、すべて僕自身のことです」
 私は顔を上げて彼を見つめる。少し涙が出て、光がにじんで見えた。
「僕は、そういうふうに生まれついていました。あの子ほど小さかったときは自覚していませんでしたが、小学校に入った時はもう、自分が他人と違うことに気づいていました」
「……いったい、何の話をしているの?」
 私は戸惑いながら質問した。彼は、面倒そうな様子を見せずに説明する。
「人を殺す、という宿命についてのことです。僕には、そうとしか思えません。まるで、吸血鬼が人間の血を吸わなければいけないように、僕は人を殺さなければいけなかった。あらかじめそのような運命を定められて生まれてきたようです。両親のふるった暴力が精神に傷をつくってそうなったわけでも、祖先に人殺しがいたわけでもありません。ごく普通の家庭に育ちました。しかし、普通の子供が想像上の友達やペットと一人遊びしているとき、僕だけは想像上の死体を見つめて過ごしていました」
「あなたは、何者なの……?」
 もはや彼が人間には見えなくなっていた。もっと恐ろしく、禍《まが》々《まが》しいものに思えた。
 彼は一瞬、静かになり、首を振った。
「わかりません。なぜ人を殺さなければいけないのか、考えても、答えは出ないのです。そして、このことを秘密にしたまま、演技をして生活しなけれはいけませんでした。だれにも自分の心の中を見せないよう慎重に生きてきました」
「家族にも……?」
 彼は頷いた。
「家族は僕のことを、普通の、どこにでもいる子供だと思っていますよ。細心の注意をはらって、そのような自分の位置を築いてきましたから」
「あなたは……、何もかも偽って生きてきたのね……?」
「同時に、何もかも偽りにしか思えませんでした」
 意味がわからなかった。すると、彼が説明を加えた。
「家族の会話も、知人たちの親しげな態度も、みんなが本心でやっているとは思えませんでした。どこかに脚本があるとしか思えずに、子供のころ、一度、家の中を探しました。自分も、みんなと同じように台詞を読みたかったのです。でも、脚本はどこにもありませんでした。本当に存在を感じるのは、死だけです」
 だから、人の死を、欲する。
 彼の唇はそのように動いた。
「……だから姉は……」
「あの夜、僕が道を歩いていると、彼女が自動販売機の前に座りこんでいました。泣きはらした目をしていて、大丈夫かと声をかけると、彼女は八重歯を覗かせてありがとうと言いました……」
 彼は、その八重歯が気に入ったので姉を殺害したのだという。これは恋愛に似たものなのだと主張した。
 私は話を聞きながら、レストランの皮張りのソファーに縛り付けられたような気持ちになった。テーブルの上に置いている彼の手を見る。学生服の黒い袖の先から、白い手が出ている。細い指に、綺麗に切りそろえられた爪。目の前にあるその手は、確かに人間の手である。しかし七週間ほど前、その手が、私の知っている姉を殺害したのだ。
「姉の八重歯が、気に入ったから……?」
 彼は頷いて、傍らに置いていた鞄から、なにかを取り出した。片手に乗るほどの大きさの立方体だった。
「樹脂で固めたものです。あなたにも、見せようと思って」
 彼がテーブルにそれを置く。透明なブロックだった。中に、二十個ほどの白く小さなものが浮かんで連なっている。ブロックの中で、上下に重なった二本のUの字を描いていた。
「部屋に散らばっているものをすべて集めるのに苦労しました」
 歯だった。それが、樹脂の透明なブロックの中に浮遊したまま固定されている。ちょうど、透明人間のはめた入れ歯のように、もともとの形を保っている。
 見覚えのある八重歯が、あった。
 子供たちの明るい笑い声を聞く。店内の照明が、銀色の装飾品に反射していた。和やかに夕食の行なわれる店内で姉の歯を前にすると、夢の中の出来事であるように感じられた。
 不思議なことに恐くなかった。ただ、悲しみがあった。私はだれからも、姉の歯がすべて抜き取られていることを知らされていなかった。
 彼はブロックを鞄の中に戻し、かわりに封筒を取り出した。
「余計な話ばかりしてしまいました。これが、二本目のテープです」
 彼は封筒の口を開けて逆さにした。中からカセットテープが出てきて、テーブル上に落下する。『Voice2・北沢博子』。そう印刷されたシールがテープに貼ってある。
「テープはあともう一つあります」
「それも、聞かせてください」
 彼は立ちあがり、背中を見せながら言った。
「二本目のテープを最後まで聞いてから、考えてください」
 彼が店から出ていった後、私はしばらくの間、立ちあがれなかった。テーブル上のテープを前にしたまま、樹脂のブロックに浮かぶ姉の歯を思い出していた。
 私はコーヒーの入ったカップを口に運んだ。すっかり冷え切っていた。通路を挟んだ隣のテーブルで、少女が私の方を向いていた。口の端を、かわいらしくケチャッブかなにかで汚している。その子は綺麗な黒目で私の手元を見ていた。おそらく、私の持ったカップと受け皿が震えてカチカチと昔を立てるのが不思議だったのだろう。

 レストランを出て電車に乗っている間、私は椅子の上で体を丸めるようにして座っていた。ひどい顔色をしていたのだろう、正面に座っていた中年の男の人が私を見ている気がした。おかしなことに、「見咎められるのではないか」という恐怖があった。あの恐ろしい少年との会話の内容や服のポケットに入ったテープのことを、周囲の乗客や駅員はすでに気づいて知っているのではないだろうか。私は声をかけられないかと不安だった。
 改札を出ると、住宅地の暗い道を走った。家の前まで戻ってきたとき、窓からもれる明かりを見た。太陽が沈んだとき、両親がそれに気づいて電気をつける気力があるかどうかは、日によって違っていた。
 玄関の扉を開けようとすると、直前に内側から開いて、中からだれかが現れた。赤木さんだった。私が玄関前に立っているのを見て、彼は少し驚いていた。
「……やあ、夏海ちゃん」
 眼鏡の奥の目を細め、弱々しく彼は笑った。
「来ていらっしゃったんですね」
「もう帰るところだけど、心配だったから……」
 大学から帰る途中に立ち寄ったのだという。私と赤木さんは、玄関先で向かい合ったまま話をした。彼は背が高い。私が普通に正面を見ていると、彼の顔は視界の上部に消えてなくなる。だから見上げていないといけないのだが、話をしているうちに首がいつもつかれる。
 彼は本のことに詳しく、実家の二階は集めた本の重みで軋んでいるほどだという。私たちは話がよく合った。しかし今は、楽しく会話をする気になれず、お互いの心配や、姉のことを考えていてくれたお札などを言うにとどまった。
 話をしている最中、テープのことを頭の端で考えていた。姉の声を、彼にも聞かせたほうがいいに決まっている。しかし、私はテープのことをだまっていた。
「じゃあね、夏海ちゃん、バイバイ……」
 ひょろ長い手を振りながら、赤木さんは去っていった。私はそれを無言で見送りながら、自分の変化に驚いていた。
 以前、赤木さんと話をしているときの私は、平常心ではいられなかった。心が上下左右に揺れ動いて落ち着かなかった。彼が姉へやさしい眼差しを向けるたびに、私は少し落ちこんだ。
 赤木さんにあこがれている部分があった。しかし今は、まるで心が冷たい石になってしまったように沈黙している。
 私は首筋をなでながら、別れの挨拶さえ言っていないことに気づく。前は、話をした後に残るおかしな首のつかれ具合とともに、熱心に手を振って、「またね」と声をかけたはずだ。
 つながりが希薄になりかけている。姉の死をきっかけに、他人同士の関係へと戻りかけている。姉がいなければ知り合わなかった人だから、そうなるのは当然なのかもしれない。
 しかし、関係を保つことに無関心なのは、おそらく赤木さんの方ではないのだ。でなければ、うちまで来てくれるはずがない。
 家に上がり、冷蔵庫のように冷たい居間へ向かった。炬燵に入っている両親に挨拶をする。玄関先で赤木さんに会ったことを話しても、気のない返事しかなかった。私は、気分が急速に重くなっていくのを感じた。
 階段を上がり、自室に入ると、扉を閉めた。ポケットからテープを取り出し、ステレオにセットする。それまでステレオ内にあった一本目のテープは、机の上に置いた。
 再生のボタンを押した。本体の内部から機械の作動する音が聞こえる。私は椅子に座って、棚のステレオを見つめた。
 不意に昔のことを思い出す。記憶の中で私と姉は小学生だった。ラジカセを使って順番に声を録音して遊んでいた。なぜ自分の声は録音すると変になるのだろうかと不思議だった。そこへ父と母が現れて、みんなで歌を歌い、テープに吹き込んだ。ひどく幼い歌を、はしゃぎながら歌った覚えがある。家族でドライブをするとき、父は車の中でよくそのテープをかけた。私と姉が中学生になってもそうだったから、「いやがらせはやめて!」と姉妹で半ば悲鳴をあげながら父からテープを取り上げようとした。母はいつも笑ってそれを見ていた。
 ひどく楽しかった。

 夏海……。
 お父さんとお母さんに、そして赤木さんに、これまでありがとうって伝えておいて……。迷惑かけてごめんなさいって……。
 それとも、みんなで直接このテープを聞いてくれているのかしら……。
 私には、もう、なにもわからないわ……。
 私は……。
 この後で殺されるみたい……。
 最初は冗談だと思ったの……。
 夏海……。私はさっきまで、目隠しと猿ぐつわをされて暗闇に放置されていたの。泣いたり叫んだりするのは、無駄みたい……。そう思ったとき、急に、後悔が押し寄せてきたのよ……。
 あなたに謝っておかなくちゃ……。だから私は、あなたあてに伝言を残すことにしたの……。
 本当に、こんなことになるまで、私はなにをしていたのかしら……。
 ねえ、私が時々、あなたを傷つけるようなことを言って、困らせてしまったのを覚えているでしょう……。
 そのたびにあなたは不安そうな顔をして……。
 ごめんね……。あなたに原因があるというわけではないのよ……。私が勝手に怒っていただけ……。
 聞いたら、なんだそんなことで、ってあきれると思うわ……。
 でも、このまま何も言わずに私がいなくなると、あなたは何も知らないままになってしまうから、ちゃんと言わなくちゃね……。

 テープはそこで無音になった。
 続いて、姉の声ではない、聞き覚えのある少年の声が再生された。

 ……北沢夏海さん、十二月三日の夜十一時に、博子さんの死んだ病院の廃墟まで一人で来てくだきい。場所は知っていますね。死体の発見された部屋ですよ。そこで、テープの続きをお渡しします。

 彼の声を最後に、録音は終わっていた。

 二本目のテープを開いた二日後、十二月三日はすぐに訪れた。私はその間、警察へ行くわけでもなく普通の生活を送った。学校へ行き、受験の勉強をする。
 一日の授業が終わって教室を出ようとするとき、仲のいい友人が廊下で私を呼びとめた。
「夏海、今度の日曜にどこかへ遊びに行こう」
 姉が死んで以来、私があまり笑わなくなったのを、その友人は気にしてくれていた。私を元気付けようと、声をかけてくれる。
「うん、いいよ。……でも、行けなくなったときは、ごめん」
「夏海、そのころなにか用事でもあるの?」
 友人は首をかしげて聞いた。
 用事はない。しかし今夜、必ず生きて帰ることができるという保証はなかった。私は、録音されていた少年の言葉に従うつもりだった。二日前の夜、テープを聞き終えた直後に、そのことは決定していた。
 廃墟へ行ったら、姉の声を録音したテープが聞けるかもしれない。しかしそのかわり、生きて帰れるかどうかわからない。彼が何のために私を呼び出すのか意図が見えない。私はその場で殺されるかもしれないのだ。
「用事、というほどのことでもないんだけど」
 そう返事をしながら、目の前にいる友人を私は不意に抱きしめたくなった。彼女はこれからどのような人生を歩むのだろう。つい最近まで、私たちはどこにでもいる普通の人間だった。あくびをしながら高校に登校し、黒板の文字をノートに書き写す生活を続けていた。これからも似たような日々を送るのだと思っていた。それは、なんて平凡で、幸福な日々なのだろう。
 しかし、もう自分にそのような日がくるとは考えられなかった。穏やかな日常生活を送るには、あまりにも深く私は死と関わってしまった気がする。それでも目の前にいる友人には未来が待ちうけていて、もしかすると今ここでわかれたのを最後に二度と会えないかもしれないと考えると、愛しくなった。
「じゃあ、また明日ね」
 私は手をふって友人にわかれを告げた。
 校舎を出ると、十二月の冷たい風が頬を打った。まだ日は落ちていなかったが、空一面に鉛色の雲がかかっており、辺りは薄暗かった。コートの前を重ね、足元を見ながら歩いた。
 校門の辺りで携帯電話が鳴った。樹からだった。
「今? 学校が終わって、ちょうど校門を出ようとしたところよ」
 私は校門のそばに立ち止まって、電話の向こう側にいる彼と話をする。学校前の道は車の通りが激しかった。その音と、風の音とで、会話はしばしば遮られた。
「え、なんて言ったの? よく聞こえない」
 声をはりあげて、聞き返す。
「あ、うん……。この前は、どうもありがとう。なんでもないよ、大丈夫……」
 彼とも、この電話が最後になるのかもしれない。そう思うと、周囲の雑音に負けないよう大きな声で電話しながら泣きそうになる。樹とは中学生のときにはじめて会い、姉と弟のように親しくしていた。
「もっと大きな声でしゃべって……」
 雑音でかすれがちに聞こえる樹の声を、私は目を閉じて聞いた。
「だから平気だってば、うん、心配かけてごめん。え? 泣いてなんかいないわよ……」
 そして私と樹の、短い会話が終わった。
 家へ帰る電車内で時間を確認すると、午後五時だった。駅までの道のりで太陽は沈み、電車の窓には暗闇しか見えなくなっていた。あの少年との待ち合わせの時刻まで六時間ある。
 なぜかわからないが、激しい恐怖のために体が震えるといったことはなかった。心の中は静かで、私は目を閉じて電車の振動を感じていた。自分に訪れるかもしれない危険に対して、すでに麻痺してしまっているのかもしれない。レストランで見せられた姉の歯は、麻酔だったのだ。いつのまにかじわじわときいてきて、私の中から現実の感覚を失わせている。
 私はあの少年に対して抵抗することなど考えていなかった。武器を持って身を守ることも、だれかにこのことを知らせることもせずに廃墟へ行くつもりだった。ただ姉の声を聞ければいいという、それだけの気持ちしかなかった。他にはなにも必要ない。たとえ、あの少年が私に危害を加えるつもりだったとしてもだ。
 今日も両親は玄関の施錠を忘れていた。家に入り、帰ってきたことを両親に告げる。
 母は和室で、洗濯し終えた服をたたんでいた。私が声をかけると、おかえり、と弱々しい笑みを浮かべた。これ以上、ほんの少しの力が加わるだけで崩れ去ってしまうような、脆い表情だった。
 父は居間で、うなだれるような格好で炬燵に入っていた。表情は見えなかった、幼かったとき、私と姉は父の腕にぶらさがって遊んだ。それは遠い過去のことなのだと、小さく見える背中が教えてくれた。
「お父さん、ただいま……」
 私はそばに膝をついて言った。返事がなかったので、寝ているのだと思った。そのままにして私は去ろうとする。
「……夏海」
 父に呼びとめられた。
「その……、心配かけてごめんな……」
「なに言ってるの」
 今日、私は友達に何度、父と同じことを言ったことか。
「おまえと博子が似ている、といろんな人が言っていたけど……、最近になってようやく、そのことがわかるようになったんだ。博子が生きていたときはあまり感じなかったけど、おまえだけになってみると、たしかにそうだな……」
 父は顔をあげて、私を見た。ときどき私を、死んだはずの姉と間違う瞬間があったと、父は言った。その目は、やさしさと悲しみが入り混じっていた。
「しかし夏海、おまえ、今、学校から戻ってきたのか?」
 私が頷くと、父は訝しげな顔をした。
「さっき、階段を上がるだれかの足音を聞いたような気が……」
「お母さんじゃなかったの?」
「ここにいたから違う」
 その足音は、チャイムを鳴らさずに家へ入ったので、娘のものだと思ったらしい。
 私は階段を上がって自分の部屋に向かった。
 部屋の中から、テープが消えていた。おそらく少年が家に入って持ち去ったのだろう。それは容易に想像がついた。
 今夜、私が廃墟から戻らないといったことになれば、警察は私の部屋にあるテープを調べるだろう。そして彼のことを知るにちがいない。そうなるのを防ぐために持ち去ったのだ。
 つまり、彼は私を無事に帰すつもりがないということだ。
 全身から力が抜けていくような気がして、椅子に腰掛けた。この二日間、自分は殺されるかもしれないという予感はあった。それがたった今、明確な彼の意思としてはじめてつきつけられたのだ。
 テープの声に従って廃墟へ行けは、私は死ぬ。
 死、とはいったい何なのだろう。あの少年は、死だけがこの世界で感じられる唯一の存在だと言う。吸血鬼が血を吸うように、彼は人の死を味わうのだ。
 私はしばらくの間、椅子に座ったまま動かなかった。静寂だけがあった。姉が彼に殺される場面を私は想像する。そのうちに姉の顔は私の顔へとすりかわっていた。しかし、思ったほどの精神的な衝撃はなかった。
 以前の私にとって、生と死の境界は明確に存在した。自分は生きている。姉も、両親も、みんな生きている。そうはっきりしていた。
 しかし今の私にとって、その境界は曖昧になっていた。白と黒の混じった灰色の場所に私は立っている。姉の死体を間近で見た両親も同じだ。片足を死の世界に踏み入れて、そこから動けなくなった。
 そして姉……。姉は確かに死んだ。だが、私にとって録音された彼女の声は生きているとも言えるのだ。テープの中に存在する姉は、今も呼吸し、何かを考え、言葉を発しようとして、私がくるのを待っている……。
 生と死をわけ隔てるものがいったい何なのか私にはわからない。しかし、今、その境界上に自分は立っている。
「夏海」
 階下から名前を呼ばれた。母の声だった。
「夕食よ」
 私は立ちあがり、「今、行く」と返事をしようとした。私が行かなければ、父と母、二人だけの夕食になる。それでは隙間が多いだろう。
 姉に残された私たち三人は、それぞれがたがたの状態になりながら、食事だけはできるだけいっしょにとっていた。一個だけ余った椅子を先にして明るい会話もなかったが、食卓は、家族の存在を確かめる最後の砦だった。
 しかし私は、立ちあがりかけて、途中で動きを止めた。
「夏海……?」
 私の返事がないことを不審に思ったのだろう。母の声が、階段の下から響いてくる。
 先ほどの父の表情を思い出しながら、もしも今、二人と食卓を囲んだら、廃墟へ行く気持ちは確実になくなるだろうと思った。私が帰ってこなければ、父母はこの先どうやって生きていくのだろう。そう思うと、愛情なのか、憐れさなのかわからないものが、鎖のように私の動きを封じこめる。
「ごはんは……?」
 母の声を聞きながら|逡《しゅん》|巡《じゅん》する。
 そのうちに私の目が、机の上に転がっていた小さな筒状のものを発見する。吸いこまれるようにそれを見つめた。姉の部屋から以前に持ち出した、血のように赤い口紅だった。
 私は目を閉じ、そして決断を下した。再び椅子へ、静かに腰をおろす。
「……今日は、おなかすいてないから、いらない」
 部屋の扉は閉まっていて、階段の下の母が見えていたわけではない。しかし気配はわかる。返事を聞いて、少しの間、母は動かずに私の部屋を見上げていた。
 罪悪感が心臓を貫く痛みに、私は胸を押さえて耐えた。二階から娘が降りてこないのを知り、母が肩を下として階段の下から去る。その様子が見えるようだった。
 椅子に座ったまま、心の中で何度も両親に詫びた。しかし、どんなに請うても、自分の決断が許されるとは思えなかった。私は親不孝だ。両親を残して、廃墟へ向かうつもりなのだから。

   † 4

 夜がふけたころ、私は起きてコートを着た。
 棚に飾っている兎の人形を手にとる。子供のころから大事にしていたものだった。頭を手で撫でると、柔らかい感触が肌の上を通りすぎた。部屋中に、小さなころから大切にしていたものがあった。それらに心の中で別れを告げる。人形を棚に戻し、姉の口紅をコートのポケットに忍ばせた。自分の決心を忘れないため、持っていくことにした。
 懐中電灯を携え、両親に気づかれないよう静かに家を出る。呼びとめられていたら廃墟へは行かなかっただろう。しかし私を止める声はなかった。
 姉の死体の見つかった廃墟は、家から自転車で二十分ほど離れた場所にあった。街灯ひとつない国道を私は進んだ。辺りは暗闇が続いており、私の乗る赤い自転車のライトだけが唯一、光を発していた。
 姉と共同で使用していた自転車だった。どこかでぶつけたのか、籠が多少、歪んでいた。私がやったという記憶はないから、犯人は姉だろう。赤い自転車、というところから、私は童話の『赤ずきんちゃん』を思い出した。まるで自分は主人公の少女のようだ。ただし、狼がいることを知った上でおばあさんの家に向かっている。
 夜空の方が周囲よりも明るかった。おかげで、黒い大地と空の境目は明確に見える。山の方角へアスファルトの道路を進むと、途中で砂利のわき道がある。私はそこで自転車を降りた。道の途中に金網が張ってあり、懐中電灯で照らすと、『立入禁止』と書かれた看板が浮かび上がる。
 その向こう側に病院の廃墟はあるはずだった。しかし懐中電灯の光は届かず、なにも見えない。暗闇の中に光はすいこまれてかき消える。周辺には明かりを点すような店舗や民家がなく、枯れた草だけが生い茂っていた。風はなく、細長い草はゆらぎもせず静かだった。
 私はその場に自転車を置いて、懐中電灯だけを持って金網に近づいた。靴の裏側で、砂利道を踏みしめる音がする。私の吐き出した息が白くなり、すぐに消えた。金網は、砂利道のところだけ開閉式の扉のようになっている。押してみると、造作もなく開いた。私はそこを抜けて、奥へ進んだ。
 姉は殺された夜、どのようにして敷地へ入ったのだろう。今の私のように、歩いて金網を通りぬけたのだろうか。少年に刃物かなにかをつきつけられて、そうすることを強要されたのかもしれない。それとも、気絶させられるか、身動きできない状態にされて、ここに選ばれたのだろうか。彼女にとって廃墟に通じるこの道は、最終的に進むだけの一方通行となってしまった。
 かつて駐車場だったのだろうか。広い空間に出た。乾燥した冷たい土と小石の覆った地面に、私の持った懐中電灯の帯が細長く伸びる。その先に、巨大な白いコンクリートの塊があった。二階建てで、夜空を背負うように建っている。病院だった建物は、外側だけになり、まるで死んだ後も骨だけ残った恐竜の化石のようだった。
 病院の入り口を抜けて中に入る。入り口は、かつてガラス製のドアかなにかはまっていたのかもしれないが、今はただ四角い口が虚ろに開いているだけだ。病院のロビーらしい場所を電灯で照らす。およそ原形をとどめていないようなベンチが片隅に積まれ、コンクリートの破片がいたるところに転がっていた。電灯の丸い明かりが壁を暗闇の中に浮かび上がらせると、そこにはカラースプレーで描かれた落書きの跡があった。
 息苦しく、私の呼吸は浅くなっていた。頭上を、天井がどこまでも続いている。その圧迫感で、たえず頭を上から押さえつけられている気がする。天井のところどころに、蛍光灯のはまっていたらしい跡があった。その下には割れて破片となった蛍光灯が落ちており、踏みしめたときに出るガラスの砕ける音でそのことに気づいた。
 暗闇の奥へ、廊下はどこまでも続いている。姉の死体が見つかった部屋を目指して、私は進んだ。おおまかな場所は話に聞いて知っていた。一階の奥にある部屋で、彼女は見つかったのだ。
 手術室。そう書かれた案内の表示に従って私は進んだ。足音は壁面に反響して、冬の冷たい空気を震わせた。
 やがて私は廊下の突き当たりにその部屋を見つけた。かつてドアのはまっていたらしい入り口は、ただの四角い穴になって奥に時間を湛えている。以前は何重にもドアがあったのだろうか。ひとつ入り口をくぐったところに、またひとつ同じような四角の口があった。そこを抜けると、広い空間へ出た。
 電灯の丸い明かりを周囲にめぐらせる。冷たくて、心の奥底から凍えてくるような寂しい気配に満ちていた。小石の転がる音さえ響くような静けさで、暗闇の奥から、孤独な魂のすすり泣きが聞こえてくるようだった。
 手を洗う場所らしい、細長い洗面台がある。壁に、いくつか小部屋の入り口があった。それらは開閉式の扉になっており、奥が手術を行なう場所となっているらしい。小部屋は、全部で三つある。ひと部屋ずつ電灯で調べていくことにした。
 どこにも人の気配はなかった。小部屋は一辺が五メートルもない広さをしていた。最初に調べた二つの小部屋は、殺風景で何もなかったが、三つ目の、もっとも奥まったところに位置していた小部屋の扉を開けた時、私は奇妙な雰囲気を感じて足を止めた。
 そこだけ他の場所よりもやけに暗く、闇が濃かった。火事でもあったように、壁や天井、床がところどころ黒い。
 部屋の中に入り、だれもいないことを確認した。扉は支えていないと勝手に閉まるようにできており、私が通りぬけると、ゆっくり閉じた。壁際にボンベらしいものが寄せてあり、鎖で倒れないよう固定してあった。中央に、いたるところ錆びた金属製のベッドがある。いや、それは手術台というものだろうか。
 私は、気づいた。壁や天井は煤けていたのではなかった。それらの黒い染みは、中央の台から広がって、私の靴が踏んでいる床まで黒く染めていた。手術室の床一面を侵食し、入り口から外にまではみ出している。
 私はいつのまにか後ずさりして壁に背中をつけていた。懐中電灯を持っていないほうの手で口を押さえ、必死で悲鳴をこらえる。おそらく黒い染みは、二ヶ月前に流れた姉の血だった。
 暗闇の中で、一瞬、見た気がした。警察が拾い集めたという、かつて人間の形をしていた姉の体が、黒い染みの中に散らばっているのを……。

 夏海……。
 ねえ、夏海、この声はあなたに届いているのかしら……。

 唐突に、すぐそばで姉の声がした。それは一本目のテープに録音されていたいちばん初めの言葉だった。懐中電灯を部屋の入り口に向ける。丸い光の中で、扉が閉まろうとしている。たった今、そこをだれかが通りぬけたらしい。
「北沢夏海さん」
 あの少年の声が、台をはさんで私とは反対側の壁際から聞こえてきた。唐突に、その一画が明るくなり、私はまぶしさで目を細める。
 逆光の中、少年が立っていた。学生服ではないが、上下ともに黒い服を着ている。ライトを片手に持っており、それは私の懐中電灯よりもはるかに明るく部屋の中を照らし出していた。もう片方の手には黒いラジカセを持っている。小型のもので、姉の声はそのスピーカーから聞こえていた。

 ……その彼が、録音されたテープを、後であなたあてに届けると言ったの……。送り届けて、私の言葉を託された人の反応を見て楽しむのだそう……。

 姉の声は再生され続けている。音量は大きい。憔悴した姉の息遣い、呼吸の音が、コンクリートの壁面でわずかに反響しながら、血の染みに覆われた部屋に満ちていく。他の場所よりも一段と黒く汚れている中央の手術台を見る。ほとんどなにもない部屋の中、ライトに照らされて濃い影をつけていた。
「博子さんはこの台の上でテープに声を吹きこみました」
 少年はライトとラジカセを部屋の片隅に置いて台のそばに立った。黒い染みのついた部分を、手のひらでそっと撫でる。慈しむような手つきだった。
「……なぜ、私をここまで呼び出したの?」
 私の声は震えた。
 手術台は、もともと表面に黒い革が張ってあったらしい。しかし今は剥がれてしまって一部分しか残っていない。何かで切り裂かれた跡があり、金属製の部分が露出している。黒い染みはそれら一面を覆い、少年の指先は舐めるようにその上を移動する。ざらざらと、指の腹と血の染みのこすれあう昔が聞こえてくるようだった。自分が触れられているようで、鳥肌がたつ。
「さきほど博子さんがおっしゃったでしょう。テープを聞いたあなたがどんな反応をするのか、僕はそこに興味がありました」
 少年はそう言うと、私を見つめながら、手術台を片手で二回そっと叩く。無言の中での、静かな動作だった。しかし彼の目が、こちらへおいでと私に語りかけていた。
 私は壁に背中をつけ、ゆっくりと、首を横に振った。彼に近づけば私は死ぬだろう。姉のように、殺されるにちがいない。しかし、彼の意思を退けたのは、恐怖からではなかった。
 手術台と、その傍らで静かにたたずんでいる少年の姿は、ライトの光のため、暗闇の中で浮かんでいるように見えた。少年の横顔は白く輝き、私の目に神々しく映る。恐怖というよりも、むしろ畏怖に近いものが私の心にあった。どんな意味もなく、無条件で、不条理な死を人間にもたらす高い位の存在として感じられた。

 ねえ、私が時々、あなたを傷つけるようなことを言って、困らせてしまったのを覚えているでしょう……。

「夏海さん、こっちへ……」
 少年が言った。手術台に上がれと、命じている。台までは三歩程度の距離しかない。彼が素早く動けば、私などかんたんに捕まえて、身動きできなくさせられるはずだ。しかし彼は、決して動かなかった。私から手術台に歩み寄るのを待っている。
 足が、一瞬、彼の望んだ通り台の方向へ進みかけた。心の奥に、不思議と、そうしなければならないという気持ちがある。そのことを自覚して、動揺した。
 自ら近づいていくなんて、どうかしている。壁に背中をつけたまま、困惑して少年を見つめる。彼は、諭すように言った。
「夏海さん、あなたはもう気づいているはずです……」
 何に……? 首を傾げて、私は問う。
「あなたは僕に殺される……。そして、そうされることを、すでに決断している……」
 姉の震える声、息遣いが、私と少年の間に流れている。少年はほとんどまばたきをせずに私の瞳を見つめている。まるで、頭の中が覗き見られているような、透過性の高い視線だった。
「あなたは、死に魅入られた……。同時に、自分から近づいた……」
「……そんなこと、ないわ」
 私は否定する。少年は、目を細めた。
「僕は、死というものを、『失われること』だととらえています……」
 静かな口調だった。
「死の瞬間、その人と、その周期にあるものすべての関係が断たれる……。好きだった人や、執着していたものとのつながりが消える……。太陽や風、暗闇や沈黙とも、もう会えなくなる……。喜び、悲しみ、幸福、絶望、それらと自分との間にあった関係性の一切は失われる……。夏海さん、あなたがここに来るとき、どのような決断を下したのか、僕には手にとるようにわかりますよ……」
 私は額を押さえた。握っていたはずの懐中電灯は、いつのまにか下に転がっていた。両親や樹、クラスメイトや赤木さんの顔が頭に思い浮かぶ。
「ここへ来るのはつらかったでしょうね……。でもあなたは、すでに決断済みなのです……。自分が帰れなかったとき、父親や母親がどれほど悲しむのかをわかっていながら、あなたはここへ来た。関係を断ち切り、心の中でわかれをつぶやいて、死人の声を求めた……」
 私を動揺させる的確な場所を、少年は言葉で貫いた。声にならないものが、私の口から流れ出る。悲鳴とも、うめきともつかないものだった。手で額を押さえつけ、私は耐える。

 ……夏海、私があなたにつらくあたってしまったのは、本当に些細なことなの。それは、赤木さんのこと……。

 私のしたことは、長女を失って傷ついている両親を、見捨てたのと同じだ。その罪悪感が、炎となって私の心を焼き尽くす。
「二本目のテープを渡して、今日までに二日の空き時間がありましたね。その間、あなたは何人の人に、心の中で別れを告げましたか……。あなたが、自分の人生に関わってきたものに対してひとつずつさようならを言うたびに、一歩ずつ、自ら死に近づいていたのですよ……」
 私は、ようやく気づいた。少年に会って以降、私の行なっていたすべてのことは、緩慢な自殺だったのだ。両親を残して家を出てきたとき、引き返すことのできる最後の地点は通り過ぎてしまった。私をこの世につなぎとめておく、もっとも太い鎖を、自ら断ち切ってここへ来ることを選んだのだ。

 ねえ夏海、私と赤木さんがどうやって知り合ったのか、一度も話していなかったわね……。

「私は……」
 頭を押さえていた手を下ろし、自分の周囲を見る。コンクリートの冷たい部屋に、虚ろな闇がある。血のついた手術台と少年があるだけで、他に何もない、寂しい場所だった。
 足が、動いた。背中が壁から離れて、手術台の方に近づく。
 自分の人生にあったいろいろなものを、私は自ら捨てた。姉の声以外の、すべてのものに執着をなくしていた。私という人間は、それで生きていると言えるのだろうか。もはや肉体が生命活動をしているだけで、半分以上は死の世界に足を踏み入れているのではないだろうか。

 あるとき、街中で声をかけられたの。同じ大学に通っているってことを知ったのは、その後よ……。

 気づくと、手術台をはさんで少年と向かい合っていた。彼は一切、身動きすることなく、言葉だけで私の中から躊躇いを取り除いたのだ。
 少年がすぐそばから私を見つめる。背丈の差から、わずかに見下ろすような格好だった。
「夏海さんの存在をはじめて知ったのは、博子さんがここで、テープに声を吹き込んだときでした。それ以来、いつかあなたに会ってみようと思っていましたよ」
 囁くような声だった。
「本当に似ていると思います……」
 ラジカセから出る姉の声が、静かな廃墟に響いて消える。
「あなたが私にテープを渡して、なぜここへ呼び寄せる必要があったのか、ようやくわかった……」
 私がそう言うと、彼は興味深そうな顔をした。
「あなたは、遊びのためにこんなことをしたのではなかったのね。遊戯性を求めたのではない……。あなたはレストランで言ったわ。まわりにいる人々の会話が脚本のようだ、すべてが偽りに思えるって……。そして、死だけが存在を感じられるって……」

 ……でも、つきあいはじめてから赤木さんが言ったの。私がよく本屋にいるのを見て、以前から気になっていたって……。いつも歴史小説の棚の前にいたでしょう、よく着ていた白い毛糸の上着はどうしたのって……。

 この少年は人を殺した。そのことに対する罪悪感も、おそらく抱いてはいないだろう。決して同情などしてはいけない。それでも、私は彼が少しかわいそうに思えた。
「あなたは、死を甘受してでも私が姉との関係を取り戻そうとするのか試したかったのね……。自分に理解できないものを、わかろうとしていたんだわ……」
 彼は無表情にしばらく私の顔を見つめていた。言葉はなく、姉の声だけが辺りに響いていた。どのような感情が彼の中にあったのか、推し量ることはできなかった。

 ……わかったでしょう。赤木さんは、最初、あなたを見ていたの。
 
 やがて、彼は手術台に両手を載せた。
 夏海さん、この上に座って……。
 私は恐怖することなく、姉の血のついた台へ腰掛ける。少年に背中を向けた格好だった。背後に立つ少年の存在を強く感じる。
 ジーンズの生地を通り抜けて、手術台の冷たさが伝わってくる。これから死ぬというのに、凪いだ海のような、穏やかな気持ちだった。
 両手は、手術台の縁を握っていた。姉の血の固まったものがこびりついている。体が動かなかった。あるいは、動かそうという気持ちがないから、そう感じたのかもしれない。指先から冷たく、硬くなっていく。
 背後からライトの光を浴びる。正面を見ると、コンクリートの灰色の壁に、台に座る私の形が大きく写し出されていた。それに半分ほど重なって、立っている少年の形もある。

 私たちはそのころ、いつも同じ格好をして、似ていると言われていたでしょう……。それで赤木さんは、あなたと間違えて、私にある日、声をかけたというわけ……。

 少年の影が、動いた。腕が持ちあがり、座っている私の影に覆い被さる。
 視界が彼の腕によって遮られ、何も見えなくなった。完全な闇の世界である。背後から抱きすくめられていた。首に片腕が巻きつけられ、もう一方の腕が顔を覆っている。力をこめられれば、私の首の骨は音をたてて砕けるだろう。私の吐き出す息が、顔を覆う彼の腕に当たる。そのため、自分の息の熱さを感じる。背中に、少年の胸が密着していた。服越しに、体温を感じた。
「お願い……、姉さんの声を最後まで聞かせて……」
 姉の声は、少年の腕越しに耳へ届いていた。赤木さんの話は初耳だった。からまっていた糸がほぐれるように、姉がなぜ私にあのような態度をとっていたのか少しずつわかりかけていた。
 首に巻かれた腕の関節が、骨の具合を確かめるように、締まったり、ゆるくなったりを繰り返す。顔を覆う腕も、骨を砕く瞬間に備えている。短距離走の選手が準備運動として手足を動かすように、私の頭をゆっくりと左右に動かした。
 私は、自分の首が、細い草花の茎に思えた。糸のような茎は、花を摘み取るとき、たやすく折れるだろう。

 ……そのことがわかったあとでも、私たちの間には、何も問題は起こらなかった。それはたんなるきっかけでしかなくて、結果的に恋をしたのは、私と赤木さんだったのだから。彼は私の内面を好きになってくれた……。
 ……でも、不安だったの。

 姉の静かな声に、私の胸は痛みを覚えた。
「あなたの言う通りかもしれません……」
 少年が静かにつぶやいた。彼の声は、抱きしめられた私の頭のすぐそば、ほとんど耳元で聞こえた。声を出したときの、少年の胸の振動が、密着した背中から感じられた。私の心臓が、高鳴った。
「次の被害者になる候補は二人いました……。一人は北沢夏海さん、そしてもう一人は、同じ高校に通っている女子生徒の……」
「……森野さん? いっしょに歩いていた……」
 私の声は、彼の腕に遮られてくぐもる。次第に速くなっていく心臓のため、血管を大量の血液が通りすぎるのを感じた。軽く圧迫を受ける首で、血管が脈を打つ。頭が、熱くなっていく。
「神山樹くんに名前を聞いたのですね……。二人の候補の中から、最終的にあなたを選んだのは、さきほどあなたのお話しした理由が、心のどこかにあったからなのかもしれない……」
 耳元で聞こえる彼の声は、私に聞かせるというより、自問自答するような響きを持っていた。彼自身も、はっきりと自分の心の中を知らないのではないだろうか。そう思ったとき、不思議なことに、私はまるで彼のことを友達のように感じた。

 赤木さんにも、最後までだまってた……。彼が見ていたのは、私ではなくて、実はあなただったってこと……。どうしても言えなかった……。

 私は姉の、何を見ていたのだろう。少年の腕の中で姉の独白を聞きながら、その思いが次第に膨れ上がる。
 姉は私と違っていつも自信に満ちた人なのだと思っていた。明るく、堂々としていて、だれからも好かれる力を持った強い人だとも思っていた。
 でも、おそらくそうではなかったのだ……。

 あなたを正視できなかった……。やっぱり、私とあなたは、似ているのだもの……。私は苛立って、あなたにつらくあたってしまった……。あなたの姿から遠ざかるように、髪型や服装を変えたわ……。
 あなたの、赤木さんに対する気持ちにも気づいていたから……。

 本当の姉は、不安と心細さにいつも耐えていたにちがいない。赤木さんや私に打ち明けることができず、ずっと秘密を胸に抱えていたのだ。ポケットに入っている口紅……、彼女は怯える自分を他人から隠すために、それを唇へ塗っていたのだ。
 生きているときに気づきたかった。もしそれを知っていれば、抱きしめて、不安に思うことなど何もないのだと言ってあげることができたはずだ。
 彼の腕の関節が、締まる。準備運動は終わったらしい。力強く私の頭を抱きしめた。かき抱かれるように、私の頭は彼の腕の中に収まっている。闇の中で私は、これから殺されるというよりも、愛しさのために抱擁されているような気分になる。
 姉の声が終わったとき、私の首は勢い良くひねられるのだろう。締まっている首と、ひねられた頭との間で、首の骨は耐えきれず、鈍い音をたてて砕けるのだろう。彼がそのタイミングで殺すつもりだということが、なぜだか理解できた。

 今、こうやって最後の言葉を録音していて、後悔がおしよせるの……。あなたに告白できるときが、もっと何ヶ月も前だったらよかったのに……。

 彼の腕に目隠しをされた状態で、自分の心臓の昔が、次第に大きくなっていく。血を全身に送るポンプの激しい音は、姉の声に重なってもはっきり聞こえていた。
 少年の心音もわかる。背中越しに、彼の心臓の鼓動が伝わってくる。私は、泣きたいような、胸の締めつけられるような気持ちになった。彼に対して、もはや憎しみも、怒りも抱いていなかった。死と同じで、避け難いもののように彼を感じていた。
 姉の告白は終わりに近づいている。そのことが、姉の声の高まりや、少年の腕の緊張から感じられた。
 テープを聞くことができて、良かったと思う。
「ここで私を殺すから、あなたはうちに入ってテープを取り戻したのね……。私が家に帰らなかったとき、警察がテープを発見しないように……」
 姉の声を一言も開き逃すまいと注意しながら私は言った。姉は人生の最後に、私にこの声を残してくれたのだ。だから、テープを最後まで聞くことは、私に課せられた使命だと思う。

 ……でも、時間はもう元には戻らない。夏海、私はあなたが好きだった。

「夏海さん……」
 少年の声が聞こえる。同時に、私の首へ巻かれていた腕がゆるんだ。筋肉の緊張が消え、弛緩する。予想外だったので、私は彼の行動に戸惑った。
「僕はあなたの家に入っていない……」
 彼は言った。すぐには言葉の意味がわからなかった。テープを持ち去ったのは、あなたではない……? そう聞き返そうとしたとき、唐突に、手術室の入り口の開閉する音が聞こえた。
 だれかが部屋に入ってきたらしい。
 ゆるんだとはいえ、私の顔にはあいかわらず少年の腕がかぶさっており、目隠しされた状態だった。したがって、三人目の人間の姿を見ることはできなかった。腕を押しのけるために動くこともできず、私は、部屋に入ってきた人物の足音が移動するのを闇の中で聞いていた。
「だれ……?」
 私の声はかすれた。
 足音は、入り口を抜けた後、私と少年のいる手術台の脇を通りすぎた。古い、埃のたまったリノリウムの床が、靴の踵を受けて音を出す。
 少年が、ゆっくりと、私の顔や首に巻きつけていた腕を解き放つ。私は自由になった。彼の腕で闇に覆われていた視界が元に戻ると、目の前の壁に、三つの人影が写し出されているのを見た。

 あなたを悲しませることを言ったのは、あなたが悪かったからじゃない……。

 私でも、少年でもない、三つ目の影が、腰を屈める。ラジカセの停止ボタンが押される音。同時に、姉の声が聞こえなくなった。手術室内は、静寂となる。
 私は台に腰掛けたまま首をめぐらせた。私の背後に少年が立っており、彼も振りかえって後ろを見ている。少年の向こう側、壁のすぐそばに、樹がいた。樹は、下に置かれていたラジカセの停止ボタンから、人差し指を離すところだった。
「テープを持ち去ったのは俺です、先輩……」
 もう聞けないと思っていた彼の声だった。なぜここにいるのだろう。私は幻覚を見ているのだろうか。しかし、彼はたしかに存在し、ライトによる影が壁に写し出されている。決して幻ではない。
「病院内は広くて、探すのに苦労しました……。博子さんの声が聞こえなけれは、二人がどこにいるのかわからなかったかもしれない……」
 夕方に彼からもらった電話を思い出す。電話で私は、自分が学校の前にいることを話した。なぜなら彼が電話の向こうで、私の居場所をたずねたからだ。部屋に入りこんでいる間、私が帰ってこないかどうかを、彼は確認していたのかもしれない。
 レストランで私は、両親がよく玄関の鍵をかけ忘れると話した。だから堂々と侵入できたのだ。そして偶然、私の部屋に奇妙な題名のつけられたカセットテープを発見した。そう考えれば、どうしてこの場所にいるのかもわかる。この場所と時間の指定は、二本目のテープの最後に録音されていたからだ。
「神山君、ひさしぶり……」
 背後に立っていた少年は、そう言うと私の左肩に手を置いた。熱のある手のひらだった。それから、手術台のそばから離れて樹と向かい合う位置に移動する。肩に置かれた手も離れて遠ざかる。私はその間、動くこときえできなかった。樹を振りかえった格好で固まっていた。
「こんばんは**君」
 樹は少年の名前を口にして、そのまま彼から目を離さない。その横顔は、まるで私がこの部屋にいることなど忘れてしまったかのようだった。
 二人は部屋の両端に立ち、無言で向かい合っている。手術室内は、音のない緊張に包まれた。耳が痛くなるような静寂だった。
 それまで部屋にあった姉の声を私は求めた。手術台に座ったまま、視線を樹の足元に向ける。テープの止まったラジカセがあった。
 手術台の縁を握り締めて冷たくなった指先へ、動くようにと信号を送る。麻痺したように、力は入らない。
「きみは、彼女を助けるためにここへ……?」
 少年が、問うように声を出す。部屋の沈黙はそれで破られたが、押さえつけられるような息苦しい緊張は強くなっていく。
 もう一度、動くように筋肉へ命令する。しかし、指先も、足も、私の意思に反応しない。心臓は早鐘を打つように動いていたが、まるで全身に麻酔をかけられたようだった。
 目を閉じ、息をつめ、祈った。
 お願い、動いて。そしてあのラジカセのところまで私を歩かせて……。
 |痙《けい》|攣《れん》するように、指先がぎこちなく震えた。
「邪魔をして悪かったかい」
 樹の声。
 指先が動くようになると、連鎖反応のように、腕や足が眠りから覚めた。しかし筋肉は硬く強張り、動きはしたが、力が入らない。それでも私は、手術台の黒くなった血の染みに手のひらをついて落ちるように床へ下りる。姉の死んだ手術台を離れると、私は、自分が生きているのだという、なんでもないことを感じた。
 足が震えて立ちあがれなかった。私はリノリウムの床を這った。腕に全体重をかけ、足を引きずるようにして進む。床を覆っていた土ぼこりで、私の全身は汚れた。手術台をまわり、樹の足元にあるラジカセを目指した。
 樹と少年は何か言葉を交わしていた。しかし、私にはもはや何も聞こえなかった。地面を這う虫のように体を動かしながら、テープのことばかり無心で思いつづけた。
 床に落ちていた尖ったコンクリートの破片が、体重をかけた腕に刺さる。しかし、気にならなかった。
 少年はさきほど、死とは『失われること』だと言った。私はすでに多くのことを自ら放棄して死を選んだのだとも言った。
 しかし、私はまだ死んでいない。生きることを放棄してなどいない。私がこの廃墟まできたのは、失うものを越えて、取り戻したいものがあったからだ。
 姉さん……。床に置かれたラジカセに近づきながら、強く姉のことを思う。
 ラジカセの横にあるライトが輝きを放ち、目がくらむ。樹の踵が持ちあがり、ライトの前を横切った。私に影を投げかけて、視界から消える。しかし私は、彼を目で追いかけなかった。
 手を伸ばせばラジカセまで届く場所に辿り普く。床に這いつくばって、指先を、少年の持ってきた黒いラジカセに引っ掛けた。急いで胸に引き寄せて、震える人差し指で再生のボタンを押す。
 ラジカセの内部から、機械の作動する音と振動が伝わってくる。金属製の網の張られたスピーカーから、姉の声が聞こえてきた。空気の震えではなかった。ラジカセを抱きしめる腕から、直接、声の振動が伝わってきた。

 ……夏海、あなたのことがずっと気がかりだった。あなたにひどいことを言うたびに、後悔した……。あなたを不安そうな表情にさせてしまって、本当に、ごめんなさい……。

 最後の数年間、私と姉は仲良くできていなかった。同じ家の中にいて、まるで他人のように遠くへ感じていた。私は嫌われているものだと思っていた……。

 こんな伝言を残されて、あなたには迷惑かしら……。きっと、そうよね……。私だったら戸惑ってしまうと思うの……。でも、最後に謝ることができて良かった……。だって、あなたがこの先、私のことで笑えなくなってしまったら、私は嫌だもの……。

 姉さん……。私はラジカセを胸に抱き、床の上で体を丸めた。腕の中から、やさしい姉の声が聞こえてくる。腕の中に、仲良く遊んだころの姉がいた。

 今、こんなときに思い出すのは小さいころあなたといっしょに遊んだことばかり……。

 私は目を閉じて、耳を傾けた。

 坂道をのぼったところに、見上げるような大きな森があったわね……。

 頭の中に、幼かったころ見た風景が蘇る。
 暗い闇も、冷たいコンクリートの壁も、すべて一瞬のうちに消え去り、私は心地よい日差しの降り注ぐアスファルトの坂道に立っていた。
 ガードレールも、ポストも、すべてが大きかった。私は子供用の小さな靴を履いて、はるか高い坂の上を見上げていた。道の片側に家が並んでおり、もう一方の側はガードレールの他に何もなく、町を見下ろせた。

 手をつないで歩いたこと、覚えてる……?

 なつかしい子供の声に呼びかけられて、私は振りかえる。そこに姉が立っていた。背丈はほとんど私と変わらず、会う人はみんな、私たちのことを似ていると言った。
 姉が、小さな手で私の手をつかむ。坂道の先を指差して、あそこへ行ってみようよと提案する。
 私は、わくわくした。姉の手に引かれながら駆け出す。暖かい日差しが私と姉の小さな影を地面に落としていた。坂の上で枝葉を伸ばしている木々を目指し、アスファルトの道に靴音を響かせる。

 坂をのぼりきって、森の茂みに入ると、涼しい空気が汗を乾かしたの……。木々の間を抜けると、見晴らしのいい崖があって、そこから町を見下ろしたよね……。並んで、私たちは手をつないでいたわ……。

 姉の小さな、熱い手の感触が蘇る。かたわらに立つ姉が、私を見て微笑んだ。口のはしから、八重歯が覗いていた。

 町の上を高く、鳥が飛んでいた……。

 翼をぴんと伸ばした白い鳥だった。私はその鳥が、町を流れる大きな川に住んでいる鳥なのだと、勝手に思っていた。ほとんど翼をはばたかせることなく、風に乗ってはてのない青空を飛んでいた。

 夏海、お姉ちゃんはここで死ぬの。でも、あなたはこれからも生きる。生きていくんだわ……。そしてまっすぐに笑いなさい。でないと許さないからね。さようなら、夏海……。

 小さく消え入るように、姉の声は聞こえなくなった。呼吸も雑音もなく、スピーカーは沈黙し、告白の終わりがきたことを告げる。胸に抱いたラジカセの、前面にある透明なプラスチックの小窓の奥で、無音のままテープがまわり続けている。そこに透明な水滴が落ちた。私の頬を伝った涙だった。
 ごめんなさい、ありがとう……。
 心の中でつぶやいた。暗闇の濃い、寂しく、虚ろな病院の廃墟に私はいる。しかし、確かに私はたった今、姉と坂道を歩いていた。
 どれくらい、体を丸めて泣いていたのだろう……。
 いつのまにか廃墟の中で私は一人になっていた。手術台と、明かりを点し続けるライトだけがそばにある。二人の姿はどこにもなかった。
 ライトの光が床の一部分で反射し、そこだけ強く輝かせていた。目を凝らすと、床のその辺りだけが濡れているとわかる。大量の血だまりが広がっていた。新しく、乾いていない。私はそれが、樹のものではないことを祈った。
 ラジカセを抱いたまま立ちあがろうとする。最初、足に力が入らなかった。ゆっくりと時間をかけて、よろけそうになりながらなんとか立つことができた。
 危うい足取りで手術室を出る。樹の名前を呼んだ。私の声は壁に反響しながら暗闇の奥へ消える。
 病院の入り口で樹が戻ってくるのを待った。静かな冷たい空気が服を通り抜けて体を冷やした。震えながら体を丸め、廃墟の暗闇へ身を潜ませていた。やがて半分眠りかけながら朝を迎えた。結局、樹も、あの少年も戻ってこなかった。

   † エピローグ

「この傷は、なんでもない……。犬が僕にじゃれついてきたとき、転んでできたものだよ……。」
 黒い鞄を片手に持って階段を下りる森野に、僕はそう説明した。
 十二月四日の放課後、僕たちは同時に教室を出て、歩きながら話をしていた。階段の踊り場に差しかかったとき、彼女は僕の首筋にできた赤い線を指差し、それはどうしたのかとたずねたのだ。
「あら、そう。きっとあなたを殺そうとしたのよ」
「犬が?」
「間違いないわ」
 確信するように彼女は頷いていた。実際は、昨晩に病院の廃墟でつけられた傷だった。他の部分にも打撲した個所はあったが、学生服で隠れて見えなかった。
「そういえは、北沢博子さんの殺害事件についてスクラップを作るために、私は先日から情報を集めていたの」
 彼女は図書館で知り合った人物から様々な情報を得ていた。しばらく前、その情報通の名前をたずねたが、彼女は教えたがらなかった。後をつけてその人物について調べようと思ったこともあったが、もはやどうでもよかった。
「完成はしたのかい?」
「もう少し、というところね。後は、そう、犯人のインタビューさえとれたら完璧なのでしょうけど」
 校舎を出て校門に向かって歩きながら、あの事件は警察が公表しているよりもはるかに猟奇的な事件だったことを彼女は述べていた。外はすでに太陽が沈みかけて、冷たい風が吹いていた。校舎から校門までは、両側に並木の植えられた幅の広い道が続いている。今はそこを数人の生徒が歩いているだけである。風に吹かれて白いビニール袋のゴミが道の上を滑っていた。
 校門を出て、道路を渡る。その先にあるコンビニエンスストアの中に、北沢夏海がいた。雑誌売り場に立ち、ガラス越しに目があった。
 僕はコンビニエンスストアの正面で歩みを止めた。横を並んで歩いていた森野も、それにあわせて立ち止まる。
 店内で北沢夏海が、持っていた本を下に置いた。その間も、目を僕の顔から離さなかった。店の出入り口を抜けて、外へ出てくる。
 店の前には数台分の車がかろうじて停められるほどの小さな駐車場があった。その車止めをはさんで、僕と彼女は向かい合った。店内から漏れてくる白っぽい蛍光灯の明かりが僕たちを照らしていた。
 昨晩、ラジカセを抱いたままうずくまっている彼女の横で、僕は人間を殺した。ナイフが乾燥する音は、それで止まった。
 しかし僕は彼女に構っている余裕がなく、廃墟に残したまま帰っていた。彼女は、横で行なわれていた乱闘に気づいておらず、僕が校門から出てくるのを見るまで、どちらが血を流すことになったのかわかっていなかったのだろう。
 僕が北沢夏海に話しかけようとすると、横にいた森野が先に口を開いた。彼女はじっと北沢夏海の顔を見つめていた。
「もしかして北沢夏海さんですか」
「……はい、そうです」
「やっぱり。新聞に掲載されていたお姉さんの写真に似ていらっしゃいます」
「髪型を変える前の写真ですね……」
「はい。私は趣味で、お姉さんの事件のことを調べています。でも、あなたの写真は入手できていなかったから、数日前、あなたがここに立っているのを見たとき、似ているな、ぐらいにしか思っていませんでした」
「姉の事件のことを、調べていらっしゃるの?」
 北沢夏海は意表をつかれたような顔をして、問いかけるような視線を僕に向けた。
「彼女には情報源があるみたいです。はっきりと教えてくれませんが……」
 僕がそう補足説明をすると、北沢夏海は複雑な表情をした。
 森野は僕に顔を向けた。いつもの無表情ではあったが、興味深そうな声だった。
「それで、北沢さんとはどういうご関係なのかしら」
 僕は返事をせずにポケットから小銭を取り出して森野に握らせた。彼女は受け取ったコインを眺めて、これはなに、と質問する。百メートル先に自販機があるから、そこでジュースを買ってきてもらえないでしょうかと丁寧に頼んだ。
「目の前にコンビニがあるけど、ぜひ遠くにある自動販売機のジュースが飲みたいと思うのです。もちろん、きみに話を聞かれないよう追い払う目的でそうしているのではないよ」
 森野は僕と北沢夏海を交互に見て、しばらくためらっていた。しかし、だまって背中を向けると、自販機のある方向へ歩いていく。
「あの子は、なにも気づいていないのね。自分が、殺される標的になっていたことにも……」
 北沢夏海のつぶやきに、僕は頷いてみせた。
 しばらく二人で、遠く小さくなっていく森野の後ろ姿を見ていた。暗くなった歩道に、彼女の黒い姿は半ば消えそうになる。道路を、ライトのつけた車が通りぬけるたびに、小さな形が浮かび上がる。
「……少し前、博子さんの死体写真を、彼女に見せてもらいました」
「死体の写真を?」
「はい。どこにも流出していないはずの写真を、彼女は、だれかからもらっていました。確かに博子さんの顔が写っていました。葬式のときに飾られていた写真と同じ髪型でしたよ……」
「それじゃあ、あなたはそれを見て……」
「犯人が撮影した写真だという可能性は、ゼロではないですよね。自分でも半信半疑でした。しかしそうだとすると、博子さんを殺した人間が、彼女へ近づいていることになる。もしかすると次の標的として彼女を選んだために……」
「それは半分、当たっていた……。でも犯人が最終的に選んだのは森野さんではなく私だった……」
「先輩がこのコンビニに立っていたとき、犯人がまた活動をはじめたのではないかという予感がしました。先輩の様子が変だったから、犯人がなにか接触してきたんじゃないかと……」
「そう……、そういうことだったのね……。あなたはそう考えたから、その証拠となるものを求めて私の部屋へ侵入した……」
「先輩はきっと、聞いても教えてはくれなかったでしょう?」
 店内から漏れる明かりは、僕と北沢夏海の形を駐車場の乾燥したアスファルトに浮かび上がらせた。まるで影絵のようだった。彼女はそれを見ながら、ええ、そうね、とつぶやいた。
「でも、樹くん、あなたがそんなに非常識な子だとは思っていなかったわ……」
「先輩も、非常識では負けていませんね」
「昨晩、心配したのよ……。急にいなくなっていて……。夜が明けてあなたに電話したけど、つながらないから」
「俺の携帯電話、あいつとのごたごたで壊れてしまっていたから」
 かつて、あの北沢博子を殺害した男と僕は同じクラスに所属していた。さほど親しくはない間柄だったが、もしも近づくことが多かったなら、目の中の常人とは違う気配に気づいていたのだろうか。
「あの後……、あなたたちは、いったいどうなったの……?」
 彼の死体は、廃墟の裏側にある深い|叢《くさむら》の中に埋めた。残酷な魂は、ナイフの銀色に光る刃へ吸収されたのだ。もちろんそれは僕の勝手な想像だった。体に刃が深く刺さって小さなうめきとともに彼が口から血を吐いたとき、ナイフの柄を握り締めていた僕の手が、乾きの癒える手応えを感じたというだけである。
「あいつは逃げていきました。追いかけたけど、つかまらなくて……」
 こういうこともありうる。彼はそう納得した顔で、廃墟の冷たい床に散った自分の血を見つめていた。膝をつき、おそらく北沢博子の命を奪ったのと同じ程度の簡単さで、彼は自分の死を受け入れた。そして僕を見上げてそれはいいナイフだねと言うと動くのをやめた。
「そう……。警察に連絡したほうがいいのかしら」
「先輩の好きにするといいですよ。あ、でもわずらわしいのが嫌だから、俺のことはだまっていてもらえませんか。先輩の部屋に不法侵入したわけだし」
 僕は歩道の先に目をやった。遠く街灯の下に小さな動く点が見えて、明かりの下を過ぎるとまた闇のなかに溶ける。しばらくしてひとつ手前の街灯の下に再び現れたとき、小さな点ではなく、戻ってくる森野の姿になっていた。
「……今朝、家に戻ったとき、お父さんに叱られたの」
 北沢夏海は車止めをつま先で蹴りながら、目をほそめて言った。微笑んでいる。彼女は自転車で朝方に廃墟から帰ったそうだ。家に着いたとき、娘が自室にいないのを知って両親がひどくうろたえていたという。疲れた表情で玄関を開けた彼女を見ると、親は叱りつけた後、強く抱きしめたそうだ。
「私の顔を見て、お母さんは泣いていたの。当然ね、姉さんのことがあったのだから……。そして、私も、両親も、生きているんだなと思った……。ねえ、来年の頭に引越すことが決まったわ。たぶん、遠くへ……」
 北沢夏海は顔を上げて歩道の先を見た。遠くを見る彼女の横顔は、店内からもれる明かりのために白く輝いていた。
「あなたともお別れね……」
 缶ジュースを手にして戻ってくる森野が、少し離れた場所で立ち止まった。電柱にもたれかかり、僕と北沢夏海を見ている。車の通りすぎた風を受けて、彼女の髪が踊るようになびいた。どことなく、マッチ棒が立っているような、心もとない様子だった。
「お話は終わったのかしら……?」
 森野が声をかける。もう少し、と僕が返事をすると、元気のない様子でなにか小さくつぶやいて、僕と北沢夏海に背中を向けた。距離があったので、彼女が何と言ったのかはわからなかった。ただ、肩幅の小さな背中だけが見えた。
「森野さんは……」
 北沢夏海は彼女を見て、続いて僕に視線を向けながら、言いよどんだ。
「なんですか?」
「いえ、なんでもないわ……。でも、私たちのことを誤解しているんじゃないかしら。……事件のことを、あの子に言うつもりはないの?」
「必要がなければ、言いません。これまでもそうでした」
「それじゃあ、あの子は、あなたに守られたのだということを知らないままなのね……。樹くん、あなたは私を助けるつもりで廃墟に来たの? もしかしたら、あの子に振りかかろうとする火の粉を払いのけたかったのではないのかしら……」
 彼女は僕の瞳をまっすぐに見て言葉を続けた。
「やっぱりそうなのね。森野さんに愛情を抱いているから?」
 愛情ではありません、これは執着というのですよ、先輩……。
 口には出さず、僕はそう心の中でつぶやく。
 北沢夏海は僕から視線を外し、遠くを見つめる。右手のひらで、自分の左肩を触っていた。
「肩、怪我でもしたんですか?」
 僕がたずねると、彼女は少し微笑みを浮かべて首を横に振った。
「あの子が別れ際に、ここへ手を置いたの……」
「あの子?」
「なんでもないわ。ねえ、ところでいつまで森野さんを待たせているつもりなの」
 電柱にもたれている森野の背中に向かって、もう話は終わったからと僕は声をかけた。
 無言で森野は戻ってきた。よく見ると彼女の手には、柑橘系のジュースが一本、握られているだけである。三人いるのだから三本買ってこなければいけなかったのではないかと僕が指摘すると、あまりに待ち時間が長くて二本は飲み干してしまったのだと彼女は言う。なおかつ、その柑橘系のジュースはだれにも渡さないと主張した。外見からはよくわからなかったが、彼女の機嫌は悪いようだった。
 駅まで三人で歩くことになった。僕と北沢夏海が話をしながら並んで先を歩いた。話題は引越しのことや、大学進学についてのことばかりだった。さほど興味のある話題ではなかったが、僕は他人の話に合わせることになれていた。彼女は楽しそうに、時折、笑顔を交えて話をした。
 数歩下がったところを、森野がついてきた。北沢夏海と話をしながら、僕は時折、背後を確認した。片手に鞄を下げ、もう一方の手で缶ジュースをもてあまし気味にしながら、彼女は自分のつま先を見て歩いていた。長い髪の毛が前に垂れ下がって、顔を隠していた。
 彼女は無言のままで、僕と北沢夏海の会話に入ろうとはしなかった。それは教室にいるときも同じだった。僕がだれかと話をしていれば、決してそこに割って入らない。横目でちらりと見ながら、見えなかったふりをしていつも通りすぎる。
 やがて駅前の広場に到着した。すでに空は暗かったが、周囲には店がひしめきあっており、看板の色づいた光や店内の蛍光灯が周囲を明るくしていた。
 会社や学校が終わる時間だ。家へ帰宅しようとする人で、駅は混雑していた。巨大な駅ビルの一階が四角いトンネルのように刳りぬかれて、駅の入り口になっている。そこを、まるで駅ビルが呼吸でもしているように、大量の人間が出入りしている。
 駅の入り口で北沢夏海とは別れることになった。彼女は別れの言葉を言って、片手を振りながら僕と森野から離れていく。切符を購入するらしく、券売機の方へ向かっていく。流星群を回避するSF映画の宇宙船のような動きで、彼女は人ごみを避けながら遠ざかる。券売機のあたりでは大勢の人が列を作っており、その最後尾に彼女はついた。
 通行人の邪魔にならない駅の壁際に僕と森野は立った。二人ともうるさい場所や人間の多い場所は好きではなかった。長時間いると、頭が痛くなる。
 駅の壁は大理石のような白く滑らかな材質だった。一定の距離を置いて、視界を覆うほど大きな、女性モデルの写った化粧品の広告が壁に並んでいる。そのうちのひとつによりかかっている森野に、僕は話しかけた。
「北沢夏海が、殺された姉とうり二つで驚いたでしょう」
「それよりもあなた、人によって『僕』とか『俺』とか使い分けるのは疲れないの?」
 森野は腕組をしていた。右手に握っている缶ジュースが、左腕の下から覗いている。おそらく、彼女の体温でぬるくなっているだろうと思った。
 森野は、列に並んでいる北沢夏海を視線で差し示す。
「あの人にしろ、あなたにしろ、どうしてそう自然に笑えるのか私には不思議よ」
「僕は別に、おかしくて笑っていたのではないけど」
 どんな会話の中でも、心が愉快になることはない。いつも暗い穴の底にいる気がする。しかし無意識のうちに僕は演技をしつづけて、他人との会話に|齟《そ》|齬《ご》を生じさせないようにしているだけだった。
「それに、あの人も最近は笑うことがなかったんだ。さっきまで僕と話をしながら微笑んでいたけど、これまでいつもあんな感じだったわけではないんだ」
 僕がそう言うと、森野は首を傾げた。
「普段は笑わない人なの? 意外よ、明るそうな人に見えたのに……」
 僕は彼女に、北沢夏海とその姉の不仲について簡単な説明をした。
 顔の似た姉妹で、長い間、隔たりのある関係しか持てなかったこと。嫌われているのだと思い、笑顔を浮かべられなくなっていたこと。
 僕の説明を、森野は口を挟むことなく黙って開いていた。
「僕は、いつもの趣味で、北沢博子の葬式に出席したんだ。そこで、その話を聞いた。でも、先日、生前に北沢博子の残した肉声のテープが見つかってね……」
 北沢夏海は、死んで永久に会うことのできなくなったはずの姉と|邂《かい》|逅《こう》を果たすことができた……。
 ややこしくなるため、犯人に関することや、昨夜のことは話さなかった。ただ、テープの内容と、それが北沢夏海にもたらしたであろう心理的な変化についてだけ説明をする。
 昨夜に見た、ラジカセを抱きしめて廃墟の床に丸くなっている北沢夏海の姿を思い出す。そのとき僕は、ナイフを片手に持っており、あの男の服で刃についた血を拭っていた。ラジカセから聞こえていた北沢博子の独自は、幼い姉妹の遊ぶ姿を僕に想起させた。
 彼女たちの思い出に関することまですべて話し終えたときも、森野は腕組をしたまま壁の広告に寄りかかっていた。視線をやや下方に向けて、何か考えるように沈黙していた。|瞼《まぶた》をふせぎみにしていたため、駅の白い蛍光灯によって睫毛の陰が目の下に落ちていた。
「……あなたの情報は、私の作った事件のスクラップブックからもれていたわ」
 やがて彼女は、聞こえるか聞こえないかの小声でそう言った。ゆっくりと首をめぐらし、券売機の列に並んでいる北沢夏海へ目を向ける。
 列が進んで、ようやく北沢夏海は券売機にコインを入れている。ボタンを押して、最寄りの駅までの切符を購入する。駅を行き交う大勢の人波に遮られ、見え隠れしながら、その姿が確認できた。
 森野が腕組を解いた。右手に持っていた缶ジュースに、一度、視線を落とす。
 壁の広告にもたれかかっていた彼女の背中が、離れた。その動きに少し遅れて長い髪の毛がついていく。止まっていた川の水が音もなく静かに流れを再開するように、そろそろと彼女は歩き出した。
 あまりにも静かな動作だったので、森野が動き出したことに、一瞬、僕は気づかなかった。彼女の意思が読めず、最初のうち、目で追うだけだった。その背中が人通りの中へ埋没したとき、ようやく僕も後を追う気になった。
 彼女の視線の先に、北沢夏海の姿があった。切符を購入して、改札に向かっている。森野夜は、どこか夢遊病者を思わせる心もとない足取りで、北沢夏海を目指して歩いていた。しかし、人ごみの中を歩くのになれていないらしい。行き交う人々に、次から次へとぶつかる。彼女なりに避けようとしているらしいが、まるで狙っているとしか思えないタイミングで、帰宅を急ぐ背広姿の人や若い女性に衝突する。そのたびに跳ね返されて、鼻を押さえながら、また歩き出す。僕はこれまで生きてきて、ここまで不器用に人ごみを歩けない人間を見たことがない。だから、彼女の背中に追いつくのはかんたんだった。
 そうしているうちに、北沢夏海は雑踏に紛れて改札を通りぬけた。人通りに対して改札の数は少なく、大勢の人間がその辺りに集中している。僕と森野の前に多くの人間の背中や頭があり、視界を遮って、ついに北沢夏海の姿は見えなくなった。どうやら彼女は、森野に気づかないまま駅構内へ向かったようだ。
 森野がまた、人に衝突した。相手は体の大きな中年の男性で、ダンプカーと三輪車の衝突事故を思わせた。彼女は跳ね返され、よろめき、後ろをついて歩いていた僕に倒れ掛かってきた。僕は、顎に頭突きをくらった。それは、ここ数ヶ月のうちに起こったいろいろなことの中で、もっとも大きなダメージだった。しかし彼女は僕に気づいた様子もなく、ただ前方の、北沢夏海の消えたところに目を向けていた。姿勢を立てなおし、やや躊躇うように顎をひいた後、肩を張って大きな声をあげた。
「夏海さん!」
 普段の彼女からは想像できない、大きな声だった。細い体のどこに拡声機が仕組まれているのかと思った。辺り一帯にあったすべての音、雑踏や話し声が、一瞬、消えた。歩いていた大勢の人が驚いた顔で立ち止まり、沈黙し、彼女を見た。
 森野が、再度、歩き始める。まっすぐに、北沢夏海の消えた改札へ進む。声を聞いて立ち止まっていた人々は、彼女のために体を避けて道をあけた。僕も後を追う。
 再びざわめきが駅に戻り、人々は歩き出した。そのときすでに森野は改札へ駆けよっていた。彼女は電車通学をしているわけではなかったので、切符も定期も持っておらず、自動改札機を通り抜けることはできなかった。閉ざされた改札の手前で立ち止まる。
「森野さん?」
 北沢夏海の声が聞こえた。改札の向こう側にある人波の間から、彼女の姿が現れる。声を聞いて戻ってきたのだろう。驚いたという表情をして小走りに近づいてくると、改札を挟んで森野と向かい合わせの位置に立った。その改札を抜けようとしていた人々が、立ち止まっている森野のために足止めを食らい、周囲は一気に混雑さを増した。しかし森野は気にしなかった。
「夏海さん、これをあげる」
 森野は、持っていた柑橘系の缶ジュースを改札越しに差し出した。
「あ、ありがとう……」
 北沢夏海が戸惑いながらそれを受け取る。
「さっきは、不機嫌になっていてごめんなさい。あなたともっとよくお話をするべきだった。……お姉さんと仲直りしたそうですね」
 森野と、そのそばにいる僕へ向かって、改札を通れない大勢の人間の視線が集中していた。騒ぎを見た駅員がこちらを気にして駆け寄ってこようとしている。僕は森野の左腕を引っ張り、そこから退かせようとした。しかし彼女は、わずかに姿勢を崩しながらも反抗して北沢夏海の正面から動かなかった。
「私も、姉と喧嘩中で……。いえ、少し違うけど……。とにかく、おめでとうってあなたに言いたかったの。ただそれだけ」
 言い終えると森野は僕に手を引かれて改札の脇に退いた。まるで体重などないように、彼女は軽かった。人の波が動き、僕と森野の前を洪水のように流れ出す。一瞬で北沢夏海の姿は人の流れに飲まれて消えた。その直前、彼女が森野に向かって口もとをほころばせ、ありがとう、と言ったのを僕は聞いた。
 森野は放心したように力の消えうせた状態で、僕の手にひかれるまま改札のそばから去った。いつのまにか彼女は鞄を持っていない。周囲を探すと、さきほどまで立っていた壁際の地面に放置されていた。
 僕は森野の手をひいて、外人女性の大きく写っている広告の前に戻る。人ごみの中、森野を引いて歩くのはつかれる作業だった。押されて、流されようとする彼女をつなぎとめておかないといけなかった。彼女は前方を見ておらず、下ばかり見ている。口が小さく動いて、何か言葉を発しているようだったが、雑踏にかき消されて聞こえなかった。
 鞄の落ちている場所に辿り着き、人の流れから外れて、ようやく彼女の声が聞こえた。
「神山君は私と正反対だと思うわ……」
 彼女はそればかり、何度もつぶやいていたらしい。
 この後、彼女は駅前から徒歩で自分の家へ向かわなければいけない。僕は電車に乗るため、彼女は一人になる。森野にはどこか精神状態に危うさが残っており、無事に帰ることができるかどうか疑問の余地があった。
「最初あなたは、私に似ていると思ったの。姉さんと同じ雰囲気を持っていたから。でも、違う。私たちは似ていない……」
 森野の鞄は、シンプルな黒色のものだった。それを拾って、手に握らせる。次の瞬間、鞄が落下して音をたてる。
 拾い上げて、もう一度、取っ手を握らせるが、無駄だった。彼女にはつかんでおく気力がないらしい。指が鞄の重さに負けて開き、取っ手は手の中から離れる。
「神山君はときどき、心が空っぽのまま笑っているような気がするの。気を悪くしたらごめんなさい……、私の知っているあなたと、みんなと楽しそうに振舞っているあなたが、とても違うからそう感じるだけなのかもしれないけど……。私はあなたが、ときどきすごく憐れに思えるの……」
 伏し目がちに彼女は言った。声がわずかに震えて、泣き出す直前の子供のようだと思った。
「言っておくけど私は逆よ……」
 彼女は顔を上げて僕の目を見た。背は僕のほうが高く、そばに立つと、彼女が見上げる格好となる。特に表情があるわけではないが、彼女の目は赤味を帯びて、水分を多く含んでいる。
「言われなくても知っている」
 僕の言葉を聞いても、彼女はしばらく沈黙したまま動かなかった。やがて、ゆっくりと顔をうつむかせ、頷く。
「そう、それならいいの……。おかしなことを言ってごめんなさい……」
 拾い上げた鞄を彼女に差し出すと、まるで何事もなかったように受け取る。取っ手をしっかりと握り締め、今度は離さなかった。
 目の前を過ぎる人の流れに、彼女は目を向ける。右に行く人もいれば、左に行く人もいた。正確に彼女が何を見ているのかはわからなかった。ただ、僕たちの前を、大勢の人間が歩いているだけだった。彼女が口を開き、静かに言った。
「夏海さんのこと、私は本当に良かったと思っているの。それに、うらやましかった……」
 僕の手を借りないいつもの立ち姿に、彼女は戻っていた。僕たちは別れの挨拶もしないまま、その場所で反対方向に歩き出した。
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   あとがき Postscript
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 できあがってみると、手帳と姉妹と犬の本になっていました。GOTHの一話目を書いたときは、まさかこのようにシリーズ化して短編集にするとは思っていなかったので、不思議な気持ちです。一話目の『暗黒系』は、もともと、角川スニーカー文庫『ミステリアンソロジー・殺人鬼の放課後』に収録する予定で書きました。しかし、妙にこの主人公コンビが気に入った僕と担当編集者は、勢い余って、あといくつか同じキャラで短編を作ってみることにしたのです。そのため、急遽、アンソロジーのために『seven rooms』という別の話を書くことになりました。
 僕はこれまで、人間が回復する話を好んで書いていました。ほかのことにいまいち興味がわかなかったからです。書きたいものを書くのはいいことだと思うのですが、馬鹿のひとつ覚えだなと、自分のことを恥じています。そしていつのまにか「せつないものを書く人」という肩書きができていました。このGOTHは、そういった方向性とはちがうものだったので、楽しくもあり、心配でもありました。
 二話日の『リストカット事件』を書いたとき、知り合いのホームページの掲示板に、「せつなくない」「乙一のウリであるせつなさが感じられない」という感想があって憂鬱になりました。やばい、GOTHは失敗だ、とも思いました。同時に、「せつない」という言葉への軽い恐怖症にかかりました。ところで、僕本人は、「せつない」というのをウリにしたいと思ったことはあまりありません。もちろん、本の中身が「せつない」のであれは、そういう売り方をしないと本が売れないわけですけど……。でもそういう売り方は、人の尊い部分を資本主義の汚い手で触れているような気がします。祈りをお金に換算する怪しい宗教団体と同じキナ臭さがあるように思うのですが、気にしすぎでしょうか。
 また、僕はこれまでミステリというものをないがしろにしてきた気がします。もちろん、ミステリ作家としてデビューしたわけではないので、こだわる必要はないのですが。物語を最終的に収束させるやりかたとしてミステリ的な方法を使うと、なんだか書く方としては楽なので、よく利用していました。でも、そのやりかたが安易だった気がするのです。
 たとえば、ドラマ部分とミステリ部分がかちあったときなど、迷わずミステリ部分を単純にして物語を作りました。途中で犯人がわかろうが、構いませんでした。そのため、知人に「あの話、途中で犯人がわかったよ」と言われたとき戸惑いました。そこを重要に感じる人もいることは知っていましたが、自分にもそれが求められているのだなと、あらためて感じました。そこで、GOTHの一話目と二話目は特に、ドラマなんてひとまずいいからとにかくミステリをやろう、という気持ちで書きました。
 三話目の『犬』はさておき、四話目の『記憶』は、この本に収録されている短編の中で、最後にプロットが作られた話です。他の話が出揃って、「なんかいまいち森野の影がうすいかも」という気持ちから、即席に作ったものでした。したがって、森野のキャラクターがまさかあのような秘密を持っていたとは、作者の自分も知りませんでした。してやられました。
 五話目の『土』は、担当編集者が一番、気に入っている話だそうです。そういえば担当編集者の青山さんのことを、「小説ソムリエ」と僕はときどき呼んでいます。小説を書き終えた後、青山さんに読んでもらって、違和感やおかしな部分を指摘してもらうというのがいつものやり方なのですが、そのときの青山さんの仕事っぷりといったら、ワインの雑味を探し出しているようにも見えるのです。舌の上で、文章が分解され、吟味されているのがわかります。今回とくにお世話になりました。ありがとうございます。
 六話目の『声』。この話を考えていたころ、もはやネタに困っており、「なにかこう、おもしろい異常者の設定ってないですかね」と編集者に話しかけたことを覚えています。そういえば、僕はスニーカー文庫の『妖魔夜行シリーズ』が好きでした。そのシリーズが毎回いろいろな妖怪を出したように、GOTHも毎回、いろいろ変な人を出そうと思っていました。僕はこのGOTHという話を、ファンタジーとして書きました。吸血鬼ものでもあります。
 僕は作中で、異常快楽殺人者のことを「生まれついてそうだった」というふうに書きました。つまり、人間ではなく、怪物のように描いてしまったのです。そのことに今でも僕は引っかかっています。もちろんこれは、ファンタジー作品の特殊な設定と同じもので、現実もそうだとは決して思っていません。そこをどうか取り違えないようにお願いします。
 最後になりましたが、今回もまたいろいろな人にお世話になりました。雑誌掲載時に挿絵を描いてくださった緒方則志先生、ありがとうございました。装幀デザインを担当してくださったみなさん、どうもありがとうございます。担当青山さんも小説ソムリエ的におつかれさまでした。
 GOTHの続きをまたいつかやろう、短編も長編も、という話もあるのですが、なにも思いつきません。はたしてどうすればいいのでしょうか。あるいは、二度と出ないかもしれません。書くとしたらどうせ主人公の妹が死体を発見する話なのだろうなと思います。それでは。

 二〇〇二年六月
[#地付き]乙  一
[#改ページ]
[#ここから6字下げ]
初出
暗黒系        ザ・スニーカー01年12月号
リストカット事件   ザ・スニーカー02年2月号
犬          書き下ろし
記憶         書き下ろし
土          書き下ろし
声          書き下ろし
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
乙一(おついち)
1978年福岡県生まれ。「夏の花火と私の死体」で第六回
ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞しデビュー。先日、
病院にて、「安楽死したいときはいつでも来てください。
いい薬ありますから」と医者に言われる。うれしかった。

GOTH《ゴス》 リストカット事件《じけん》

平成14年7月1日 初版発行

著 者   乙一《おついち》
発行者   角川歴彦
発行所   株式会社角川書店
      東京都千代田区富士見2-13-3 〒102-8177
      振替 00130-9-195208
      電話 編集部 03-3238-8694 営業部 03-3238-8521
印刷所   暁印刷
製本所   本間製本株式会社

落丁・乱丁本はご面倒でも
小社営業部受注センター読者係宛にお送りください。
送料は小社負担でお取り替えいたします。
◎Otuichi 2002 Printed in Japan ISBN4-04-873390-7 C0093

写真      厚地健太郎
ヘア&メイク  米花
スタイリスト  鬼束香奈子
モデル     吉川知見(ミル・ヴィサージュアジャンス)
プロデューサー 栗本知機
[#改ページ]
乙一の本
角川スニーカー文庫

きみにしか聞こえない CALLING YOU
 定価:476円(税別)

友達のいないリョウは携帯電話を空想していた。心の中にしかない携帯電話でも、握ってみるとさみしさを忘れられる気がしたのだ。しかしある日、空想のはずの着信音が、実際に聞こえてきた!? おそるおそる受けた電話の向こうにいたのは……?
ふたつのさみしい心が共鳴して起きた、現代のおとぎ話。
同時収録「傷」「華歌」

失踪HOLIDAY
 定価:552円(税別)

14歳の冬休み、私はいなくなった──。
継母とケンカして家を飛び出したナオ。潜伏したのは、家の敷地内にある使用人の部屋。その三畳間から、家族のようすをコッソリと観察することにしたのだったが?
「じぶんの居場所」を探す少女の、果敢で無敵なものがたり。
同時収録「しあわせは子猫のかたち」

2002年秋刊行
未来予報

僕と彼女は、たまたま近所に住んでいるというだけの、ただの幼なじみだった。ところが、「未来が見える」という同級生が、「おまえら、将来結婚するぜ」と告げたことから、お互いに目を合わせられなくなってしまう。せつない想いのゆくえは……?
同時収録「手を握る泥棒の話」「フィルムの中の少女」

角川書店


平成十七年九月二日 校正 ぴよこ

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责任编辑:Mashimaro

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