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【天声人语】06年8月27日 东北腔的莎士比亚
时间:2007-12-14 13:39:22  来源:本站原创|http://coffeejp.com/blog/index.php/27935/viewspace-3217  作者:华南虎

「すっか、すねがだ、なじょすっぺ」。シェークスピアの「ハムレット」で最も有名なせりふを東北学院大教授の下館和巳さん(50)は、こう訳した。

“整?还是不整?该咋办呢?”莎士比亚的《哈姆雷特》中最最有名的台词,被东北学院大学的教授下馆和巳先生(50岁)译成了这副模样。

 手元の岩波文庫では、「生きるか、死ぬか、それが問題だ」(野島秀勝訳)とある。坪内逍遥訳を始め、50種類はあるといわれる日本語訳に、新たに仙台弁が加わることになった。

  翻一下手头的岩波文库,里面是“生存?还是死亡?这是一个问题”(野岛秀藤译)。自坪内逍遥的译本起,据说已有50种日语译本了,如今又多了一个仙台腔的译本。

 下館さんは、東北を中心に活動するアマチュア劇団「シェイクスピア・カンパニー」の主宰者で、脚本と演出を手がけている。95年の「ロミオとジュリエット」以来、今回が7作目になる。来月の東京公演に向けて、追い込みに入ったけいこを見せてもらった。

  下馆先生是一个以东北为活动中心的业余剧团,“莎士比亚会社”的主持人,同时也亲自搞搞剧本和排演。从1995年的《罗米欧与朱丽叶》算起,这次已是第7个剧目了。下个月就要来东京演出,他们让我参观了紧张的排练场面。

 仙台弁を使うだけでなく、設定をデンマークから戊辰戦争下の仙台藩に変えている。東京のことばに慣れた者にとっては、なかなか聞き取りが難しいが、音楽のように耳に快いせりふだ。

  不光台词用仙台腔来念,时代背景也从丹麦改成了戊辰战争(注:1868年,日本明治维新初期,新政府军与旧幕府间的战争)时的仙台藩。听惯了东京腔的观众,估计台词很难听得下来,不过那腔调像音乐似的,很悦耳。

 宮城県塩釜市で生まれ、仙台、そして東京の学校に進んだ。何度もことばの壁に直面し、子どものころのことばを使わなくなっていったという。劇団をつくるにあたって、まず地元のことばを使うことにした。「西洋の古典劇は、東京で、共通語を使ってやるのが常識でした。でも仙台でやるからには、自分たちのことばでやりたかった」

  下馆先生出生于宫城县盐釜市,后来在仙台、东京上学。说是曾都次碰到语言的障碍,小时候说惯了的家乡话后来都不好说了。在剧团组建之时,他首先就决定要用当地的方言。“当时,西洋的古典名剧,在东京,用标准语来演是常识。但既然要在仙台演,就希望用家乡话来演了”。

 今年春の仙台公演の後、東京公演のために脚本を手直しして、共通語を2割ほど微妙に交ぜ合わせたそうだ。来年には関西や九州での公演も計画中だ。「関西弁や九州弁、いろんなことばのシェークスピアがあっていいじゃないですか」。下館さんは笑顔で、そう話した。

  今年春天在仙台公演后,为了到东京来演出,他又将剧本加了一下工,据说是很微妙地嵌了20%左右的标准语进去。明年,去关西、九州的公演,也在规划之中。下馆先生笑脸盈盈地说:“说说关西腔、九州腔,各种南腔北调的莎士比亚, 不也很有意思吗?”。


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