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日本汉字的由来
时间:2007-03-19 18:00:05  来源:http://coffeejp.com/bbs/viewthread.php?tid=2181  作者:平凡社「世界大百科事典」|


【朝鮮,ベトナムへの漢字の伝播】
 漢字は中国固有の文字であるが,隣接の諸国すなわち日本,朝鮮,アンナン(ベトナム)に輸入されて,やがてこれら諸国に根をおろした。しかし3国各自の事情によってそれぞれの発展・消長を異にした。日本(詳細は後述)では漢字をもって漢語を表すとともに日本語を示すにも用い,またその略体から仮名(かな)の発生を見た。朝鮮は韓国では日本と同様,今日に至るまで漢語を表すに用いているが,朝鮮民主主義人民共和国ではこれを廃し,もっぱらハングル(偵文(おんもん))を用いている。しかし韓国でも漢字は漢語の表示にのみ使用し,朝鮮語を示すのには用いない。元来長い間漢字・漢文は朝鮮における正統な文字であり,文語であって,その国字偵文が15世紀に発明されてもその名の示すように,〈卑俗な文字〉であったのである。現在ではこの文字をハングル(大いなる文字)と呼んでいる。ハングル以前には漢字をもって朝鮮語を表すのにも用いていた。新羅時代の金石文や歌謡には漢字の訓読が行われ,とくに助詞・助動詞の類を示すために漢字の音読および訓読を複雑に利用している。その趣は日本の宣命(せんみよう)などに類する。この慣習は文書の中に長い間踏襲され,これを吏読(りとう)と称する。
 吏読はハングル発明後にも李朝末期まで用いられた。また漢文を解釈する場合,日本の送仮名に類する吐というものを用いた。これには漢字をそのまま用いることもあるが,通例は漢字の略体を用い,その中には日本の片仮名によく似たものもあり,音・形ともにほとんど全く同じものもある(たとえば,タを ta に用いるがごとき)。おそらくは日本における漢字の使用は朝鮮における実験にもとづき,これを発展させたものである。朝鮮に漢字の伝来した年代は明確でない。中国文化との接触はひじょうに古いが,ことに漢の四郡設置は中国文化の移植を強度にもたらした。しかしこの中国人の植民地文化はその周囲の文化と格段に相違していたため,漢字が真に朝鮮の諸民族の間に浸透したのはやはり三国時代であったと思われる。だいたい4世紀後半にまず北から高句麗にはいり,ついで南から百済にはいった。新羅は最もおそく6世紀に百済を介してはいった。
 ベトナムも漢代から中国文化の影響下にあり,朝鮮と同様記録には漢字・漢文を用いていたが,ベトナム語を表すに至ったのは14世紀からである。漢字でベトナム語を表すには日本や朝鮮とちがい,その言語が中国語と同じ類型のものであったから,これを漢字で示すことは比較的容易であった。たとえば没(字音 m【t6)をもって m【t6〈一〉を表すようにである。さらに漢字の構成原理を利用して新たな文字をつくった。たとえば月と正とを合体した践が gi『ng1〈正月〉を表すのはまさに会意の方法であり,末(字音 mat6)と目の結合の曙がm∞t5〈眼〉を示すのは形声の原理である。これら漢字および漢字の原理を利用してベトナム語を表す文字をチュノム(字喃)と呼ぶ。しかし16世紀ころから,ヨーロッパの宣教師がベトナム語のローマ字化を試み,19世紀にベトナムがフランスの植民地になると,このローマ字が国字となって,漢字による表記はすたれた。このローマ字をクォク・グゥqu【c‐
gu(国語)と呼ぶ。なお漢字の字形輪郭は,朝鮮のハングルや,契丹・女真・西夏・イ(彝)・ミヤオ族などの文字にかなりの影響を与えている。

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